幕間:赤
エルヴィラの鎧ができたのは、それからさらに細かい調整を二回ばかり挟んだ後だった。トータルでひと月と少し、岩小人の町で過ごした計算だ。
――そして、いかに岩小人の酒場の料理が美味いといっても、毎日毎日同じ店ではさすがに飽きた。だから、鎧ができあがった翌日にはトゥーロに別れを告げて、次の目的地へ向かうことに決めたのだ。
「そろそろ海のものが食べたいな……」
ミーケルはぼんやりとそんなことを考える。
海のものが美味しいといえば、やはり“水路の町”か。
あそこは交通の要所でもあるから、いろいろなものが集まってくる。次の目的地としては申し分ないだろう。
川沿いに出たことだし、そのまま河口まで下っていけば水路の町だ。
「ミケ! 見ろ! すごいだろう!」
「あー、うん、わかった。すごいすごい」
このあたりは陸路よりも川を使うから、街道の整備は今ひとつだ。
ゆえに、こうやって亜人の追い剥ぎなんてものも結構出没する。
もっとも、豚鼻三人程度なら敵ではないようで、エルヴィラが高笑いとともにあっという間に叩きのめしてしまったが。
「くくく、新生エルヴィラ・カーリスの力を思い知れ! 名匠の武具にふさわしい戦いぶりを見せてくれようではないか!」
「はいはい強い強い。あともう豚鼻には聞こえてないし、騒ぐのはそのくらいにしてこっち手伝ってくれるかな」
「なに!」
むうっと剥れたエルヴィラは、「もうおしまいなんて、こいつら弱過ぎるぞ!」とやっぱり騒いでいる。
やれやれと嘆息混じりに無視すると、ミーケルは豚鼻たちの荷物を漁り始めた。わかっちゃいたが、たいしたものを持っていない。
武器は取り上げて川に捨て、適当な木に縛りつけて……運があれば仲間が助けに来るだろう。本当なら、息の根を止めるなり近場の町の警備に突き出すなりするべきだが、あいにく、ミーケルはそこまで暇でも親切でもなかった。
殺したら殺したで死体の始末は手間だし、かといって、こんなの引っ張りながら半日歩くのは、もっと面倒くさい。
ようやく騒ぐのをやめたエルヴィラが、縛り付けるのを手伝い始めた。
手伝いながらミーケルを振り返って、「こいつら、ほんとにこのままほっといていいのか?」と尋ねる。
「いいよ。通りすがりの聖騎士様とかが適当に片付けてくれるさ」
「聖騎士なんて通るのか?」
「さあね。神のみぞ知る、だよ」
今ひとつ納得いかない顔のエルヴィラを促して、ミーケルはまた歩き出す。
「ミケ、ミケ、私の戦いぶりはどうだった? 感動しただろう? 立派な女騎士の歌にしてもいいんだからな!」
「あのねえ……豚鼻三人程度を相手にしたくらいで、なんで歌にしてもらえるなんて思うんだよ」
「なんでだ? 私の剣さばきはすごかったろう」
「無理。話にならない」
「むう……」
エルヴィラは口を尖らせて、不満だという顔になる。ミーケルは呆れ顔で「だからさ」と肩を竦めた。
「たしかに、君の働き次第では歌にしてあげたって構わないと言ったよ? でも、まさか何でもかんでも歌にできると思ってるわけじゃないよね?」
「だって、すごくかっこよく戦えたと思ったんだ」
「かっこよくって……」
やっぱり馬鹿だ。頭の中まで筋肉が詰まってる馬鹿だ。
――と、ミーケルは溜息を吐く。
「だったらせめて、空を舞う赤竜相手に一騎打ちを仕掛けるくらいのことはやってもらわなきゃ。少なくとも、軍勢でもない豚鼻相手じゃ、どれだけ盛っても歌になりようがないね。君だって、豚鼻退治の英雄とか呼ばれたところで、うれしくないだろう?」
「う……」
だって、歌になれば兄上に強くなったなって褒められると思ったんだ……などとこぼすエルヴィラには呆れ返るばかりだ。そもそも、ミーケルの詩人としての腕をそこまで安く見るなんて、失礼にも程がある。
ミーケルは手を伸ばすと、エルヴィラの頭を揺すり始めた。
片手でがっちり掴んでぐらぐら揺すりながら、耳をそばだてる。
「なっ、何をするんだ!」
「この中、何が入ってるのかなと思って」
「やめろ! 気持ち悪くなるじゃないか! 頭の中には脳味噌が入ってるものだって、知らないのか!」
たちまちわあわあ騒ぎ出すエルヴィラをふんと笑うと、今度はがっちり両手で掴んで思い切り揺すり立てる。
「きみの頭に詰まってるのは筋肉だとばかり考えてたけど、もしかしたら違うのかなと思ってさ。小石がカラカラ鳴ったりするのか、とね」
「なんだと!」
掴んで押さえ込む手から逃れようと、エルヴィラは思い切り振り払った。
ミーケルの手に当たった髪留めがはずれて、色鮮やかなオレンジ色の赤毛がばさりと広がる。
「あーあ、解けちゃった」
「あーあってなんだ。お前がやったくせに」
ミーケルの手から髪留めを取って留め直そうとするけれど、鎧が邪魔でうまく腕が回らない。
「あーあ、こんなに縺れて」
「だから、お前のせいじゃないか! 鎧を着てる時はちゃんと留めとかないと、引っかかって切れて痛いんだからな!」
エルヴィラの言葉が聞こえているのかどうか、ミーケルはエルヴィラの頭を見つめている。パサパサだった髪は、最初の頃に比べるとずいぶん艶も増して、今は輝くように鮮やかで明るいオレンジ色だ。
エルヴィラは、とうとう元どおりにまとめるのは諦めたのか、横に集めて三つ編みにし始めた。
「君、がさつなくせに、なんでこんなに長く伸ばそうと思ったのさ」
「知らないのか、戦場は目立ったもの勝ちなんだぞ。この赤毛はうちの家系の特徴で、すごく目立つんだ」
「――そういう基準なんだ?」
ミーケルは、雑に編まれた太い毛束を手に取って、しみじみと眺める。
「けど、君の髪は猛きものの赤っていうより、夕焼け……いや、秋を迎えて鮮やかに染まった森の色だと思うよ」
「そうか?」
「陽に透かした秋の楓の色だね」
「ふうん?」
言われて毛先を陽に透かしてみたけれど、エルヴィラにはいまひとつピンとこなかった。





