08_B__02_03 第8話 Bパート 分割 2 / 3
第8話 Bパート 分割 2 / 3
【 第8話 概要 】
サブタイトル:どっちがどっちだ?
OP曲前:ハルとショージの思い出。小学生の頃、ハルが手品をショージに見せ、眠らせない。
Aパート:タイ、スラー、レガート、付点。タイで小節を跨ると、浮気者や未練者になる。連符と『月の光』の誤り。牡丹餅とお萩。物体の過去の動きから未来予想が外れる。
CM明け:音楽の先生。自宅でメロン。ラップでくるんだ種を揉んで、妻に「好きだよ」。または、トロール将軍が「ゴメンネ」を教える。トロール将軍の妻が妊娠で「おめでとー!」の叫び。
Bパート:シャッフル、3連符、付点8分音符と16分音符。装飾音符は音価の計算はしない、同時か直前か直後か。3人下校時、ステラの芸術、蟻釣り、パズルの話。ハル自宅、ペットボトルのブローボトルがピィー。
Cパート:ショージがステラの自宅へ。ショージがハプニングを装い、ステラにキスし、胸を触る。ステラの背中(素肌)に氷の蔓植物が、ステラの体を這い、刺される。
予告:トイレのスリッパが温かくて、ミッツはヤッ子と女子トークで盛り上がり、みんなが止まってギロリと睨み合う。それより、ステラ、逃げろ!
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▽ 場面変更 ● ── ●
別な日の音楽室。
場面として、音楽室が続くので、構成を変えるべきか。別な日であることを表現する目的で、校舎を含めた風景で、日没、夜、日の出、天気が変わるといった場面を挿入するか。学校の外観の風景を、ト音記号か何かが横切り、天気が変わっても良い。
音楽の先生に、吹奏楽部の部員が、音楽理論の相談。付き添いにもう1人の生徒もいた。
部員Aが相談者。部員Bが付き添い。
部員B「その音楽理論なんですが、音楽理論の強要が、虐めになるって聞いたんですけど」
音楽の先生「音楽理論以外でも、相手が納得していなければ、強要はよしておきたいですね」
部員A「せっかくの知識なのに、虐められるって、何だよ。誰に聞いたんだ?」
部員B「早坂だよ、1年の。あいつが、ヤッ子先生から聞いたんだって」背景に、ハルの顔を表示し、続けてヤッ子の顔も表示する。
部員A「早坂?」
部員B「ほら、2年の蜜霧と付き合ってる」背景の、ハルとヤッ子の顔に、更にミッツの顔も表示する。
部員A。はっきりしない。
音楽の先生「早坂君は、前回の吹奏楽部の見学に来ていましたね」
部員A「そうだったんですか?」
音楽の先生「それから、蜜霧さんとは、ご親戚です」
部員B「あ、そうだったんですか。趣味が悪いなと思っていたら、親戚だったんだ」背景に、ミッツから使い走りにされているような場面。
音楽の先生「ご自身の好みと違うからと、悪い趣味という表現は、人に対して用いる冗談ではありませんよ」
部員B。ちょっと悪いなと思った表情だが、言葉で「ごめんなさい」とは言わない。
音楽の先生「そこで、どのような話で、虐めになるのですか?」
部員B「音楽理論を強要されて、それに従うと、別な人からは、従ったことを責められるって。だったら、音楽理論なんて、最初から毛嫌いしておけば良かったって」
音楽の先生「二律背反の犠牲者となったと、申し上げましょうか。音楽理論を教わるというのは、逆らえない相手と接しています」
部員A「そうですよね。嫌われたら、もう教えてもらえないって」
部員B「機嫌を損ねてはいけない相手ですね。逆らうと、後に損をさせられて、そこからドミノ倒しのように、延々と悪いことが続く」
音楽の先生「音楽理論との関係には、大雑把に3種類です。1つは、音楽理論を学ぼうとしない人。1つは、音楽理論を学ぼうとしている人。1つは、既に音楽理論の学びが進んでいる人」
部員A「僕は、2番目の、学ぼうとしているですね」
音楽の先生「そうです。例えば、中学生になってから、ギターを始めたり、バンドを始める人。クラシック畑ではないことを理由に、偉い人から認められない。何らかの指標を欲しても、クラシック畑の基準がわからない」
部員A「そうなんですよ」
音楽の先生。部員Bを見る。「指標は欲しいけど、自分が楽しいから、偉そうに邪魔されるのはごめんだよ、という人」
部員B「そうですよ」
音楽の先生「逆に、幼少の頃からピアノなど楽器を習うなど、そして、楽器を介して音楽理論を学ぶ人。これは、僕のようなタイプですね。まあ、とても大雑把な分類ですし、各々の人は、明確に分類できないグラデーションであることは、ご承知おきください」
部員A、部員B「はい」
音楽の先生「僕が幼少の頃に習ったのは、バイオリンでした。しかし、音楽理論に関しては、音楽に縁があるから、やや詳しいというもので、作曲家としての知識には及びません」
部員A「では、作曲家はみんな、音楽理論の全部を知っているんですか?」
音楽の先生「人それぞれです。今は、主題の、虐めと音楽理論の話をしましょう」
音楽の先生「バイオリンは、ピアノとは違って、音の高さを細かく調整できます。調律されているピアノよりも、もっと響きが良い、溶け合って聞こえるように微調整することは、教わりました」
音楽の先生「音楽家になりたかった僕は、作曲の先生に就いて、作曲の音楽理論も学びました。和音が溶け合って聞こえる微調整のことと、作曲の音楽理論の両方を持っていれば、確実に音楽家になれるはずだと」
音楽の先生「しかし、いくら理論を知っていても、お客様を楽しませることができなければ、仕事を継続的に頂けることはありません。いくらかの仕事は頂きましたが、バイオリニストとしても、作曲家としても、独り立ちはできませんでした」
部員B「だから、音楽の先生になったんですね」
音楽の先生「そうです。正直に言いますと、音楽家になれなかったので、仕方なく、教職に就いたのです。妻には苦労をさせてしまいました」
▽ 場面変更
音楽の先生の回想。コミカルに。
1コマ漫画のように、静止画で、セリフは文字で表示。
音楽の先生が、偉そうに、立っている。「今日から、俺のことを、「あなた」と呼べ!」
妻。逆襲するように。「誰に向かって、言ってるの?!」
▽ 場面変更
部員A「音楽理論を知っているだけでは、いけなかったんですね」
音楽の先生「そうです。何のために音楽理論を学ぶか。自身の勉強のためと、お客様を楽しませるため、音楽理論の制約に従ったパズルを解くため。目的は色々です」
音楽の先生「僕が主に行ったのは、音楽理論や、作曲家の生涯などを、いわゆる「解読する」ことでした。その目的は、僕自身が解読に魅力を感じていたのです」
音楽の先生「もしも、目的が、お客様を楽しませることであれば、音楽家になれたのかも。それは、架空の話です」
音楽の先生「しかし、教師になったばかりの僕には、生徒が音楽理論を学ぶ目的を考えるのではなく、音楽理論は従うもの、反することは悪だとして、生徒に接していました。音楽理論は必ず正しいと。……真に、申し訳ないことです」
部員B「音楽理論に反しても、いいんですか?」
音楽の先生「音楽理論は、宗教ではありません。アイディアは変化します、進化します。いえ、宗教であっても、例えば仏教で、正座が正式な座り方だとされたのは、日本の仏教の歴史の中でも、さほど古くはないそうです」
音楽の先生「信仰とは、「この座り方」の見た目を重視するのではなく、「相手に不敬でない」「相手を大切にする」の気持ちが大切なのです。気持ちを表す方法の一つが、立ち居振る舞いです」
音楽の先生「宗教の目的は、人の幸せです。それなのに僕は、自らが音楽理論の正しい継承者になったつもりで、宗教の厳格さを用いて、生徒の幸せを目的としなかったのです」
音楽の先生「クラシック曲の中に、隠し絵のような箇所を発見すると、それが作曲者自身も気付かなかった偶然の産物であっても、作曲者を崇拝する理由として、発見した嬉しさを生徒に自慢する」
音楽の先生「クラシック作曲家を人間臭い一面を持った神に準ずる対象とし、音楽理論を、永遠不変に正しいと信じていたのです」
音楽の先生。和音構成音とメロディの話を、生徒と確認する。速いメロディなら、一時的に和音から外れる。ゆっくりなメロディなら、和音の一部に含まれている。和音外音が、和音の全体の時間の、半分を超過するのは認めない。
音楽の先生「説明として、ギターを使いましょうか」音楽準備室から、ギターを持って来る。
音楽の先生。例として、ギターで、『きらきら星』をヘ長調で弾く。第1弦でメロディ。第2弦から第4弦が和音。
音楽の先生「ほら、コードを形作る左手の形が変わりましたね。形が変わりながら、それぞれの音符が、どのように引き継がれて行くのか、これを考えるのが、音楽理論です」
背景に、五線の無い状態でいくつかの和音を連続で、各声部の移動を、矢印で繋がる。
音楽の先生「では、これを、左手の形を変えずに、位置だけずらしたら、どうでしょう」
まず、第1弦だけで『きらきら星』のメロディ。次に、コード「F」を第1弦から第4弦で弾き、その形のまま、第1弦が『きらきら星』のメロディになるように移動して演奏する。
部員「何だか、おかしい」
音楽の先生「おかしいのは、音階から外れた音が、どっさり使われるから。こんな方法は、ありえない」
音楽の先生「しかし、当時の生徒は、これをやって来たのです。たまたま縁のあった年長者から教わった音楽理論に従ったのです。その年長者は、音楽家ではなく、たまたまストリートピアノで出逢った、単に音楽が好きな人だったようです」
音楽の先生の過去の話であるので、ストリートピアノが広まっていない時代ともいえる。その場合は、「大きな楽器店」など、音楽の愛好者が集まる場所でもいい。
音楽の先生「僕がサンプルで弾いた『きらきら星』では、おかしく聞こえましたが、その生徒の作品は、おかしく聞こえない、むしろ、素敵でした」
音楽の先生「しかし、僕はそれを否定しました。そんな方法は、面白く聞こえても、偽物だ、調和という音楽の絶対条件から外れている。所詮、道端でうろうろしていた、素人の酔狂なアイディアだと」
部員「連続5度や8度もありますからね」
音楽の先生「僕のバイオリンの先生は、自ら「バイオリンは専門だが、音楽理論は偽物だから、本物の先生に就くように」と仰っていました」
音楽の先生「きっと、当時の生徒が、足繁くストリートピアノに通い、先生と慕うその人も、専門外の偽物だろうと」
音楽の先生「僕が、こう言うことで、生徒は、ストリートピアノで会う先生と、僕との間で、板挟みに苦しみます」
音楽の先生「しかし、後になってわかったのは、生徒が行った手法は、映画のBGMでは、よくあります」
音楽の先生「僕が習ったのは、クラシック音楽の理論で、ジャズはまだ「最新で、理論が確立されていない」と教わりました。況してや、現代の映画音楽は、守備範囲外だったのです」
音楽の先生「勉強熱心なその生徒のことは、他の先生からも一目おかれていました。しかし、このことがあってから、僕はその生徒のことを「安直な手法に逃げる、不真面目な生徒」と言いふらしてしまったのです」
音楽の先生「譬えれば、蕎麦を食べるために、箸が使えないから、フォークを使う方法に、安直に逃げたと判断するように。いうなれば、スパゲティを知らない僕が、麺類をフォークで食べることを、邪道と判断したようです」
音楽の先生「僕が知っていた、フォークに対する断片的な知識は、肉などのかたまりに刺す方法だけでした。麺類を巻くなんて、あり得ない。そんな稚拙な知識で、その生徒の音楽を否定していました」
音楽の先生「音楽理論を、「破ってはいけない規則」としていた僕は、二律背反はあり得ないことでした。音楽理論をアイディアだと思えば、他のジャンルの音楽理論も受容できたはずです」
音楽の先生「音楽理論に従った、複雑なパズルを解いた作品を届けることが、良いことだと思っていた僕には、音楽で生計を立てるなど、無理だったのです」
音楽の先生「大切なのは、お客様に喜んでもらおうという気持ちなのに、それが欠落していたのですから」
音楽の先生「勉強熱心で向上心のある生徒に対しても、教えようという気持ちばかりで、生徒に幸せになってもらおうという、心が無かったのです」
音楽の先生「その生徒は、貧しい家の子供で、幼少の頃から「贅沢は敵だ」として、芸術を敵視されていました。生徒は作曲に興味が出て、歌手のための1枚の楽譜だけでなく、背景の楽器のための楽譜も含めた編曲もするようになっていました」
音楽の先生「生徒が、放課後に僕の所に来るようになって、あれこれ質問を受けるようになりました」
音楽の先生「生徒の言動には、知識不足を理由とした失礼なところもありましたが、憐れな様子はありませんでした」
音楽の先生「それは、「持って生まれた明るさ」のためでしょうか、虐待を受けていると自分では気付いていなかったのでしょうか、いくばくかの「生きる希望」が残っていたためでしょうか」
音楽の先生「もし、憐れな様子があれば、その生徒に対する僕の言動が、どのように違っていたか、あれこれ空想してみましたが、後知恵による僕の免責に使えるだけで、その生徒のためにはなりません」
音楽の先生「生徒の貧しさを知ったのは、五線ノートではなく、廉価な分厚い大学ノートに、赤ペンで五線を手書きしていたことです」
音楽の先生「これでは、使いにくいだろうと言うと、生徒は「お小遣いで五線ノートを買って、叱られたことがある」と答えました」
音楽の先生「それから、もうひとつ、上履きの破れ具合から、中学生なのに外反母趾になっていることが見えました。成長期に靴が小さくなっても、履き続けていたと推測できます」
音楽の先生「毎日、少しずつ、誰も気付かない内に、足が大きくなる。昨日と今日では、何も変わっていない。いつの間にか、外反母趾になっている」
音楽の先生「それがあって、生徒は経済的に苦しい家庭なのだと気付きました。五線ノートを買うことすら、許可を得られない。新しい靴が必要だと、言い出すのも難しい」
音楽の先生「気付くことができても、教師としては、何も協力できません。無論、人間としてなら、できることは少なくないとは思いますが、教師であることを捨てられもせず、よその家庭に干渉することが、僕にはできなかったのです」
音楽の先生「経済的だけでなく、家族からの虐待もあったようです」
部員「虐待なら、通報することで解決に導けられるんじゃないですか?」
「児童虐待防止法(児童虐待の防止等に関する法律)」は、2000年に成立から施行まで行われた。
坂上二郎の歌『学校の先生』(山上路夫、大川光久、1974年)は、中学校の教師の思い出の歌。セリフの中で、遠足の時に、貧しい家の子のためにお菓子を少し買って渡すと、その子は目に涙をためたという描写がある。
歌はフィクションではあるが、この歌のセリフで語られる時代は、「実情と規則の繋がりが緩い」であったので、中学校の教師が生徒に、遠足のお菓子を買って渡しても、越権行為などと責められなかった。
大雑把な時代背景として、「昭和は、被害者がいなければ、人情でこっそり違反もしていた」「平成は、規則違反の実情を暴いた」となる。
無論、大雑把なので、この説明を「悪い」と評価することもある。しかし、音楽の先生の若い頃と、「児童虐待防止法」の成立の時代背景を、若年層に説明する目的に、万人が「良い」と評する方法は無い。
同じ説明に対して、「不足」と「冗長」の、相反する理由の「悪い」となる。
世間の風潮の変更の日付は明確ではないが、音楽の先生が新人教師だった頃は、第三者が積極的に家庭に関わるには、かなり難しい時代だった。「法は家庭に入らず」の考えは、長くあったため。
音楽の先生「親からは、暴力といったことはされず、1学年上の長子と比較して、劣っていることを、事ある毎に比較されていました」
音楽の先生「暴力など明らかなことであれば、現代の基準では明らかに通報するでしょう」
音楽の先生「当時は、通報といった風潮は皆無で、むしろ、家庭のことに学校が介入することは、越権行為でした。昔のドラマの熱血教師は、ほとんど非現実的な存在です」
音楽の先生「現代でも、各家庭の教育方針や、ちょっとした経済状況なら、刑事事件でもありませんし、通報案件でもなく、学校から積極的に介入することはないでしょう」
音楽の先生「当時のその子の親は、上の子には説明しても、下の子、その生徒には面倒だから説明せず、からかいの嘘情報の中で暮らしていたので、どこに正しい情報があるのか、わからない」
音楽の先生「暴力は、むしろ長子から受けていたようです。きょうだいでの喧嘩なので、叩き合いもあるでしょうが、ほぼ一方的な、殴る蹴るの暴行だったようです」
音楽の先生「親に何度も言ったそうですが、いつも決まった答えは「お前が悪い」だったそうです」
ここで「きょうだい」としたのは、本人と長子の性別を決めていないから。同性の方が良いのか、異性が良いのか。性別により、外見の悲惨さの印象が異なる。
部員「親がそう言うのですから、悪いんでしょう?」
音楽の先生「仕事は、努力が大切か、成果が大切か。どちらですか? ある時は「成果が無ければ、努力は無意味」、ある時は「成果が無くても、努力を評価」」
音楽の先生「その生徒が、どんなに努力しても不可能な指示を受けて、成果が無かったら、成果重視の基準が使われる」
音楽の先生「その生徒が、長子の怠惰のせいで損をすると、「頑張ったことを無下にする」と、努力重視の基準が使われる」
音楽の先生「どちらにしても、必ず、その生徒が悪いと言われ続けます。日常的に、継続的に」
音楽の先生「努力と成果の、両方とも大切だと答えると、「それはずるい」と叱られる。万事、そのように叱られているそうです」
音楽の先生「子供は、親を信じるようにできていますから、その生徒は、自己肯定する経験はありません。自分が悪い、自分は何をやっても下手だ、自分は無能だという考えが、その生徒の性格の基礎でした」
音楽の先生「朝になって、何か珍しい美味しい食べ物の包み紙が、ゴミ箱の中にある。その生徒が眠った後に、家族で食べたのでしょう」
音楽の先生「親が仕事先から、頂き物のお裾分けを持って帰宅することがあったそうですが、その生徒は、「お前は眠っていたから、起こさないでいた」と、気遣いしたという理由でした」
音楽の先生「ところが、ある夜は、眠っているところを起こされました。高級なオレンジジュースで、「濃縮果汁還元」と書いてありましたが、家族の誰も、その意味を知りません」
音楽の先生「きっと、カルピスのように、水で割って飲むのだろうと勘違いし、そのようにすると、不味かったのです。だから、その生徒は眠っているところを起こされ、「みんな、不味いのを飲んだから、お前も飲め」と」
カルピスは商品名であり、登録商標。
音楽の先生「その生徒は、体が弱く、家で吐瀉することもありました。苦しんでいる状況で、「お前が吐いたんだから、お前が掃除するのが当然だ」と言われ、病気で苦しみながらも、自分で掃除しました。それが正しいのだと」
音楽の先生「ある日、その生徒が小学生の頃です。学校で誰かが吐瀉しました。周囲のみんなは、吐瀉した本人を思い遣り、掃除も周囲の人が率先しました」
音楽の先生「しかし、その生徒は、自宅で教わった通りに「自分で掃除するのは当然」と、手を貸しませんでした」
音楽の先生「すると、その生徒は学校でも、性格が悪い者として、扱われるようになりました」
音楽の先生「1学年の差で、年下を馬鹿にする材料は、いくらでもあります。上の子にとっては、年下をからかって、ムキになるのが面白い。騙して損をさせる。そうやって、長子は人を操る術を学びながら、勝ち癖を付けることができました」
音楽の先生「下の子は、負け癖を付けられたまま小学校に入学すると、すぐに、虐められました。中学に入っても、すぐに、虐められました」
音楽の先生「上の子は、先んじて、周囲に「下の子は、無能なくせに、性格が悪い。家族の恥だ、親族の恥だ」と、言い触らしていたのです。その噂を知らなくても、その子の言動は、自分が家庭でされたことを反映して、悪い性格でした」
音楽の先生「僕がその生徒の言動に、知識不足を理由とした失礼なところを見出したのと同じことを、周囲の人は「悪い性格」と評したのです」
音楽の先生「ある時、その生徒が、同級生のことを、ひどい言葉で否定しました。僕は、「その、否定の理屈は、どこからか」と聞いたところ、家族から自分が否定された言葉だと答えられました」
音楽の先生「僕は、その時、精神的虐待であると思いました。しかし、その生徒にそれを言うと、家族の悪口となるので、言い淀んでしまいました」
音楽の先生「音楽理論を無視した作品を提出されていたことで、その生徒を僕は「安直な手法に逃げる、不真面目な生徒」と思っていましたから……、僕はその生徒を嫌っていたのでしょう」
音楽の先生「ひどいものです。下の子に虐められ癖を付けたのは、上の子なのに、先んじて周囲に「下の子は性格が悪い」と言い触らすのですから。直接の会話で、その生徒を嫌っていた僕も、それに便乗したのです」
音楽の先生「無論、僕にも、その噂は届いていました。しかし僕は、噂ではなく、僕自身が本人との関わりで判断しよう。知識不足が理由の失礼な言動は、子供を相手にしていれば、よくあること。この子は、それが多いと感じていました」
音楽の先生「音楽活動どころか、楽器経験は小中学校の音楽の授業だけですから、その子の作品は、どうせ駄目だという前提なので、悪い箇所を探すことから始めるのです」
音楽の先生「確かに、稚拙な作品が多かった。しかし、知識に対して、とても貪欲でした。乾いたスポンジが(砂が)水を吸うようにという比喩がありましたが、僕が教えたいことは吸収が悪く、それ以外のことばかり吸収しているようです」
音楽の先生「その生徒は、純粋に音楽作品を評価して欲しかったのに、それ以前の理由で評価も無い、そんな状況でした」
音楽の先生「夏休みに、その生徒はアルバイトをしました。といっても、中学生ですから、親戚のお店で、店番という程度ですが」
音楽の先生「ある時、音楽理論の書籍を買いたいからと、僕は同行を頼まれました。念願だった音楽理論書を、自分で働いて得たお金で買えて、とても喜んでいました」
音楽の先生「ところが、親から叱られたそうです。「そんなものを買って、その本をガリガリ齧って、お腹がいっぱいになるのかい。自分で稼いだからって、何でも買っていいものじゃない」と」
音楽の先生「先程、お話ししたように、「贅沢は敵だ」という家庭でしたから、そのように言われたそうです」
これは、音楽の先生の勘違い。正しくは、自分の好みに沿わない、他人の趣味に対しては、侮蔑の意味で「下らない」と評する家庭。
音楽の先生「その音楽理論書は、表紙を見るだけで、たっぷりの水が含まれた砂で、心が押しつぶされるようになったそうです」
闘犬の文化の非難にならなければ、ここで「その生徒は、はからずとも、長子の噛ませ犬にされていたのです」の比喩を用いる方法もある。当該生徒を、ちょうど良いおもちゃとして、長子の能力は高くなり、行く行くは家族の繁栄になる。
下の子が噛ませ犬という犠牲になれば、長子を含め、周囲の人には、噛ませ犬を操作する技術、人を操る技術を磨ける。
音楽の先生「子供同士の近所付き合いは、現在よりも昔の方が多かった。自然と、年齢の違う子供同士での付き合いもありました」
音楽の先生「年少者を喜ばせる、年少者に危険回避を教える、年少者の失敗を許容する、年少者をからかう、からかわれた時の対応方法を教える」
音楽の先生「良くも悪くも、自然のうちに、人を操る技術を培うことはできました。悪い方法の操り方をすると、他の子供が制止することもありました」
音楽の先生「人を操るのは特殊技術です。子供同士の近所付き合いが減った現代では、昔と比較して、技術の特殊さ、難しさが増えていると思います。人を操る技術は、人の上に立つ人の資質であり、人付き合いの技術でもあります」
音楽の先生「長子は1学年上ですから、同じ学校に通っています。僕は二人の性格の違いを見比べました」
音楽の先生「長子は、人を操る人心掌握の特殊技術と共に、噛ませ犬をちょうど良いおもちゃ、実験相手として、意地悪な性格でありながら人の上に立つ人望や人徳も取得し、生徒会活動や、進学先の高校など、所謂、勝ち組に進みました」
音楽の先生「先程の生徒の家では、家庭内という、閉じた場所で、悪い意味で人を操る技術を、上の子だけが取得しました。上の子の技術向上に、下の子が犠牲になりました」
この話には、後続する話もあるが、冗長になるので、アニメでは用いない。
「黒塗りばかりの母子手帳」の話は、音楽の先生が知ることはない。
音楽の先生「「完璧な人間はいない。完璧など目指さなくて良い」という言葉がありますが、僕の知っている音楽理論を用いて、その生徒の悪い個所を粗探ししたのは、僕なのです」
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