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第125話 土木の反撃:早川越えの『送り出し工法』

 昭和52年(1977年)、冬。

 小田原から箱根湯本へと続く「早川の谷間」。

 国道1号線がマイカーの大渋滞で完全に麻痺し、小田急の登山電車がその横を這うように進む中、谷間の手前に位置する相鉄・京急合同ターミナルの「3階」では、異様な熱気を持った深夜の作業が進められていた。

「……いいか! 下の道路(国道)には絶対に部品一つ落とすなよ! 渋滞で止まってる車の天井に風穴を開けたら、一発で工事は営業停止だ!」

 現場監督の高見が、ヘルメットの奥の目を光らせながら怒号を飛ばす。

 ターミナルビルの3階から、早川を挟んで対岸の「箱根の山の斜面」まで、距離にして約100メートル。

 その間には、大渋滞の国道と、滔々(とうとう)と流れる早川が横たわっており、下から大型クレーンで橋を架けることは物理的に不可能だった。

 小田急の役員たちが「あんな狭い谷間に橋など架けられるわけがない」と高を括っていた、絶対的な物理の壁である。

 だが、五代と高見の目は、最初から「下」など見ていなかった。

「……下から重機を入れられないなら、横から『押し出せ』ばいいだけのことだ」

 五代の冷徹な声と共に、ターミナルビルの奥(広いヤード)から、ゆっくりと「巨大な影」が姿を現した。

 それは、川崎の重工メーカーの工場で極秘裏に製造され、深夜の甲州街道から分割して陸送されてきた**『巨大な鋼製箱桁(鉄骨の橋)』だった。

 何百トンもの重量を持つその鋼の橋の先端には、本体よりも軽く細い、鳥のくちばしのような鉄骨の枠組み——『手延べ機(架設用ガイド)』**が取り付けられていた。

「……ローラーセットよし! センター軸、ミリ単位のズレも許すな!」

「……ジャッキアップ、開始ィ!!」

 高見の号令と同時に、巨大な油圧ジャッキが低い唸り声を上げる。

 ギギギギギ……ッ!!

 ターミナルの床面に設置された無数の推進ローラーの上を、何百トンという鋼の橋が、まるで生き物のように「水平」にスライドし始めた。

 それは**『送り出し工法』**と呼ばれる、インフラ架設の切り札だった。

 橋を吊り上げるのではなく、足場の安定したヤード(ターミナル側)で橋を長く連結し、対岸の橋脚(あらかじめ深夜のゲリラ工事で路肩に建てておいた鋼製の下駄)に向かって、ジャッキの力で少しずつ空中に押し出していくのだ。

「……おい、見ろ! な、なんだあれは!?」

 夜明け前。渋滞で国道1号線に閉じ込められていたドライバーたちや、始発に向けて準備をしていた小田急の保線員たちが、信じられないものを見るように上空を指差した。

 彼らの遥か頭上。

 クレーン車も何もない空中の虚空を、巨大な「鋼の橋」が、音もなく、じりじりと対岸の山に向かって伸びてきていたのだ。

 先端の軽い「手延べ機」が、対岸に建てられた鋼の下駄(橋脚)の上のローラーに『カチャン』と正確に到達する。

 その瞬間、鋼の橋は完全に両岸で支持され、空中での安定を得た。

 あとは、その手延べ機をガイドにして、後ろの重い「本桁(橋の本体)」をゴリゴリと対岸まで押し込み続けるだけだ。

「……バ、バカな……! 重機を一台も道路に入れず、空中に橋を渡しただと……!?」

 報告を受けた小田急の役員たちは、顔面を蒼白にして震え上がった。

 彼らが防壁だと信じていた「大渋滞」も「狭い谷間」も、小田原ターミナル側から無慈悲に押し出されてきた『鋼の橋』の前では、一切の障害にならなかった。

「……よし、対岸到達! 本桁の固定に入れ!」

 早川の谷間を跨ぎ、箱根の山の斜面へと突き刺さった鋼の橋の上で、高見が朝日を浴びながら会心の笑みを浮かべた。

 五代はターミナルからその光景を見下ろし、ステッキでコツンと床を叩いた。

「……さて。邪魔な谷間(車道)は飛び越えた。ここから先は『山の領域』だ。……小田急の連中に、アプト式の真の恐怖を教えてやろう」

 空を跨いだインフラ屋の刃は、ついに箱根の山肌へとその切っ先を向けた。

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