「萩に猪」と「牡丹に蝶」と/6年前の話 前編
突然だが、ここで菊重以外の人間の話をしよう。
「神和警邏団」は当局からも頼られる、優れた力を持つ「人ならざるもの」専門の秘密機関だ。
しかし結成後、二人の尊い犠牲が生まれてしまった。
一人は、美吉野芳春。
9年前に亡くなった、薫子と桜子の父親だ。
もう一人は、先代の「萩に猪」の異能の持ち主・萩池嶋。
7年前に亡くなった萩池いのの母だ。猪突猛進で真っ直ぐな女だった。だからこそ人にも真剣で、誰からも愛され、「神和警邏団」になくてはならない存在だったーー
今回は、そんな彼女の奇譚だ。
「じゃあ松鶴先生、お留守番よろしくお願いしますね!」
キラキラとした満面の笑みで玄関に立つのは、嶋だ。長い髪を高く結い上げ、橙の縞模様の着物に深緑の袴姿で、松鶴が抱き上げる幼い娘・いのに手を振っている。いのは母恋しさに、甲高い声で泣いている。
「ああ〜……ごめんよぉ、いの!母さん、なるべく早く帰ってくるからね!……桜子ちゃん、薫子ちゃん。悪いけど、いのの面倒をよろしくね!」
「嶋さん、大丈夫。わたしらに任せてなぁ!」
「いいから、嶋さんは早く行きよし!いのちゃんは、わたしがちゃんと見るさかい」
「ありがとう〜!!行ってきまーす!」
嶋は礼を言うと、玄関を出て馬車に駆け寄った。
「ごめんねぇ。待ったでしょ」
馬車には、鶯梅と八橋、鹿島が乗っていた。
「嶋さん、気にするなって!そもそも俺達が、子供抱えた嶋さんの手を借りたくて、江戸から都に呼び寄せたってェのに……。」
「そんなことないよ!こっちも旦那達が病気で亡くなっちゃって、一人で途方に暮れてたんだから〜」
嶋は心底嬉しそうに、明るく笑う。
「じゃ、ぼちぼち稼ぎに行きますかねぇ。御者さん、出して!」
「酔うなよ、鹿島」
「う……こんな距離で酔わないですって、若」
鹿島の声に、御者が国鉄の駅へと向かう。今回の行き先は、大阪だ。鹿島の掴んだ情報から、当局の調査が入った人物ーー名取商會の名取精十郎と、その客を逮捕するのが、今回の「神和警邏団」の仕事である。
大阪駅から南に進むと、川の中洲にある中之島地域に、ハイカラで巨大な西欧建築の図書館が佇んでいる。そこから更に南に進むと、大阪の商人達がしのぎを削る商業地・船場だ。
多くのハイカラな建物を建築中のこの地域は、商業だけでなく、百貨店や社交場などの新しい文化と生活が花開く土地だった。
それはこの地が賑やかだからという理由だけでなく、近くに存在する大阪川口居留地の、異国の文化の香りの影響も大きいのだろう。
「神和警邏団」一行は、当局の力を借りて身分を偽り、社交場に潜りこむことになった。
先に社交場に潜り込んでいた当局の者が、変装した八橋と嶋を、新しい見どころのある実業家夫妻として紹介し、社交場に潜入するのだ。そして、鶯梅が勉強中の弟として側に控え、気の利く鹿島が使用人として、皆をフォローすることになった。
「……あの人ね、嘉吉君。」
嶋が声を潜めて、八橋に耳打ちする。その視線の先には、柔和な笑みで他の紳士と談笑する、スーツ姿で恰幅の良い丸眼鏡の男ーー名取精十郎がいた。
「そう……だ……が……。お、おい嶋さん、近すぎる!」
「お?私もまだ捨てたもんじゃないなあ。フフ……私たち、ふ・う・ふなんだから、照れない照れない」
美しく髪を結い上げ、おしゃれをした嶋が声を潜めて笑う。嶋にしては珍しく、橙と白の身体のラインが出たワンピースを着ている。胸元と耳には、大粒の真珠を飾っている。敢えて洋装で参加することで、本当に金持ちに見せようという狙いだった。
それがまた、普段の天真爛漫な嶋の様子のイメージを壊すほどに、嶋の気高く強い女性としての美しさを引き出していた。この姿が、母としての格好ではなく、本来の彼女の女性としての姿なのだろう。花のようにぱっと世界を明るくする、輝く笑顔が眩しい。
「照れるぐらいなら、俺に変われよな。お前をこき使ってやるから」
「全くだ。」
茶化す二人に、嶋はデコピンをかます。二人は無言で額を抑えて蹲った。
「……もう!いいから、ちゃんと見張る!」
嶋が小さく怒鳴った所で、老夫婦が会釈してこちらにやってきた。嶋は鶯梅に目配せして、精十郎の監視を任せた。鹿島が咄嗟に、嶋に耳打ちする。
「おやおや、初めて見る顔でござりますなあ。」
「はじめまして。私たち、"萩橋"と申します。越してきたばかりの新参者ですが、以後お見知りおきください」
八橋の敬語に、鹿島は唇を強く噛み締めている。笑いを堪えているのだ。
「ほお。儂は大東言います。聞いたことはありますやろか?」
思わず固まり、冷や汗が流れる八橋の前に、嶋が割り込む。
「ええ!あの有名な、大東商店の!お目にかかれて光栄ですわ!」
鹿島から耳打ちされた内容を、さも元から知っていたことのように答えた。八橋はこっそり鹿島を睨むが、鹿島は知らん振りをしている。
「もしお宅に縁があればやけど、よろしく頼んます。ところで、お宅は何をしてなさるんや?」
「……江戸では、私も父の商店を営んでました。小さいですが、道具屋を……。しかし、この新時代にそれだけではつまらないからと、外国のものを真似たものを売ってみたら、それが運良く当たりまして……」
そうしてなんとか、大東と八橋は話を繋ぐことができた。しかし、その時間は長くはなかった。
鹿島が失礼します、と一声かけて、八橋に声を潜めて話しかけたのだ。もの凄く嫌そうな顔で。
「……鶯梅が、名取を追って外に出た。先に出ている」
その様子を見ていた大東は、怪訝な顔で髭を弄んでいる。
「……おや、どうかしなさったんかいな」
「ええ、実は急用ができたそうで。折角のご縁ですが、ここでお暇させて戴きます。」
「仕方ありませんなぁ。縁があったら、また会いますやろ。気いつけてお帰りやす。」
八橋と嶋は会釈すると、鹿島に続いて会場を後にする。
「はぁ……早速動いてくるなんて、名取さんも仕事熱心だなぁ……。私、もう少しお洒落を楽しみたかったのに」
「ーー俺はもう、勘弁してほしい」
「俺も、お前なんかの使用人のフリするのは、もう勘弁」
小声で三人が話していると、精十郎と連れから距離を取りながら、通行人のフリをして夜道を北へゆっくり歩く、鶯梅の姿を見つけた。目立つ洋服姿の三人は、鶯梅から更に距離を取って後をつけた。嶋はヒールの靴を脱ぎ、こっそり履いていた足袋で走る。鹿島も二人にコートを渡し、戦闘体制を整えた。八橋は紫の軍刀と青紫の軍刀を、嶋は巨大な針を出した。
「……やっぱり、居留地に向かってンのか?まあまあ離れてるが……」
「おそらくはな。」
「名取と一緒にいた人、確かヤバい政治運動してた人だよね……。あの人との取引を押さえられたら、即当局に引き渡せるから助かるんだけど」
前にいる鶯梅が、「神息剣」を出して、川の中洲にある島・中之島を歩いていく。このまま真っ直ぐ進めば、居留地だ。しかしそこで、鶯梅がすらりと大刀を抜いた。
「敵!」
三人が鶯梅に駆け寄る間に、闇の中から男たちが現れた。
「若殿!追ってくれ!」
八橋が敵を引き受けると、鶯梅は精十郎を追った。
「俺は若と行動する。そっちは頼んだぞ!」
「了解!」
鹿島の言葉に、八橋と嶋が頷く。敵の男が鶯梅と鹿島を追おうとするのを見て、嶋が光の糸がついた巨大針を投げる。針が男たちの目の前に刺さって怯んでいる間に、鶯梅たちは行った。
残された嶋と八橋を、男たちが取り囲む。
【年齢の話】
6年前だから、みんなそこそこ若いです。
鶯梅16歳、八橋20歳、鹿島18歳…嶋は25歳、いのは2歳です。
美吉野姉妹も、まだ12歳ですね。ちっちゃーい!
【先生呼び】
嶋が松鶴の先生だったと人伝に聞いているため、いのも松鶴をセンセイと呼ぶようになっています。
「人ならざるもの」についての先生ですね。
いのがセンセイ呼びにする前は、松鶴のことをじいじと呼んでました。彼女なりに大人ぶっているということにしてください。
【歴史の歪みと地名について】
例に漏れず、また大きく歴史を弄ってます。ハイカラな建物を早く生やしたかったんです。
舞台は大阪(大阪梅田)駅の南の辺り…大阪メトロで言う、淀屋橋駅〜本町駅周辺が舞台です。




