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平成の魔王  作者: 雪鐘 ユーリ
第三章 - 魔法の世界
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枯れ木の森 - Ⅱ

 樹木の大神殿を抜けると、それとほぼ同時にククリは風の魔術で跳躍し、随分と速い速度で飛んでいってしまった。

 その緊迫した状況で、自身の魔術を工夫して空を飛ぶ方法なんて思いつくはずもなく、僕は大木の枝を伝いながらククリを追いかける。とにかく全速力で走った。

 しかしククリは空を飛んで大きく距離を短縮しているため、僕は彼女を見失ってしまう。


「くそ……どこだ! ククリ!」


 神殿がこの街の中央部に位置していることは分かったが、家は大木のどこを見てもあるのだから、これでは高層のマンションが並ぶ摩天楼から一つの住居を探し出すようなものだ。

 とにかく枝を伝いながら上を目指したのだが、どこまでいっても見える景色は殆ど変わらない。

 どうする――。

 思考を巡らせても、この世界のことをまともに知らない僕が解決策を見い出すことなど出来るはずもない。

 少し冷ややかな枯れ木の大木は静寂と共に僕を包み込み、無力感で埋め尽くす。



 その時、突然どこかで爆発音が響き、森全体が大きく震動した。

 危うくバランスを崩して落ちる所だった。ロープ製とはいえ安全のための柵があったので助かったのだが。

 しかし今のは何だろう。音は森のはずれから聞こえてきた。

 考えていると、また一発。続けて一発、と。


 嫌な予感しかしない。

 この森が攻撃を受けているのだ。《インセニル》と呼ばれていた者達の犯行に間違いないだろう。

 爆発音が響いているのは森のはずれだ。今のうちにククリと合流するべきだ。

 そう考えた僕は、再び走り出した。せめて、見覚えのある風景を探さなければならない。

 とにかく上を目指した。上から下を覗き込んだ方が視野が広がる。


「せめて空を飛ぶ能力があればいいんだけどな……」


 冷静になって考えても僕の“保存”と“放棄”の能力ではそんな大層なことは出来ない。

 結局自分の足で大木を上り続けた。時折、地面を覗き込んで確認したのだがなかなか見つからない。

 高さ的にはこの辺りだったと思うんだが――。


 そう考えながら見渡していると、視界の隅を空を飛ぶ何かが遮った。


「よかった、ククリ――」

「…………」


 嬉々として振り返ると、そこには確かに空を飛ぶ人がいた。

 だが、ククリじゃない。

 顔も痩せこけ、焦点の定まらない眼差しをした中年の男が、空中に留まり僕のほうを見ていた。

 足首を包むように青緑の魔法陣が回転している。どうやらその力でバランスをとりながら飛んでいるらしい。


 咄嗟に距離をおいた。その男は武装していたのだ。

 見るからに手入れはしていないようだが、所々が破損した薄手の鎧を着ており、腰には剣の柄が見える。

 その男は僕を見て、気味の悪い笑みを浮かべた。まるで、豪勢な獲物を見つけたかのように。


「へへ、へへえ……」


 男は変な声を出して、涎を垂らしながらこっちを見ていた。

 とにかくその男からはやばそうな雰囲気しか出ていない。一言でいうならば、狂っている。

 おそらく、思考回路というものは既に失っているだろう。人の形をした動物だ。

 足首の魔術を解除して、枝の上に落ちた。そしてゆっくりと立ち上がる。

 腰に据えられた錆びれた剣を引き抜いて、切っ先で足元を突きながら、まっすぐに近づいてくる。


 思わず息を飲んで、後ずさりした。

 サチュリやサリエルのような暴力的な威圧感こそ無いものの、目の前の男はそれとは全く別のほうを向いた恐怖を植え付けてくる。


 だが、男が魔術でなく剣をもって僕を殺そうというのなら、それはある意味幸運だったかもしれない。

 剣なら、僕の魔術で吸い込める。

 後ずさりしながら、右手を構えた。その時、足場の僅かな起伏にかかとを引っ掛け、転びそうになった。


「やべっ――」

「キヒッ……!」


 それを見計らったかのように、男が尋常ではない速度で間合いを詰めてきた。

 そして大きく剣を振りかぶり、僕を両断せんとばかりの狂気じみた怒声を上げる。


「――吸い込めっ!」


 もはやその言葉は無意識のうちに出ていた。同時に剣は男の手をすり抜け、静かに僕の形成した黒窓に吸い込まれていった。

 危なかった。相手の思考能力は間違いなく人間未満だったのだが、運動能力は僕の常識を超えている。

 だが、突然の異常な出来事に男も驚き、混乱しているようだ。


「うがああああああァァァァァッ!」


 そして男は奇声を発する。剣を失ったという事実を否定するかのように。しかしその声は、虚空に溶けていくだけだ。

 彼のその様子に怖気付きながらも、武器を奪ったという事に安心してしまった僕は、些細な油断を生み出してしまう。

 唐突に視界がぐるりと回転した。


「ぐふっ……!」


 僕は男に殴り飛ばされて、気がつけば宙を舞っていた。

 ――まずい。

 この高さから落ちれば問答無用で死ぬ。

 頭部全体がぐらぐらと揺れている感覚に耐えながら、それまでいた場所に手を伸ばすが、届かない。

 

 また落ちるのか――と落下するさなかに嘆いたが、幸いなことにすぐ真下に別の枝が伸びており、大事には至らなかった。


「ウグアアアア!」


 しかし男は雄叫びと共にこちらへ飛び降り、追撃をしかけてくる。


「……勘弁してくれよ!」


 僕はとうとう彼を吸い込んだ。そして少しの躊躇いを押さえ、強烈な勢いで男を射出し、壁面に叩きつける。


「カハッ――!」


 威力が大きすぎたのか、男はその衝撃に血を吐きながら意識を落とす。


「やばい……」


 その光景に、不要な記憶が呼び覚まされてくる。

 べっとりと絡みついて、拭っても取れない真っ赤な記憶――。


「ああああ……!」


 僕はその場から一目散に逃げ出した。

 ――また、殺したのか……?

 ――いや、正当防衛だ。やらなければやられていたのは自分だ。


 自身にそう言い聞かせると、自分でも嫌になるほどすっと冷静になれた。

 これも契約の影響なんだろうか。いや、何もかもそのせいにするのはよくないだろう。

 もしかして僕自身の人間性に問題があるのではないか……?


 そう考えていると、先程の男のように天に向かって飛んでいく者が現れた。

 それも今度は一人ではない。統率こそ取れているようには見えないが、数人の男がそれぞれに街中を飛んでいく。

 幸い此方の存在には気づかなかったようだが、心配なのはククリだ。

 彼女は無事だろうか。

 焦る気持ちを抑え込み、僕は駆け出す。《インセニル》と呼ばれる者達に気付かれないように動かなければならなかったため、時間の損失(ロス)は大きかった。



 ***


 それからどれだけの時間が経っただろう。

 大した時間ではないはずだけど、それはとても長い時間に感じた。

 僕はようやく見覚えのある光景にたどり着き、ククリの家を見つけた。

 街自体はそこまで広くはないのに、縦に長く入り組んだ地形は迷路のように感じ取れた。


「ククリっ!」


 家の扉を開け放ちながら呼び掛けるものの、返事はない。

 部屋は静けさに溢れ、誰かが居るようには思えない。いつものように樹木の香りがほんのりと漂っているだけである。

 隠れているのかと少しばかり屋内を一瞥するも、そのような気配は感じ取れなかった。


「入れ違いか……!」


 念のため、家の入口に置かれていた片手で持てる斧を拝借し、先程の神殿へと戻ろうとした時。


「うがああああぁぁぁぁッ!」


 断末魔のような男の喚き声が、空間に響いた。

 どうやら近くで戦闘が起こっているようだ。恐る恐る覗き込むと、複数人の男達の背が見える。

 誰かが襲われているのかもしれない。そしてそれが誰かといえば――。

 僕は全力で駆けだしていた。これ以上、誰かが傷つく光景を見たくない。


 それにしても……やけに足が速く感じる。まるで、気流が僕の背を押しているみたいだ。

 と思った矢先、目の前で男達が吹っ飛んだ。


「え?」


 その直後に僕の顔面に押し寄せたのは、目に視えない“空気の壁”だ。

 さっきまで追い風のように感じた空気が突然、暴風のような強大な風になって逆流してきた。

 危うく飛ばされそうになったが、まだ距離があったため何とか堪えることができた。


「な、何だ今の……」


 男達が居た場所のさらに向こうを見ると、三人のよく見た人影があった。

 ククリと、その両親である。

 ククリは見たこともない銀の杖を片手に、白色の魔法陣を展開しながら立っていた。

 《インセニル》の襲撃から両親を守っているのだ。

 彼女が杖を一振りするごとに、強大な風が周囲に吹き荒び、襲い掛かった男達を吹き飛ばしている。


 ――もしかして、ククリってめちゃくちゃ強いんじゃないの?


 そんな一筋の疑問が頭をよぎる。見た目は大人しそうで、デコピンするだけで泣き出してしまいそうな儚さのある少女だというのに、そんな彼女が幾度も襲いかかる男達を風で吹き飛ばしている。


「く、ククリ!」


 タイミングを計って彼女に呼びかけると、彼女は僕に気付いたようで、手を振りながら飛び跳ねた。

 彼女の両親は自分がここにいることに驚いている様子だ。

 ひとまず、ククリ達が無事だったことに安堵の息を漏らす。すると突然、自身の身体が浮いてジェットコースターのような速度で彼女に向かって吹っ飛んでいく。


「ぎゃあああッ」


 思わず絶叫してしまったが、これはククリの魔術だという事はすぐに分かった。

 彼女は風を操るのだ。しかもそれは、人を吹き飛ばすほどに大きな力をもっている。

 何はともあれ、これで彼女と合流が出来た。

 あとは神殿に戻れればいいのだが、《インセニル》の者達はさながら害虫のように湧いてくる。

 ある者は自身を浮上させる魔術を用い、またある者は己の手で大木の枝を這い上がり――獲物を殺そうと無心で襲い掛かって来る。数こそ少ないが、その集団の中には女もいた。品性のかけらもなく、動物のような奇声を発しながら襲ってくるのは、変わらないが。


 その度にククリは風の魔術で彼らを吹き飛ばすのだが、これでは埒が明かない。

 彼女の魔力にも限界があるはずだ。


 そんな時、《インセニル》の女がとうとう別の行動を起こした。

 人並み以下ではあるものの学習能力を失っているわけではないらしい。

 彼女はこちら側に掌を向け、何か火の弾のようなものを飛ばしてきた。


「危ない!」


 ククリは咄嗟にその攻撃を受け流したが、その火炎弾が枝にぶつかると同時に起こったのは、巨大な爆発である。

 その爆風に巻き込まれ、僕達は足場の外へと投げ出された。

 今度こそ落ちたと思ったが、ククリが僕の身体を風の力で持ち上げてくれたおかげで足場に戻ってこれた。

 しかし、彼女の両親が見当たらない。

 僕達が急いで下を覗いても、底は暗く見えない。

 だが考えなくても分かる事だ。――ククリの両親は底へと落ちていった。

 ククリは小さな悲鳴をあげながら、やがて目には涙を浮かべる。


「まだ間に合うッ!」


 ――吸い込め。ククリの両親を。


 それは予感に過ぎなかった。

 ただここが高所であるため、まだ両親は落下していると。そんな予感が、僕を突き動かしていた。

 吸い込みが始まれば対象は慣性の影響を受けない。それでも僕は最大出力の魔力で、どこかにいる彼女の両親を吸い込んだ。


「来い……!」


 虚空に向けて僕は叫んだ。

 この世界では、そんな簡単な言葉でも通じない。

 だけど、叫ばずにはいられなかった。


「来いッ!」


 その言葉は、僕の魔術を、意志を固めていく。

 あまりに強い力で吸い込んでいるからか、右手が痺れるように痛む。


「コイ!」


 隣で、ククリも叫んだ。言葉の意味はわかっていないのだろうけど。

 僕の意図を汲み取ったのかもしれない。

 そんな時、視界の隅で何かが(うごめ)く。

 気が付けば、背後は《インセニル》の者達に囲われていた。今にも僕達を襲おうとしていた。

 これでは反撃する前にやられてしまう。僕とククリは互いに目を合わせ、頷く。

 やることは決まっていた。僕の左手とククリの右手を絡め――


 ――僕達は、大木の枝から飛び降りた。


「来いよォォォォっ!」


 暗い樹々の深淵から、両親の姿が見えだした。

 その時、頭の中でほんの一瞬重々しい痛みが生じたが、巨大な黒窓はククリの両親をものすごい速さで吸い込んだ。

 あまりの速さに両親の状態をしっかり見る事は出来なかったが、彼らの身体に血痕は見当たらなかったし、胴体もしっかり繋がっていたしきっと無事だ。


 ――よかった。

 落下しながら、僕は安堵の息を漏らした。

 あとは、ククリが風の魔術で安全に着地させてくれるはず。

 なんて頼もしい女の子なのだろう。そう考えながら、空中でククリに笑いかけた。


「は?」


 思わず変な声をあげてしまう。

 ククリは気を失っていた。


「なんでえええェェェェ!」


 僕は咄嗟にククリとありったけの空気を、右手に吸い込んだ。

 人間、緊迫した状態になると何度も同じ失敗を繰り返すものである。

 もう右手が壊れるのではないかという魔力で空気を吸い込み、大放出した。

 空気の流れる轟音はするというのに、落下速度が変わっているようには思えない。

 やがて衝突するであろう地面が見え始めた頃に、真横から何かがぶつかってきた。


 そして僕を抱えた状態で、地面に着地した。


「う、うぅ……」

「あんた……大丈夫?」


 地面で僕を呼び掛ける声に、僕は目を開く。

 そこにいたのは桜色の髪を伸ばした少女だった。驚いたのは、その少女の格好が日本人の女性のそれとなんら変わらなかったことである。


「か、慣性には、勝てなかったよ……」


 そう言い残し、僕は安心感と共に意識を落とした。


「…………」


 束の間の沈黙の後、少女は呟く。


「…………頭の方は、手遅れだったみたいね」



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