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第5話 密入国

 十字国の王室復活団は秘密結社である。

 王家を復興させようとしている。復興してメジリヒト以前の立憲君主体制に戻そうとしている。


 亡命王家の使用人達の多くは十字国を祖国としており、何らかのツテがあった。

 そのツテを経由して王室復活団から姫宛に手紙が届いたのである。


 手紙の中で、彼らは国王夫妻殺害事件についてまず謝罪した。

 何度も謝罪した。

 それから、こう続けた。

 メジリヒトの横暴は、もはや国民一同耐えがたいものを感じている。姫殿下には是非帰国していただき、独裁者打倒の旗印になって欲しい。密入国ルートも、十分に広くて安全な隠れ家も、既に用意してある。生活と安全は我々が保証する。そして時が来たら、メジリヒトを打倒する一助となっていただきたい。

 おおよそ、このようなことが述べられていた。


「至急こいつらについて調べろ」


 姫は氷のように冷然とした顔を崩さず、そう命じた。

 使用人頭は「はっ」と言って頭を下げた。


 調査後、会議が開催される。


「王室復活団はおおむね信用できます」

 使用人頭は言った。

「真面目に、と言うのも変ですが、真剣に革命をして、王室を復興させようとしています。九割方信用してよろしいでしょう」


 裏を返せば一割は信用できない、ということである。

 信用するのが正しいのか、信用しないのが正しいのか、答えはわからない。


 このような、誰も正解がわからない問題に対して判断を下すのが決断である。

 常人なら迷うところだが、姫の決断は早い。

 使用人達の意見を一通り聞き終えると、すぐに判断を下した。

 自分のみならず大勢の使用人達の命運がかかった大事な「決断」を、こうも素早く下すことができる不思議さに、姫本人はまだ気づいていない。


 実のところ、姫の決断は、ある一定のルールに基づいて行われている。

 さほど複雑なものでもない。

 こういうケースではこう決断する。また別のケースでは、こうやって決断する。そんなのが三つ四つ並んだ程度のものである。

 そのルールに従って、必ず決断している。

 ルール自体は、この時期、すでに確立している。

 今回の王室復活団の件も、それに基づいて決断したものである。


 もっとも姫本人は、自身がそんなルールを持っているという自覚はない。周りの人間もまた、誰も気づかない。

 そのルールが、そしてルールに基づいた姫の決断が、自分達と十字国をどのような運命に導いていくことになるのかも、まだ誰も知らない。


 姫の下した決断は、

「十字国に行くぞ」

 というものだった。


 このまま北方連邦にいても、いつまでも政府が自分たちを受け入れてくれる保証はない。政権が変われば、あるいは国際情勢が変われば、外交交渉の道具として十字国に差し出されてしまうかもしれない。使用人達はこのように不安がっている。

 ならばいっそ、これを機に十字国に行き、王室復興を試みるべきではないか。使用人達はこのように気炎を上げている。

 姫はそんな彼らの意見を採用したのである。


 会議の場で、細かい点が詰められていく。

 使用人達は二つのグループに分けられる。

 十字国潜入組と残留組である。

 姫は潜入組である。

 残留組は監視しているであろうメジリヒトの目をあざむくべく、使用人の一人を姫に変装させ、今まで通りの生活を演じさせることも決まった。


 この話を聞いた使用人の一人が、姫に変装、という点に目を付け、こんなアイデアを出した。


「背格好の似た使用人を姫殿下に変装させます。

 そして、彼女に一度十字国に密入国させます。

 密入国のテストをするのです。

 王室復活団が我々を裏切ったり、あるいは密入国ルートに不備があったりした場合、当局に摘発されるはずです。

 そして、姫殿下に背格好の似た、このわたくし! このわたくしこそがその任務にふさわしいのですわ!」


 姫はこの案を一度承認した後、直前になって却下した。


「馬鹿者が。人をおとりにするような真似ができるか」


 堂々とそう言い放った。


「なぜ一度承認してから直前になって却下したかだと? 早めに却下して、また別の案を出されても面倒だからだ」

 とも言った。


 使用人達は、そんな姫の姿を見て、

「さすがは我らが主人、正々堂々と胸を張っていらっしゃる」

 と尊敬の念を改めて強くした。

 また、声の大きな、ある使用人は、

「だから、先輩や俺が何度も話していた通りだろう。姫殿下は、そんなことをなさる方じゃないんだ」

 と安心の言葉を口にした。


 姫は、そんな使用人達を見て、

(よ、よかった、わたしの決断は間違っていなかったんですね……)

 と内心ほっとしていた。


 結果論になるが、もしこの案を受け入れていたら、密入国には失敗していただろう。

 実は使用人の一人が、十字国の特別警察と密かに内通していたのである。

 彼は留守グループの一員だったが、姫は当然、密入国の際に、使用人を使って一度テストをするだろうと思い込んでいた。姫がテスト案を却下したのは、計画実施の直前であり、内通している使用人はそのことを知らなかったのだ。


 特別警察は罠を張った。

 夜明け前に上陸した最初の密入国者たちをあえて見逃し、二回目の本命の密入国で一網打尽にしようとしたのである。

 下手に気取られることがないよう、最初の密入国者たちには尾行すらつけなかった。二度目に来るはずの本命のことで頭がいっぱいだったのだ。


 本命はいつまで経っても来なかった。

 もし、姫が使用人を使ってテストしていたら、彼女は当局に身柄を拘束され、その後、首相になることもなかっただろう。

 歴史の「もしも」である。


 ◇


 姫は入国した。

 帰ってきた、という思いはなかった。

 十字国を出たのは三歳の頃である。記憶はほとんどない。

 

 これが十字国なのですね、と思った。

 写真や映像では何度も見ている。

 それでも、実際に土を踏んで、空気を吸うと、こんな感じなのですね、と思いを新たにすることができた。


 姫達を迎えたのは、王室復活団の首脳部たちだった。

 彼らの隠れ家に通された姫達は、あらためてそこで、国王夫妻殺害の件に対する土下座を含めた謝罪と、歓迎の言葉を受けた。

 それらの言葉をひとしきり浴び終わったかと思うと、首脳部の面々は「しばらくはこちらでお住まいください。正式なご住まいは、近いうちにご用意いたしますので」と言って、部屋を出て行った。


 謝罪の言葉も歓迎の言葉も、どうにも姫には自分のことのようには響かなかった。

 わたしは本当に王族なのでしょうか、と思ってしまう。今ひとつ自分が大層な身分の持ち主であるという自覚が持てない。


 使用人たちを下がらせて一人になる。一休みしようとする。

 目立たないようにしようというつもりで、女学生の制服の一種である上下とも黒のセーラー服を着ていた。胸元に赤のリボンをあしらっている。

 その格好のままベッドに横になる。

 興奮のせいか、時差のせいか、まだ眠くないことに気がつく。密入国したのは夜明け前であり、今はまだ朝早い時間帯であった。


「……外に行ってみたいですね」


 姫はじっとしているのが苦手だった。一人になるとその性質がはっきりと出てくる。一カ所にじっとしていると不安になる。

 王室打倒ブームが盛んな頃、北方連邦で暗殺未遂を一度経験したことが、影響している。同じ所にとどまっていると、テロか何かの標的になってしまいそうでなんだか怖くなってしまうのである。


 姫は隠れ家から出たくなった。

 外の空気を吸ってみたかったし、十字国の町の雰囲気を感じてみたかった。

 警察に見つかることや、一般市民に見とがめられることも考えたが、わたしの顔なんて誰も知らないですよね、と思い直した。


 姫の認識は誤っていた。

 インターネット、あるいは単にネットと呼ばれる全世界をつなぐコンピュータ通信回路網を通じて、姫の顔は十字国民の多くに知られている。

 悲劇の姫であり、メジリヒトに対する希望であり、凜として美しい容姿の持ち主である。

 人気が出た。

 姫の母親であり、国民に人気が高かった故王妃と顔立ちが似ているのも、人気の一端となった。


 政府は通信を規制しようとした。

 顔認識技術を使って、姫の顔が通信されようとしたらその通信を遮断しようとしたのである。

 しかし、当時の顔認識技術はまだまだ発展途上の段階であり、誤検出が相次いだ。十字国に赴任している某国の女性大使の顔まで遮断してしまったのだ。

 未来の大統領を目指す女性大使は強気なイメージを売りとしており、大いに騒ぎ立てた。

 政府はやむなく規制を解除した。

 一連の騒ぎは、かえって姫の存在と顔への注目を集めてしまった。

 姫の顔は、いまやインターネット上で誰でも見られるようになってしまっている。

 知らぬは当人ばかりである。


 姫は町に出ようと立ち上がった。

 無断で出ようとは考えていない。ちょっと外に出るくらいだからさほど大事ではないと思っていたが、といって使用人達を心配させてしまっては申し訳がない。

 若くて身体の大きな使用人を一人捕まえ、こう言った。


「外に出るから、使用人頭と王室復活団に伝えてきてくれ。お前はわたしと一緒についてくるんだ」


 若い使用人は、まさかこれが姫の衝動による外出であるとは思わず、あらかじめ計画されたものだと勘違いしてしまった。

 外出は秘密任務だ、と思い込んでしまったのである。

 私用の外出だとわかっていたら止めていたはずであり、ここでもまた歴史の「もしも」がある。


 彼は命じられた通り、使用人頭に伝えた。

 が、密入国したばかりで緊張していたせいだろうか。使用人頭には、姫に命じられて日用品を買いに若い使用人が一人で外出するものと伝わってしまった。すぐに戻るなら、と使用人頭は了承した。

 若い使用人はほっとため息をつき、ひと仕事終えた気になってしまった。王室復活団に伝えることはすっかり忘れてしまっていた。


 戻ってきた若い大柄な使用人を見て、姫は皆から了承を得られたものと了解した。

 自分が偉い人物であるという自覚が薄いがゆえに、あっさり承認が得られたことへの疑問はなかった。

 外に出る時、王室復活団のメンバーが出入り口で見張りをしていたが、若くて身体の大きな使用人の影に姫の顔が隠れていたことと、黒のセーラー服が侍女の服装にぱっと見似ていること、まさかこんなに堂々と姫が外に出るはずがないから侍女に違いないという思い込みから、あっさりと通してしまった。


 こうして姫は若い使用人と共に外に出た。

 姫首相の決断のルールは物語の最後に明かします。

 作中からも読み取れます。

 興味のある方は、推理してみてください。


 本日、もう一度投稿します。

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