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最終話 決断のルール

 今回登場する『筆者』は、この小説の投稿者の【からくらり】ではなく、作中世界の人物です(つまり実在の人物ではなく、架空の人物です)。

 この小説に実在の人物は一切登場しません。

「姫首相の決断は、ある一定のルールに基づいて行われている。

 さほど複雑なものでもない。

 こういうケースではこう決断する。また別のケースでは、こうやって決断する。そんなのが三つ四つ並んだ程度のものである。

 そのルールに従って、必ず決断している」


 筆者は本書の序盤で、こう書いた。

「十字国を滅亡に導いた姫首相の決断」を語る本物語の最後は、その決断のルールを明らかにすることで終わりにしたい。


 決断を迫られた時、姫首相はまずそれが重要な問題であるかどうかを見る。

 大した問題ではないと見なせば、パパッと適当に決める。

 そんなの当たり前ではないか、と思われるかもしれないが、レストランで何を注文するのか延々と悩む人もいるのだから、これはこれで一つの特徴である。

 例を挙げると、首相に初めて就任し、暫定政権メンバーを選ばなければならなくなった時、姫首相は大いに悩んだが、アコビトから「どのみち一ヶ月で解散する一時的な政権に過ぎないから、適当に決めていいと思う」という主旨の指摘を受けたとたん、実にあっさりと決断を下した。大した問題ではないと見なしたからである。


 では、重要な問題であればどうするか?

 決断方法はただ一つ、「期待に応える」だけである。


 といっても、誰からの期待でもよいわけではない。

「大勢の人」「専門家」「大切な人」のいずれかでなければならない。

 この三つのいずれかから期待された時のみ、姫首相は決断できる。なお、後に挙げたものほど優先度が高い。


 では、この三つについて、それぞれ、どのように決断をするものかを見てみよう。


「大勢の人」とは、群衆のようなものである。

 アコビトと初めて出会った時、数百人の群衆からメジリヒト打倒を期待された姫首相は、その通りに決断した。

 独裁政権打倒後、サカン及び大勢のデモ隊から首相就任を期待された時も、姫首相は期待に沿った決断をした。


 もとより、みんなの期待に応え続けることが、姫首相の生涯の目標である。

 大勢の人々とは、まさに「みんな」に他ならない。

 そのみんなから期待されているのである。

 是が非でも応えねばならない、という心境になる。


 加えて、威厳ある指導者という姫首相の外見は、演じているものに過ぎない。

 本当は、確固たる自信など持ち合わせていない。自分は未熟であるとさえ思っている。

 そして周りにいる人間は、だいだい自分よりも年上であり、大人であり、経験豊富に見える。

 そんな彼らが何百人と口をそろえて「何々してほしい」と自分に期待しているのである。

 自然、姫首相は、皆がそうまで言うのだったら、という気になってくるのだ。


 なお、期待は、はっきりと口にしなければ姫首相には伝わらない。

 姫首相は、人の気持ちを察するのが苦手である。

 これは「大勢の人」であっても、「専門家」であっても、「大切な人」であっても同じである。

 姫首相は、明確に口に出された期待にしか応えていない。

 例えば、サカンから首相就任を期待された時、姫首相は、サカンの口からはっきりとそれを明言されるまでは、彼の期待を察することができなかった。

 アコビトの共感政策に対する得も知れぬ不安も、最後まで察することはなかった。


 さて、次に「専門家」である。

 専門家とは何か?

 これは、専門職に就いている者や、専門知識を身につけていると姫首相から見なされた者を指す。

 サカンのような政治家や官僚が該当する。ジョセイヒをはじめとした共感会議の面々も、共感の専門家という扱いである。じいやのような使用人達も、亡命王家の管理運営をこなしていたという意味で、専門家である。


 姫首相は専門家に弱い。

 自らを偉大な国家元首などと思っておらず、どころかまだまだ若輩者に過ぎないと自認している姫首相にとって、専門家の意見は拝聴すべき貴重な提言である。

 専門家達が自分達の提言を姫首相に実現してほしいと期待しているのなら、それに応えるべきだと思っている。


 応える際は、多くの場合、会議を開く。

 姫首相の目標は、みんなの期待に応え続けることである。みんな、と言うからには複数の専門家であるほうが望ましい。

 サカンやジョセイヒのような信頼している専門家、あるいはアンキョウのように命がけで訴える専門家であれば、単独で期待に応えることもある。

 けれども、基本は会議である。


 会議では必ず多数派の意見を採用する。

 議論をさせ、意見を出させ、そのうち最多数派の意見を、重々しい口調でもって「これに決めた」と決断するのである。

 多少何かおかしな点を感じたとしても、自分はまだ未熟者であり、一方でこれだけの専門家が口をそろえて言うことなのだから、と思っているうちに、だんだんと彼らの言うことが正しいように思えてきてしまうのである。


 あなたが引退した親の後を継いで、若くして大企業の社長になったと思い浮かべてほしい。

 あなたは重役会議に出席する。周りは皆、あなたより経験豊富で、この道何十年という専門家たちである。

 彼らは口をそろえて、ある大口の契約を提案する。

 あなたは、それが本当に会社の利益になるのか、疑問を抱いている。

 けれども、重役たちは色々な論拠でもって自説の正しさを訴える。一様に訴える。

 皆があなたに契約の締結を期待しているのだ。

 チャンスは今しかない。一時間もすれば、別の企業に横取りされてしまうかもしれない。そう言って決断を迫る。

 あなたはどうするだろうか? つい、うなずいてしまうなら、それが姫首相である。


 なお、会議において、皆が皆、バラバラな主張をしていたり、意見そのものがほとんど出て来なかったり、といった理由で多数派が存在しない場合、姫首相は決断できない。

 国家方針を決める時も、共感委員会で共感政策の具体的な実施方法を検討した時も、姫首相が決断できなかったのは、多数派がいなかったからである。


 最後に「大切な人」である。

 大切な人とは、アコビトと次王女である。

 この二人は「みんなの期待に応える」の「みんな」には該当しない。

 なぜなら、そもそも姫首相が「『みんな』の期待に応えたい」と思ったのは、次王女が亡くなってその期待に応えられなくなった代わりに、せめてみんなの期待に応えよう、と思ったのが理由だからである。

「みんな」はあくまで次王女の代わりである。

 言い換えれば、次王女、及び、次王女を彷彿させるアコビトは、特別なのである。「みんな」より上なのである。


 この二人は、姫首相が決断する姿を格好いいと思っている。

 威厳ある指導者を演じずともよい。あわあわ慌てていたり、ゴロゴロ寝転がったりしてもよい。ここぞという時に決断さえしてくれればいい。

 彼女たちが期待しているのは、一緒に悩み、考え、そうして最後に姫首相が自分の考えと判断でズバリと格好良く決断してくれることなのである。

 必然、姫首相は、この二人の前では格好いい姿を見せなければ、という気になる。

 加えて二人とも年下である。子供である。大人でも専門家でもない。

 姫首相としては、より一層、自分から主体的に考え、動き、何かしてあげなければ、という気になるのだ。


 想像してみて欲しい。

 あなたにあこがれの念を抱いている子供がいる。あなたが格好よく何か決断してくれるに違いない、といつも期待で目をきらきらさせている。

 あなたは今、その子供と二人きりである。その子は、あなたが現在悩んでいる問題について知っている。きっと今ここで、バシッと格好よく、どうするか決断してくれるのだろう、とわくわくしている。

 あなたは試みに、悩み事について、その子と話をしてみる。それで何がどうなるかはわからないが、ともかくも話してみる。

 あなたは、その子の前だと素が出せることに気づく。極めて自然な、本当の自分はこうだったんだと思えるような、そんな振る舞いができる。

 そのおかげか、頭も冴え渡る。普段出て来ないような言葉もぽんぽん飛び出す。

 その子も、あなたが何か言うと嬉しそうにする。あなたも嬉しくなる。会話も弾む。

 それに頭のよい子だ。時折、あなたが驚くような、はっとするようなことを言う。その言葉をきっかけに、思ってもみなかったような考えに到ることができる。

 あなたはテンションが上がる。話はどんどん進む。発展する。飛躍する。

 そうして、いつの間にか、これだと思えるような結論が導き出され、ビシッと格好良く決断しているのである。


 姫首相がアコビトと相談して下した政治的決断は、おおむねこのようにして導かれた。

 姫首相はこの決断をとても大事にした。また頑固にこだわった。

 決断の後で、念のために専門家に裏付けの問い合わせをすることはあったが、あくまで裏付けであり、念のためである。問い合わせの結果、決断をひっくり返すようなことは一度もしていない。

 自らを未熟な若輩者と考えていたとしても、それ以上にアコビトのことを大切に思う気持ちが強かったのだろう。

 この辺りは理屈ではない。

 大切な人と決めたことなのだから、あくまで突き通すという、姫首相の信念である。

 姫首相は、アコビトと話し合った末に決断したことであれば、誰が何と言おうと跳ねのける気概であった。そして事実、跳ねのけてきたのである。


 以上が姫首相の決断のルールである。

 このルールは、姫首相が幼少期の時に確立し、以降は亡くなるまで一貫して変わっていない。


 もっとも、第三の決断方法、すなわちアコビトとの相談による決断のルートは、途中で事実上失われてしまっている。アコビトが成長に伴って次第に自立し、姫首相に悩み事を相談しなくなったからである。それにより、二人の悩みを打ち明け合う関係が終わりを告げてしまったからである。


 無論、アコビトと話し合ったからと言って、正しい決断ばかりが導かれるわけではない。

 かえって状況を悪化させたことだってある。


 けれども、重要なのはそこではない。

 重要なのは、アコビトが姫首相に、群衆や専門家の期待に応えるのとは異なる決断方法を提供してくれていた、ということである。

 大勢の人、及び専門家は、政治的要求があった。何々してほしいという要望があり、期待があった。姫首相はその期待に応えて決断していた。その点でどちらも同じである。

 アコビトは違う。彼女はただ姫首相に格好よく決断してほしいだけである。それゆえ、姫首相は自ら主体的に考えて決断を下すのだ。アコビトと二人で楽しそうにあれこれ悩み、二人で考えを発展させ、最後に自らの意思でズバリと決断を下すのだ。

 それが正しい結果を生むかどうかはともかく、そういった異なるルートによる決断パターンをもたらしていたのである。


 その異なる決断方法が失われてしまった。

 姫首相の決断パターンは、今や一通りしかない。

 一通りしかなければ偏ることもある。

 共感会議という、共感できないものに対して厳しい目を持つ集団が力を持ち、姫首相がその期待通りに動くだけになってしまっても、それを押しとどめるものはもはや何もない。

 時には異なった視点による決断をさせることによって、政治的判断のバランスを取らせる役目を果たしていたアコビトはもういない。

 やがて、数学の禁止が議題に上がっても、姫首相はただ会議員達の期待通りに、禁止を決断してしまうのである。


 こうして十字国は滅んだ。

 ようやく今、復興しようとしている。

 姫首相は既に歴史上の人物である。

 後世、どのような評価が下されるかは、まだ誰もわからない。



 最後に一つ、取材時のエピソードを紹介して、終わりにしたい。

 筆者は本書を書くに当たり、十字国内をあちこち取材した。

 破壊と復興を経ているためか、本作の舞台となった場所のうち、かつての面影をとどめているところはほとんどない。首相官邸も姫首相の私邸も、すでに取り壊されており、姫首相が演説したバルコニーの床石などが、わずかに博物館に展示されているだけである。


 水槽山は当時のままだった。

 秋ということもあり、ドロキンが水槽から水槽へと音を立てて飛び移っていく。すぐ近くでは澄んだ渓流が流れている。


 その時である。

 筆者のそばにいた十字人らしき二十代後半ほどの女性二人組が、聞き慣れない言葉を口にした。

共数(きょうすう)」と言った。

 ドロキンを指さし、「わたし、あの魚、共数だよ」と言う。


「好き」ならわかる。

「わたし、あの魚、好きだよ」で意味は通じる。

 しかし、共数とは何か?

 筆者は十字国出身である。十数年前まで住んでいた。

 その筆者にもわからない言葉だった。


 自然の中で開放的な心持ちになっていたからだろうか。あるいは同性同年代相手の気安さだろうか。

 初対面であるにもかかわらず、意味をたずねてみた。

 先方も同じ心持ちだったのかもしれない。快く教えてくれた。


 共数とは、共感できないけれども、それはそれでいいものだと、おおよそそのような意味の言葉だと言う。

「なんかあれ、全然共感できないけど、でもあれはあれでいいんじゃないかな」というニュアンスであったり、あるいは「共感できないけれども、むしろそれがいいんだよ」というニュアンスであったり、だいたいそういうことを言いたい時に使う言葉だと言う。

「共数」の「数」がどこから来ているのかはわからない。ここ数年でいつの間にか広まり、定着してしまったのだそうである。


 ちゃぷん、と音がする。ドロキンが黄金色の身体をきらきらさせながら、きれいな渓流が流れているすぐ脇で、わざわざ濁った泥水の水槽へと飛び移っていく。


「なるほど」


 筆者は笑って言った。


「たしかに共数ですね」


 水槽ではまた一匹、共数なドロキンが飛び跳ねていた。


 完

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

本作が皆さまにとって、良いひとときを提供できていたら何よりです。

また次回作でお会いできれば幸いです。

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