金曜日 1
そして、金曜日の朝、成哉はやっぱり寝ていた。
熟睡している成哉には、全く警戒心というものがない。
美織を、完全に信頼しきっているようだ。
私も、前はそうだったな。
と、美織は、小さな溜息をつく。
大学を卒業してから、美織の就職は順調にいった。
比較的大手の会社の事務として、数名の新入社員と一緒に希望を胸に入社した。
最初の3、4年は絶頂期だった。
まわりからは、チヤホヤされ、可愛がられ、仕事上の葛藤もあったものの、おおむね順調で、つつがなく、楽しい時代だった。
勤続して、1、2年で、職場で相手を見つけて結婚していく同僚たちを、美織は不思議な気持ちでみていたが、それが正しい選択であったことを、5年経った頃に、気が付いた。
セクハラやパワハラなどに厳しい処分のおりるこの会社では、あからさまに、怒鳴りつけたり、さげすんだりする上司はいないものの、勤続5年もすると、会社側の人間と、そうでない人間との間に明らかな差が生まれてきていた。
会社側の人間とは、会社に愛された、昇進も、いいポジションも約束されたような人間だ。
彼等は、特定の上司と懇意になり、いずれは、会社を背負う人材として、前途が約束されている。
そうでない人間とは、会社が今後どのように発展しようとも、そのレールには、おそらく乗ることのない人間だ。
会社から、特に必要とはされず、機械の一部のように、いくらでも替えはきくと考えられる歯車のような人間だ。
どんなに正直に、どんなに頑張っても、一定以上の評価はされない。
けれども、それは、実力に伴う評価ではない。
上の人間が、欲しいと思うか思わないかというのが、大前提なのだ。
勿論、実力も必要だが、人格者ばかりが上司になれるわけでは決してない。
声の大きな人間や、ツテを上手く使う人間や、策略が得意な人間や、得てして、そんな人間が上にたってしまうこともある。
美織は、決して、無能な人材ではなかった。
自分のことばかりではなく、流れの中で、関わる人のミスまで気づくような、気配りのできる視点を持つ、そこそこ優秀な社員であったと思う。
クビになるほどではないが、いつまでもいて欲しい人材ではなかったのだ。
少なくとも、その上司のもとでは。
新しい上司がやってきたとき、美織は、反発する空気に気が付いた。
美織が、ミスを指摘するだけで、その上司は、嫌な顔をする。
今までは、気が付いてくれてありがとうと感謝されていたのに、その上司は、露骨にそれを嫌がった。
自分より真面目で、自分より優秀で、自分より仕事ができる人間を、その上司は好まなかったのだ。
居心地は、最低だった。
彼が、可愛がる人材は、ミスばかりして、反省もせず、明るく謝っている、20代前半の新入社員ばかりだったのだ。
疎んじられている空気を感じていた。
そして、あの時は、ちょっと、社内の空気も異常だった。
例年入ってくる新入社員の中で、特別に可愛い女子社員、田代亜沙美が入ってきたからだ。
今まで、女に興味ないのかと思われていたような男性社員までが、浮足立つほどの可愛さで、営業からの合コンの誘いなども、異常なほど多かった。
勤続5年で、顔馴染みになっている美織を通じて、誘われることも多かった。
大手の企業の営業職は、若くてもそれなりの給料をもらっているので、亜沙美の効果にあやかって、しょっちゅう合コンに誘われていた同僚の女子社員たちも、浮足立っていた。
一番人気の亜沙美には、営業のエースクラスの自信家達が、積極的にアプローチするため、手が出せないと諦めて、目当てを他の女子に替えてくる男性も多かったからだ。
けれども、さすがに、27歳になる美織に、猛烈にアタックする男性社員は少なかった。
電話番号やアドレスを聞く男性社員がいないことはなかったが、美織が、一度断ると、二度と美織に注目することはなかった。
20代の前半ならば、断っても、断っても、何度も聞いてきたのに。
そんな中で、30代の男性社員、営業の佐々木宗太だけは、毎回、美織の隣に座ってきた。
合コンだけでなく、会社のイベントでも、必ず、宗太は、美織のそばにやってきた。
その年は、亜沙美効果のおかげで、合コンの頻度が異常に高かった為、宗太と美織の間も、急速に縮まった。
「乙羽さんて、脚がとても綺麗なんだね。」
宗太は、20代前半のがっつき男とは違うと、美織は思っていた。
脚は、学生時代から褒められていた。
きれいで、まっすぐで形がいい。
ミニスカートが映える、美織自慢の脚だった。
今でも、男性社員の視線を感じることがあるが、宗太が言うと、厭らしさを感じなかった。
彼は、スマートで、センスも良く、会話もうまかったが、すぐにホテルに誘うような軽いノリの男でもなかった。
大人のつきあいだと美織は思っていた。
静かに、二人の仲に生まれてくるものを、育んでいけばいい。
少なくとも、美織はそう思っていた。
けれども、ある日、後輩女子社員が、話をしているのを、美織は聞いてしまう。
「佐々木さんって、亜沙美とつきあってるみたいよ。」
え?
「えー?佐々木さん、乙羽さんとつきあってるんじゃないの?」
「二股?」
「うーん、どうだろ?」
「どういうことよ?」
「亜沙美の熱狂的なファンって、多いじゃない?」
「うん。」
「あの子って、八方美人だから、合コンには、とりあえず参加するけど、二次会とかは、ほとんど断るのよね。」
「まあ、そのせいで、身持ちが固いって、また人気が出てるんだよね。」
「違うのよ。」
「何?」
「亜沙美が、タクシーで帰る時、あとをつけた馬鹿がいてね、佐々木さんと会うのを見ちゃったんだって。」
「えー??」
「合コンでは、二人、ほとんどしゃべらないわよね。」
「うん、佐々木さんて、若い子、苦手なのかと思ってた。亜沙美と話してるとこなんて、見たことないよ。」
口々に騒いでいる後輩たち。
一人が、おもむろに口を開いた。
「多分、佐々木さんの本命は、亜沙美よ。」
「どうして?」
「あそこまで、無視し合ってる方が不自然だわ。」
「そういえば、そうよね。」
「二人共、フレンドリーな性格なのに、目もあわさないって、これは、絶対演技よ。」
「そうか。」
「え?だったら、乙羽さんは?」
「当て馬よ。」
「当て馬?」
「亜沙美は、とにかく、会社一の人気者なんだから、つきあってるっていうだけで、プレッシャーもかかるんじゃない?だから、バレないように、気を付けて、付き合ってるんだと思うわよ。」
「乙羽さんの方は、佐々木さんのこと、いつも見てるもん、絶対好きだって。」
「乙羽さん、可哀想!!」
可哀想といいながら、その女子社員たちの声は、はしゃいでいた。




