#28
仕事の都合上、どうしても執筆が滞りがちになることがあります。この場で謝罪をm(__)m
春彦が帰省した日の翌日。
まだ開店前の赤井楽器店では、社長である瞳子が満面の笑みを浮かべながら、店内中央に設置されているショーケースから一本のギターを取り出して磨いていた。
「社長、どうしたんですか?」
そんな瞳子に声を掛けたのは、赤井楽器店の正社員として働く北原美那。
美那は、滅多に間近でお目にかかれないギターに興味をそそられながらも、不自然なくらい機嫌がいい瞳子に対して怪訝な顔を向けている。
「んー?ふふふふ」
「??」
瞳子はチラリと美那を見やるも、すぐにギターに視線を落とす。
何がなんだか分からずに、美那は瞳子の作業をジッと見つめていた。…と、そこである事に気付く。
「…って、しゃ、社長!?」
磨きあげ、まるで鏡面のように光沢を放つギターを、瞳子は高級感を醸し出す木目のケースに入れだしたのだ。
これには美那も黙っていられない。
「ど、どこかに持っていくんですか!?」
「持ってく?ん〜ん、この子はねぇ、ようやっと表舞台に帰るのよ」
「………ぇ?え、えぇっ!?売っちゃうってこと!?」
瞳子の言葉が示す意味を察した美那は、驚愕よりも憤りで声を荒げた。
──だって、そのギターは…
「まぁまぁ、落ち着きなさいって。美那」
美那の言いたいことを分かっているのだろう。瞳子は穏やかに微笑みながらギターケースを撫でる。
慈しむように。
愛おしむように。
「ずぅっとね、この子は待ってたの。この日本で唯一、持ち主と認めたあの子をね」
「……あの子?」
「あら、そういえば美那は昨日休みだったわね」
今思い出したかのように、ポンと手を打つ。そして、まるで悪戯を思い付いた子供のようにニヤリと笑い──
「今ね、この街にいるのよ。“春彦”が、ね」
「…っ……は…?」
唖然とした表情の美那が瞳子のセリフを理解するまで、実に数十秒という長い時間を要した。
そして、その意味を頭の中で租借して、充分に理解すると、口を金魚のようにパクパクさせた後…
「「えぇぇぇぇ!?」」
背後から商品の小物を補充しに来た妹の杏理と共に、綺麗なユニゾンをしつつ驚愕の声を上げた。
「ど、どーいう事ですか!?」
「三神さん……来てるって…」
とりあえず一通りの驚きを体現してから、北原姉妹は揃って瞳子へと詰め寄った。
正社員の美那と違い、まだ学生でアルバイトという立場の杏理ですら気後れしない様を見ると、姉妹と瞳子との関係は単なる雇用主と従業員というものだけでは無いことが分かる。
それは、瞳子の“お気に入りのバンド”のメンバーという事が大きいのだろう。
「どういうことも何も…」
苦笑しながら、瞳子は最後の仕上げとばかりにケースを磨き、姉妹に向き直った。
そして、昨日の経緯を語る。
「昨日ね、昼過ぎくらいにひょっこり顔出したのよ。七海ちゃん……だっけ?ほら、あの小柄で可愛らしい幼馴染みの女の子連れて」
「で、でも!春彦って今すごく忙しいんじゃ…」
「確か同窓会するって言ってたわね。それで、連休貰ったって。……なんでも、休みはもちろん、連休なんかここ半年一年貰ったことなかったみたいよ」
「ふぁぁ……そんなに働いたら死んじゃいますよぅ…」
姉妹は、春彦の生活に思いを馳せる。
朝の情報番組から昼のワイドショー。夕方から深夜に掛けての歌番組、ランキング番組。雑誌や新聞、はたまた、何気無く聞こえてくる有線放送やラジオ番組。
その姿を見ない日は無かった。
その声を聴かない日は無かった。
日を追う毎に何かしらの記録を打ち立てる姿は、マスコミから発信されて日本中に名を轟かせていく。
……良い事、なんだろう。
まさしく一つの成功者の姿だ。
しかし──
「……………」
「……………」
まだ芸能界に入る前の春彦を知る者にとっては、その成功を喜ぶ反面、危惧する感情も高まっていた。
人混みが苦手なあの人が、迂濶に街も歩けない生活に身を置いている。
話すことが苦手なあの人が、毎日のようにフラッシュとマイクに囲まれている。
ストレスなんて、聞くまでもなく溜まっているだろう。
──今、改めて思う。
大丈夫なのだろうか、と。
いつか潰れてしまうんじゃないだろうか、と。
そして、そして…
いつか歌うことを止めてしまうんじゃ──
「……こ〜ら!」
「あたっ!?」
「きゃう!?」
ボカッと軽い音を立てて、色々と心配を巡らせる二人の頭に拳骨が降ってきた。
涙目になりながら抗議しようと顔を上げた二人は、呆れたような表情の瞳子と目が合い、思わず口をつぐんだ。
「あのねぇ…」
小さく溜め息を吐くと、瞳子は出来の悪い生徒に言い聞かせるように、言葉じりを区切りながらゆっくりと言葉を発した。
「いい?あの子はね、自ら望んで今の生活にいるの。望んでも祈っても願っても、ほとんどの人が夢半ばに挫折して消えていく世界で、あの子は絶え間ない努力をもって今の立ち位置を掴んだ。……それを、あなた達の想像で勝手に塗り替えないこと!」
「…………」
「…………」
「……心配するのは当たり前。だけど、否定や同情なんて必要ないわ。あの子はやりたいようにやって、やりたいように生きてる。誰の強制でもなく」
そこまで言うと、スッと息を吸い込み──
「……そうじゃなくて?ねぇ、春彦…」
片目を器用にウインクさせながら、姉妹の背後に向けて笑いかけた。
「えっ?」
「───ぁ」
二人の背後、困ったように頬を掻きながら笑う、三神春彦に向けて。
「……ぇ、と。なんか懐かしい顔ぶれっすね」
「は……」
「っ!?」
──もちろん、本日二回目の絶叫が店内に響き渡ったことは言うまでもない。
・・・・・・・・・・・
「……迎えに来ました、社長」
「ええ、待ってたわ。ちゃんと定期的に手入れして」
美那と杏理、そして“Red”と胸元に大きなロゴのついたエプロンを着た数人の従業員が見守る中、
春彦と瞳子は簡易テーブルを挟んで向かい合い、一度握手を交わして微笑みあった。
そして、“商談”──。
今まで何人ものコレクターが、それぞれ思い思いの値段を打ち出しても頑なに首を縦に振らなかった瞳子が、ついにこの時が来たとばかりに持ち出した一本のギター…──Martin社製、D−45ハカランダ。
その変わらぬ風貌に、どこか懐かしそうな笑みを向けた後、春彦はおもむろに懐から白封筒を取り出して瞳子に渡す。
慎重な手付きで封を切った瞳子の手元、顔を覗かせた紙幣の数に、その様子を見守っていた者達は思わず息を飲んだ。
「………ちょっと多すぎない?」
そのものの価値を知っている瞳子でさえ、僅かながら戸惑いを隠せない。
白い札帯に巻かれた一万円札が八束。計八百万円。
「契約しておきながら、今の今まで待たせた分に」
瞳子は、ネックの触り心地を楽しみながら訥々と語る春彦を見る。
「社長の宝物を譲ってもらうって、心情的な分。そして──」
「─────ッ」
───強い眼差しにぶつかった。
「俺が、こいつと、喉が潰れるまで歌い、指が動かなくなるまで共に生きていくって決意を……示す分です」
“受け取ってください”と言ったその目の、なんと強いことか。
──肌が粟立つ。
──背筋が震える。
一個の人間が放つには、大きすぎるその輝き。
危ういとも取れるそれは、なんと心を掴むのだろう。
惹き付けられたら離れられなくなる。それは、一種極められたカリスマ性と言えるのか…
「──そ、か」
まったく、もう…
高鳴る鼓動を必死に抑えながらも、瞳子は嬉しくて嬉しくて堪らなくなった。
まったく、もう…
一体この男は、人を何度恋に墜とせば気が済むのだろうか、と──
「そういう事なら、断る理由は無いわ。商談成立。──おめでとう、春彦」
実際問題、いくら春彦とて八百万もの大金を軽々しく出せるほど余裕は無い筈。
CDの売り上げ等に生ずる印税は、ある程度時が経ってから手元に届くものだから。
だからこそ、この金には意味がある。自らの生活を切り取って渡す行為。その意味は、“このギターと心中する”という決意だから。
「時に春彦、同窓会は明日って言ってたわよね?」
春彦がケースにギターをしまう動作を見ていた瞳子は、おもむろに切り出した。
「?ええ、そうですけど」
「なら、今夜は何か予定ある?」
「いや、特には…」
「そう。なら──」
手元から取り出し、差し出されたのは、先程春彦から渡された紙幣二束。
「──今夜七時。場所は此処の下…“Blue”。ディナーショーって訳じゃないけど、久々に春彦の歌を聴きながら呑みたいんだけど……どうかしら?」
こんなに贅沢な事はない、と思う。今やチケットを取ることすら困難なミュージシャンへ、個人的なオファー。
しかし、春彦なら、と──
「……これじゃ足らないかしら?」
「────いえ」
差し出された二百万を手に、プロの顔つきへと。
あ〜あ、本当にいい男になっちゃって……なんて、内心クスリと笑みを溢しながら──
「決まり?」
「引き受けさせて貰います。モチ、俺も呑んでいいんスよね?」
「ふふっ、モチロン♪」
“あと二十歳若かったら”
瞳子の本音は語られる事はない。
“あと二十歳若かったら”
“きっと私は、多くの女性に違わず、貴方に持ちうる全ての愛を捧げたでしょう”
愛にも様々なものがある。
人生の酸いも甘いも知り尽くした“女”は、それでもこう思ったのだ──
「美那も杏理も、モチロン皆も。時間がある人は参加していいわよ!各自一人までなら知り合い呼んでOK!!──騒ぐわよ♪」
──たとえ
どんな形であれ、
どんな立場であれ、
こうして貴方に出逢えた私は、
こうして貴方に関われた私は、
今、本当に幸せなのでしょうね──
……ここにも、確かに一つの愛が存在していた。