④土蜘蛛の民/船岡山の戦い 前編
「みんなぁ……まって……」
「あ……いのちゃん」
夜明け前に出発しようとする、菊重と薫子、松鶴に、いのが声をかける。
「あのね……最近忙しいけど、がんばってね。けがしないでね。」
眠い目を擦って見送ろうとするいのに、松鶴は目を細めて頭を撫でた。
「おやおや、ありがとう。……最近、いのの顔を見ていないから、寂しかったんだ。元気が出たよ」
薫子と菊重もまた、いのの頭を撫でる。いのは嬉しそうに笑った。
「いのちゃん、なるべく早よ帰ってくるなぁ」
「今のお仕事が終わったら、きっとみんな一緒に家にいられるからね」
「うん!」
お手伝いと共に見送るいのに手を振り、三人は暗闇の中を急ぐ。
千本通の戦いの後、迎えに来た松鶴と共に屋敷に帰った菊重達。しかし、猫又の言っていたことが気になり、菊重と薫子、そして松鶴は、明くる朝すぐに船岡山へ向かうことにしたのだ。体調はまだ万全ではないが、この際仕方がない。異常があれば最悪、松鶴が御所にいる盈月に応援を頼むということになっていた。
かつて船岡山の前に御所があった時代、船岡山は大地の気がほとばしり溢れ出る、北の玄武の小山であるとされたという。そのため、船岡山から見て真南の千本通が朱雀大路と名付けられたのだ。しかし、平安の都がかつてのような力を失うにつれて、清浄の地は葬送地や刑場、果ては戦場に姿を変えた。日本古来の神の多くがそうであるように、霊験あらたかな船岡山にも二つの顔があった。長寿や不死のイメージが強い玄武の山を葬送地としたのは、墓守をしてほしかったのだろうか。今となっては、その真意は分からない。
また、船岡山は他にも御上との縁がある地だった。改元後、御上はかの有名な武将・織田信長を、当時の荒れた京都や皇室を盛り立てるための手を貸した者として、讃えるための神社を作ったのだ。つい最近、見晴らしのいい山頂に、本殿を移動したばかりだ。
そんな船岡山では、特殊警視隊が昨日から警備を続けていた。万一のことがあった際の対応をするためだ。
しかしその「万一」は、既に水面下で起こっていたのだ。
船岡山の木々の間から、一人の美しい女性が現れる。異国の者のように長い手足を持ち、緩く着崩した浴衣は、歩くたびに白い太腿がちらちらと見える。消して若い生娘ではないが、年齢不詳の妖艶な女だ。彼女を目撃した特殊警視隊は、思わず身構える。
「ああ……忌々しい場所……!現人神自ら、玄武大神の上に信長の為の神社を建てるとは…。本当に、失望しかない」
「おい!何をしている!」
彼女は周りの様子が目に入っていない様子で、ぶつぶつと独り言を言っている。
「無念……ああ、無念……!!妾達の献身を嘲笑うのも、これでお仕舞いにしてくれる……!」
ケタケタと笑う女の様子に、特殊警視隊はぎょっとして後退る。
「お、おい!!」
「雨神立!」
女が叫ぶと、瞬間、夜闇がカッと白い光に照らされた。そして、激しい雷雨が船岡山を、蓮台野一帯を襲う。
「ーー鬼呼・手目坊主!!」
雷が落ちる轟音の中、雷雲のせいで低くなった天から、巨大な鬼の手が船岡山に降りてくる。節くれだったその手がバッと開かれると、手のひらに充血した黄色い目が現れる。特殊警視隊の男は、その化け物の姿に恐怖し、固まってしまう。まるで、蛇に睨まれた蛙そのものだ。
「……そんな……あ……ああ……!」
手目坊主は、黒ずんで変形した鋭い爪を男に伸ばす。そこではじめて、男は我に返った。
「あああああああああああああああああああああ!!!!」
男は必死に叫びながら逃げ惑う。とんでもない騒ぎに、他の特殊警視隊も気がつくが、彼らに為す術はない。
「退避!退避ィーーー!!!」
船岡山に悲鳴が響き渡る。
菊重達が船岡山に辿り着いた時には、船岡山の頂上から巨大な鬼の手が生えて、辺りを蹂躙していた。山に登る間に出会った特殊警視隊の者たちが言うには、手のすぐ横に雨ノ辻柳がいるらしい。
「松鶴さん、この雨の結界……破れるかどうか試してみますーー花幔幕・宴!」
薫子は雨の降る船岡山の一歩外で、ぱっと檜扇を開いて空へ掲げる。薫子はしばらく黒雲を睨みつけた後、檜扇を手にゆっくりと舞い始める。船岡山の周りに幔幕が現れ、賑やかな三味線の音が風に乗って聞こえてくる。やがて雷は止み、その音の風によって黒雲は吹き飛ばされる。
「流石だね、薫子。お柳さんの異能の力は、花札の異能の持ち主の中でもかなりのものだよ?」
「私も、少し前なら破れんかったと思います」
薫子は、額の汗をハンカチで押さえて言った。
「前よりももっと、私にも頑張れることがあるって気づいて……前向きに頑張りたいって思わしてもらったから、成長できたんやって思うんです」
「あか宜し。「君たち」は、いい仲間になれると思ってたんだ」
「えっ」
きょとんとする二人に、松鶴は笑って、船岡山の敷地に足を踏み入れた。
「一文字」
菊重も一文字菊の光の槍を手にすると、松鶴に続いた。その後ろに、薫子が歩く。
「ーー来たか」
天から女の低い声が降ってきて、菊重は咄嗟に松鶴の前に出て構える。
「また邪魔をしに来たよ、お柳さん。貴女の気持ちは、もう随分と前から知っているから……。ーー私個人としては、お柳さんには幸せになって欲しかったんだけども」
木々の間から、鬼の手に乗った雨ノ辻が現れる。
「ハッ、どの口がそれを言う。それに後ろの芳春の娘は、そういうつもりは無いらしいぞ」
薫子は、憎々しげに父の仇を睨みつけている。
「彼女は彼女だよ。私にとっては、芳春君にも、かつての仲間である君にも、碧梧君にも、伊織君にもーー皆に、幸せになってほしかった」
松鶴の瞳に、彼の無念や哀しみの気持ちが映し出されている。
「今でもーー何故共に戦い笑いあった私達が、殺しあわねばならないのかと……そう思わずにはいられないよ」
「其方がそれを言うかーー!?」
雨ノ辻が、松鶴を睨み付ける。
「異人に遜って我が国を蔑ろにする、愚かな現人神!其方等がその犬として、政府に服従わぬ「人ならざるもの」たちや、それを崇める我ら一族ーー土蜘蛛にトドメを刺したこと、決して忘れはせぬ……!松鶴、其方を信じていたというのに……ッ!!」
「……そうだね。その怒り、否定できるものか」
雨ノ辻の想いを受け止めるかのように、静かに真っ直ぐ彼女を見つめる松鶴。
「なら死ね!!美吉野芳春と同じくな!!ーー天泣柳!!!」
無数の柳の矢が、暗い空から雨のように降り注ぐ。それはまるで、雨ノ辻の悲痛な涙のようだ。菊重と薫子は、風の唸り声のみ感じる見えない攻撃に、辺りを見回した。松鶴は、二人を庇うように身構えた。
「ーー常葉」
硬質化した松葉が飛んできて、柳の矢を全て打ち落とした。そして松鶴に襲いかかってきた鬼の手を、杖で打ち払った。
「松鶴さん!!」
菊重が助太刀に入り、雨ノ辻と睨み合う。雨ノ辻はニヤリとした嫌な笑いを浮かべるが、菊重は逃げずに雨ノ辻から目を逸さなかった。
「宿柳絮…!」
菊重の胸に、暗い種が芽吹き絡みついていった。
【漢字の間違い?】
今回書いていて初めて知ったのですが、まつろわぬという言葉は、本当は「服わぬ」と書くんですね。
雨ノ辻の口調的に、どうしてもこの表現を使いたかったのですが、まつろわぬって意味が分かりづらいと思ったので、敢えて本文では「服従わぬ」としています。




