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婚約破棄されたトリノは、継母や姉たちや使用人からもいじめられているので、前世の記憶を思い出し、家から脱走して旅にでる!  作者: 山田 バルス


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前世1話 プロポーズを待つ午後

『29歳のブルースカイ ―プロポーズを待つ午後』

 それは、少し特別な朝だった。


 目が覚めた瞬間、薄いカーテンの向こうから、やわらかな光が差し込んでいた。

 梅雨の中休み。湿気もなく、気温もちょうどよくて、思わずカーテンを開けた。


 「……晴れてる」


 ベランダの手すりに止まった小さなスズメが、一声だけ鳴いて飛び去る。

 それを見送りながら、真嶋さつきは、長く息を吐いた。


 「29歳、か……」


 壁に掛けた小さなカレンダーの、今日の日付にはピンクのハートのシールが貼ってあった。

 “6月17日 バースデー♡”――自分で貼ったものだった。


 (もうアラサーって言われるのも慣れたけど……来年には、三十路かぁ)


 年齢が増えることに、怖さはない。ただ、どうしても思ってしまう。


 ――このままで、いいのかな。

 ――来年も、同じように、ひとりでケーキを食べてるのかな。


 だけど、今年は違う。


 圭太が、「今日、ちゃんとした話をしたい」って言ってくれた。

 自宅に来るのは、久しぶりだ。

 仕事が忙しくて、なかなか時間が合わなかったけど、今日だけは予定を空けるって、数日前から言っていた。


 (もしかして……いや、でも、あの人、そういうの照れて黙っちゃうタイプだし……)


 そわそわしながらも、どうしても胸が高鳴ってしまう。

 だって、三年付き合ってる。お互いの実家にも挨拶したことがある。

 それに、誕生日に「ちゃんとした話」――それって、やっぱり……。


 (プロポーズ、だったらいいな……)


 思わず頬を両手で押さえる。体温が上がるのが自分でもわかる。

 真嶋さつき、29歳。商社の営業部で働く、普通のOL。

 でも今日は、「女性」としての夢が、一歩だけ近づくような気がしていた。


 ***


 部屋の掃除は、朝から徹底的にやった。

 ベッドメイキング、フローリングの雑巾がけ、トイレとお風呂もピカピカ。

 洗濯物はベランダに干し直し、エアコンのフィルターまで確認した。


 「完璧……!」


 いつもなら、休日はノーメイクのままゴロゴロしてしまうけど、今日は違う。

 午前中からシャワーを浴びて、丁寧にスキンケアをして、髪を整えた。


 服は、白いレースのブラウスと、淡いベージュのロングスカート。

 派手じゃないけど、清楚で、女性らしい服。圭太が好きそうな雰囲気。


 鏡の前で自分を見つめながら、思わず小さく呟く。


 「これで、どうかな……?」


 返事はない。でも、胸の奥で小さな声がささやく。


 ――大丈夫。今日は、特別な日になる。


 ***


 午後になって、駅前のデパ地下へ買い物に出た。

 彼が甘い物が苦手なことは知っていたけれど、小さな苺のケーキだけは用意した。

 誕生日なんだから、と自分に言い聞かせて。


 ワインは軽めの白。少し奮発した。


 「二人で乾杯したいな……」


 レジを済ませて、エコバッグを抱えて外に出ると、空はさらに青くなっていた。

 こんなに澄んだ空は久しぶりだった。


 (青空って……幸せの予兆って、どこかで聞いたことあるな)


 歩道の端、花屋の前で立ち止まる。

 小さなブーケが並ぶ中、淡い青のデルフィニウムが目に入った。


 「……あ」


 そういえば、圭太と初めて出かけたとき、花屋の前で「この色、好き」って何気なく言ったことがあった。

 あれ、覚えててくれてたら嬉しいな――そう思って、小さな希望が心に灯る。


 買わなかったけれど、視線はしばらく、その花に釘づけだった。


 ***


 部屋に戻ると、午後5時を過ぎていた。

 冷蔵庫にケーキと惣菜を詰めて、テーブルにレースのクロスを敷く。

 ワイングラスを二つ並べ、食器も一式揃えた。


 (大丈夫、大丈夫)


 自分に言い聞かせるように、何度も時計を見る。

 約束は「7時に行く」と言っていた。


 (……もしかして、サプライズとかあるのかな?)


 指輪を取り出して、跪いて……なんてベタな展開を想像して、ひとりで笑ってしまう。


 (でも、圭太なら、やらないか。あの人、照れ屋だもん)


 それでも、どこかで期待してしまうのは――きっと、自分が「幸せになりたい」と心から願っているから。


 「だって、わたし、頑張ってきたもん」


 満員電車に揺られて、理不尽なクライアントに頭を下げて、

 帰宅しても家事して、寝るのはいつも夜中。

 そんな日々でも、笑っていられたのは――あの人がいたから。


 「圭太が、いてくれたから」


 口に出すと、少しだけ涙が出そうになった。


 ***


 午後6時半。

 カレンダーの“ハート”が、やけにまぶしく見えた。


 (あと30分……)


 ドキドキが止まらない。

 冷蔵庫の前で、何度もワインのラベルを見たり、ケーキを確認したりする。

 エアコンの風量を調整して、BGMにジャズを流してみるけど、落ち着かない。


 鏡で髪を整え、唇にグロスを重ねる。

 「今日の私は、最高に綺麗でいなきゃ」――そんな一心で。


 (だって……もし、あの人が「結婚しよう」って言ってくれたら)


 そう考えるだけで、涙がこぼれそうになるほど、胸がいっぱいになる。


 時計の針が、もうすぐ7を指す。


 彼が来る。

 あの人が――わたしの運命を変えに来る。


 ……そう信じていた。


 ――そして、インターホンが鳴るのは、数分後のことだった。

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