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ゾンビ先生は美脚がお好き  作者: 改 鋭一
二日目夜 「記憶」
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ゾンビにカップ麺

研究室に戻ってきたら、葵と陽奈はソファーでスナック菓子をつまみながら、まだしゃべり続けていた。よくまあそんなに話すネタがあるもんだ。というか君たち、本当に仲が良いよな。


しかし俺が作業で汚れた手を洗っていると二人とも立ち上がって寄ってきた。


「ウイルスの処分、無事に終わったの?」


葵は真面目な顔だ。


「ああ、終わったよ」


「お疲れ様。これで安心ね」


「まあな。まだゾンビたちの体内にはウイルスが残ってるが、数日中には感染力はなくなる。パンデミックはそこで終わりだ」


「お疲れ様です。お茶でも入れましょうか?」


陽奈まで気を使ってくれている。


「ありがとう。でもまだやらないといけないことがあってな。君たちは気にせずゆっくりしててくれ」




そう言って俺はデスクの前に座り、パソコンの中のファイルを漁り始めた。確かゾンビ化したマウスの行動について詳しく調べたデータがあったはずだ。


あった。これだ。


元々マウスのように地表をうろうろして食べ物を漁る動物は嗅覚がよく発達している。ゾンビ化したマウスは、視覚や聴覚の機能をほぼ失い、より嗅覚への依存度が高まる……そういうデータが出ている。


ふーむ、やっぱりな。思った通りだ。


ただ、どういう匂いを好むか嫌うか、そこまで調べてないのは手落ちだな。しかしまあ、マウスと人間の嗅覚はだいぶ違うだろうから、マウスゾンビと人間ゾンビでは好む匂いも変わるだろう。


やはり、あれか。


実験するしかないか。


そう思うと、もう死んでいたはずの俺の研究者魂がにわかに騒ぎ出した。


実験するぞ実験するぞ実験するぞ……お経のように唱えながら俺は動き出した。




空いた一斗缶をいくつか用意する。そしてそこに強い匂いを発散するモノを入れる。


まず一つ目は良い匂い代表だ。


匂いを効率よく拡散するため缶の中にボロ布や紙くずを入れ、そこに陽奈が昨日コンビニから持って来たヘアスプレーをたっぷり噴射する。


もう一つ、これもどっちかというと良い匂いのはずだ。


トイレから芳香剤を持って来た。別の缶の中に同じようにボロ布を入れ、ボトルを開けて中身を振りかける。


げほげほ、ヘアスプレーのフローラルと、芳香剤の柑橘系が混じってむせ返るほどの強烈な匂いだ。


ここで葵に「何やってんの! 廊下でやってちょうだい!」と怒られて部屋を追い出された。まあ、そりゃそうなるわな。


そしてもう一つ。これは食べ物の匂い代表。


もったいないがカップ麺を一つ作って、一斗缶の中にぶちまけた。食べ物を粗末にして申し訳ないが、美味しそうな匂いが周囲に漂う。


そして、さっき屋上で焚き火をした一斗缶も持って来た。まだ結構、焦げた匂いが漂ってくる。


そしてもう一つ、これも確認しておく必要があった。


ゾンビはゾンビの匂いを嗅ぎ分けて忌避しているのかどうかだ。


ICUにいたゾンビ達は葵を見て、視覚的に認識して、襲って来なかったようだった。葵は、元々顔見知りだったから、と言っていた。ただ、どう見ても生前に俺と顔見知りだったと思えないゾンビでも俺を襲っては来ないし、昨日からゾンビ同士で共食いをしてる場面も全く見ない。


つまりゾンビにはゾンビの匂いがあって、それで互いを認識して共食いや同士討ちを避けているのかもしれない。


それを確かめるために、俺は昨日からずっと着込んでいるタートルの薄いセーターとジャケットを脱ぎ、一斗缶の中に放り込んだ。俺のゾンビ臭がたっぷり染みこんでいるはずだ。おっさんの加齢臭も混じってるかもしれないが。


脱いだタートルとジャケットの代わりに昨日コンビニからもらってきたハイネックのTシャツを着とこう。


その格好で一斗缶5つを1階までえっちらおっちら持って下り、エントランスホールを出た辺りに一定の間隔を開けて設置する。


まだこの建物の周囲にはゾンビたちがいっぱい集まっている。


どの一斗缶がゾンビたちの人気を集めるか……さあ実験開始だ。




結果は興味深いものだった。


良い匂い代表のヘアスプレーや芳香剤は全くスルーされていた。周囲を彷徨うゾンビたちはこれらの一斗缶を全く無視している。


一番人気だったのは何故か、焦げ臭い系の匂い、つまり俺が屋上で焚き火をした一斗缶だ。


この缶の周りにはゾンビが人だかり……いや、ゾンビだかりを形成していた。圧倒的な人気だ。彼らは別に一斗缶をひっくり返してどうこうするわけでもない。ひたすら周りに寄ってきて密集状態でウロウロしている。単にこの匂いが好きなんだろうか。


カップ麺の缶にはゾンビが三体……うち一体は昨日ここで出会った元警備員のゾンビだった。


おお、おっさん、元気だったか!


「お久しぶりっす」


俺は嬉しくなって声をかけたが、もちろんガン無視だ。おっさんは唸り声を上げながらひたすら一斗缶の周りを回り続けている。彼は焦げ臭い系よりも豚骨ニンニクたっぷり系の方がお好みのようだ。


そして一番人気がなかったのが、予想通り、俺様の匂い付きタートルネック&ジャケットだった。


明らかにこの缶の周囲は避けられていた。たまたま近くまで来たゾンビがUターンしたぐらいだ。




結論は、やはりゾンビの嗅覚はしっかり活きていて、彼らの行動にそれなりの影響を与えているということだ。


なぜ焦げ臭い匂いにそんなに反応するのかは分からないが、明らかに多数のゾンビが引き寄せられている。ただ、全てのゾンビが焦げ臭い系に殺到するかというと、カップ麺の匂いに引き寄せられるのもいて、その辺は個体差があるようだ。


そしてゾンビは同類の匂いを好まない。これもはっきりした。


なるほど。


いずれにせよ、これは使える。


いざとなったら匂いで彼らを集めたり、遠ざけたりできるということだ。しかも焦げ臭い匂いなら、焚き火をするだけで簡単に作り出すことができる。


一斗缶を片付けようとしたが、焦げ臭い系の缶はゾンビに囲まれてしまって手を付けられない。そいつは放置して他の缶を集め、エントランスホールの中に片付けた。


ああ、そうだ、俺様の匂い付き衣類もあったな。タートルネックはもういいが、ジャケットは回収しておこう。


さあ、研究室に戻ろう。




その時、ふと振り返ると元警備員のおっさんが目に入った。


さっきまで建物の外にいたのに、カップ麺の匂いの一斗缶をホールに引き上げたからだろう。中に入ってきて、缶の前で寂しげにぼーっと佇んでいる。


その姿は何故か、胸が締め付けられるぐらい切ないものがあった。俺の中にまた罪悪感がこみ上げてきた。


その日、おっさんは何も思わず普通に勤務していただけだ。そこにテロリストがウイルスを播いた。


おっさんは生前、豚骨ニンニクたっぷり系のカップ麺が大好物だったのかもしれない。


発症した時には腹が減ってたのかもしれない。早く家に帰って嫁さんや娘に隠れていつものカップ麺を食おう、そう思ってたのかもしれない。


すまん。


申し訳ない。おっさん。


おっさんには何の罪もない。悪いのは俺だ。


俺はいたたまれなくなり、階段を駆け上がった。研究室に戻って大急ぎで湯を沸かし、さっきと同じ豚骨カップ麺を作った。


何のために?


もちろん、おっさんにあげるのさ。


だって、あまりにも可哀想じゃないか。


「ちょっと圭、何やってるの? 頭大丈夫? もう理性なくなってきたの?」


さっきから俺がドタバタやってるのを見て葵が訝しげな表情で声をかけるが、俺は構わずにカップ麺を持って1階に下りる。




おっさんはまだホールにいた。


どうやって渡そう。


あ、箸持ってくるの忘れたけど……ゾンビに箸、要らないよね?


俺はとりあえず両手でカップ麺をもって、おっさんの横に行って捧げるように差し出した。


匂いに反応したのだろう、おっさんはガバッとこっちを向いて、うううう……と唸り始めた。襲いかかってくるんじゃないかという懸念もあったが、おっさんは意外に紳士で、カップ麺を睨み付けて唸っているだけだ。


俺はさらにカップ麺をおっさんの方に突き出した。


おっさんは、おずおずと両手を胸の前に挙げた。そして少しずつ両掌を上向きに合わせて「ちょうだい」の形を作った。俺はおっさんの手の中にゆっくりとカップ麺を置いてやった。おっさんの唸り声がぴたりと止んだ。


おっさんの顔色は青黒く、眼球は乾いて白く濁り、口からは泡のようなものがこぼれている。正直、ゾンビの俺から見てもキモい顔だ。


しかしその顔が一瞬笑顔になったように俺には見えた。


そしておっさんは両手にカップ麺をいただいたまま、俺に向かってゆっくり会釈をした。


そのまま回れ右をして、歩きながらカップ麺に顔を突っ込んだようだ。べちゃべちゃ食べる音がしている……と思ったらゲホッゲホッとむせている。おいおい、どこか座ってゆっくり食えよ。


でも俺の胸の中は暖かいものでいっぱいになっていた。


ゾンビになっても人の心が全部失くなるわけじゃないんだ。おっさんは笑顔になってくれた。会釈してくれた。


おっさんはもうカップ麺を食べても消化吸収することはできない。っていうかまともに嚥下することもできない。でもカップ麺を食いたかったんだ、きっと。


ちょっとでもおっさんを喜ばせてあげられたなら、それは悪いことじゃないだろ。この世に思い残すことがちょっとでも減らせたかもしれないだろ。




俺が階段まで戻ってきたら、踊り場の影から葵と陽奈がこっちをのぞいていた。


「何だお前ら、勝手にこんな所まで下りてきたら危ないじゃないか」


葵はそれには答えず、


「あなた、何やってたの? ゾンビにカップ麺あげて何の意味があるの? 頭、本当に大丈夫?」


問い詰めてくる。


「大丈夫ですか?」


陽奈までそれに同調する。


「ああ、説明するから、とりあえず研究室に戻ろう。さあ、戻った戻った」


俺は彼女達を追いやりながら研究室に戻った。


そして訝しげな視線を向けてくる二人を座らせる。


もう一度湯を沸かし直し紅茶を入れてやりながら、さっきの実験と、それによって分かったことについて……ゾンビの嗅覚はしっかり残っていること、何故か焦げ臭い匂いに強く引きつけられること、ゾンビ同士は臭いでお互いを認識し衝突しないように避けていること、等々を話した。


「ふうん。それは分かったけど、カップ麺は何の意味があったの?」


まだそこに引っかかるんだな。


「ほとんどのゾンビたちが焦げ臭い匂いに引き寄せられる中で、あの元警備員のゾンビはカップ麺の匂いがひどくお気に入りだったのさ。見てたら気の毒になって、ついカップ麺をあげたくなったんだ。まあ、意味はないかもしれないけど、おっさん嬉しそうにしてくれたし良かったよ」


葵と陽奈は顔を見合わせ、呆れたような笑いを浮かべていた。


「まあ、あなたらしいわね」


「ネズミ助けるために留年しそうになる人ですもんね」


なかなかヒロイン達には分かってもらえないが、いいんだ。あのおっさんが喜んでくれたなら。



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