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「まあ! 凄いじゃないのリリア!」
目の前にいるのは誇らしげにはにかむ天使。
ああ。なんて可愛らしい。
目に、脳に、焼きつけなければ。
春の大きなイベントでリリアはカイと共に大いに楽しみ、
何事もなく終わり、そしてそのまま学園生活を素敵なお姉様たちと
それはそれは有意義に楽しんでいる模様。
なんて素晴らしい事なの。
推しが、心から今を楽しいと思ってくれて生きている。
傍には優しい家族が微笑んでいて、素敵な友人にも恵まれて。
夢か、妄想かと思っていた事が現実である事が幸せでたまらない。
天使たるリリアが誇らしげに持ってきたのは学期末のテスト結果だ。
そう。あっという間に春が過ぎて、季節はもう夏。
ちまちまとイベントはあるだろうが、そんな事はリリアに関係ない。
物語の蚊帳の外であるリリアは毎日小さな幸せを楽しんで過ごしていた。
そうして、あっという間に春の終わりまで駆け抜けたのだ。
「本当に頑張っているねリリア。
これはハイド子爵家にも報告しないとね」
「ええ、ええ! 是非お義姉様に、リリアのお母さまに報告しましょう!」
「きっと喜ぶだろうね。すぐに手紙を書くよ。
リリア、少し待っていておくれ」
「はい! 楽しみにしています」
もうすぐ夏がやってくる。
夏は、とある大きなイベントに向けて必死な日々が多かったし、
何より暑くて、熱くて、太陽に電気代支払って欲しい程に酷い日々が多くて、
とあるイベント以外は良くない感情しか湧いてこない良くない人間だったけれど、
今、ほんの少し楽しみが増えた。
きらきらと夏を楽しみにする子供たちを見ていると、まあ悪くないかもと思えるし、
もしかしたらそんなに悪い季節でもないのかもと思える。
それはきっととてもいい子な子供たちのお陰なのかもしれない。
そして、今年は特別だ。
物語が始まり、もしかしたら物語のイベントが関わるかもしれない。
今のところリリアは何も関係がないかもしれないけれど。
何があるかは分からない。
もしかしたら転生者だと疑う事を発端に何かに巻き込まれるかもしれない。
学園にまで乗り込むなんて事はできないから祈る以外何もできないのが心苦しい。
夏のイベントは、個別ルートへの入り口だ。
より深く彼らを知ったり、絆を深める為のイベントが目白押しだ。
逆にここでルートを確定しないといよいよ攻略が上手く行かなくなる。
ゲーム上は誰かに絞れば本当に『易しい』難易度なのだが、
恐らくいるであろう転生者のヒロインとアイローズはどうしているのだろうか。
関係ないけれど関係あるから面倒臭い。
それにカイのあの怪我についてだ。
あの時はああする以外できず、それ以降は何も言わないが何も起きてないわけがない。
きっとカイはいい子だから言わないでいるだけだ。
話題にあげればきっと逃げてしまうだろう。
知識があってもそれはゲームだけで、こういったことには何もできない。
なんて不甲斐ないのだろう。
「明日はおばあ様にも報告しなくちゃ。
わたし、いつも笑っています。元気ですって。
ね、おかあさま」
「え……ええ、ええ! そうね、リリアもリクも、カイも。
おばあ様に会いに行きましょうね」
にこりと天使がまた微笑む。
それはくらくらする程輝く程素晴らしい笑顔。
ああ。やっぱり幸せな推しとは健康に、心に良い。
この笑顔の為なら、原作クラッシャーと呼ばれたって良い。
それに、カイだって笑顔は可愛い。
二人の笑顔を向けられたら心もくらくらするかもたけど。
幸せにするのは、この立場の役目でしょう。
厄介な母親にしてしまう事を許してね、パンジー。
「カイ、最近どうかしら。何も苦しい事はない?」
「……いいえ、特に心配される事はありません」
「………そ、そう………」
バッサリだったわ。
どうしましょう……。
き、きまずい……。
「母上、それとは別にお願いがあるのですが聞いてもらえますか」
「えっ! 何かしら!」
カイからのお願い!
これ以上構わないでとかありえる……。
そうなったら天使が、ひとり減ってしまう……。
「夏に騎士を志す者に対し、泊まり込みで訓練をつけてくれる場所があり、
勉学も頑張りますので、そこに、一週間程行きたいのですが、
両親の許可が必要なんです。母上、是非許可を頂きたいのです」
「騎士…、泊まり込み…訓練?」
どこかで聞いた気が。
……イオの、イオとの夏のイベントだ。
地獄の集中特訓と言われる泊まり込み、つまりは合宿イベント。
そこにイオが参加するから、ヒロインも雑務をサポートする役目を引き受けて
お互い忙しくも充実した日々を過ごしながら、共に屋根の下という事実にときめくという。
カイはずっと剣術に夢中で、折角の機会だ。
しばらくとは言え共にいられないのは悲しいが、カイの願いを無下になんてするものか。
「とても厳しいと聞いているわ。覚悟は出来ているのかしら」
「それは勿論分かっています」
これはいい即答だわ。
きっとカイは自分で覚悟して、決めた事なのよね。
「貴方の決めた決断ですもの。頑張りなさい。
ただし、旦那様の許可は自分で取りなさい。
貴方のそのまっすぐな目と覚悟をきちんと伝えるのよ、カイ」
「はいっ」
ヒロインがイオ狙いだといると出会うのだろうけど……。
惚れられたらどうしようかしら。充分あり得るから困るわね……。
カイはこんなにも立派で可愛くて格好いい子だし…。
原作クラッシャーとしてレベルが上がってしまうわね、今更だけど。
「あの特訓に……カイ、兄さまはついていけないがお前の無事を祈るよ。
無茶なんてするなよ。体を壊したら折角の才能が潰れてしまうからな」
「なにを言いますか。多少の無茶なら兄上だってしているでしょう。
知っていますよ。父上に何度も叱られているのに夜更かしをしているのを」
「そ、それは、あまりにも読んでいた本が面白くて、無茶では……っ。
は、母上! そんなにしてませんよっ。四回くらい、はしましたけど」
「まあ。リクお兄様は悪い子です」
「そうだろうリリア。人の事ばかり心配するお人よしだよ兄上は」
「あなた達貶してるのか褒めているのかどっちなの」
今年の夏はまた賑やかで楽しそうになるのは間違いないけれど、
こんな素敵な時間はきっとあともう少しなのかもと思うと寂しくなってしまう。
少しでも、少しでも残しておかなくては。
楽しかったという記憶を。