第四十四話 「未だ遠き安寧の祈り」
一方その頃、北の大地のシャノン達は。
すでにシルフヘイムの主要都市を三つ周り、四つ目の都市に走っていた。各都市で百名ずつの兵を募り、いまやシャノンが率いる隊は、三百と三名にまで増えている。
巨大な敵に挑むにはまだまだ心もとない数だが、それでも確実に前進しているのは確か。
そう、前向きに考えていきたいのだが……。
希望を信じ、ひた走るシャノン達三人の胸に去来するのは、それぞれの都市で目の当たりにした現実だった。
王都が落ち、人で例えるなら心臓が停止してしまったような状況に、流通も滞り、頼るべき国の代表たちすらももうこの世にはいない。
各都市で、治安の悪化が始まっていた。略奪、強姦、そして殺人。このような時こそ、手を取り合い助け合うべきなのに……。隣人同士で争う愚かさ。
けれども、シャノンは嘆いたりはしない。人は弱いものだと知っているから。導がなければ、道に迷うのが民。
国家とは先述通り、人間となんら変わらないのだ。血を巡らす心臓が無ければ、たとえ生きた手足があろうと腐り落ちる。
シャノンは優先すべきことを見定めた。まずは新たな心臓を用意すること。そして、国に血を巡らせること。
心臓の用意は目処が立っている。問題は血を巡らせることにある。一度止まった血流は生半可なことでは復活しない。大きな手がいる。
この時にはすでに、シャノンの中で鬼謀の軍略が芽生えようとしていた。
馬を走らせ、南に移動し続けるとミルドラードとの国境に近いシルフヘイム最南端の町『オド・シルフ』付近にまでやってきた。
いままでの都市にアークガルドの騎士の姿を見ることは幸いにもなかったが、オド・シルフは違っていた。町の周囲に軍が駐留し、その数はおよそ三千ほど。外壁にはアークガルドの国旗が掲げられ、完全に制圧されていることを示していた。
オド・シルフはすでに陥落していたのだ。
シャノンの手からジワリと血が滲む。無意識のうちに拳を握り締め、爪が食い込んでいることにすら気付いていない。
いますぐにでも助けに行きたかった。町の住民が受けているであろう屈辱と悲惨を思うと胸が張り裂けそうに痛む。
エラは、ハンナは、暖かな町の人々はいまもなお、耐え忍び救いの手を求めている……。
それでも、シャノンは先を急ぐことを選択した。
最後に回ろうと思っていたオド・シルフに立ち寄ることができなくなったなら、少し早いが地獄の門でマサヒロたちと合流するほかない。
「先を急ぎましょう。立ち止まっている時間はありません」
レヴィは素直に頷き、シンは唇を噛んで頷いた。
ガルディナビア山脈を超えるには、トンネルを通らなくてはいけないが、近くにアークガルドの軍が駐留していることを考えると封鎖してあるか、もしくは占有されてしまっているかのどちらかだろう。
トンネルを使えないのなら大きく迂回し、山を越えるしかない。
そう判断し、馬を進ませようとしたその時。突如として大地が震え、怒号が山から雪崩となって押し寄せた。
「シャノン様! あの軍旗! シルフヘイムのものです!」
シンが息を吹き返したように叫んだ。
シャノンは目を凝らす。……確かに、あれはシルフヘイムの軍。
山から押し寄せたシルフヘイムの軍はそのままの勢いで、急襲に慌てふためくアークガルドの軍に衝突した。
その戦闘は、一方的だった。苛烈な攻め、そして完璧に統率された兵たち。次々にアークガルドの騎士たちを蹂躙していく。
見事。まさにその一言が彼らを評するもっとも的確な言葉だろう。
これだけの手際、指揮官は相当に優秀な人物。あの軍を率いているのは一体誰だ?
シャノンの記憶通りであれば、名だたる将軍は皆、王都に招集されていた。シャノンが旅出てなんの動きもなかったのだとすれば、黄昏の魔物の襲撃により全滅しているはず。
率いているのが将軍でないなら、無名の騎士が率いている? その可能性もなくはないが、その線はほぼないと断言できる。
なぜなら、その統率は理の塊だからである。あれは、一朝一夕でこなせる代物ではない。であれば、率いているのはやはり将軍職の人物。しかも、シャノンを唸らせるほどの理と経験を積んだ熟練の指揮。
シャノンは一つの可能性に思い当たった。
精強な兵、統率のとれた動き、極め付けはその速さ。
兵は神速を尊ぶ。兵法の基礎にして、奥義。それらを高水準で実行する手腕。
やはりあれは……。
「王の牙……。あれは、王の牙が率いる軍……」
レヴィとシンの身体が硬直し、背筋がピンと伸びる。それもそのはず。軍に属する者なら、王の牙の異名を知らぬ者はいない。
大陸にオージンとトールギルという二人の大英雄の武名が轟く以前の事。かつて、この大陸最強と言われ、『王の牙』の異名を持つ歴戦の勇者がいた。
その人物の名を、『ロヴァール・ハールダン将軍』。生涯を武に捧げ、敵国のみならず、味方からも恐れられた苛烈な大英雄。
いまは年老いたこともあり、実質引退状態。とある理由から守る必要性の極めて低い、東の砦に配属され、守護していた男である。
「シャノン様! 我々も加勢しましょう! いまこそ好機ッ」
シンは拱手しながら進言する。
シャノンは顎に手を当て、考え込む。
シルフヘイムの軍勢はおよそ千人。対して、アークガルドの軍勢は外に駐留している規模から三千あまりと推測できる。
戦況を見据えながら、シャノンは心の中で舌打ちをした。こういう事態を阻止するのも自分の役目だったはず。各地で思うがままに戦っていては無駄に兵力を消耗し、いずれ迎える最終決戦への展望が見えなくなってしまう。
すでに絡まった糸のように戦闘が始まってしまった今、優先すべきは消耗を抑えること。
シャノンは決断する。
「いまから、あの軍に加勢します。本陣を探し出し、指揮官を見つけましょう。一秒が命運を分かつやもしれません。行動は迅速に。では、行きます」
シャノンは馬の腹を蹴り、猛然と駆け出した。
すぐさま、レヴィとシンも駆け出す。
「へへっ。やっと出番かい。我慢した甲斐があったなぁ、シン」
「ああ! 憎きアークガルドを殲滅する」
シャノンの観察眼は瞬く間に本陣の位置を特定した。
本陣に急接近すると、五騎こちらに向かい突っ込んでくる。すかさず、レヴィとシンがシャノンの前に滑り込む。
「控えろ雑兵! この方はシルフヘイム王国宰相、ノア=アノール・ロンド様が右腕! シャノン・パルクール様だ! ただちに指揮官のもとに案内せい!」
味方とわかると五騎は矛を収め、慌てながらシャノンに拱手する。
「おお、援軍でありましたか! 助かります! すぐに案内致しますので、こちらへどうぞ」
本陣に案内され、目的の人物とすんなり対面することとなった。
親衛隊が囲んでいる中央に男はいた。
齢七十を超える老将軍だが、眼光鋭く、背筋もピンと伸びている。鎧の下は筋肉の塊。まだまだ現役で活躍できそうな偉丈夫ぶりだった。
「貴女がシャノン殿でありますな。早速で申し訳ないがすぐに戦闘に加わってもらいたい。よろしいか?」
「はい、結構です。奇襲の成功により、いまが最大の好機。一気に畳み掛けましょう。我々はどこを攻めれば?」
「うむ。アークガルドは町の周囲の湖をぐるりと囲むように駐留しておる。左右とも押し込みこちらが優勢であるが、左の押し込みがやや甘い。貴女方には左軍の増援として戦ってもらおう」
「了解しました。直ちに向かわせます。レヴィ殿、シン殿」
「「はっ!」」
「話は聞いていましたね。今回はあなた方を率いてから、初めての集団戦闘。これからあなた方には主力を担っていってもらうつもりです。実戦で経験を積んでもらいます。失敗は許しません。いいですか?」
「あったりめぇっす! どんな敵だろうと全部倒すっす!」
「機会を与えていただけるのなら、必ずや戦果を上げて参ります!」
「よろしい。急増ではありますが、それぞれに百五十騎与え、部下とします。力を示してください」
百五十騎。いままでの二人なら、率いる側ではなく、百五十騎側の立場だった。これはチャンス。出世欲のない人間などいない。騎士ならなおさらだ。高い位は名誉と力の象徴。結果を出せば、それを掴むことができる。
レヴィは目をギラつかせ、シンは心の中で静かに火を揺らした。
「百五十! 俺様に着いてこい! 蹂躙タイムじゃー! アークガルドの駄兵を一匹たりとも逃すな! 突撃ィ!!」
「我が隊の精鋭に告ぐッ! 優位な状況とはいえ、敵はこちらより多い。しかも、相手は最強を誇るアークガルド軍だ。そのような敵は頭を使って倒す。俺の指示に従い、迅速に対処しろ! いざ、出陣!」
猛然と駆け出す二騎に、それぞれの部下百五十騎が追随する。
「ほう。あの二人は伍長ですか。百五十を率いるには少々力不足ではありませんか? パルクール殿」
ハールダンが訝しげに問いかけてきた。
シャノンは真っ直ぐに戦場を見つめたまま返す。
「我が隊は寄せ集めの集団です。練兵を積んだこともなく、信頼関係すら築けていません。階級は高い者でも、曹長。圧倒的に将が足りていないのです。ないものは新たに補填していくしかない。新たな力の胎動が必要なのです」
「ほう。貴女はこの戦いをあの伍長たちの餌場にする気ですな」
シャノンは目を伏せ、薄く笑う。
ハールダンは恐ろしさを感じざるを得なかった。しかし、頼もしさも同時に感じていた。
自分の孫ほどの娘が戦場にいること自体信じられない事なのに、戦局を見つめ、それだけに留まらず、さらにその先の戦を見据えている。
「パルクール殿。先を見据えるのは結構だが、足元を掬われぬように配慮されたし」
「無論です」
ハールダンは、オド・シルフに至るまでの道中。密かに胸を踊らされていた。
かつて王の牙と呼ばれ栄光を掴んだ男は、再び大陸に自分の名を轟かす機会が訪れたと不謹慎ながら思っていた。
なんの変化もない日常。待つのは緩やかな死への階段。そんな時、王都陥落の報せが飛び込んできた。現役の将校は皆死に、軍を指揮できる者はいない。
血が湧き立つように燃え上がるのを感じた。再び、あの刺激的な自分の居場所に帰れる。
相対するは自分を辺境に追いやるきっかけとなったアークガルドとの戦い。天は言っているのだ。借りを返せと。いや、それすらもどうでもいいのかもしれない。戦場に散るならば、それもまたよし。
シルフヘイムの命運は自分の双肩に懸かっている。そう……思っていたが、得てして若き獅子達がしっかりと育まれていた。
栄枯盛衰。時代は移り変わり、古きものは新たなものに塗り替えられていく。世の習いとはいえ、少し寂しさと悔しさを覚える。
だが、不思議と心は高揚したままだ。
できることはいくらでもある。残せるものは残し、次代に託す。それもまた古きものの務めである。
そんなハールダンの感傷を破るように、けたたましい馬蹄の響きと報告が舞い込んでくる。
「西に網を入っていた偵察兵からの報告です! アークガルドの大軍がこちらに侵攻中! その数およそ一万! 率いる旗印は四騎士が一人、『フロージ・ラングヴィ将軍』です!」
陣営にどよめきが起こった。
四騎士。アークガルドが誇る二大英雄オージンとトールギルの一つ下の階級、中佐の称号を持つ四人の騎士。熟練の強さを誇る二大英雄と比べるとまだ劣りはするが、脂が乗り始め血気盛んなアークガルド実質的な主力である。
「四騎士が動き始めたか……。いまこちらに向かっているということはもともとこちらに侵攻していたと考えていいな。して、あと何日でここに来る?」
「はっ。このままですと、あと五日で到達するとのことです」
五日……。早い。早すぎる。
一万の大軍勢、しかも率いるのは四騎士のラングヴィ。この戦いが無駄になってしまった。ここを奪い返した所で、迫る大軍勢を悠長に待っていても結果は見えている。全滅。早々に引くべきだ。
そう、ハールダンが考えていると隣でシャノンがぽつりと呟く。
「四騎士のラングヴィ……。悪くない首です」
「なっ……?!」
この娘は、このままラングヴィを討ち取るつもりでいる?
ありえない。相手はあのラングヴィだ。代々続く由緒ある名家の騎士。私財をたんまりと使い、豊かな兵、最新の武器に防具、才気溢れる指揮官が揃っている。
ラングヴィ本隊は、いま戦っているアークガルドの軍とは比べ物にならないほどに強い。兵の数、兵の質、どれをとっても勝っているものはないはずなのに、ハールダンはシャノンの横顔に勝利を見た。
なにか、秘策がある?
「パルクール殿。無謀かと思われますが、なにか策があるのですな?」
「……はい」
「なるほど。それはいま話していただけるのだろうか?」
「いえ、いまはまだ。もう少しだけ練らせてください」
「承知した。さて、そろそろ終わりそうですぞ」
シャノンが戦闘の行方を見ると、外壁に掲げられていたアークガルドの旗がへし折られ、新たに自分たちの魂の具現、シルフヘイムの旗を掲げなおすレヴィとシンの姿があった。
「うははー! 一番乗りじゃー! 制圧したっすよー! シャノン様ー!」
「騒ぐなレヴィ! いまは負傷者の手当てをだな……」
シャノンはその様子にニコリとほほ笑む。
悪くない。とりあえずは力の一端を示せていた。これで納得がいくはずだ。
三百名の兵の中にはレヴィとシンよりも高い階級の者もいる。本来ならそちらを将として育成すべきだが、シャノンはレヴィとシンの実力を良く知っている。魔神にも立ち向かうことができる勇気を持ち、剣技も申し分ない。
テストは合格。改めて、シャノンはレヴィとシンを将として押し上げることを決めた瞬間だった。
戦闘が終わったので、陣を撤収しオド・シルフの門を潜るシャノンとハールダン一行。
以前訪れた時から、それほどに時間が経っていないのにまた訪れることになるとは思わなかった。そして、町の変わりようにシャノンは胸を締め付けられる。
民家の壁は所々崩れ、矢も突き刺さったまま。まだ微かに残る血痕と鉄の臭い。町にいたたくさんの人が死んだのだ。
零れそうになる涙を堪え、ハールダンに提案する。
「将軍。生き残っている者の保護と数を確認しましょう」
「うむ。すぐにそうさせよう」
ハールダンが手をかざすと、兵は四方に散っていった。
それと入れ替わるようにレヴィとシンが帰還する。
「レヴィ殿、シン殿。ご苦労様でした。報告を」
「「はっ!」」
「じゃあ、まず俺から。町に居座ってたアークガルドのゴミ共もあらかた片づけました。とりあえずは安全ですぜ」
「次」
「はっ! ざっと町を見て回りましたが、男はすべて殺されてます。残っているのは女子供、あとは老人くらいです」
「はい。わかりました。では、あなた方も将軍のお手伝いを」
「シャノン様はどちらへ?」
シンが尋ねる。
「少し、町を見て回ります」
「では、護衛に着いていきます」
「いえ、一人で大丈夫です」
「ですが……」
それをレヴィが遮る。
「やめろシン。俺らの仕事に戻るぞ。じゃ、お気を付けてシャノン様」
シャノンは馬を降り、一人歩きだす。
向かう先は一つだった。シャノンにとって数少ない楽しい思い出がある酒場の入り口に立ち、ゆっくりと扉を開ける。中に入った途端、異様な生臭さにシャノンは思わず口を押さえる。
酒場の至る所に転がる女性たち。その衣服はボロボロで、本来の役割を果たしていない。女性たちの目は濁り、生気を失っている。
すぐに衛生兵を呼ばなくてはと、外に出ようとした時――。
「お姉……ちゃん?」
ビクリと身体が震える。
……あぁ、聞きたくなかった子の声が聞こえた。聞こえて欲しくなかった子の。
「……エラ?」
酒場の隅に打ち捨てられていた影が蠢く。
ゆっくり歩み寄るシャノン。影は嬉しそうに笑った。
「あぁ……やっぱりお姉ちゃんだ。また会えて、エラ嬉しいなぁ」
シャノンは溢れる涙を止めることはできなかった。
無言で抱きしめ、全裸の少女に自分の衣服を纏わせる。
「お姉ちゃん……どうして泣いてるの?」
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
「どうして、どうして泣いてるの? エラ……わかんない」
「もう大丈夫だから。もう悪者は全部やっつけたから」
「ほんとぉ? 怖いおじさんたち、もう来ない? そっかぁ。そうなんだぁ……。うっ……うっ……もう、痛くない? ぶたれない? もうひどいことされないのエラ?」
少女の頬にも涙が流れ、シャノンはいっそう強く抱きしめた。
ほどなくして、酒場の扉が開かれる。入ってきたのはレヴィとシン。
「シャノン様。確認終わったんですが……、っつ! くせえ。この臭い……ッ!」
「……シャノン様、その少女はお知り合いで?」
シャノンは微かに頷いた。
レヴィとシンの顔は見る見るうちに赤に染まる。
「鬼畜外道がッ! あんなガキにまで……」
「許せん。アークガルドのゴミ共は皆殺しだ」
シャノンは涙を拭い、エラを抱きかかえる。
「レヴィ殿、シン殿。すぐに衛生兵を。早急に彼女たちの手当をしてあげて下さい。お願いします」
「うす。すぐに連れてくるっす」
「俺は生き残りの老人を連れて来ます。我々男が手当てをしたら、怖がる人もいると思うので」
「お気遣い感謝します。ありがとう。ごめんなさい」
奪い返した町と人たちは、深く傷付き、死んだ町も同然だった。
手当てや保護に追われ、あっという間に時間は過ぎて行く。落ち着いたのは、夜中を回ってからだった。
休む間もなくシャノン達は、とある宿の一室に急遽作られた会議室に呼ばれた。用意された椅子にシャノンは着席し、レヴィとシンは後ろに立ったまま控えている。
テーブルの中央に座るハールダン、隣には副官のスルプトと参謀のバッシュ。四人が着席したことにより、軍議は始められた。
バッシュがまずは切り出す。
「まずは、被害状況から。生き残っている住民の数はおよそ五万人。オド・シルフの男は皆殺しにされ、残されていたのは子供と女、あとは老人のみです。女は凌辱され、精神が崩壊していた者も。あまりにも、むごい惨状です」
バッシュの声は後半につれ、震えていた。
副官スルプトも歯が砕けそうな程に怒りを耐えている。
ハールダンも同じ気持ちだろうが、怒りを抑え極めて冷静に話し出した。
「もはや、この町に戦える者はいない。いや、戦う意思もなかろう。家族を殺され、自身は尊厳を踏み躙られ、すべてを奪われた。男が残っていれば、あるいは策が残されていたやもしれんが、この町は戦える町ではなくなってしまった」
皆、無言。
ハールダンの言う通り、女子供では戦力にならない。なにより、これ以上戦争に関わらせることはしたくなかった。いつも、痛み負うのは弱き民たち。
それでも、すべてを救うことはできないのも事実。四騎士もこの町に迫っている。
考えるまでもなく、全員の頭に答えは出ていた。撤退。それも、町の住民は見捨てて。
断腸の思いではある。血涙を流し、恥を忍んでの撤退。それ以外、道はないと結論付ける他なかった。
ただ一人を除いて。
「迎え撃ちます。アークガルドが主力部隊が一翼、フロージ・ラングヴィはこの町で仕留めます」
シャノンだ。
この絶望的な状況においても、シャノンは勝利を確信している。
バッシュは顔を真っ青にし、進言する。
「恐れながら申し上げます。我々の兵力は、今日の損害からハールダン軍とレヴィ隊シン隊を含めても千ほど。対して、ラングヴィ軍は一万。さらに、ラングヴィの後ろから新たな一万の軍勢が侵攻していると報告がありました。およそ二十倍の敵です。どのような名将、天才軍師がいようとこの盤面はひっくり返ることはありません。無謀です」
「早計です。勝てます。千で二万を打ち倒す。わたしなら、やれます」
参謀の男は、乾いた笑いをこぼし首を振る。
「……お気持ちは理解できます。知人をあのような目にあわされては私情に走るのも」
カチャリと物騒な音が鳴る。
レヴィが剣に手を掛け、いまにも斬りかかりそうなほどに目を血走らせていた。
「レヴィ殿、やめてください。いまは仲間同士で争っている場合ではありません。バッシュ殿、わたしは軍師。軍師足るもの感情ではなく、理でのみ動きます。ハールダン将軍の参謀を務める程の方ならそれくらいは理解していますね?」
「理解しているからこそ、苦言を呈しているのです。この町に留まり、敵を迎え撃つことがどれほど無謀かは、兵法を齧った者なら誰でもわかる。いえ、素人目に見ても無謀だとわかります。ここは、潔く撤退することが最善手だと私めは愚考いたします」
ピリついた空気が流れ、沈黙が続く。
その静寂を破ったのは、老将軍だった。
「儂は、パルクール殿の策とやらに賭けてみたい」
「なっ?! 将軍! それはあまりにも無謀です! みすみす軍を失うことになりますぞ!」
瞬間、ダンッ! とテーブルに拳を叩きつけたのは副官スルプトだった。
「バッシュ。主君を信じられんのか?」
「そ、そうではない! そうではないが……」
「ならば迷うな。主君を信じ、全力で補佐しろ。それが我々の務めであろうが」
ハールダンはパンパンと手を叩き、白熱する軍議に歯止めをかける。
「よさんかスルプトよ。バッシュも我らが軍を慮っての発言じゃ。――バッシュよ、悪いが今回はパルクール殿の策でいくとする。良いな?」
「……はい」
「バッシュよ。おぬしの冷静で堅実な所を儂は買っている。決して悪くはないぞ。その調子で励むのだ」
「はっ。ありがたきお言葉、恐縮であります」
「うむ。――よし、これで形は成ったな。いまより我が軍は、パルクール殿の指揮下に入る。よろしく頼みましたぞ、パルクール殿」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。これほど心強い味方はいないので。作戦はおって伝えますので、もう少々お待ちください」
シャノンは深々と頭を下げ、感謝した。
「ふむ。時間も時間だ。今日は解散して、ゆっくり休もう」
ハールダンはそう言い残し、スルプトとバッシュを連れ早々に下がった。
シャノンは立ち上がり、レヴィとシンに笑いかける。
「お二人もお休みになってください」
「はい。ですがその前に、シャノン様を宿舎までお送りしますよ」
「いえ、まだやることがありますので……」
「シャノン様……」
コホンとレヴィが咳払いをしながら、シンを止める。
「いくぞシン。シャノン様、無理しないでくださいよ」
「ええ。心配をかけてすみません」
レヴィは苦笑いをしながら出て行く。シンも渋々ながらレヴィの後に続いていった。
シャノンも外に出て、不気味な程に静まり返った夜の町を歩き始める。向かう先は、被害者たちの受け入れ先として用意した、普通の宿に設置された医療所。
医療所の前に着くと、しくしくと女のすすり泣きや、呪詛を唱える声がまばらに聞こえてくる。これもまた戦争の一側面。絶望や恨み、負の感情が蔓延している。どんな名医にだってなおすことはできない心の傷を負ってしまった女性たち。
その声にしっかりと耳を傾けながら、シャノンは目的の人物の部屋をノックする。
「どうぞ。開いています」
「遅くに申し訳ありません。シャノンです。お加減はどうですか?」
「あら、いらっしゃいませ。私は大丈夫です。それより、シャノン様にお礼が言いたかったので、お会いできて良かったわ。娘を保護してくれたのはあなただとお聞きしました。本当にありがとうございます」
シャノンはベッドに歩み寄り、その人の顔を見た。
「……ごめん、なさい」
シャノンは涙を堪え、それでも目をそらさずにエラの母親、ハンナを見つめ続ける。
その顔に、美しかった彼女の面影はない。目は窪み、頬はこけ、髪もズタズタだ。身体には無数の痣も刻まれている。
そんな痛々しい彼女の横には、彼女の宝物、エラがうなされながら寝ていた。
シャノンは最初から気付いていた。ハンナの声が震えていることを。こんな夜中なのに何故起きているのかを。
彼女たちはいまだ、悪夢の中にいる。目を閉じ、耳を塞ごうと、男の荒い息遣いや血走った眼が彼女らを捕らえて離さない。悪夢に苛まれ、ふとした時に思い出し、彼女らは何度も絶望に染まる。
シャノンは二回りも年上のハンナを抱きしめた。強く。ただ強く。
ハンナは戸惑ったが、気付かないうちに涙が零れ、シャノンの胸を濡らした。それでもハンナは強かった。エラを起こして不安がらせないように、声を押し殺し静かに泣いて、泣き疲れた頃、シャノンの胸の中で眠った。
ハンナをゆっくりとベッドに横たえ、肩まで毛布をかけてあげる。すると、隣に寝ていたエラが寝返りをうつ。エラの頭を起こさないように優しく撫でてやるとあることに気付いた。エラが胸の辺りでなにかをぎゅっと握り締めている。シャノンは思い出した。それは、首からぶら下がっているのは、父親の形見の指輪だ。
本当なら、父親の胸の中で安らかに眠っていなければならないはずなのに。でも、現実は掛け離れていて、世界の不条理と残酷さが刻まれてしまった無垢な少女。
エラにも肩まで布団を掛けてやり部屋を後にする。
シャノンは外に出て、なんとなく夜空を見上げてみた。
星一つ見えない。こんな時くらい綺麗な星空の一つや二つ、見せてくれたっていいのに。
悔し涙が零れる。泣いてばかりだ。わかってる。自分がエラやハンナを抱きしめた所で、それは気休め程度の瞬きの慰め。どうすることもできない。自分には、もうどうすることもできない。
だから手を組み、ただ夜空に祈った。
――どうか、彼女たちに安寧の日々を、と。




