「萩に猪」と「牡丹に蝶」と/6年前の話 中編
嶋が男たちに肉迫し、糸で巨大な針を引き寄せて正面から突く。男の一人がまともに喰らい、ずるりと倒れた。嶋は針を男から引き抜くと、血で塗れた針を敵に向ける。
「女だからって、舐めちゃダメだよ!」
流した髪の毛が、さらりと夜風に靡いた。普段は笑顔に細められるその目は、容赦のない女戦士の鋭い眼光を宿す。ヒュッと風を切り、嶋は針を振りかぶる。
「おらァ!」
八橋もまた、二振りの刀を闇の中で閃かせ、嶋の背中に斬りかかる男を斬り伏せた。異能の力はそこまで強くない二人だが、敵無しと言えるほどの武闘派だった。
とはいえ、二人対多数。しかも、相手の男たちの様子がどうもおかしい。斬られても物を言わない上に、怯まずにどんどん向かってくる。そして何よりーー
「嶋さん!こいつら……」
ーー切っても切っても、立ち上がってくる。
「……屍人?!」
夜闇に紛れて分かりづらいが、彼らの流す血や体液によって腐臭がまき散らされていく。八橋は頬についた、腐臭を漂わせる黒い血を拭う。
「くっ……吐きそう」
嶋が青い顔で呟く。
自分たちが、意志のない操られた亡骸を痛めつけているという事実と、戦いの中で腐った肉と血を浴びつづけている現実が、二人の心身に強烈なダメージを与えていた。
「フフフフフフ……いい景色、そう思わへんか……?」
この凄惨な光景にそぐわない、恍惚とした声。月明かりの下、西欧貴族のようなフリルのついたシャツに身を包んだ男が、一人笑っていた。
「黄昏野田」
辺り一面が、急に夕焼けの赤に染まる。屍人と藤のむせ返るような甘い匂いがして、嶋と八橋は吐き気に一層顔を青くする。異能の力を使った男は、ふわふわした髪を撫でつけながら、自己陶酔の塊のような、芝居がかった仕草で二人に歩み寄ってくる。
「おお!異能の力の兄弟!せっかくの出会いやねんけど……君たちも黄泉行き、や!」
二人は彼の顔を知っていた。名取精十郎の客の中でも、最も危険視されていた男ーー
「玉坂、藤匡……!」
屍人を斬り伏せながら、八橋が藤匡を睨む。彼は有名な大企業・玉坂印刷の社長だ。彼は様々な場所に支援をし、新たなビジネスを始め、その関係から様々な場所に顔を出していた。その彼の本性がーーまさかこのような姿だとは、二人は夢にも思わなかったわけだが。
「ーー死出遣」
藤匡の右手に、巨大な鎌が現れる。しかし、嶋も八橋もそれどころではない。目の前の、決して倒れることのない屍人達で手一杯なのだ。
嶋はまた屍人を打ち倒し、高らかに叫ぶ。
「嘉吉君、あとは頼んだからね!ーー猪自物這伏!!」
嶋が使える、唯一の異能の技。それは周りの者たちを、圧倒的な重圧で地に伏せる力だ。それは屍人達も、藤匡も例外ではない。まるで磁石が磁力に抗えぬように、呆気なく屍人達と藤匡は地に伏した。
「くっ……おのれ、ここまでは完璧やったっていうのに……!」
異能の力を使って動けない嶋に代わり、八橋が藤匡に刃を向ける。今この瞬間、自由なのは彼だけだった。
「終わりだ……ーーッ!!!」
八橋によって、藤匡の首が切り落とされる。生温かく赤い血が吹き出して、結界として張り巡らせられた、黄昏と藤の世界は儚く消えた。
辺りには、屍人と血だまりだけが残った。嶋は異能の力を使った反動で、目眩がして崩れ落ちた。
「嶋さん!!」
八橋は嶋に駆け寄ると、嶋を抱き起こした。
「ああ……ごめんね、嘉吉君」
「そんなことぐらいで謝るなよ!……嶋さん、本当に助かった。ありがとう……!俺ァ本当に……もう、ダメかと思ったわ……」
近くで戦いの音がする。川の向こう側で、光が明滅している。八橋は迷った。こんな場所に嶋を置いておくのは嫌だったが、早く二人を助けに行きたいと思っていた。
「……嘉吉君、いいよ。はやく行ってあげて」
「嶋さん……。せめて、茂みに連れて行かせてくれよ」
八橋は嶋を背負い、血溜まりの中から近くの木陰まで運んで行った。
「皆を早く助けてあげてね。お兄ちゃん?」
「……お兄ちゃんって。嶋さん、俺は……」
嶋の人差し指が、八橋の唇を塞ぐ。動揺して目を丸くする八橋に、嶋はクスリと笑った。
「ちゃんとここで待ってるから、早く行きなさいっ」
「絶対に、待ってろよ!」
八橋は深くため息を吐くと、嶋を残して川の向こう側へ急いだ。嶋は八橋の後姿を木陰から見送って、辺りを不安げに見渡した。
夥しい数の死体。
死体と共に渦巻く「人ならざるもの」ーー怨念。
そして、それを操っていた藤匡の離れた首と胴。虚な目。
正直、怖かった。泣きたかった。逃げたかった。投げ出したかった。しかし、弟のように可愛がってきた鶯梅と鹿島に、もしものことがあるよりは数百倍、この地獄を我慢する方がマシだっただけだ。
(いのに会いたい……!嘉吉君、早く帰ってきて……!)
数時間前にいた、煌びやかな世界からそう遠くない場所に、こんな悲惨な場所が存在するとは誰が知っているだろうか。辛うじて、今が夏ではないことが救いだった。
嶋は、我が子のあどけない笑顔を思い出して涙を流した。
この仕事は、悲しいことが多すぎる。
「人ならざるもの」と関わることは、姿形に捉われず、魂や本質同士で関わることが多い。だからこそ、一般の人より悲しい叫びを聞くことが多くなってしまう。
そして自らも、その悲しみに浸りたくなる時がある。ーー愛していた家族が、一斉に旅立ってしまった時とか。今、とか。
そんな時に、自分を奮い立たせてくれたのが、いのの笑顔だった。いののために、強くあろう、決して負けないでいようと頑張れた。けれど今は、身体も疲れ切って、心も強くいられない。
(操られていたとはいえ、一度眠った人を傷つけた。冒涜した。いっぱいケガレを浴びてーーもう、たくさんだ。早く休みたい……)
一度涙が出てしまうと、もう止まらない。ポロポロと、次から次へと大粒の涙が溢れてくる。今まで頑張ってきた反動か、嶋は子供のように泣きじゃくる。
(都へ、帰りたい)
しかしその時、僅かに砂を踏む足音がした。
嶋は緊張に身体を強張らせる。気がつけば、戦いの音はこちらに近づいていた。
(しまった……)
戦いの中で戦いを忘れるなど、普段の嶋ならありえないミスだった。嶋は冷静さを取り戻して思わず悔やむが、もう遅い。嶋は挽回しようと、すぐに辺りの様子を窺った。
「ーー授鳳車」
茂みの向こうに、走りよる割腹の良い男ーー名取精十郎がいた。彼は辺りを見回すと、月明かりの下で藤匡に一匹の光るアゲハ蝶を飛ばす。アゲハ蝶は藤匡の胸に入ると、一人でに頭と首が動いてくっついた。
(ーー!!)
嶋は思わず息を呑み、針を構えてそっと戦闘態勢を取る。しかし、異能の力を使った反動がまだ残っている。
異能の力を使った精十郎もまた、よろけて膝をつく。そして、死んだはずの藤匡がーーむくりと起き上がった。
(いき、かえった……ーー!)
嶋は、緊張で乾いた口で、ごくりと唾を飲み込んだ。
藤匡は本調子な様子ではなさそうだ。とは言え、少しふらつきながらも立ち上がる様子を見る限り、今の嶋が太刀打ちできる状況じゃない。嶋の額から、冷たい脂汗が流れる。
「玉坂はん……どうやら、先に始末せなあかんネズミがおるようやなァ」
丸眼鏡を押し上げ、煙管を手に精十郎がこちらを見る。嶋はドキリとして、針を持つ手が強張る。いつも精十郎が湛えていた柔和な笑みは、今では氷のように冷たい。
「フフフフフフ……お返し、して差し上げへんとなァ!」
赤黒い血で汚れた藤匡が、目を爛々と光らせて笑う。
(あはは……どうしよ。いけるかな……)
絶体絶命ーー嶋は意を決して、戦いの音がする方に逃げ出した。




