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第132話 金と金の戦い:芦ノ湖畔の買収戦争

 昭和52年(1977年)、初夏。

 箱根の山を一直線に駆け登る京急の『頂上快特』が、既存の交通網を破壊し尽くしてから一ヶ月。

 箱根の山頂エリア(芦ノ湖・仙石原)では、異様な光景が繰り広げられていた。

「……申し訳ねえ、京急の運転手さん。ウチの旅館、今日から『小田急グループ』の傘下に入ることになりましてね。……赤いバスをエントランスに横付けさせるのは、まかりならんと上からキツく言われてるんでさぁ」

 芦ノ湖畔の老舗旅館の主人が、申し訳なさそうに頭を下げた。

 京急の運転手が舌打ちをしてバスを公道に停めると、旅館の看板が真新しい『小田急リゾート』のロゴにすげ替えられるところだった。

 それは、交通インフラ(利便性)で完敗した小田急電鉄が放った、なりふり構わぬ「資本の暴力」だった。

 新宿の本社から放たれた小田急の用地買収部隊(事実上の地上げ屋)が、ジュラルミンケース一杯の現金を武器に、箱根中の独立系ホテルや旅館、一等地の空き地を次々と買い漁っていたのである。

「……どんなに客を運ぶのが速くても、『降りる場所(目的地)』がすべてウチの陣地になれば、ヤツらのバスはただの鉄屑だ。箱根中の土地を買い占めろ! 予算に糸目はつけるな!!」

 小田急の役員たちは血走った目で、箱根の地図を自社の「青いピン」で猛烈な勢いで塗りつぶしにかかっていた。

 ——金と金のたたかい。

 技術も土木も関係ない、純粋な「資本力」による兵糧攻め。

 京急のバスは、客を乗せて山頂に辿り着いたものの、次々と「小田急の私有地だから立ち入り禁止」という看板に阻まれ、客を路上で降ろさざるを得ない状況に追い込まれつつあった。

 ***

 小田原ターミナルの役員室。

 次々と舞い込む「乗り入れ拒否(買収)」の報告に、京急の営業部長は青ざめていた。

「五代常務! 高見さん! このままじゃマズいです! 芦ノ湖畔の主要なホテルが、片っ端から小田急の資本に飲み込まれていきます! このままじゃ、ウチのバスは『行き先』を完全に失って干上がっちまいます!!」

 だが。

 報告を受けた五代は、焦るどころか、淹れたてのコーヒーを優雅に啜っていた。

 その向かいのソファでは、高見が相変わらず不敵な笑みを浮かべてタバコを吹かしている。

 そしてもう一人。

 部屋の奥の窓際で、小田原の街を見下ろしている初老の男がいた。

 五代の最大の盟友にして、横浜のドン——相模鉄道(相鉄)の不動産開発部門トップ、川島である。

「……小田急の連中、随分と景気よく現金をばら撒いてるようじゃねえか」

 川島が、低くドスの効いた声で笑った。

「ええ。ヤツら、交通で負けたからと『金と金のたたかい』に持ち込めば、勝てると思っているようですね」

 五代はカップを置き、ステッキでテーブルの上の「箱根の地図」をトントンと叩いた。

「鉄道しか知らない新宿のボンボンどもが、土地の転がし方で、我々『京急・相鉄連合』に勝てると思っているなら……とんだお笑い種だ」

 京急は、三浦半島一帯の土地を自らの手で切り拓いてきた「野武士」。

 そして相鉄は、戦後の横浜で、焼け野原から巨大な商業施設と住宅街を錬成してきた「不動産開発のバケモノ」である。

「……ヤツらが『点(既存のホテル)』を高い金で買っている間に、俺たちはすでに『箱根の急所(面)』をタダ同然で押さえているというのに、呑気な連中だ」

 川島がニヤリと笑うと、五代は地図の上の「芦ノ湖」と「仙石原」の間に広がる、広大な『未開発の荒野』に、ドスリと赤いピンを突き立てた。

「……さぁ、不動産屋プロの喧嘩のやり方を、小田急に教えてやりましょうか」

 箱根山頂を舞台にした、血で血を洗う「金と金のたたかい」。

 横浜のインフラ屋たちの反撃の刃は、すでに小田急の喉元に突きつけられていた。

次回今日?


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