覚醒 - Ⅲ
僕は艦内の医務室で目を覚ました。手錠は外れている。
ベッドから降りると、医療班リーダーの清水さんが机に向かい新聞を呼んでいた。机に置かれたコーヒーの香りが、部屋中に漂っている。
窓の外は既に日が落ち、目立った景色を見る事は出来ない。
「お、目が覚めましたね。ご気分はどうですか? 身体に不調はあります?」
「いえ、大丈夫です。浴場で気を失ってからどれくらい寝てました?」
「七時間程ですね、ロディアスさんがあなたを担いで来た時は驚きましたよ」
ロディが僕を連れて来た――その事に少し驚いてしまう。てっきり殺されるかと思っていたからだ。
ただ、意識を落とす瞬間に見たあの映像が、起きた時から脳裏に焼き付いて離れない。
間違いなくあれは誰かの記憶だった。
「……ですが、たった今もっと驚く事がありました。落ち着いて鏡を見てみなさい」
言われた通り、部屋の隅にある全身を映す鏡の前に立つ。
どういう訳か、自分の片目が深い海色をしていた。
「何だこりゃ……」
「痛みや違和感はありませんか?」
驚くほど冷静でいられたが、傷みも違和感もない。
念の為の視力検査を受けたが、先週行った時よりも結果が良くなっていた。
こればかりは清水さんも原因を特定出来ないらしく、何らかのショックによる後遺症か、あるいは契約による効果だと推定された。
健康なのに医務室に居るわけにもいかず、とりあえず眼帯を付けてもらって、僕は格納庫に戻る事にした。
格納庫は艦内の地下一階――地上と接する階だが――全体に及んでおり、誰かを探すのはかなり苦労する。
ひとまずウィリアムを探し指示を仰ごうと、各部屋を回る事にした。
そして思ったよりも早く彼を見つける事が出来た。
「お、安藤隊員。心配したぞ、その眼帯は何だ?」
「いや、僕は平気なんですけどね――」
これまでの経緯を彼に話す。どうやら浴場での出来事は既に戦闘部隊全体に知れ渡っているらしい。
どうも僕は、“総隊長を助けた上、地雷の身勝手な訓練をクリアした大物”――と噂されているようだ。
どんな場所でも噂には尾ひれが付いていくものだ。その都度、噂の渦中の者の肩身は狭くなっていく。
しかし、良い噂で持ちきりになるのは結構気分が良いものだ、とも思っていた。
「……で、その眼帯を付けてきた、と」
「はい。別に僕自身は平気なんで、外してもいいんですけどね」
「おそらく契約者の情報が完全に身体に混ざったんだろ! ちょっと見せてみろ」
僕は眼帯を外し、蒼くなってしまった右眼をさらけ出す。
それを見たウィリアムは、意外にも驚いた顔をした。
「……蒼眼か。かなりレアなケースだな」
「そうなんですか?」
「ああ。魔界ではごく稀に、眼の蒼い子供が生まれる事があるんだ。原因も分からないが、その多くは魔術が使えなかったり、使えてもかなり異色な力になる事が多い」
「へぇー、レアですね」
「確か二番隊のノウム副隊長も蒼眼だったな、狭い範囲で二人も集まるのは極めて異例なケースだ……」
そう言われると結構嬉しいものだ。僕は魔術を使った事でこの状態になったのだから。
だがウィリアムの表情はいつまでも曇ったままで、僕は少し不安になってしまった。
「とりあえず、今日はもう休んでいいぞ。明日に備えておけ」
別に体調も万全だし、簡単なトレーニングくらいなら出来るのだが、休んでいいと言われたのでお言葉に甘える事にした。
休める時には休む、これが僕のポリシーである。
そう思っていたのだが、戻り際にロディと遭遇してしまった。
「……やっぱ蒼いか」
彼は僕を見てそう呟いた。眼帯はとっくに外してしまっていたのだ。
普段とは様子が違う彼の雰囲気に、思わず身構えてしまう。それに、さっき殺されかけたからなおさらだ。
「……何か用かよ」
「ちょっと、放ってみろ」
「は?」
「魔術だ。さっき浴場でした事をもう一度ここでやってみろ」
意識の淵に居たため漠然としか覚えていない。魔力の流れを逆流させて、吸い込むようなイメージだったはずだ。
僕は手をかざし、それを念じた。しかし、何も起こらない。
「まだかよ? さっきのはまさか窮地からのミラクルとでも言うのかよ、おい」
「さっきと同じ事をしてるはずなんだけどな……」
何らかの発動条件があるのだろうか。
試行錯誤しているうちに、今までとは逆に魔力を手の先へと流してしまった。
「え……」
手に今までとは違う感覚が伝わる。
そこからの事は一瞬だった。
突然僕の手のひらに鏡のように白く輝く物体が現れた。
窓のようにも見えるが、縁取りはされていないし、厚みの無い――どちらかと言えば、白く光る折り紙だ。
何これ、と言う間もなく、その窓の向こうから大量の湯が流れ込む。
その湯は僕の顔面に直撃し、自身を吹き飛ばさんとする勢いのまま周囲を水浸しにしてしまった。
「何事だ!」
訓練をしていたであろう、多くの隊員がそう言いながら顔を出し、ずぶ濡れになった僕とロディの惨状を見ては、混乱をしている。
格納庫はすぐに騒ぎになった。
よく見ると濡れた床に、二組の手錠も落ちていた。
僕の手から出てきたのだろうか。
怪我人も居らず格納庫にあった武器や弾薬も無事だったが、後々僕達二人がウィリアムにこっ酷く叱られたのは言うまでもない。
***
ウィリアムに叱られた後、商業区で僕とロディは夕食を取っていた。
「いやぁびっくりしたぜ! まさかヒロポンにそんな力があるなんてなァ! どこに通じてんだよ、その手!」
「知らん……」
「たぶんおめェの適性は、地精霊だな。……魔界じゃあ“アルド”って呼ばれてる」
「地精霊……?」
土の属性とのことだが、どうしてまたそんなマイナーな種類に適性を持って生まれてしまったんだ、僕は。
もっと、水や炎のように『属性!』と感じるものがよかった。
そもそも単純に炎や水なら分かるが、どういう理屈で地属性なんだ。
「ま、ヒロポンは覚えるこたねーよ。現地の話だしな」
「……でも、吸い込むなら風属性の方が、しっくり来るな」
「まァ詳しい事は鑑定士じゃねェと分かんねえけどな、だが亜空間に関与するような魔術は地属性に分類される事が多いのよ」
「そういえば、ロディはどんな魔術を使うんだ?」
「オレか? オレは、こうさ」
ロディは、グラスに指を触れた。
その時、軽い音を立ててグラスに小さな亀裂が入る。
「――オレは、“壊す事”しか能がねェのさ……」
そう呟く彼が、その時一体何を思っていたのか、僕はわからない。
ただその表情には、どこか哀愁が漂っているように見えてしまった。
その後、食事を済ませた僕は部屋に戻ったのだが。
「なんでお前まで来てるんだよ」
「別にいいじゃんよ、遅くになったら帰るからよ!」
ロディは僕の部屋まで付いて来た。
僕の魔術に興味があるらしく、元々僕も部屋で何かしらの調査をするつもりだったので、渋々それを承諾した。
もちろん、ウォーロックとのネットワーク上での待ち合わせを忘れていたわけではないため、二二時前に帰ることを条件に、である。
僕は部屋のロックを解除して扉を開いた。
少しこもった空気が押し寄せる。換気口こそあるものの窓がないためこればかりはどうしようもない。
「ただいまー」
玄関の靴を見るに、秋夢はもう帰っているようだ。
「……おう、おかえ――え?」
秋夢は突然の来客に驚いているようだ。表情には出ていないが。
「……おい、ヒロポン」
「何だよ」
ロディは低く小さな声で僕に声を掛けた。内容の予想は出来た。
「……なんで! おまえ……女の子と相部屋なのかよ……っ!」
「そ、そうだよ……。俺が決めたんじゃねえからな」
「バカな……っ! 理不尽だ……! オレと代われヒロポン……!」
「知るか! はよあがれ!」
秋夢はパソコンの椅子に座りながらキョトンとした様子でこちらを見ていた。
「どーもお嬢さん! ロディアスです! 戦闘部隊の地雷っつわれてます! よろしくな!」
「は、はぁ……秋夢、です……」
「オーケイあゆみん! 今日からオレたちゃフレンドだ!」
秋夢がさりげなく『なんだこいつは』と言わんばかりの眼差しを僕に投げかける。
僕は『知るか、適当にあしらっとけ』と言わんばかりの眼差しを彼女に返しておいた。
「……何か、飲みます?」
秋夢がロディに問う。彼女のスルースキルは、ネットゲーム廃人なだけあって相当なようだ。
「いや、いいよ! オレっちすぐ帰るからよ!」
「そっすか……じゃ、あとはご勝手に」
そのまま彼女はネットゲームの世界に戻っていった。
ロディの口説きは難攻不落の要塞を前に散ったのだった。
「……さてヒロポン、さっきの魔術を見せてくれよ。吸い込む方な」
「ああ……」
とりあえず、アナログの時計を机上に置いた。
「さっきは、吸い込めなかったんじゃなくて、“何も吸い込もうとしなかった”から発動出来なかったんだ」
だから、今度はうまくいく。
魔力に限りもあるため、出来るだけ少数の魔力の流れを意識しながら、右手を構えて『この時計を吸い込みたい』と念じてみた。
すると、手のひらに先程とは違った、黒くて半透明の極薄の窓が展開される。
その小さな窓は、時計を吸い込み始めた。
宙に浮いた時計は、窓の入口に入りきらず詰まった状態でカタカタと震えている。
「魔力が少ないみてぇだな。少し多くしてみろ」
僕はロディの言葉に頷き、魔力の流動を少しずつ大きくする。
それに比例して、黒い窓も徐々に大きくなり、とうとう時計を飲み込んだ。
「すげ……マジで出来た」
いつの間にか、秋夢も食い入るようにその光景を見ていた。
それよりも、僕にこんな不思議な力が与えられていた事が、何よりも嬉しかった。
「次だ。これを吸い込め。連続してものを吸い込めるのか調べる」
ロディが指差したのは机上に置いてあったティッシュ箱だ。
同じように念じ、今度は詰まることもなく吸い込めた。
そこにある事を認識していれば、距離は関係無いようだ。
そして、魔力の流れを止めない限り目標を吸い込んでも窓は消えないらしい。連続した吸引も可能だという事だ。
「じゃ、吐き出せ」
「分かった」
僕は魔力の流れを逆転させた。すると、黒かった窓は白く輝き出し、ティッシュ箱をかなりの勢いで床に叩きつけた。
続いて、時計も吐き出す。今度は、勢いが付かないように意識してみた。
時計はゆっくりと手元に出てきた。
「ホントに良い能力じゃねェか。羨ましいぜ」
「そうかな……」
確かに、たくさんの荷物を纏めて運ぶ事が出来るだろうし、その気になれば犯罪にも使える可能性だってある。
便利といえば便利だが、どうやら戦闘には向いてなさそうだ。
分かった事は、腕の魔力の流量を変化させる事で、吸い込める物の大きさ――つまりは窓の大きさが変化する事。
そして、魔力の流速を変化させる事で、吸い込みや吐き出し時の勢いに強弱が付けれるという事だ。
あと、左手で同じ事をしようとしても、うまく出来なかった。
僕は元々左利きだったので、これは少し残念である。
「いやァそこまで分かったなら満足だ! 帰るわ、じゃあなヒロポン、あゆみん!」
「あ、ああ……」
まだ時間にはなっていなかったが、ロディはそそくさと部屋を出ていってしまった。
最終的に、彼が言った通り手っ取り早く魔術を習得してしまった事に、僕は驚きを隠せないでいた。
「なんか……クラウドみたい……」
「あー、確かに」
まるで僕の右手で何でも保存ができるクラウドサービスが始まったかのようだ。
そのことから、僕はさりげなくこの能力に、〈パラレル・クラウド〉と名付ける事にした。
もちろん、人前で叫ぶつもりは無い。
契約の影響で羞恥に対する耐性が強化される事は無いようだ。
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