【間話】空の見えない街 - Ⅰ
広大な砂漠を北に向かって歩く者が居た。
名をシェミル。神々に裁かれ地上へと堕落した大罪人である。
その足取りは重く、一歩進む度に地面を引きずる音が響く。
時間は日中、本来ならば照り付ける灼熱の日差しによって体力は倍以上に消耗していただろう。
幸いにもその時――いや、もう歩き始めて三日になるだろうか――空は曇り、天には巨大な街が浮かび、陽の光が射し込む事は無かった。
時折、空から白い粒が降ってくる。
それは自然的に生まれた物でなく、天上の廃棄物を、破砕して出来た物だった。
それは風に乗り、時には雨と混じり、この地を埋め尽くす。
その砂漠は、白かった。
どれだけの年月を掛けてこのような状態になったのかは分からない。
この時、彼女は連想していた。
巨大な、ゴミ箱を。
この世界は、ゴミ箱なのだ。天上の民は気にする事なく資源を浪費し、地上に塵の雨を降らす。
それは仕方の無い事だろう。彼らにとって、此処は“地獄”だ。
彼女も以前までは、捨てる側の人間だったのだ。
今更、嘆くのは無駄な事だった。
「ゲホッ、ゲホッ――!」
彼女は口元を手で押さえ、咳き込む。
手のひらには、唾に混じって白い粉が塊になって付着する。
視認の出来ない小さな塵を、どうしても吸い込んでしまうのだ。
此処は地獄だった。故に、仕方の無い事である。
『大丈夫?』
淡々と、全く心配などしていないようにも感じ取れる声が、虚空に響いた。
「ええ……。お気遣いなく」
『そう』
彼女は機械と話していた。単眼のレンズを付けたカメラのような機械が、彼女の周囲を漂っていた。
時折、カメラは彼女に話しかける。彼女にとってはどうでもいいような内容ばかりだったが、それは感謝してもしきれない程の救いとなる。
会話がなければ、彼女の精神は壊れていただろう。
会話をする事で自身が着実に進んでいるという自覚を持つ事が出来たのだ。
『大丈夫なら割には、随分とのんびり歩くようになったわね』
「…………」
時折、こうして煽られる事もあるのだが、それが機械の向こう側にいる者の配慮だという事は彼女自身も理解していた。
一歩。また一歩。
シェミルは広大な砂漠を歩き続ける。
『あれ……! 街じゃない?』
「…………え?」
一つの丘陵を越えた時、彼女の視界にそれまでの景色を塗り替える物が見えた。
錆びた鉄の建造物が多く並んでいて、所々では歯車が回っている。シェミルはこの時、地上で動く物を初めて見た。
“地獄”に最低限の文明がある事に安堵した彼女は、そのままその場に倒れ伏し意識を落としていった。
その様子を、汚れた窓から覗く少女が居た。
「お兄ちゃん! 人! 人が倒れてる!」
その少女は大きな声をあげ、下階に向けてそう言った。
下階から返事は無く、静まり返っている。
信じていないんだ、少女はそう確信し、自ら下階へと赴いた。階段は金属で出来ており、一歩降りる度に軽い音が響く。
「おい! 起きろバカ兄貴!」
「ごふっ」
少女は、古ぼけたソファーで寝そべる自身の兄の脇腹に蹴りをかました。
「人が倒れてるの! 助けなきゃ!」
「はぁ……? 何寝ぼけてんだ。こんな砂漠のど真ん中に人が来るわけないだろ……」
「良いから見ろっつの!」
「ゴフッ! ……分かったよ」
男は再び蹴りを喰らい、嫌々立ち上がる。
怠そうに階段を上り妹の部屋に入って、手渡された双眼鏡で窓の外を見た。
そこには確かに、シェミルが倒れている姿があった。
「……驚いたな」
「あっ、待ってよ!」
二人は外に駆け出て、オンボロのホバリングスクーターに乗り込み砂漠へと走る。
『おーい、シェミルー。生きてるの?』
その頃カメラはシェミルに話しかけていた。機体の角で頭を突つきながら、周囲を浮遊している。
やがてエンジンのような音が聞こえそちらを向くと、砂漠を浮遊しながら走るスクーターに乗った二人の若者が近付いている事に気付く。
彼らも浮遊するカメラの存在に気付き、驚きを隠せない様子だった。
少女はカメラを指差しながら言った。
「な、何あれ……」
『初めまして』
突然カメラが喋り出し、二人は驚き素っ頓狂な声をあげる。
男の方は、少女を背後に守りつつカメラに近付いた。
『驚かなくてもいいじゃない。それよりもこっちが驚いてるくらいだわ。まさか地上に文明があるなんてね』
「お、お兄ちゃん。カメラが喋ってるよ……?」
「あ、ああ……。えっと、誰だお前は! ど、何処から来た!」
『それは後よ。早くこの子を助けてあげて。三日間飲まず食わずなのよ』
「な、何だって?」
その兄妹はシェミルを見下ろし、スクーターに乗せて街まで進み出した。
***
シェミルは目を覚ます。彼女は錆びた鉄の部屋にいた。
硬いベッドから起き上がり、周囲を見渡す。鏡台には、ボロボロな服を着ながらも幸せそうに笑う四人の家族写真が飾ってあった。
窓の隅は白く汚れている。空から降り注ぐ塵のせいだという事は、すぐに理解した。
下階から、金属の階段を上がる音が響く。
「あっ起きた?」
様子を見に来たであろう少女が、微笑みながらそう言った。シェミルと同じく金髪をしていたが、髪に手入れをしていないのか、無造作に跳ねている。
衣服も薄汚れており、あまり良い生活をしていない事は嫌でもわかってしまうだろう。
「あなたは……?」
シェミルは力の無い声で尋ねた。
「あたしはエミリよ。エミリ=ローンルーク。待ってて! お粥持ってくる!」
エミリと名乗る少女はそう言い残し、早足で階段を降りていった。
そして戻って来た時、彼女は湯気の立つ金属のお椀を手にしていた。
「あちちち。大丈夫かな。食べれそう?」
「ええ。ありがとう……」
エミリは匙で粥をかき混ぜてからすくい取り、ふーふーと息を吹きかけそれを冷ます。
「はい、あーんして」
「えっ……」
唐突な物言いに、シェミルは赤面した。
「あんた、すごい弱ってるでしょ。恥ずかしがらなくていいよ」
エミリの言葉は、至極当然の事だった。
今のシェミルはこれまでに無い程疲弊しており、顔はやつれて死人のような面持ちである。
「あ、あーん……」
シェミルは仕方なくそれを受け入れた。天界の戦士として恥ずべき事だと自身を責めたが、それも過去の事だと彼女はすぐに気づいてしまう。
粥の味は薄く、空腹感は紛れない。
しかし彼女はそれを美味しいと感じ、涙を流す。
「ちょ、どうしたの! もしかしてお粥の味付け間違えたかな……」
「ち、違います……」
抗うことも出来ずに白く冷たい砂漠に放たれたシェミルに、一筋の希望と安心感を与えてくれた彼らの温かい料理が、美味しくない訳が無い。
「あなたは、命の恩人です……」
シェミルは泣きながら微笑む。その変な顔にエミリは困惑しながらも、堪えかねて笑ってしまった。
『あっ、死んでなかった』
そんな呑気な声と共に、カメラがシェミルの居る部屋へと上がって来た。エミリの兄も一緒である。
彼もエミリのように薄汚れた服に跳ねた金髪を備えていた。
「目が覚めたのか、無事で良かったな」
エミリの兄の表情は険しかった。彼は警戒していた。シェミルは彼らにとって得体の知れない旅人だからである。
「ええ。助けてくれてありがとうございます。
私はシェミル=オルディーナ=キュピレと申します」
「シェミルっていうんだ。変な名前!」
エミリは配慮も無くそんな事を言う。
が、シェミルにとっては慣れた事だった。ミヤと初めて会った時も、同じ事を言われていたのを思い出す。
「……よく言われます」
「悪いな。うちの妹は教養が無くて……」
「あァ? もっぺん言ってみろクソ兄」
「……それより、君は――いや、君達はどこから来たんだ? その、喋るカメラは何だ」
シェミルは答えられなかった。ここを“地獄”と呼ぶ事すら既におこがましかったが、自分達が天上から来た事を知れば、彼らも接し方を変えてしまうと思ったからだ。
『空の上よ』
そんな考えをそっちのけに、カメラは答えた。
『このシェミルって子は空の上でヘマして落とされたのよ。この“地獄”にね。
私はちょっと地上に興味があったから、ついてきただけ。天上では機械の王様とか大袈裟な呼び方されてるけど――機械が好きなただのメカニックよ』
「ちょ、ちょっとルシフェル様……!」
それを聞いた兄妹は、驚いた表情をする。
「空の……上だと? 落ちてきたのか?」
『そんなわけ。“赤銅の塔”から降りてきたのよ。
……あ、でも途中で落ちたな』
シェミルはあの時――鳥籠が落下した時の事を思い出す。あれほど死を覚悟した事はかつて無かった。
重量の魔術を操るバルドは、シェミルを怪我させる事無く地上へと運んだ。
彼とはその時別れたのだが、去り際に「生き残りたくば北へ向かえ」と言ったのだ。
シェミルはその指示通り北へと向かった。その結果が現状である。
「エミリ……俺は夢でも見てるんだろうか」
「ううん、頬つねったら痛いよ……現実だ――」
シェミルの想像とは裏腹に、兄妹は喜んでいるようだ。
その後、エミリの放った言葉にシェミル達は硬直してしまう。
「――天使様!」
エミリはそう言いながら、シェミルに抱き着いた。
シェミルとルシフェルは、ただ困惑するしか無かった。
***
「……どうしましょうか」
その日の夜、シェミルはカメラの形をしたルシフェルと相談をしていた。今後の事についてだ。
『正直、あんな反応されるとは私も思わなかったわ』
「あなたには配慮という言葉は無いんですか! 彼らの前でこの地を“地獄”呼ばわりして……」
『ないわよ』
ルシフェルは淡々とそう言い放つ。
『そもそも私の目的は、単純に“地獄”の環境・生態調査よ。……まさか、人が生きているとは思わなかったけど。
あなたのサポートはついで、よ。ついで』
「し、しかしもう少し思い遣りというものをですね……」
エミリと彼女の兄・アルベルトは、シェミル達に配慮して寝室まで用意してくれたのだ。
それを仇で返すようなルシフェルの言動に、シェミルは少しばかり反感を買っていた。
『虚偽を前提とした調査結果に何の信憑性があると言うのよ』
しかし、機械から放たれる声は至って正論なのだ。加えてルシフェルは一国の王であり六神の一人である。
シェミルは強く言える立場ではない。
『ひとまず、拠点の確保が簡単に出来たのはラッキーだったわね。てっきり私は地面に洞穴でも掘って生活するのかと思ったわ』
「拠点って……」
『まあ、疲れてるんならさっさと休みなさい。
私は気になる事があるから、少し出てくるわ。
――形態変換。探索、子蜘蛛』
ルシフェルがそう呟くと、先程まで空飛ぶカメラだった機体が崩れていく。
床に落ちた細かなブロックは、それぞれが自動的に四本の足を生やし、カチカチと音を立てながら床を歩く。それはさながら蜘蛛のような姿をしていた。
「ひぃぃぃ! な、何ですかこれは!」
『ふふ、怖がらなくても私のマシンの機能よ。自身の形質を命令によって変化させれるのよ。レンズになったり、ボディになったり。
その気になれば武器にも出来るわよ。それじゃ、おやすみ』
数十匹もの蜘蛛の大群になったルシフェルは、自力で窓を開け夜の街へと飛び出ていった。
シェミルは機神の恐ろしさを実感しながら、それをただ茫然と見送っていた。




