第47話 リノが唄う、レオニスとのワルツ
「音の余韻と、ふたりのステップ」
音楽会が終わったその夜、ヴァルシュタイン公爵家の広間では、煌びやかな舞踏会が幕を開けていた。
シャンデリアの光が、天井のクリスタルをきらきらと反射し、貴族たちの笑い声とグラスの音が優雅に響いている。
けれど、リノはその華やかさに少しだけ圧倒されていた。
(舞踏会って、こんなに……目が回りそう)
白いドレスに身を包み、部屋の隅でひっそりとグラスを手にする。さっきまでの音楽会では堂々と歌えたのに、舞台を下りた瞬間から、なんだか自信がしぼんでしまった。
リノはそっとため息をついた。
「……あれ、もしかして緊張してる?」
ふと、耳元に優しい声が降ってきた。
振り向けば、そこにはレオニス。いつも通りの笑顔――だけど、今夜の彼はどこか違った。黒い正装に金のブローチ、そして静かな瞳。そのすべてが、“王子様”という言葉にぴったりだった。
「ちょっとだけ……。あんなに人がたくさんいる場所、慣れてなくて」
リノが小さな声で言うと、レオニスはふっと笑って手を差し出した。
「じゃあ、君が一番落ち着ける方法を教えるよ」
「え?」
「――僕と、踊ってみる?」
その言葉に、心臓が跳ねた。
「お、踊るって……わたし、王宮の舞踏会でなんて踊ったことないよ?」
「平気。君は音を感じる人だから、きっとすぐわかる」
リノは迷った。けれど、その手を信じて、そっと自分の手を重ねる。
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広間の中央へと進むと、レオニスが音楽士に小さく合図を送った。
流れ始めたのは、ゆったりとした三拍子のワルツ。
リノの耳に心地よく響いてくる。
「リードは任せて。君はただ、僕と一緒に流れに乗るだけでいい」
そう言って、レオニスはリノの腰に手を添えた。
最初の一歩。
靴音が床をやさしく叩く。
ひとつ、ふたつ、ゆっくりと円を描くように、ふたりの体が滑り始めた。
初めは戸惑っていたリノも、すぐに気づく。
(あ……レオの動き、音楽と同じ……)
心地よい風に包まれているようだった。
レオニスの腕の中で、まるで音に乗って舞っているような感覚。
「……どう?」
「うん。魔法みたい。音と風と……あなたの手で、どこまでも行けそう」
「それは最高の褒め言葉だな」
レオニスはくすっと笑って、リノの腰を少し引き寄せた。
瞬間、リノの頬がかあっと赤く染まる。
「こ、ここでそんなに近づかないでよ……みんな見てる……」
「見られて困る関係じゃないよ、僕たち」
そう言われて、リノは言葉を詰まらせた。
――たしかに、その通りだった。
この手を握ってくれる人は、王国の第三王子。
そして、彼の隣に立つのは、今や“公爵家の娘”として迎えられた自分。
(それでも……やっぱり、ドキドキする)
まるで自分が絵本の中にいるみたいで、現実味がない。
でも、レオニスの手のぬくもりが、それが“ほんとう”なのだと教えてくれる。
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舞踏が終わると、ふたりはそっと中庭へ抜け出した。
夜風が静かに頬を撫で、星がまるで灯りのように空に瞬いている。
「ねえ、リノ」
レオニスがそっと、リノの肩を抱いた。
「……君があの歌を歌ってから、僕の心はずっと揺れてるんだ。言葉でうまく言えないけど、あの歌が、君そのもので……。すごく、好きだった」
リノは一瞬、目を見開いて、そして静かに微笑んだ。
「ありがとう、レオ。あの歌は、あなたと出会って、あなたを思って生まれた歌だよ」
ふたりの距離が、そっと近づく。
手を繋いで、同じ空を見上げる。
「ねえ、これからも、わたしが歌うときは、あなたが隣にいてくれる?」
「もちろん。僕の未来には、君の歌が必要なんだ」
その言葉に、胸がいっぱいになった。
遠くからは、まだ舞踏会の音楽がかすかに聞こえてくる。
でも、ここにはふたりだけの静かな音が流れていた。
心の音、想いの旋律――
それは、誰よりもロマンチックなワルツだった。
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その夜。リノの部屋には、ささやかな花束が届けられていた。
差出人は、もちろんレオニス。
添えられていた小さなメッセージには、こう書かれていた。
「君と踊った今夜のことを、一生忘れない。
次の舞踏会も、最初の一曲は、君と――レオニスより」
リノはそのカードを胸に抱きながら、そっと微笑んだ。
(わたしも……絶対に忘れない)
そう心に誓いながら、そっと瞳を閉じた。
音楽会の余韻と、踊った記憶が、優しい夢へと続いていく――。




