【間話】白い砂漠、黒い混沌 - Ⅲ
取り残されていたラノフとアルベルトの前に、再びルシフェルが現れる。
先ほどと違って少女の姿をしており、二人は困惑した。
「話は済んだわ。少し所用があるので帰還が遅れる。ここにもう用はないから先に帰っていいわよ」
「なっ、勝手に進めやがって!」
「じゃ、よろしく」
ラノフは憤りを示すが、ルシフェルは知らんと言った様子で再び消えた。
「チッ、なんだあの姿……王様の趣味か?」
「ラノフさん、どうしよう?」
「……使える物資を探すぞ。手ぶらで帰るわけにもいかねぇ……」
二人が別行動を始めたのを確認して、仮想世界にいたルシフェルは立ち上がる。
「さてと……私も始めるかしら」
「始める? 一体何を」
「天罰よ。父親がお世話になったお礼をしなきゃね……」
神の怒りは嵐のように訪れて、一夜にして世界を清浄なものにする。彼女は後にそんな文言と共に、恐怖の大王として仮想世界で語られることになる。
*
仮想世界は、二つの派閥に分断していた。
一つは当初の目的通り、仮想世界を最後の楽園として利用しようとする保守派。
一つは仮想世界は別の〝地獄〟だと主張し、元の世界に戻ろうとする武装派。
彼らの元の肉体は病院の地下深くにて人工冬眠状態になっており、仮想世界上で命を落としてもしばらく経つと復活する。
負傷による痛みは伴うものの、その仕様が人々が命を軽視する最大の要因となっていた。
『楽園の皆さん、ごきげんよう。私は――〝相剋の神〟と呼ばれるしがない科学者よ』
そこで生きるすべての人間の視界に、誰も見たことがない機械の女王は顕現した。目を擦っても消えることはない。
なぜならこの世界の人間はそういうものだからだ。機械の女王が少し前に、そう決めたのである。
彼女の横には、二つの派閥を牽引する者が縛り上げられ、なす術もなく鎮座している。
いよいよ楽園の終末だと、すべての人間が感じたに違いない。
『喜ばしいことに、今日よりこの楽園にはアップデートが適用されるわ。くだらない争いで自らを滅ぼさないように、貴方たちの脳を改造してあげる』
というのは、今のところは出まかせである。抵抗されれば話は別だが。
『貴方たちには一度だけチャンスを与える。これは平和協定に関する同意書よ。ここに居る二人が嘘偽りなく合意するのを見届けなさい』
その紙面に書かれていたのは、ルシフェルが独断で制定した新しい法律だった。
かいつまんで言えば、皆が平和に暮らすためのルールのようなものだが、違反した時の天罰は強制執行される、という不吉な文言も書かれていた。
『場所は王城前広場。参加はどなたでも。ただし武装する者がいた場合、見せしめとして二人に天罰を執行する。賢明な判断を期待しているわ』
それだけ言い残すと、女王は消えた。やがて王国全体が騒がしくなり、多くの人が広場に押しかけた。
そして、映像のように拘束される二人のリーダーと、本来そこに居ないはずの国王の姿を目の当たりにする。
「オルカンがなんでここに居る……?」
「アダンから離れろ! 得体の知れない女の言うことに従う道理などない!」
話を聞いていなかったのか、勇敢な者が拳銃をルシフェルに向けた。
「やめろッ! 女の話に従え! コイツは正真正銘の――」
必死に叫ぶのはアダンと呼ばれた男――武装派のリーダーだった。
「まず一人ね――」
ルシフェルは表情を変えぬまま、なんらかの追加プログラムをアダンに適用する。直後、彼は野生の子豚に変わった。かわいい。
「ぶう」
彼はそう言いながら緩まった拘束を解き、人間を怖がって山の奥へと駆けて行った。
民衆はただ絶句するしかない。女王への怒りは一瞬にして恐怖の念へと様変わりした。
「拳銃を持っているそこの貴方、まさか天罰がただの死刑だとでも思ったのかしら。貴方の選択で、彼は人工冬眠の間、子豚として過ごすことが確定したわ」
「う、嘘だ……オレじゃ、オレじゃない……」
男は膝から崩れ落ち、手に持っていた拳銃を自身のこめかみに向ける。
そして迷いもなく引き金を引いた直後である。民衆は思わず身構えるが、耳を塞ぎたくなる銃声が空を轟かせることはなかった。
「ぶぅ」
彼もまた、子豚に変わっていた。人懐っこい性格なのか、逃げはしない。恐怖に慄いた人々の顔を興味津々といった様子で見上げている。かわいい。
「ああ、ごめんなさい。言い忘れていたけれど。兵器に類するモノを人に向けて使った時も天罰が下るようにしたから。――だって危ないでしょう? うふふ」
人々は一歩ずつ後ずさりする。
「オルカンが……オルカンが魔女を連れてきたぁぁぁぁぁ!」
誰かの悲鳴を皮切りに、楽園の人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
「神よ……どうか……どうか、お許しください! 私はこの楽園の平穏が続くよう努めてまいりました!」
「貴方は確か、ベラと言ったかしら」
「はい。力及ばすこのような結果になってしまったことを悔い改めます……!」
どうか、どうか――と命乞いする保守派のリーダーを、ルシフェルはゴミを見る目で見下す。
「武装した者がいた場合、二人に天罰を下す。確か私はそう言ったはず」
「そんな……! どうかご再考を……。私には愛する夫が居るんです……!」
「その夫と共謀して、国王を武装派に売ったのよね」
「ひっ――私は平和主義者です。永劫に貴方を信仰し、仕えます!」
「あら、嬉しいこと。そこまで言うなら、これまでの功績に免じて、減刑してやってもいい」
「ほ、本当ですか?」
「人の記憶を引き継がせてあげる。貴方たちの愛が本物か確かめてみなさい」
一瞬だけ希望が見えたベラの表情は、すぐに凍りついた。
彼女は心の奥底で、悪魔の実在を確信した。
「ぶう……」
子豚になったベラはどこかに駆けて行った。記憶があろうとも、知性が豚相応になった今、彼女は家に帰ることすらままならないだろう。
「さてお父様。王城に帰りましょう。貴方に逆らう者は、もう誰もいない」
こうして危機に瀕した仮想世界は、再び平和を取り戻したのだった。
*
王城は手入れが行き届いていた。オルカンが不在の間も誰かが綺麗にしていた痕跡がある。
「ご主人様、おかえりなさいませ」
到着して間もなく、彼らの前に現れたのは可愛らしいメイドたちだった。複数体おり、若い女の子ばかりなそれらがAIであることを、ルシフェルはすぐに察した。
しかしよく見ると、彼女らの衣装は妙に肌の主張が激しい。
「お父様……説明してくれる?」
「こ、これは……私一人住まうには広すぎて――管理の人手も必要だし……」
「随分と可愛らしいお洋服だこと……豚に変えてもいい?」
「AIだから。本物ではないから。さあ、向こうで話そう」
ルシフェルは呆れながら、客室に入った。少し……いや、かなり父親に対して幻滅していたが、それも家族に対する一つの感情なのだろうと、渋々受け容れることに決めた。
「よく出来た部屋ね。本物みたいにそこにある」
落ち着いたダークブラウンの色をした椅子の表面を撫でながら、ルシフェルは感心していた。光沢感や触覚までもが再現されている。
「オブジェクトは人の五感に反応するようにプログラムしている。目に見ているものは鮮明に映るが、死角に映る部分は実際におぼろげになってるんだ。マシンへの負荷も電力消費も、極限まで削っているよ」
「ふうん。メイドは棒人間にしないのにね」
「そ、それよりだ。君のことを聞かせてくれ。どうやってここまで来た? 許可が取れるとは思えないが」
「……勝手に、飛んできただけよ」
オルカンはそれを聞くや、頭を抱えた。
「再会出来たのは嬉しい。奇跡のように思える。でも……すぐに帰るべきだ」
「私はお父様の意志を継いで科学者になったのよ。地上を再生させる技術も、すぐにでも用意できる。仮想空間から脱する日はそう遠くないわ」
「違うんだ、ルシフェル。君は勘違いしている……。私と同じ轍を踏み続けている」
「……どういうこと?」
オルカンはそれ以上の発言を躊躇った。彼の脳裏には、全てを監視する〝天神〟の存在がちらついていた。
その後、歯を食いしばり意を決したような表情を見せたのち、彼はルシフェルに真相を告げた。
「これを話せば……私はいよいよウラノス様に消されるかもしれん。だが真実は――」
「誰かが暴かねばならない」
「そうだ。いいか、よく聞け。人が天上に移り住んだ原因は環境破壊じゃない。およそ千二百年前だ。ある大きな財団が歴史上最大の過ちを犯した。それが――〝人工神計画〟だ」
「何それ……」
そんな言葉、ルシフェルは一度たりとも耳にしたことがなかった。彼女は地上のことを知るために、現存する全ての歴史書を幾度となく精査してきた。
彼女が知らないことは起きていないこと――そんな伝説すらあったものが、いとも容易く覆った瞬間である。
彼女の脳裏には、ウラノスの憎たらしい笑みが浮かんでいた。――歴史はすでに消されている。
「かつての天界人は進化を望んでいた……。どれだけの発展を遂げても宝具〈アカシア〉の存在原理を見出せなかったからだ。そして一つの仮説が浮上した。〈アカシア〉が未来を示す地球こそが、天界人の目指すべき神の世界なのではないか、と」
今や魔界や地球の民を見下すことしかしない天界人にも、劣等感に苛まれる時代があったのだと考えると、ルシフェルはますます人の愚かさを実感した。
「……バカげてる」
「私もそう思う。だが分からないものには分からないなりの解釈を与える必要がある。〈アカシア〉が示す未来はどう転んでも暗黒の結末を迎えるらしい。そこでかつての財団は考えた。地球で語られる神々を科学で再現することで、天界は地球を超越する世界になるのではないか、と。地球はそれが出来ないから終末を迎えるのだと」
そして研究が始まった。それが全ての悲劇の原点であるとも知らずに。
しかしこの歴史から消された計画をオルカンが〝功罪〟と言っていたように、実験が成功した例も多くあった。天界の文明が飛躍的に発展していったのはそれからのことだ。
計画の始まりから五十年ほど経った時、事件が起きた。
従来通りの手順で顕現させたはずだった〝諸悪の神〟――後に混沌と呼ばれる――が、他の神を悉く喰らいはじめたのである。
その神は人類が意図しない力を次々と獲得していき――ついには手が付けられなくなったのだ。
「生き残っていた二人の神――戦神と呼ばれるエリスと、今なお生き続け〝光の神〟と呼ばれていたバルド様が共闘することで事象の果てに封印することは成功したらしいが……。〝諸悪の神〟はまだ生きている。だから環境が回復したとして、人々はもう……」
それが事実だとすれば、諦めの悪いオルカンを絶望の底に叩き落とすには充分すぎる内容だった。
それを知った彼は地上の人々の生活を取り戻すのではなく、新しい場所に導く方針に変えたのだ。
「お父様はそれを……どうやって知ったの?」
「バルド様から直接、伺った。彼はウラノス様から大きな信頼を得ているから、私も咎められることはなかったが……」
「なら大丈夫でしょう。お父様は天上に戻ってこれないと思われて見逃されたのよ」
「いや、ウラノス様から絶対に口外するなって言われてて……」
「はああっ? なんで話したのよ!」
「いや、再会が嬉しくてつい……な」
ルシフェルは溜息をついた。
「こりゃ『シルギノス』の防衛費用がまた上がる……」
その言葉を耳にしてオルカンは嬉しそうな笑みを見せる。
「誇らしいな。恐ろしい技術の発展を実感したが『シルギノス』の重役になっていたのか」
「ええ」
「防衛大臣とかか? あまり景気の良い国ではないから、気を付けるんだぞ」
「国王」
「え?」
「私が『シルギノス』の国王。ちなみに軍事力でいえば世界二位の大国よ」
「……え? まさかシンギュラリティでも起きたのか……」
「起こした。利権も私が取った」
淡々と押し付けられる現実を、オルカンは受け入れることが出来なかった。
「いかん。話についていけん……天上は今どうなってる?」
「かつて三神だったのが今は六神まで増えてるわ。ちなみに私もそのうちの一人。話を聞いてお父様を私の庇護下に入れることに決めたわ。ウラノスに手出しはさせない」
「か、神の名を呼び捨てに……。本当に私の可愛い娘なのか……想像がつかない……」
それを聞き、ルシフェルは悲しげな表情を見せる。
自身が残酷な人間に変わってしまったという自覚が、少なからず彼女の中にあったからである。
「お父様。……私がどのような姿で生きていようとも、娘として愛してくれると約束してくれる?」
「……当たり前だろう。何を言っているんだ。私は死んでもルシフェルの味方でいるさ」
ルシフェルはオルカンの横に座り、体重を預ける。オルカンは少し戸惑ったが、ルシフェルの肩を抱き寄せた。
それは他の者には決して見せることのない、一国の王ではなく一人の娘としての精一杯の愛情表現だった。
そしてこの時、彼女の中に一つの葛藤が芽生えることになる。
*
一通り物資を集め終えたアルベルトたちは、スクーターが駐車してある場所へと戻っていた。
「おかえり〜! あれっ! 神さまは?」
エミリがスクーターから顔を出して尋ねる。
『ここに居るわよ』
済ました声でスクーターが答えた。
「わおっ! 神さまジョーク! ……ってそうじゃないやい!」
ずびしっ。ノリツッコミ。
留守番している間にエミリとルシフェルはそれなりに仲良くなっていた。
「なんだ、スクーターは生きてんのか」
ラノフは背負っていた物資を下ろしながら、彼女を煽った。
『同期が切れていて仮想世界で何が起きているのかは私も知らない。ああでも……すぐに戻ってくるようね。同期を再開する』
ルシフェルがそう言った直後、スクーターがガタンと揺れた。
「な、なんだ!」
『――……お父様』
その呟きと共に、スクーターはエミリとシェミルを乗せたまま変形し始める。二人は驚き、エミリは隣にいたシェミルにしがみついた。
「な、なになにっ? 何が起きてるの?」
変形を終えた彼女は、スクーターから軍用ジェット機のような形状へと変わっていた。
『荷物を載せなさい。――それと、乗客が一人増える。長旅になるわよ』
「はあっ? 勝手に決めんな!」
『エールの承認は取得済み。私たちはこれより、東の果ての海洋へと向かう』
「なっ、海……?」
ラノフが唖然としている中、黒いマシンスーツに全身を包んだ男が、少女姿のルシフェルと手を繋ぎながら、彼らの元にやってきた。ラノフは咄嗟に銃を構える。男は両手をあげ、敵意が無いことを伝えた。
「私だよ。仮想世界の王――オルカンだ」
「――なんであんたが?」
ラノフは警戒を緩めない。得体の知れない者に隙を晒すほど彼は甘くなかった。
「無駄よ。そのパワースーツは時速六万キロの物体の衝突にも耐えられる。銃撃されてもたぶん気付きもしないわ」
「えっ、その語り口調……神さまじゃん! めちゃ可愛くなってるんですけど!」
エミリは半ば興奮気味である。隣にいるのが父親であることに、彼女はいち早く気付いていた。
「さあ、お父様。乗って。スーツは回収するわね」
「あ、ああ……」
オルカンのスーツは黒い粉末状の物質へと変わり、舞い散った。
そのまま吸い寄せられるように、ルシフェルの身体に吸収された。
「えっ。あの王様がこうなのか……」
やがて姿を晒したのが、これっぽっちも頼り甲斐のなさそうな髭の男で、アルベルトは肩透かしをくらっていた。
「答えろ。なんで海に行く?」不服そうにラノフが問う。
「世界の秘密を一つ握った。遠からず私たちはウラノスに消される」
「はああ?」
「対策を練るために助力を請う。六人の神の一人――バルド・ミストルソルに」
けたたましいエンジン音を天に鳴り響かせながら、ジェット機は東に向けて飛び立った。
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