⑥変化/人日の節句
国都を襲った危機を、一つ退けた「神和警邏団」。
しかし、その被害は甚大なものだった。
最も重傷なのは、警邏団の一員ではない蝶だった。
一度死んでしまった八橋のダメージを一手に引き受けた上、異能の力も使い切ってしまったため、この屋敷で数ヶ月にわたって過ごしている。八橋は傷は多少あったものの、異能の力を使い切ったぐらいで済むことができた。
鹿島は、蝶程ではないがかなり重傷だ。ツバメと対峙した後に、定九郎に絞りあげられたせいで、首をはじめ身体中が骨折やむち打ちだらけだ。こんな状況なので、現在「神和警邏団」が手に入れられる情報は、かなり限られてしまっている。
菊重もまた、雨ノ辻に散々踏みつけられたせいで、骨折してしまっていた。とはいえ、鹿島と比べたらまだマシである。
鶯梅と薫子はほぼ精神的なダメージで済んだが、八橋と共に「神和警邏団」としての活動に追われていた。
松鶴もまた、大技を使ったせいで暫く寝込んでいたが、復帰後にはすぐに三人のサポートに回っていた。
「まさか、この屋敷を避けてたあたしが、ここで正月を迎えて、更にまだ居座る事になるとは思わへんかったわ……」
蝶は遠い目で溜息をつく。
「いのは、蝶ちゃんに毎日会えて、お正月も一緒に過ごせたのは嬉しいよ!」
「あは、せやね!あたしも、いのと一緒に居れるのは、楽しいで。ほんなら、いの。またみんなの分も神様仏様に挨拶よろしゅうな?」
「うん!用意してくるね!シゲちゃん、待っててね!」
「うん、わかった。」
いのが出ていった後には、菊重と鹿島が客間に残った。鹿島は皆が留守の間に蝶と話したい、と菊重に言って連れてこさせたのだ。彼はいまだに松葉杖と首のギプスが取れず、不便な生活をしている。
「はあ……いのに会えるのは良くても、何度も三途の川の縁まで行く羽目になるんは、いーかげん堪忍してほしいわぁ……」
「ごめんな、蝶子。」
「楓助に謝っていらん。」
「……何喧嘩してるんですか、久しぶりに話したってのに」
そう、蝶が目覚めたのはつい一週間ほど前だ。そして、元気に話すようになったのも、ここ数日の話なのだ。鹿島も骨がくっつくまでは、自分の部屋から移動できなかったので、二人は本当に久しぶりに顔を合わせている。
「蝶さんも、楓助兄さんも、僕たちがいない間に自分で移動できないんだから、喧嘩しないでくださいよ?」
「あはは、……すまん」
菊重が、鹿島が謝ったことを疑問に思ったところで、いのが襖を開けた。鮮やかな赤と白の南天の着物が正月らしい。巾着も、着物と同じ布を使っているらしい。
「いのー!可愛いなぁ!!」
「えへへ。ありがと、フースケ兄ちゃん。これ、薫子ちゃんのお下がりみたいなのよ。明日は桜子ちゃんのお下がりを着せてもらうの。」
いのがくるりとその場で回ってみせる。確かに、色合いとしては薫子が好みそうだ。
「いのちゃん、早速街へ見せびらかしにいこっか」
菊重は、外套を羽織って革手袋をし、紺色の襟巻を巻いて立つ。この正月の挨拶回りは、菊重と桜子といので担当しているのだ。
「うん!シゲちゃんの怪我に人がぶつからないように、いの頑張るね!」
「……ふふ、ありがとう。よろしくね。じゃ、行ってきます!お昼には帰りますね。」
笑顔で手を振る菊重といのに、鹿島と蝶も手を振り返す。そして、桜子たちの玄関の話し声が聞こえなくなってから、鹿島が真顔で口を開く。
「……で、蝶子。話したいことがあるんだけど。」
菊重と桜子といのの三人は、元旦からずっと都の寺社に挨拶詣でをし続けていた。都には寺社が多く、十歩歩いたら寺社に当たるといった調子のため、歩きで街を巡らなくてはならないのだ。
しかし、そんな日常に慣れた桜子といのは、訓練をしているわけでもないのに、涼しい顔で歩いている。
「七草粥食べると、もうお正月も終わりやね」
「もう少しで春だねー!お山の雪も、そろそろ無くなるかな?龗神様も、そろそろ雪降らせること少なくなってきたね!」
寒さは極まったが、暦の上ではもうすぐ春。布団や火鉢が恋しい季節とも、もうすぐお別れだ。
「あの、二人とも。もし知っていたら教えてほしいんですが、高龗神に似た神様や仏様って、いるんでしょうか?」
菊重は、身動きが取れない間、四ツ塚での戦いの時に思い出した龍神について、松鶴や鶯梅の書斎で調べていた。しかし、行き詰まっていたのだ。
「水……?それだと、別の県で祀られてる善女龍王様とか、諏訪の神様とかかな?」
「でも、お姿は似てはらへんと思うよ?それなら、高龗神の分霊の方があり得そうやと思うなあ。」
「あっ、それかもしれません!二人とも、ありがとう!」
ぽんと手を打って目を輝かせる菊重に、いのは寂しそうに笑う。
「いのも、みんなみたいに異能の力で助けられたらいいんだけどなぁ。いの、まだ小さいからっていつもお留守番……」
「大丈夫よ!ねっ、異能の力が使えへんでも、助けられることはたくさんあるんやから…」
桜子が確認するように、縋るように、菊重を見る。桜子もまた、不安なのだ。異能の力が使えない身で、皆を危険な場所へ見送らなくてはならないのだから。
「いのちゃん、桜子さん。僕は充分助けてもらってますよ。僕は仕事して帰ってきたら、美味しいご飯が待ってて、皆とゆっくりする時間を過ごさせてもらえて、すごくほっとするんです。そんな時間がなかったら、僕は死んじゃいますよ。」
あははと笑いながら、菊重は胸に暗い影が落ちたのを感じる。
(今でこそ、この生活が無きゃいられん体やが、来たばっかの時はこの二人から逃げつんてばかりやったなァ……)
「桜子さんは、こういう挨拶回りや細々とした書類の整理なんかをやってくれて、僕たちが「人ならざるもの」に対処するのに集中させてくれてるの、凄く助かってるんですよ。いのちゃんも、そんな桜子さんを助けてくれている。二人が居なかったら、「神和警邏団」はここまで戦えなかったって、本当に思ってるんですよ?」
いのは首を傾げて「ふーん?」と首を捻っていた。桜子は、少し泣きそうに笑った。
「そう、かなぁ?あは……そう思ってくれるんなら、嬉しいなぁ」
菊重は思わずぎょっとしたが、桜子を少し乱暴にどついた。
「何言ってるんですか!皆、きっとそうですよ。だから、早く帰りましょ!」
「あはは、暴力はんたーい!」
いのが笑って、桜子と菊重の間に入って通せんぼする。
ここまでは、平和な日だった。
屋敷に帰ると、不思議と空気が重い。
「ただいま帰りました」と言って下駄やブーツをそれぞれ脱いでいると、お手伝いの一人がやってきて、声を潜める。
「皆さん、鹿島さんが蝶さんに何か言いはって、大喧嘩したみたいで……そっとしておいた方が、ええかもしれまへん。何せ、蝶さんは病み上がりやって言うのに、えらい大声出して怒ってはったから……」
「えっ、楓助兄さんは今どこです?まだ客間ですか?!」
お手伝いは首を横に振る。
「私が肩を貸して、鹿島さんは部屋に戻りはりました。」
「フースケ兄ちゃん、何してんのー?!」
素っ頓狂な声を上げるいのに、お手伝いはしーっと人差し指を立てた。いのはぱっと口を両手で押さえる。
「とにかく、用意してもろたお昼は、私が蝶さんに持っていきます。菊重さん、楓助さんを頼んでもよろしい?」
「ぼ、僕が?!……あまり、その……人の気持ちを思いやるということには、期待できないと思ってくださいね……?」
菊重は溜息をつき、渋々承知した。
「菊重です」
「シゲ?入れよ」
襖を開いてお盆を持って入ると、畳の上に絨毯を引いた上に置いた椅子に、脚を投げ出した格好で座った鹿島がいた。
「……はは、悪いな」
鹿島が複雑そうに笑う。
「……僕は気が利かないので、思ったことをそのまま言います。どうしたんですか?楓助兄さんらしくもない。人を怒らせるとこなんて、僕初めて見ましたよ」
鹿島は、目を瞬かせながら「あー」とか「んー」とか言って要領を得ない。頭の回転が速い彼のこういう姿も、菊重は初めて見る。
「……いずれ分かることだから、いっそのこと俺の口から言うべきだとは思っているんだが……」
覚悟を決めたように、鹿島は目を閉じて深呼吸をする。そして、菊重を見据える。
「……蝶に、告白したんだ。愛していると」
「へ……っ?」
菊重は、目をぱちくりして聞き直す。
「こ、こくはく?!」
菊重は、重陽の節句の宴会でのことを思い出した。あの時言っていたことは、明言は避けていたが全て蝶のことだったのだと、今更気がついた。
鹿島は窓の外を眺めた。
「死ぬと思った時、物凄く後悔したからな。ずっとあいつを見ていたけど……もう、我慢はするまいと思ったんだ」
菊重は、寂しそうだがすっきりとした鹿島の笑顔に絶句した。その笑顔の明るさを見て、鹿島が今までどれだけ自分を抑え込んできたか、分かるような気がしたからだ。
「……まぁ、余計なことも言ったがな。何言ったかまでは、お前にゃ言わないが」
「よくわかりませんが、僕は楓助兄さんがそうやって笑えることは、悪いことではないと思います。蝶さんに何を言って怒らせたかによっては、僕も怒るかもしれませんが」
「ありがとな」
鹿島はくしゃっと笑うと、手を出して昼餉の盆を受け取る。菊重は盆を渡すと、さっと鹿島の部屋を出た。
雪解けと共に、また新しい世界が作られていく。変わっていく。
菊重は、胸のざわめきを感じながら廊下をとぼとぼと歩いていった。
(僕も、はっきり決着つけなあかん事があるが)
菊重は、重い溜息を吐いた。




