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「おはよー」
「おはよう氷河」
「おう、はよー」
高校生らしい活気溢れる登校風景にはもう慣れた。吹雪は首元を隠すマフラーに埋めていた顔を上げて、声を掛けてくる同級生に挨拶を返す。同級生は吹雪の顔を見て、少しだけ照れたように笑った。どうも、吹雪の整った顔に直視されると少し照れてしまうらしい。らしい、と言うのは、入学当初あまりにも人と目が合わないので、問い掛けてみた結果だ。
(特段何かしたわけでもないのに、人間とは不思議なものだ)
その結果は吹雪にとって、このような感想を抱かせるのには十分だった。4月の入学時に紛れ込み、まだ1ヶ月と少し。それでもこうして溶け込めるのは、長い時を生きて来た年の功とでも言うべきだろうか。
何にせよ、この学校にいる氷河吹雪は15歳の少年で、何の変哲もない普通の人間の一人なのだ。人間社会で生きて行く為に、人間関係は円滑に進むに越したことはない。
「烏有もおはよう」
「ああ、おはよう」
吹雪から少し距離を置いて、風羽も姿を現した。黒い髪はそのままに、金の瞳は暗い茶色にまで彩度を落としている。普段より幼いその姿に、吹雪はにやりと笑みを浮かべた。
「はよーさん、かっちゃん」
「……」
「おい、無視すんなよー」
軽口を叩きながら一緒に歩きだす。吹雪と風羽はクラスも一緒であるから、共に行動することに不自然なことはない。
「五月蠅い暑苦しい。そのマフラー毟るぞ」
「むし……っ」
確かに、もう季節は初春を超えて初夏の域だ。加えて今日は雲一つない晴天で、マフラーをし続けるには聊か暑い。しかし、これを外すという選択肢は吹雪にはない。
「仕方ねえだろーが。これは俺のチャームポイントだ」
「夏もそのままにしている気か。いい加減怪しいだろう」
「夏かあ、夏ねえ……。実体持ったままもつかなあ、俺……」
吹雪は雪鬼だ。雪深い山の奥に住まう妖怪であり、夏の暑さは未経験である。いや、記憶にもないような遥か昔に経験したことはあるのだが、如何せんその時はまだ妖怪ではなかった。妖怪は人間の前に実態を持って姿を表せるようになってこそ一人前だ。それにかかる遥かな時の全てを記憶しておくこと等、出来るわけがない。
「知らん。根性で何とかしろ」
「かっちゃん厳しい」
真面目な話、対策はある。自分の妖気を冷気に変えて体を包むことで体温を調節するのだ。しかし、そうすると汗もかかない。そうなると人間としては聊か怪しい。
「いや、人間も役者は汗をかかないらしいって雷撞が言ってたような」
「おい氷河、お前ひとりで何ぶつぶつ言ってんの」
「は!?」
話し掛けられて振り向いた先にいたのは、隣のクラスの同級生だった。驚いて隣を見れば風羽の姿はすでになく、はるか遠くにその背中があった。吹雪が意識を他の場所へやっている間に先に行ったらしい。
「あいつ、先行きやがった……」
「はは、マイペースなやつだな」
「んっとに、あいつ俺にだけ当たりがきついんだけど、どうなってんの」
吹雪は、人間に対しては意外なほど付き合いが良い風羽の、自分への態度を思って溜息を吐いた。
夕暮れの道を男が歩く。先程までの喧騒が嘘のように人の気配が消えた道を、頭から足の先まで黒い少年は歩を進め、踏切の前で足を止めた。
「来たな、吹雪」
少年は振り返らずにそう言った。夕闇の向こうから現れた少年は、「やっぱりここに来たわけね」とぼやきながら、少年、風羽の隣に並ぶ。
「おっまえ、その何も言わずに自由に動き回る癖どうにかする気ない?」
「ない」
「……即答かよ」
何と無く繋げていた言葉を切り、視線を前に向ける。吹雪も風羽も学生服を身に着けた少年だ。この時間に外にいるというだけで、警察に保護を受ける対象になる。しかし、2人には気にする素振りすらない。
―― カンカンカンカンカン
時刻は疾うに0時を超えている。都会の真ん中でもないこの地域の電車は、既に終電を終えていた。暗闇に光る踏切の警報器が点滅し、吹雪と風羽の顔を照らした。
「……残像思念だな」
「ああ。あれは幽霊ですらない。何の問題もなさそうだ」
目の前の現象について口にすれば、何事もないと判断したのか軽い返事が返って来る。
「気になるのは本体が何処にいるか、だな」
「そこまで面倒見切れねえよな」
「無論」
「然り然り。これっくらい悪戯の範疇だわ。面白そうだから放っとこうぜ」
思ったことを何の気なしにポンポンと言い合って、吹雪と風羽はその場を後にした。誰の気配もない踏切に、じんわりとした風が吹いた。