ごめんなさいだ
激しい雨音と、それに混じって響く金属音やよく分からない鈍い音。
外から聞こえてくる音が何なのか気になり、イリーナは窓に近付いた。都市内は無駄なくらいに街灯が設置されているから、夜だというのに明るくて外の様子は確認しやすい。逆に外からイリーナを発見されやすいということでもあるので、様子を窺いつつも油断することはできないが。
窓から外をこっそり見下ろすと、音の正体はすぐに分かった。
「レヴィアさん……?」
イリーナが監禁されている宿泊施設の目の前の通りにいたのは、巨大な鎖鎌を持ったロクローンと、二本の刀を逆手で持ったクライアス。互いに距離を取って向かい合い、何事かを話している。
その光景は、今の彼女を動揺させるには十分すぎた。
二人が戦っていたんだろうということは分かる。武器を持って向かい合っているのだから、それ以外の状況はあり得ない。音は戦いの最中で発生したものだということも理解できる。
だが、なぜクライアスがここにいるのかが分からない。
自分を助けに来てくれたのだろうか?
ずっとトランプであることを隠して、騙し続けていた自分のことを?
信じられない気持ちや喜びの感情、疑問などがぐるぐると頭の中を巡り、イリーナは混乱する。絶対に訪れることはないと思っていた状況が現実に展開されていることに、心が激しく揺れ動く。
気がつくと、彼女は部屋の外に飛び出していた。
✚✚✚
クライアスの本気を前にして、感情を持たない現在のロクローンは――笑った。
本当に嬉しそうに、心から喜ばしいように、ただ無邪気な笑顔。
自分の感情が理解され、クライアスが本気で戦うことに決めたことに対する、それがきっと、今の彼にわずかでも残っている感情なのだろう。
「ところで、俺には貴様の能力の方が不可思議に見えるな。それは一体どこから出した?」
その場の勢いとはいえ一通り自分の能力を明かしてしまったクライアスは、ロクローンの能力についての情報を得ようと試みてみる。相手が本気である以上、自分だけ能力を知られているという状況は不利すぎるからだ。イリーナを救うという目的があるのに、ここで簡単に負けるわけにはいかない。
すると、ロクローンは意外とあっさりと、
「これ? 僕の業は〝メタルーク〟って言ってね、僕が触れているものを金属に変化させて、かつその間だけ自由に形状を変化させることができる。生き物は無理だけどさ」
自分の両側に突き刺さっている鎌の頭端部をこんこんと拳で叩きながら説明してくれた。先ほどの彼の発言から推測すると、粛正の尾という名前らしい。
異常なのはその鎌の大きさだ。
地面に突き刺さっている鎌の大きさはロクローンの肩ほどまでの高さで、当然、全体もそれなりの巨体になる。それを二本同時に扱おうというのは、どう考えても無謀な間抜けのやることだろう。そもそも鎖鎌は鎖で動きを止め鎌で斬る、両手で一つの本来はもっと小さい武器だ。
しかし、クライアスは納得していた。確かにロクローンの能力ならばそれだけ巨大な鎖鎌を操ることもできる。
「君の〝クーグレス〟が氷の鬼って評されてたことは知ってるよ。記録に載ってた。でもじゃあ君は、僕がどう評されてるのか知ってるかな?」
じゃらり。鎌の頭端部から繋がれた鎖を握り、頭上に掲げる。
「僕の〝メタルーク〟は、鉄の蛇だ」
同時に、ロクローンは掲げた拳を振り下ろす。
それだけで長大な鎖がしなり、取り付けられた鎌が意思を持っているかのようにクライアスに向かって一直線に突き進む。
そう、この鎖鎌がロクローンの能力で造られた物ならば、彼は触れているだけで鎖の結合やサイズなどを微妙に操作し、腕を振るまでもなく鎌を自在に振るうことができるのだ。
まるで蛇の尾のように、ロクローンの意思の通りに自由自在に敵を狙う凶刃。
使い慣れた様子を見ると、この鎖鎌こそが彼の本来の得物なのだろう。
「狂った人間よりも感情の失せた人間の方がよほど面倒だな」
迫りくる刃を前に、クライアスはそう呟いた。
同時に駆け出す。
氷によって刃渡りが一メートルを超えようかというほどの長さになった二本の刀を逆手で握り、それを振るって眼前の鎌を打ち落とす。その間に放たれた二本目の鎌は脚力を強化した脚で蹴り飛ばし、わき目もふらずにロクローンへと突っ込んでいく。
「いいね。氷の鬼の牙として名高いその独特の二刀流を直に見ることができる日が来るなんて、考えたこともなかったよ」
感情などないはずなのに弾んだ声で笑いながら、ロクローンは鎖を引いた。それによって撃墜した鎖が彼の元に戻るべく再び勢いよく空を斬り裂く。当然、その途中を駆けているクライアスを狙った攻撃でもあるので、速度はかなりのものだ。
クライアスは反射的に振り返り、背後まで迫ってきていた刃を下から蹴り上げた。強烈な蹴りの衝撃を受けた鎌は、ロクローンの支配下をわずかに離れ真上へ打ち上げられる。さらにそれを追うように全力で跳び上がったクライアスは常人の跳躍力ではありえない高度まで一瞬で辿り着き、自ら打ち上げた鎌を今度は蹴り落とした。
角度をつけて蹴り落とされた鎌は持ち主であるロクローンに真っ直ぐ突っ込み、激しい轟音を伴って地上に激突した。さらにクライアスは上空で冷気を操作し、降り注ぐ激しい雨を氷柱へ変える。鋭い氷柱が降り注ぎ、鎌に続いてロクローンに迫る。
しかし、それで倒れるほどロクローンも弱くはない。
地表の一部を変化させ不気味な盾を造りだした彼は氷柱と粛正の尾を防ぎ、次の攻撃に転じようとしている。
それが分かっていたからこそ、クライアスは着地と同時に再び駆け出す。両者の距離はもう近い。〝華冷脚〟で強化された脚力なら瞬きをしている間に詰めることができる。
地面が抉れるほどの脚力で地を蹴り、ほぼ同時に牙を振る。ロクローンも躊躇わずに手元に戻ってきた尾を振り――
「レヴィアさん!!」
割り込んできた少女の声に、二人の動きが止まった。
感情に従うことを優先し戦うことに夢中になっていたロクローンも、それが一時的に中断したことで冷静さを取り戻したようだった。彼の右目の周りから解放印が消え、気まずそうな表情だけが残される。
「ごめん、ちょっとやりすぎちゃった。……ここまでだね」
「気にするな。貴様の心情は理解できる」
「ちゃんと逃げるんだよ」
「貴様こそ。ここで貴様が失敗すれば全ての意味がなくなる」
「そうだね。……それじゃ、縁があったらまたね」
能力が解除されたことで土に戻った粛正の尾を投げ捨て、ロクローンはひらひらと手を振りながら立ち去った。
「……天晴と評したものの、最後まで食えん男だな」
最後まで掴み所のなかった気怠そうな、存在感の希薄な少年の後姿に首を傾げながらも、クライアスの表情に嫌悪の色はない。外見も内面もまったく違う相手ではあったが。何のために行動するのかという根本的な部分で通じ合っていたような気もするし、飄々としていて憎めない相手だったからだろう。
ロクローン・ディメンダという少年はミーヤ・レラテッシャという少女のために行動していた。
それでは、クライアス・ラーネルは何のために行動するのか。
そこには友達という単語が最もふさわしい。
過去の出来事があって以来、人を避け続け必要以上に距離を近づけてしまわないように生きてきた彼だが、結局はそれが性に合っている。
だから、クライアスは彼女に向き直る。
「迎えに来たぞ、イリーナ」
激戦の中に迷わず割って入った、イリーナの方に。
「あ……レヴィア、さん……?」
「残念だが今はクライアスだ。放送が届いていなかったのか?」
「え……? あ、いや、あの……」
状況が呑み込めていないようで口をぱくぱく動かしながらも言葉が出てこないイリーナ。とりあえず落ち着くまで待っていると、
「わ、私は……騙してたんですよ?」
出てきた言葉はそれだった。
「トランプであることを隠して、調査のために近づいて……と、友達になりたいって言ったのは私の本心です。でも、私にはそんな資格なんて――」
「イリーナ」
途端にとめどなく溢れ出してきた少女の言葉を、クライアスは名前を呼んで遮った。
「それだけ反省する気持ちがあるならいい。それに貴様にもトランプから抜けるという重大な目的があったのだろう?」
「で、でも……」
「――だから」
再び遮り、イリーナを正面から見据える。そうしてできるだけ柔らかい表情を浮かべて、可能な限り優しい声音で伝える。
「悪いことをしたら、ごめんなさいだ。それでいい」
「あ……」
我に返ったようにはっと顔を上げ、唇を噛んですぐにイリーナは俯いてしまった。細かく肩が震えているところを見ると、泣きそうなのを堪えているらしい。
そして、
「ごめん、なさい……。ごめんなさい……っ」
嗚咽を漏らし言葉に詰まりながらも、イリーナは真摯な気持ちで謝罪の言葉を口にする。
クライアスの返答は、もちろんただ一つだ。
「俺とイリーナは友達だからな。許す」




