第4話 次王女
二年の歳月が過ぎた。
姫は十一歳になっていた。
妹の次王女は八歳である。
次王女は、ふわふわした可愛い妹、と言われて多くの人が想像する外見の持ち主である。
その通り、ふんわりとした雰囲気を持つ。
話し方もゆっくりでふんわりしている。髪もふわふわしている。
そのふわふわした髪を揺らしながら、お姉ちゃん、お姉ちゃん、と言って小さな身体でいつも姉の後ろをついて回る。
姉がいないと不安そうにする。
姉を見つけると、そっと駆けよって、ちっちゃな手で袖をぎゅっとつかみ、えへへと嬉しそうに笑う。
次王女は姫ほど厳しくしつけられなかった。
これは、十字国に帰還して継承の儀を執り行えばすぐにでも女王になれる姫と、そうではない次王女との違いによるものだろう。
それゆえ、次王女は、姉のように威厳だの威風だのを発することもなく、より子供らしかった。
姫としても異存はない。
(わたしみたいに、似合いもしない偉そうな態度で大人と接するなんてこと、ジオちゃんがする必要はありませんよ)
と思っているくらいである。
姫と次王女は、物心がついた頃から、お互いが大好きだった。
隙あらば二人きりになった。
かたや寂しがりやで、かたや自立心に乏しいというのもあったが、それよりなにより相手のことが好きだったのだろう。
一緒になると、二人で寝転んだり、お話をしたりした。
姫は次王女の前でだけは素になることができた。唯一自然体で接することができたのだ。
素のままで接し合えば、時には悩みを打ち明けることもある。
とはいえ子供同士である。悩みと言っても大人から見れば他愛もないものばかりだ。
苦手な食べ物があるとか、家庭教師の出した宿題がよくわからないとか、夜中にトイレに行けないとか、その程度のものである。
ある時、次王女の悩みを、決断でもって姫が解決したことがある。
その日、次王女は算数の宿題をやっていた。
分数の問題である。
次王女にしてみれば、わけのわからない難しい問題である。
「なんで、こんなこと、やらないといけないのかな?」
次王女は姫にたずねた。ふわふわした髪を揺らしながら、ゆっくりと首をかしげながら聞く。
「何の役に立つの?」
とまで言った。
姫は困った。どう答えていいのかわからないからだ。
今は電卓がある。携帯電話でだって計算ができる。
わざわざ今の時代に、紙とペンで解く理由を説明できなかった。
問題を解くことで論理的思考が身につくんですよ、とか、簡単な暗算くらいはできるようになった方が買い物の時などに便利ですよ、といった答えが頭に浮かんだが、どうにも説得力のあるようには思えなかった。
自分が役に立つと思っていないものを、勉強だからやりなさいと言うのは不誠実に思えた。
と言って、役に立たないからそんなものはやらなくてよろしいと断ずるだけの理由も持たなかった。
姫は決断を迫られた。
次王女に、真面目に算数を勉強するように言うべきか、可能な限り手を抜いて構わないと言うべきか、あるいは第三の道を示すか、である。
どれが正解であるかはわからない、と姫は思った。
誰にもわからない、と思った。
こういう誰もわからない問題に対し、判断を下すことが決断なのだと、姫は思った。
「決めました!」
姫は立ち上がると、次王女に指をズバッと突きつけて、言った。
「宿題が楽しくないのは、家庭教師の教え方が悪いからです。算数が役に立たないのは仕方ない。でも、算数が楽しくなるように教えるのは、家庭教師の義務です。ですから、使用人たちを使います。使用人たちは何十人もいます。一人か二人は、算数の楽しい勉強法を知っている人がいるでしょう。その一人か二人を見つけて、教えてもらうのです」
沈黙が訪れる。
(ちょ、ちょっと格好つけすぎたでしょうか……)
次王女といると楽しくて、テンションが上がってしまう。それゆえ、ついつい取ってしまった行動ではあったが、あらためて振り返ってみると、どうにも気取りすぎのように思える。
そうして、姫が赤面しかかったその時である。
「おおっ!」
と感嘆の声が上がった。
次王女である。
「お姉ちゃん、すごい! 格好いい!」
次王女はそう言って目をきらきらと輝かせた。
冷静に考えれば、姫はまだ何もしていない。ただ方針を示しただけである。
だが、次王女にしてみれば、そんなことはどうでも良かった。
綺麗な姉が、ビシッとした格好で、いかにも責任感のあるようにズバッと決断する。
子供ながらにすらりとした姫が、つやのある黒髪をなびかせ、綺麗な顔立ちをきりっと引き締めながら、ズバリとした口調で意思決定をする。
格好つけた姿が、何ともさまになる姫が、そのさまになることをする。
次王女にとって、姉を格好よく思う十分な理由であった。
なお、後日談として、姫は忙しい使用人たちを上手いことあの手この手で乗せて、積極的に次王女に算数の楽しい勉強方法を教えるように仕向けることに成功したのである。
「ゲームだと不思議と複雑なルールも覚えちゃいますし、難しい計算もできちゃうんですよねえ」と使用人の一人は言った。
結果、算数への苦手意識のなくなった次王女は、姉への尊敬をますます強めるのだった。
そうして、何度かそんなことが続いた。
悩みは時に姫のものであり、時に次王女のものであったが、いずれのケースでも姫は、こうやりましょう、と決断を下した。
素が出せるおかげだろうか。次王女と話している時は、頭が高速で回転してどんどんとアイデアが出てくる。勢いよく結論に突き進むことができる。
次王女も黙っていたわけではない。
幼いなりにつたない言葉で「うーん、こういうのは?」とあれこれ意見を言う。
これがまた話を活性化させる。
時には、その意見をそのまま姫が採用することもある。
いわば妹の意見をそのまま結論としてしまうわけなのだが、次王女からしてみれば、別段、それで姉への評価が下がるわけではない。自分の悩みの話をしているのか、姉の悩みの話をしているのかも、どうでもいい。
ただ尊敬する姉が、「こうします!」と格好良く決断するという、自分にはできないことをズバッとやってくれれば、それだけで、格好いいなと思えてしまうのである。
「お姉ちゃん、次も期待してる」
次王女はしばしばこう言った。
言うと、後日、また姉は格好いい姿を見せてくれた。
だんだん期待という言葉が気に入ってくる。
「お姉ちゃん、期待」と言う。
「期待、期待」と言う。
言って、えへへ、と笑う。
まるでその言葉が自分と姉とをつなぐ架け橋となるかのごとくである。
「はい、お姉ちゃんは期待に応えますよ」
姫がそう言うと、とても喜んだ。
姫もまた、喜ぶ次王女を見て、ジオちゃんジオちゃんと言って頬を撫で、ほっこりした心持ちになる。
そんな日々に、あるとき、影が差す。
じいやが病没したのだ。
少し寝込んだと思ったら、あっという間だった。
老齢であることに加え、異国の慣れない環境が数年来、負荷になっていたのかもしれない。
じいやの死は、姉妹に衝撃をあたえた。
とりわけ次王女にとっては大きなものだった。
姫と次王女では、しつけの方針が違ったと書いたが、言い換えればしつけを担当した者が違っていた。
故家政婦長が姫の担当であったなら、次王女の担当はじいやだった。
次王女にとって、じいやは祖父のようなものであったのかもしれない。
優しい祖父だった。
ほめるのが得意だった。
じいやが次王女をほめているところを、姫は何度も見ている。
次王女には自分のような裏表のある人間にはなって欲しくない、と姫は思っていたので、じいやには感謝していた。
そのじいやが死んだ。
姫は一週間ほどで落ち着いた。
次王女はまだ「お姉ちゃん、じいやがいない」と泣いている。
さらに一週間が過ぎた。
次王女はようやく立ち直った、と、さて、言ってよいかどうか。
表向きは元気になっている。
ただ、姉である姫への依存が、以前にも増して強くなった。
一日中抱きついて離れなかったこともある。
離そうとすると、「嫌なの?」と泣きそうな顔をする。
姫としても、嫌だ、というわけではない。
次王女はかけがえのない存在である。
けれども、妹が可愛いからこそ、もっと自立の心を持ってほしいとも思っていた。
ある時、ふと、学校はどうでしょうか、と思った。
学校、と口にしてみる。たいそう名案のように思えてくる。
同年代の子供達と学校に行けば、自然と自主自立の精神も養われていくのではないかと思った。姉への依存も減るのではないかと思った。
(わたしは、ジオちゃんとは別の学校に行くべきでしょうね)
そうして自然と距離を取る。寂しいけれども、今までのようにベタベタするのはしばらくやめる。
自分達はまだまだ子供だけれども、いつまでもこのままというわけにはいかない。
学校はその第一歩のように思えた。
「妹と二人、学校に行ってみてはどうかと考えている。意見しろ」
使用人達を前にした会議の場で、姫は宣言した。
姫は重要だと判断したことは会議にかけて決める。亡命王家の予算の割り振り、今度の来客のもてなし方、使用人が仕事上の大きなミスをした時の処分の決定、などである。
じいやがいた頃は彼をはじめとしたトップクラスの使用人を五人前後集めていた。亡くなってからは新たな使用人頭がじいやの代わりを占めるようになった。
そうして議論させる。
姫はじっと黙って聞く。長々と時間はかけない。
そこそこ議論が進んだところで、ズバリ決断を下す。決して悪い決断ではない。使用人達も滅多に反対しない。
まだ子供の姫がどうしてこうも本来大人がするような決断を迷いなくできるのか、その不思議さには誰も気づかない。
いずれにせよ議論した。
議論の結果、姫の提案は全面的に通った。
二人は学校に通うことに決まった。
一度決まると後は素早かった。
北方連邦の教育省と交渉した。通う先の学校も決めた。自分と妹の入学手続きもした。
これまでは家庭教師が二人の勉学の先生だった。王室打倒ブームの火がまだ燃えさかっていたからである。
外は危険だった。幼い時分には、暗殺未遂すら経験したことがある。
けれどもこの時期、すでにブームは世界中で沈静化していた。追放した王家に復活してもらおうとする運動すら、多くの国で堂々と行われていたほどである。
それゆえ姫は、登校という形で毎日外出しても今なら問題ないだろう、と考えたのである。
彼女は終生、この決断を悔やむことになる。
学校に通い始めて一ヶ月が経ったある日、次王女が事故で亡くなったのである。
事故、というのは警察の公式発表である。
下校中、車にひかれた。
公園を突っ切った車がとつぜん歩道に突っ込み、次王女をひいたのである。
次王女には護衛が一人いた。下校中には身辺警護が付く。その護衛も、公園から飛び出してきた車は予想外と見えて、どうにもならなかった。
運転手の男は過去に王室打倒運動に参加していた経歴があった。経歴はあったが、今回の件を故意と断ずるだけの証拠はどこにもなかった。
男は離婚したばかりであり、やけになっていたせいか、酒を大量に飲んでいた。
警察は飲酒運転による事故と結論づけた。運転手は死亡しており、真相を語る口はどこにもなかった。
姫の受けた衝撃はじいやの時の比ではなかった。
学校に行くのもやめ、屋敷の中をうつろな目で一日中うろうろした。
「ジオちゃん……ジオちゃん……」
そうつぶやきながら、ぼうっとした足取りで徘徊する。
とりわけ事故が起きる直前の次王女は、慣れない学校生活が上手く行かずに落ち込み、悩んでいる様子であった。にもかかわらず、姫は自立のためと、そんな次王女を放置していた。何とかしてあげなきゃ、という気持ちを抑えて、放置していた。
その事実が、ことさらに姫の心を責め立てた。
「ジオちゃんと一緒に、悩んだり、考えたり、決断したりしてあげられなかった……」
ただただ、そうつぶやく。
姫は悔いていた。
次王女とは、互いによく悩みを打ち明け合っていた。二人で、困ったね、どうしようか、と顔を突き合わせて考えた。そうして最後に姫がズバリと決断を下し、次王女が格好いいと喜ぶ。
その関係で良かったじゃないですか、と姫は思うのである。
その関係のままでいれば、こんなことにはならなかったんです、と。
そうして、悔い、自責し、もう二度と見ることのできない次王女のふんわりした姿を脳裏に強く思い浮かべながら、ジオちゃん、ジオちゃんと何度も何度もつぶやき続けるのだった。
二ヶ月が過ぎた頃、ようやく復帰した。
いくぶんやせていたが、見た目上はそれ以上の変化はなかった。
姫は亡命王家当主としての活動を再開した。
来客に応対し、使用人達を管理し、季節の折々には十字王家伝統の儀式を執り行った。
初めはぎこちなかった表情は、やがて以前のように自信あふれる偉そうなものとなった。会議を再開し、決断もこなすようになった。
姫は決断を下すと、ビシッと腕を伸ばし、指を突きつけて命令する。ズバズバ決断して、ビシビシ指を突きつけた。
次王女事件は、姫に終生残る影響を一つ与えた。
生きる目標を定めさせたのである。
立ち直った時、姫は思った。ジオちゃんの分まで生きなくっちゃ、と。
生きる以上は、何か目標がないといけない。
それは何か?
姫が思い出したのは、期待、期待と言って自分に尊敬のまなざしを向ける次王女の姿だった。
(そうです)
姫は思った。
(ジオちゃんは、わたしにいっぱい期待してくれました。
でも……でも、ジオちゃんはもうどこにもいません。
いなくなった人の期待をいつまでも引きずるのは……冒涜ですよね。
だったら……。そうです、だったら、その代わり、今生きているみなさんの期待に応えればいいのではないでしょうか。わたしなんかに期待してくれている人がいたとしたら、その人達のために全力で応えるべきなのではないでしょうか)
もとより姫には人の期待に応えたいという性質があった。その自身の性質を、次王女の件をきっかけに、はっきり自覚するに到ったのである。
みんなの期待に応える。
姫の終生変わらぬ目標は、この時生まれた。
この目標が、十字国をどのように導いていくかは、まだ誰も知らない。
もっとも、すぐには何も起こらなかった。
何も起こらないまま、五年の歳月が過ぎる。
姫と十字国の命運を大きく左右する出来事が起きたのは、姫が十六歳になった年の春であった。
十字国の王室復活団から、ぜひ我が国に帰ってきていただきたいと乞われたのだ。
読んでいただき、ありがとうございます。
予定より6時間、投稿時間が遅れてしまいました。すみません。
なるたけ毎日更新を続けながら、最終話まで粛々と書き進めます。
2017/10/21 サブタイトルのミス修正
2017/10/28 誤字脱字修正




