木曜日 2
スエットスーツ、男物のパンツ、歯ブラシ、剃刀…。
トランクスでよかったのかな?
薬局で買いそろえた美織は、少し考えて、シェイバークリームとソックスも買った。
昼間、あんなに、暴力を振るわれたらどうしようと考えていたのが嘘のように、急いで、買い揃えると、24時間スーパーで、食材を、少し多めに買いこんだ。
成哉くんに、これで、夕飯作ってって、催促してるみたいだけど…。
ちょっと、恥ずかしくなるような買い込みだったと赤面する。
何か、喜んでるみたいじゃん。
30前のアラフォーが、20代の男に転がり込まれて、ご飯をつくってもらって、喜んでいる。
寂しい女が、男をかこって、何やってんだと思われる。
でも、誰に?
美織は、失笑する。
最初の会社で、美織は全てを失った。
友達も、仕事も、何もかも…。
今の職場に友達もいない。
私の周りには誰もいない。
嘲笑われたとしても、それは、美織にとって、関係ない人ばかりなのだ。
考えながら、マンションに戻る。
考え過ぎるとロクなことがないのは、わかっているけど、考えずにはいられない。
相変わらず、成哉は寝ている。
夕飯もできている。
材料は、もう、あまりなかったはずだが。
鍋のふたをあけて、びっくりする。
シチューができていたからだ。
シチューのルウ、買いおきしてはいなかった。
牛乳も、ほとんどきれていたはず。
鍵は、美織が二つとも持っている。
通帳と印鑑も、美織は、鞄に入れて、持ち歩いている。
どうやって、外に出た?
美織の頭の中が、ぐるぐる回転しているようだ。
買い物をしていた時のさっきまでの、穏やかな気持が、いっぺんに醒める。
背筋が寒くなり、静かに寝ている男が、得体の知れないもののようにうつる。
その強い視線を感じたのだろうか?
成哉は、ゆっくりと目をあけた。
「あ、美織さん、おかえり。」
いつものように、のんびりと笑う。
そして、やっと、美織の表情がこわばっていることに気づく。
「どうしたの?美織さん。」
「外に出たの?」
思わず、詰問調になる美織を不審そうに見ながら、成哉は首を振る。
「まだ、頭痛くて、ほとんど寝てたけど?」
「シチューができてる…。」
「ああ、もう、昨日と同じ材料しかなかったんで、シチューにしたよ。」
「シチューのルウ、買ってなかったはずよ。」
最後通告のように、その言葉をつきつけると、成哉は、あっさり認めた。
「ああ、無かったね。」
「どうやって、もどってきたの?」
オートロックのこのマンションでは、出ることは可能だが、入ることができない。
鍵が無ければ、戻ることはできないはずなのだ。
成哉は、鍵を持っていない。
「戻ってって、俺、この部屋から、出てないよ。」
「でも、シチューができてるじゃない?ルウを買いに出たんじゃないの?牛乳もほとんどなかったはずよ。」
成哉は、気が付いたように笑った。
「既成のルウは使ってないよ。」
「え?」
美織が驚くのを、成哉は、楽しそうに見つめた。
「小麦粉とバターと塩コショウと洋風だしがあれば、既成のルウはいらないよ。」
「小麦粉とバター?」
「バターがなかったから、マーガリンで代用したけどね。俺は、牛乳も、ほとんど使わないし。洋風だしはコンソメ使った。」
「え?え?」
「カレーも、多分、俺、ルウなくても、作れると思うよ。ただ、材料がなかったから…。」
と、言ってのける成哉に、美織は愕然とする。
「厨房で、バイトでもしてたのかもね。」
美織の激しい動揺など、どこ吹く風で、成哉は、楽しそうに笑っていた。
何か、完全に成哉のペースにはまっている気がする。
買い込んできた大量の食材を見て、成哉は、素直に喜び、幾つかリクエストを加えたあと、いらないという美織に、自分の財布から1万を無理やりおしつけた。
スエットもパンツもディスカウントだったから、1万どころか5千円にもならない。
あんなに、ヒモになろうとしてるんじゃないかと怖がっていたのに、その不安も吹き飛んだ気がした。
一日の生活を聞いてみると、朝は爆睡。
昼ごろ目覚めて、お腹がするから、ご飯をつくり、そのあと、また爆睡。
夕方目覚めて、昼に作ったご飯を食べ、そのあと、美織が帰ってくるまで、また爆睡。
一日の大半は寝ていたという。
頭を怪我しているせいかもしれないが、台所以外は、ほとんどものに触っている形跡はない。
言ってることに、間違いはないのだろう。
身体が要求するままに、行動しているようだ。
眠いから寝る。おなかがすくからご飯を作って食べる。
あくまで、自然に。
「成哉くん。」
美織は、ボーっとしてても、何か楽しそうに見える成哉に声をかけた。
「成哉くんは、昼間、起きている時って、何、考えてるの?」
「ん?」
成哉は、何を考えてると聞かれて、考え込む。
「そんなに、難しい質問?」
美織がおかしくなって、笑い出すと
「何も、考えてないかも…。」
と、首を傾けた。
「すごいね。成哉くんて。」
「どうして?」
「何も考えないってことが。」
「どういう意味?」
「考えないってことが、私には考えられないもの。」
「?」
「私は、いつも、考えすぎちゃうの。考えて、考えて失敗する。考え過ぎる自分に嫌気がさすんだけど、考えることはやめられないのよ。成哉くんみたいに、あまり考えずに生きる事ができたら、素敵なんじゃないかって思う。」
「そうかな?」
成哉は、褒められたとは思っていないようだ。
考え過ぎるという、美織の感覚が、この考えない男には、よくわからないのかもしれない。
美織が、何を羨ましがっているのか、考えたとしても、ほんの数秒のことだろう。
今の自分にわからないことを、成哉は、こだわることなく、あっさり無視することができるのだ。
過去と未来という前後は彼にとっては、あまり関係ない。
成哉にとって、大事なのは、「今」だけのようだ。
未来は見えないものだし、成哉の過去は白紙の状態だ。
だからこそなのかもしれない。
成哉は、今だけを大事に生きている。
美織には、到底、できそうにない生き方だった。