詩月1日 〜勤務初日〜 その3
エノ島は、1時間もあれば島を一周できる、緑に覆われた小ぶりな島だ。
引き潮の時にだけ、海底が白い橋のように現れて、海岸と島はつながる。
この地域は漁業が盛んで、島民の多くが、海岸住民同様、漁に携わっている。
歩いてこの島を訪れる場合、島に着くとすぐに参道が始まっている。
この島の中央、こんもり小高くなった場所には、神木が祀られていて、昔から信仰の対象となっており、国内外の多くの人が参拝に訪れる。
緩やかな上り坂になった、参道の小道の両脇には、土産物屋が軒を連ねていて、訪れる人の目や舌を楽しませている。
この時期は、「ガラスッコ」と呼ばれる稚魚の漁のシーズンであり、この近辺の定食屋はこぞってガラスッコ丼を売りにして、たいそう賑わっている。
(きょう、僕がランチの時食べたのもガラスッコ丼セットだった)
神木が立つ場所からもう少し遊歩道を進んだところに、詰所はある。
監視すべき迷宮は、そこからさらに下った海沿い、切り立った崖に入口がある。
本来、詰所はもっと迷宮の入口すぐ近くにあるべきだが、
海際に建てると、少し海が荒れれば波をかぶってしまうのだ。
そのため、詰所から迷宮入口へは、急な石積みの階段を
100段ほど降り、海の際にある、均された小径を通って行く。
通常であれば、迷宮入口まで、さらには迷宮の中までも、誰でも自由に入ることができる。
ただし、この(クロイワさんの)石化の件があったので、最近は詰所の門から先を、一般人通行禁止にしてある。
迷宮へ続く石積みの階段の両側には、木木がうっそうと茂っている。
緑の地下道を降りていくようだ。
木木によって見えはしないけれど、潮の音や匂いから、海がもうすぐそばなのだ、と感じながら。
強く風が吹き、地面にあるものが舞った。
ひらひらとなにか舞う。
ああ、と僕は気づいた、これは桜の花びらだ。
どこからか風に乗って運ばれてきたのだろう。
季節は春、詩月のはじめ。桜の時期なのだ。
イオキベ詰所長が、階段を早足で下っていく。
僕も急ぎ足で追う。
距離が徐々に縮まってきた。
さらに縮まってくると、詰所長がなにか、ぶつぶつ、言っているのが聞こえた。
むずかしいよなあ~……
や、ほんと、むんずかしいわなあ……
え。
「なんのことですか?」
僕は詰所長に追いつきながら、とうとう横に並んで、問いかけた。
だが詰所長は、
むずかしい、むずかしい……
と繰り返すばかりで、答えは得られなかった。
詰所長と僕は階段を下りきり、小径をしばらく行き、
迷宮の入り口に至った。
入り口には石置きの階段があり、十数段下った後、眼下に扉があった。
いかめしく重々しい扉だ。
僕ら二人は、階段を下り、扉の前に立った。
この先に、怪物どもが棲む迷宮が広がっているのか……
僕が扉をじっと見ていると、詰所長は意外にあっけなく踵を返し、
今来た道を戻り始めた。
あっけなっ!
と僕は思った。来たばかりなのにもう帰るんかいと。
階段を並んで登りながら、詰所長が言った。
「ドイさん。
今回の件、なにが正解だと思います?」
今回の件?
僕はぽかんとした。
なんのことを指すのか……つかみかねる。
「と……おっしゃるのは……?」
空はオレンジに溢れていた。
夕陽の、圧倒的な光の量。
逆光線のまぶしさと色に包まれて、詰所長の顔は影になり、見えない。
「人は怪物にもなりうるし…….」
詰所長の影の、頭。
角が2本あり、首回りがふさふさしている。
えっ。
すぐに目をこらす。
光の具合で、詰所長の顔が見える。角は見えない。
「……誰かを救うこともできる。
おんなじ、その人が。
こんな、不思議で、おそろしくって、奇跡的なことって、
いったい、世に、そうそうありますものかね。
魔法やら妖術に携わっていると、
それらは呼び名こそおどろおどろしいが、
結局、理詰めの、便利な技術、というところにとどめをさす。
私は、さいきん、ますますそう思っているんですね。
けれど人の心は……
もう、全く、計り知れない。底が見えない。
涙が出るほど神聖で愛すべきものであり、
ヘドが出るほど俗っぽくて醜悪。
振り幅が、半端ではない。
まさに混沌の渦と呼ぶにふさわしい。
ドイさんは、そうは思いませんか?」
「え。まあ……。」
なんと答えていいのか、わからない。
追い詰めれば、震えて従ってくれもするし、逆に飛びかかられもする。
こだわらなければ、応えてゆるんでくれもするし、ある意味舐められもする。
こうすれば必ずこうなる、的なセオリーは一切ない世界。
いつだって定ったものが、約束されたものがない。
わからないなかを、間違いもするなかを、賭けて、張って、行く他はない。
でも、確かだと思えることもある。
それは何かといえば、人と自分ってそうそう変わらない、ということ。
つまり、優しくて、頼りなくて、誰かを悪く思いもする。
わからない部分が多々ある。
けれど、自分が善なる存在だと信じていたい。
誰か人からは、「見込みがある人だな」と、自分の中の善を、信じてもらいたい。
そういう生き物なんじゃないかということ。
夕陽の中で.....
詰所長の声は、もはや声なのか、心波として響いてくるのか、
僕の中で定かではなくなった。
まさにその時もそうだったし、今振り返ってもそうなのだが。
玄黄妖師のはしくれとして、妖術を使って解決しようか……、とも思いましたが。
やめにします。
これは、人と人が、それぞれ持つ魔法で、溶かすべき問題……
100段ほどの石段をもうすぐ登りきる、というときのことだった。
不意に、詰所長が石段を外れ、左の店に入っていった。
?
僕はその時、そこに土産物店があることに初めて気づいた。
どうにもさえない雰囲気の漂う土産物屋だ。
事件このかた、封鎖されているこちらの道にあるというのは、商売あがったりだろうから、その点は同情するが......。
「あーどうもね」
老女が奥から入口に歩いてきて、慣れた調子で詰所長を迎えた。
詰所長はごく自然な動きで、着ている深緑の法衣の上から、
蛍光イエローのスタッフジャンバーをはおり、真っ赤な帽子をかぶった。
スタッフジャンパーの背には、「エノ島物産店組合」の文字入りだ。
「それで、こちらの方、どなた?」、老女が詰所長に聞く。
「今日、詰所に配属になった、ドイ君」、詰所長が答える。
「……あらやだ」、老女が店の奥に早足で消えた。
僕が、軒先に並んだ万華鏡を目に当ててクルクルやっていると詰所長が、
「お客さま、職場のコミュニケーションに、ひとつ、お菓子でもいかがですかねえ」
なんて聞いてくる。
……っていうか詰所長!これ、いったいどうなっとんですか?
と聞きたいのはやまやまなのだが、なにかこう、言うチャンスがない。
仕方なしに(本当に仕方なしに)僕は店に足を踏み入れ、ぐるりと回って売り物を見始める。
生チョコ餅。赤福もどき、八橋もどき、萩の月もどき。伊勢海老みそ汁。わさびふりかけ。
サブレにラングドシャにパイの類。木刀、スノードーム、ペナントに提灯。子供向けのチープなおもちゃ。
もう、見事に、グッとくるものがない。
見ていると、老女が戻ってきた。
化粧が濃くなっている。
(あとな、かつらをつけたんじゃ……)
詰所長が僕に後ろから囁いた。
(すまんが、髪、ほめてやってくれんかのう)
まじで!とクラクラきかけたが、詩月1日には毎年、こういうわけのわからないことは起こるもの......、僕はそう言い聞かせながら、
「ああー、髪、とってもおきれいですねえ」
棒読み調にならないよう、感情を込めた体で。
「あら、まあ、そんなことはぜんぜんね……もうお兄さん、ちょっと、やだ、そんな、おばさんをほめて、ほんと、もぉ!」
これを、なんだかやたら体に触られながら、言われていた。
老女の息は、むあっときつい臭いがしたが、僕は平静を装った。
「じゃ、詰所長、ぼくそろそろ戻りますんで…… 」
僕が文字通り後ずさりながら、なにも買わず店を出ようとすると、老女が近寄ってきて、
「じゃあ、お兄さん、そういう時はこれよ、私もほら女じゃない?わかるのよ、これでもう丸く収まるからね、大丈夫」
なんのこっちゃようわからん、と思いつつ(ほとんどハグ寸前レベルで触られまくり、いちいちよけながら)僕が持たされたのは、たぶん元祖はここじゃないんじゃ…… と思えてならない漬物のパックだった。
「じゃあ、お支払いしますよ」
急いで出てきたが、小銭入れに20Gほどはあった。
「まあ、持っとけって」
詰所長が言った。
詰所に戻り、2階に上がる階段で、一歩一歩、胸が苦しくなってきていた。
嫌な感じが、うじゅるうじゅると胸をのたうちまわっていた。
あの世界に…… 僕は再び入っていけるのだろうか……?
怪物係の扉の前に立った。
......すると。
扉一枚挟んで、向こう側の世界では、ふたりがめちゃめちゃ盛り上がっている!
あーはははは!
あー、おっかしぃー……
あぁー。
僕の悪口か。
そうに決まっている!
でも、ふいに、詰所長の言葉がよみがえってきて、僕の背中を押す。
「人と自分ってそうそう変わらない......」
「善なる部分.......」
よし。行ける。
僕は思えた。
ガタガタと微妙に扉の引き手を揺すって、一瞬だけ間をおいて、
「戻りました〜」、言いながら、僕はドアを横に開けた。
また、すうと会話が収束する。
またもや見事な移行テクだな、今日二度目の……と思いかけて、
この場は、皮肉な見方に行きそうな感情を、芽のうちに摘んでしまった。
「おかえりなさい、ねえドイさん、あったんですよ」
僕は、何のことですか?という顔で立ちどまる。
すると、ミムラさんが言った、
「さっきの、おっしゃっていた、鳥にキスしちゃダメっていう。あの後、タダノさんが、探すのを続けてくださって」
「確かにドイさんのおっしゃる通りで、4年前の綴りから出てきました」とタダノさん、
「知らなかったです」とミムラさん。
「で、今、話してたんですよ」とタダノさんが言った、「これからは気をつけて、全員で病気とかやだもんねって」
「そうなんですよね」、言いながら、ミムラさんははにかむような顔をした。
僕は、ああそうですね、まあ、できる範囲で気をつけていきましょう、と言った。
結局、ミムラさんはとうとう謝ったりはしなかったし(鼻っ柱が強いのだ)、
タダノさんも、自分がファイルしただろうことについてはスルーしていた。
聞きながら、僕はそれに気づいた。指摘することもできた。
でも、そんなことは、もうぜんぜんいいや、と思っていた。
この雰囲気を二人の方から、作ってくれたこと。
そこが、もう、ありがたいや、と思っていた。
僕は手に持っていた漬物のことに気づいて、
「えっと、こんなのって、お二人、おめしあがりになりますか…… ?」と漬物を示した。
「あーノッタラ漬じゃないですか!」
「えっ、おおー!ドイさん、うれしいです!」
二人は何やら盛り上がっている。
ノッタラ漬は、特にこのあたりの名産というわけではないが、二人の共通の大好物とのことだった。
遅くなったが、3時のおやつの時間にしよう、ということになった。
タダノさんがお茶を淹れてくれて、ミムラさんが焼いてきたチーズケーキを切ってくれた。
フォークで、チーズケーキの横に添えてある漬物をつつきながら、
僕は僕用の新しい名刺のデザインを見ていた。
明日から挨拶回りがあると思うので、と、タダノさんが前もって発注しておいたものだ。
「ちょっと可愛すぎますか……?」、タダノさんが心配そうに聞いてきた。
「いや、これ、すごくいいです」、ケーキをほうばりながら、僕はそう言った。
実際、名刺のデザインは、どんなだってよかった。
漬物の後にお茶を飲んで、濃厚で固いチーズケーキをもしゃもしゃとしながら、僕は、ある手応えを感じていた。そのことの方が大きなことだったからだ。
まだまだぜんぜんわからないけど。
僕はきっとここでうまくやっていけるんじゃないか。詰所の3人として。
つらい時間の後に、こういう穏やかな時間が必ず訪れる。いま、それを現実に味わってる。
だから、僕は、信じて、やっていける。




