壊れた世界 - Ⅰ
地上には、森の高層部よりも多くの《インセニル》がおり、枯れた巨木の村を荒らしていた。
彼らの瞳には意思は宿っていない。ただ目に映ったものを奪い、貪り、破壊する――それだけである。
「――〈ニコンザイル〉」
その様子を見ていた桜色の髪の少女は、静かに魔法の言葉を紡ぎ、己の手中に蒼い槍を顕現する。
その声に宿るのは、ただ一つの怒りだった。
彼女の心と共鳴するかのように、彼女の槍は力強い海色の光を放つ。
そしてやがてそれに気がついた狂人達は、群がるように新たな獲物へと手を伸ばし始めた。
「これは狩りよ――」
自分に言い聞かせるように、彼女は呟く。
彼らは動物。知性を持たない、野生のヒト――。
心の中でもそう言い聞かせ、奥底から滲み出る良心を押し潰した。
「キィィィィィいぃィ!」
「くっ――」
狂人は奇声を発しながら腰の剣を引き抜き、少女に向かって駆け出した。
それを合図に彼女は蒼槍を握り締め、自身がこの世界で生き続ける為の“狩り”が始まる。
近くで気を失っていた初対面の同僚の事など、とうに何処かへと吹っ飛んでしまっていた。
***
――どこだ、ここは。
気がつくと僕は空を飛んでいた。
いや、飛んでいるというのだろうか。自分の身体はどこにも見当たらない。それなのに、自分の意思で景色を見渡せる。
まるで意識だけが別の世界に浮遊しているような――そんな感覚。
その世界は、見渡す限りを黄昏色の空に覆われていた。真っ赤な太陽が空の向こう側で、朧げに佇んでいるのが見える。
いつも夢で見ていた地獄のような景色とは正反対の雰囲気だ。雲が、太陽が――何もかもが、止まっている。
周囲には大小様々な気泡のような半透明の球体が浮かんでいた。それに注意を向けると、球体は呼応するかのように僕のもとへ近づいてくる。
『なんだこれ――メモ帳?』
僕のもとへ来た小さな球体の中には、メモ帳が入っていた。身体がないので触れる事は出来ないが、このメモ帳には見覚えがある。
『確か……《ノア》の情報とかをメモった奴だよな……』
《ノア》のネットワーク班統括であり、反逆者でもあるウォーロックが、しつこく「紙媒体にメモして厳重に保管しろ」と言うので、仕方なく吸い込んでおいたものだ。
『それがなんでここに――』
そう考え出した途端、一筋の不安が脳裏をよぎる。
周囲を漂う球体を片っ端から寄せ集めた。
その中には、ククリや彼女の両親、そして――ミヤちゃんも居た。
『ミヤちゃんッ! なんで……いつの間に出したのか? 吸い込め! 早くッ!』
彼女達を吸い込もうと咄嗟に魔術を発動させようとするが、そもそも身体がない。
球体に包まれた彼女達はまるで微動だにせず、氷漬けになってしまっているかのようだ。
『何でだよッ……。どうなってんだ一体……!』
「――驚いただろう?」
その時、背後から落ち着いた声色の老人の声が聞こえた。
見るとそこには、真っ白な長い髭を伸ばした老いた男が立っていた。
白髪や赤い瞳から察するに魔界人なのだが、その鋭い眼差しは、彼が声の主だとは思わせない程の凄みを秘めている。
「何も案ずる事は無い。その子達に変化は訪れない。この世界は、時が止まっている」
『それって――まさか……!』
「……初めまして、“奇跡の子”よ。私の名はヴェルガ。ここは私が魔法で作り上げた異次元世界――誰にも破る事はおろか見つける事さえ叶わぬ不落の要塞――『アリュート』だ」
『アリュート……?』
「確か君は、〈パラレル・クラウド〉と名付けていたのだったかな」
『な、なっ、なんでそれをッ!』
その老人――ヴェルガがあまりにも真面目な顔で、僕が心の中にしまっておいた自身の魔術名を言うのだから、思わず僕は赤面してしまう。
しかし、ヴェルガの言葉から一つ分かったことがある。
どうやらここは、僕の魔術で吸い込まれた物が運ばれてくる世界のようだ。『アリュート』というらしい。
しかし何故僕がここに居るのか。全く心当たりが無い。そもそもこの老人には僕の姿が見えるのか?
一つの発見から幾つもの疑問が生まれてしまう。
「色々と言いたい事はあるだろうが――」
ヴェルガはそう言って右手を天に掲げる。すると虚空がひび割れ、やがて空間に白い穴が開いた。
「これを見るんだ」
『見るって――』
僕はこの場から動けない。――のだが、そう言おうとした瞬間――視界がゆっくりと動き出した。
やがて穴の手前へと移動する。その先を覗き込むと、暗闇の枯れ果てた森の中、蒼い光を纏った槍を片手に暴れまわる少女が居た。
その槍の一撃の重さは尋常ではなく、《インセニル》の狂人達を次々と吹き飛ばしていく。
『あの子、俺を助けてくれた子じゃないか! 一体どうして……』
「――彼女の名は、ニコン=サーニャ。『タリュカス』生まれの貴族の娘だ」
『ニコン……?』
どこかで聞いた事のある名だ。しかし、よく思い出せない。
「彼女を、助けろ」
『え?』
「彼女は今日、僅かな油断が生まれ死ぬ事になる。……それを阻止しろ」
――なんでそんな事を知っているんだ。
そう尋ねようとしたが、ヴェルガの言葉と同時に意識は白い光に吸い込まれ、やがて暗くおぼろげな無意識の世界へと移動していく。
――目を覚ましたら、二時の方向へ飛べ。
脳裏にヴェルガのそんな言葉がよぎり、僕の意識は魔界へと戻ってきた。
地面に伸びた巨大な樹の根を背に寝かせられていたようで、痛みこそないものの背中が突っ張っている感覚がする。
どこかからか漂ってくる焦げた臭いを不快に思いながら、目を開く。
「ん……?」
すると目の前には《インセニル》が三人おり、今にも僕の命を刈り取ろうと斧や剣を振りかぶっていた。
僕は咄嗟に飛んでいた。言われていた通りに、二時の方向へ。そもそも後方は樹の根によって逃げ場を塞がれているのだから、前方に飛び込むという選択肢しかなかった。
着地の事など考えていなかったため、僕は地面を無様にも転がったがすぐさま体勢を立て直し、追撃に備える。先程のようにぶん殴られるのはもう嫌である。
しかし――。
三人いたはずの狂人は、既に残り二人になっていた。振り被った剣の質か、あるいは扱いが悪かったのだろう。その刃は自身を斬り捨てていたのだ。
次いで残った二人も奇声を発しながら、互いに殺し合いを始めている。
「何が起こってるんだ……?」
――彼らは放っておけ。ニコンを助けろ。
再び、頭の中でヴェルガの声が響く。
「何だってんだよ……」
奇妙な感覚にこめかみを押さえながら、戦闘しているであろう音のする場所へと向かった。
巨木の森の地面は暖かく少し湿っている。そのせいで既に衣服は泥だらけだ。
ニコンはすぐに見つける事が出来た。『アリュート』で見たように、蒼い槍を片手に戦っている。
……というより、敵の数が多いというのに一方的だ。助ける必要なんてないじゃん。
それにしても、ニコンやサチュリはまだ若いというのに、どうしてあれだけの戦闘能力を備えているのだろう。
もしもここが日本なら、日々の半分を学校で過ごしながら、青春を謳歌している年頃だろうに。
ここはそれだけ、どこへ行っても争いの絶えない世界なのだろうか。だとしたら、少し彼女達を不憫に思う。
そんな事に考えを巡らせていると、あっという間にニコンは戦いを制したようで、真っ直ぐにこちらへと向かってきた。高速道路を走るトラックのような速度と重量感に、僕は恐怖し思わず後ずさりしてしまう。
「どけええええっ!」
ニコンはそう叫びながら、槍を構える。
「うわああああッ――!」
てっきり僕の近くに来て「大丈夫だった?」とか声を掛けてくれるかと思ったのに、彼女は殺意に満ちた眼でこちらに突進してくるのだから、僕は回避行動を取らずに彼女の槍を吸い込んでしまった。
「え? は、えっ――? なんで――」
ニコンは手元をすり抜けた槍に驚いた様子を見せるが、吸い込まれる槍より早い速度で彼女はこちらへ駆け続ける。止まるっていう事を知らないようだ。そもそも前を見ていない。
「いや、止まれよっ!」
「あ――えぶっ!」
「ぐはっ」
互いに変な声を発しながら、僕達は衝突した。――いや、一方的に僕が少女に轢かれただけである。
背中から倒れたため大きな怪我にはならなかったが、数メートルほど吹っ飛ばされた。
「いててて……。おい、大丈夫――」
そう言いかけたところで口を噤んでしまった。
僕に覆いかぶさるように倒れていたニコンを引き離そうと、両手で触れた彼女の身体が異様に柔らかかったのだ。
「…………」
彼女は唖然とし、徐々に顔が赤くなっていく。
温暖な地上の空気がやけに冷たく感じる。――が、とりあえず揉んでおいた。ぶつかってきたのは彼女の方だし仕方ない。
「……ね」
「え?」
「死ね!」
その後ニコンは僕に馬乗りになった状態で、顔を何十発も殴った。痛覚は未だ遮断されているがゆえ、案外こういうのもありだな、とか考えつつある自分を心の中で押し殺した。
***
「ったく……信じられない。こんな状況でセクハラするとか……。一人取り逃がしたじゃない」
「ふびばへんへひは……」
「はぁ? あんた魔界だけじゃなくて日本語も喋れなくないの?」
「ぃぇ……」
口の中で血の味がする。痛みはないがろれつは回らないから変な感覚である。
先程ニコンがこちらへ駆けたのは、僕の背後に狂人が一人居たかららしい。しかし彼女の覇気に圧倒され、姿を隠したようだ。
そもそも、彼女はなぜ日本語を話せるのだろう。
容姿もこの世界の衣装とはかけ離れた、カジュアルなチェック柄のシャツに柔らかそうな布地のスカート――どちらかといえば僕の居た世界の服装をしている。
「はぁ……とんだ寄り道ね。森が襲撃されるのはともかく、なんで上から日本人が降ってくるのよ……。しかも、この青い眼……」
ニコンは溜息をつき、僕を睨みながらそう呟く。
ウィリアムが『ニヴェルヘイム』で言っていた。青い目を持つのはレアな人種だと。事実、僕はこの世界に転移してからククリ以外の青い目をした人を見ていない。
だが、この森の人々やニコンが僕に向ける眼差しには、羨望ではなくどこか冷ややかな感情が感じ取れた。
「……一応確認も含めて訊いておくけど、日本人よね?」
「え、うん……」
「なんでここにいんの? みんな、聖堂に避難しているはずだけど」
彼女のその言葉で思い出した。ククリ達を解放しなければ。
だけど、ここは危険だ。先程の神殿――ニコンは聖堂と言っている――まで戻らなくてはならない。
「その聖堂に行きたいん――」
「あーもう分かったっ! 分かったから、もう喋らないで。頭が痛くなる!」
「…………酷い」
質問に答えただけなのに。
だが、訳も分からずに飛ばされた言葉の通じない孤独の世界で、ようやく意思の疎通が出来る者に会えたのは、どれだけ嬉しく心強かった事だろう。
少々暴力的な少女だが、それが些細な事だと思えるほどに、僕は安心しきっていた。
――だけど彼女は、今日死ぬらしい。
「さっさと行くわよ」
「うん」
そんな事実、あるはずは無いと自身に言い聞かせ、僕達は暗い森の中を進みだした。




