第3話 十字国の過去
じいやの話はこうである。
六年前、十字国にゼンブ・メジリヒトという政治家がいた。
当時五十歳であったが、がっちりとして引き締まった身体と、精力あふれる顔つきのおかげで、一回りは若く見えた。
肉をたくさん食べ、りんごを片手で握りつぶしそうな男を思い浮かべていただきたい。その男に、高そうなスーツを着せ、さわやかな笑顔を貼りつけていただきたい。
それがメジリヒトである。
平たい顔を持つ者が多い十字国民の中で、彫りの深い彼の顔立ちはよく目立った。
メジリヒトは元々警察官だった。
若い頃にテロ事件の人質救出作戦で大いに活躍し、国民的英雄となった。
名声を得たのちは、それを背景に政治家に転じた。
彼は二十年近い歳月をかけて、時には地道に、時にはライバルを蹴落とし、少しずつ自らの派閥を育て、政治家としての地位を高めていった。
ほどなくして、十字国に王室打倒ブームが訪れる。
もっとも、この国では、ブームは少し違った形で巻き起こった。
十字国では王室の人気は高かった。
それゆえ、ブームも、王室を倒そうというのではなく、「政治家や役人の道具にされている国王殿下と王族の方々がかわいそうだから、そんな悪いやつらから解放して差し上げよう」という形に書き換わったのだ。
別に、国王らは、政治家や役人の道具にされていたわけではないが、そのあたりはブームの勢いというものだろう。
もはや、王室打倒というより、王室改革である。
連日、国会や王室庁の前でデモ隊が騒ぎ、「王族解放」を訴えた。
メジリヒトとその派閥の議員たちは国会議員の中で唯一、このブームに真っ向から反論した。
他の議員たちが、王室の問題はデリケートだから関わりたくないだとか、下手にブームに歯向かって支持率が落ちるのが嫌だとか言っている中、唯一彼の一派だけが真正面から反対した。
王室打倒ブームは間違っている、と叫んだ。
こんなことをしていてはいけない、と訴えた。
人々の白眼視にも構わず、大きな声で、目立つように、ことあるごとにそう主張した。
国王夫妻の車が王室打倒運動のデモ隊におそわれ、夫妻が殺害されるという事件が起きたのは、そんな時分のことである。
国民の衝撃は大きかった。
繰り返すが、十字国において、王室の人気は高い。
王室打倒ブームというものが起きていたとしても、王族自体を害しようという様子はなかったのである。
にも関わらず、国王夫妻は殺害された。
事件後、実行犯達は気勢を上げたりはしなかった。
むしろ罪悪感に打ちひしがれていた。
「国王殿下夫妻の車だとは知らなかった」「王室庁長官の車だと思っていた」と誰もが悔やんだように口をそろえて言うのである。
言いながら自身には厳罰を望んでいるのだから、単純に、責任逃れの嘘と断じて済む話でもない。
何とも不可解な事件であった。
じいやはメジリヒトこそ黒幕だと信じている。
事件後、メジリヒトは一転して持ち上げられた。
まさに彼の言った通りになったからである。
ブームが真っ盛りの頃は彼を白眼視していた人々も、事件が起きてからは、素直な感嘆の気持ちと、そして何よりも罪悪感をごまかす気持ちに突き動かされて、メジリヒトを絶賛した。
メジリヒトの人気は急上昇した。彼は自身の所属している党の党首になった。
王族はこぞって亡命した。
当時三歳だった姫と、〇歳だった妹の次王女は、病院で定期検診中であったが、事件の一報を聞くと、じいやたち使用人に連れられてツテのある北方連邦という国に亡命した。
十字国から王族はいなくなった。
内閣はこの一件の責任を取る形で総辞職した。
総選挙の結果、メジリヒトの党は議会の過半数を確保し、首相に就任した。
同時に彼は、王が不在であることを理由に国王代理人の地位に就いた。
代理人の権限は王と同じである。
ゆえに、王と同様、その地位には何の権力もないものと思われていたが、実は百五十年も前から形骸化して久しい法律上の王の権限が一つだけ存在したのである。
非常令発布権である。
これは憲法をはじめ、あらゆる法を一時的に停止し、代わりの法律を独自に制定できる権限であり、つまるところ「私が法律」を実現できる力であった。
もともとは戦争や大災害などを想定して作られた権限である。政治的事情で形だけ残され、存在すら長いこと忘れられていたのだが、法の形式の上ではまだ有効であった。行使には首相をはじめとする全閣僚の承認が必要であるが、内閣の支配者であるメジリヒトには何の障害にもならない。
メジリヒトはこの伝家の宝刀をすぐに抜き放ちはしなかった。
彼は警察出身であり、議員になってからも人脈の維持と構築に余念がなかったため、警察と司法という、いわば国家の暴力装置に対して強いコネを持っていた。
そのツテを利用して、まずは特別警察という組織を設立したのである。
王がいなくなった今、政情はきわめて不安定であり、治安を安定させるための強い組織が必要である、というのが表向きの設立理由であった。
特別警察は事実上メジリヒトの手足であった。
メジリヒトはその手足に、三年間かけて少しずつ権限と予算と人員を与えていったのである。
その期間、裏では王族の十字国帰還の妨害に手を回すことも忘れていなかった。
三年後、特別警察が十分に育ったことを確認すると、メジリヒトはとうとう非常令を発布した。
議会はただちに解散され、メジリヒトは終身総統に就任した。
反対者は多かったが、彼らは特別警察による容赦のない弾圧を受けることとなった。
令状なしに家宅捜索や逮捕ができる権限が与えられた特別警察は、今や、自分たちが犯人だと思った相手を自由に犯人に仕立て上げることができるのである。
ありとあらゆる「犯罪者」が、特別警察によって地上から消されていった。
メジリヒトは独裁者となった。
今でも独裁者である。
十字国を支配している。
話を聞き終わると、姫はすぐに質問をした。
「非常令と言ったな。どうしてそんな危険な法を放置していたのだ?」
「誰も波風を立てたくなかったのです」
と、じいやは答えた。
「政治家達にしてみれば、王室に関する問題はデリケートであり、票になる見込みもないのにわざわざ近寄りたくありませんでした。
官僚達にしても、下手に突っつくと、先輩達が今まで爆弾を放置してきたことがバレてしまい、彼らのメンツを潰してしまいます。そんなことをしたら、上司やOB達からにらまれてしまい、省庁内での立場を失ってしまいます」
姫は答えを聞くと、「ほぉ……」と軽蔑したような顔をした。
「それでメジリヒトとやらは今、何をやっている?」
「私腹を肥やしています」
「ぜいたくをしていると?」
姫の質問に、じいやはうなずいた。
「さようでございます。税金の多くはメジリヒトとその子分達の懐に入ります。彼らはその金での私欲の限りを尽くしているのです。
反対するような気概のある人間は、一人残らず特別警察につぶされています。
その特別警察もやりたい放題です。
一般市民が道を歩いていると、いきなり特別警察に連行されてしまいます。ワイロを払わなければ解放されません。支払いが遅れると、暴行を加えられます。
家の中にいても同じです。特別警察が突然押し入ります。贅を尽くした接待をしないと当然逮捕です。
接待をしても、難癖を付けられて逮捕されることもあります。逮捕されたら、その場でワイロを払わないといけません。でないと、腹いせに家に火を付けられることも珍しくありません」
「……本当か?」
しばしの沈黙の後、姫はそうたずねた。
「本当です」
じいやは答えた。
「そうか、十字国は相当にひどい状況なのだな」
姫はそう言ってため息をついた。
姫はため息をつくときも、怜悧と威圧の伴うつき方を日頃はするのだが、この時は生々しい話を聞いたからだろう。
なんとも、ひっそりとしたため息だった。
じいやは、そんな姫のため息を聞き、何か言おうとして、すぐに口を閉じてしまった。
じいやが口にしようとしたこと、それは十字国民の今の気持ちであった。
王室打倒ブームに乗っかり、結果として国王夫妻殺害に加担してしまったことを十字国民の多くは後悔していた。
十字国民は汗を流して苦労することを尊いと思う習性があったが、といってこのように理不尽な苦しみを味わいたいわけではない。
メジリヒト政権で苦しめば苦しむほど、王室時代の記憶は美化され、あの頃の方がはるかに良かった、王様がいてくれた時のほうがずっと良かった、という気持ちが湧いてくるのだった。
国王夫妻を死なせてしまったのは間違いだったと彼らは悔やんでいた。同時に王室に対して罪悪感を覚えていた。取り返しの付かないことをしてしまった、という思いが国民にはあった。
「いや、まだ取り返しは付く」
国民は言う。
「外国に亡命した王族がまだ残っている。自分たちで追い出しておいて虫のいい話かもしれないが、彼らの内の一人でも戻ってきてくれれば、王家は復活するじゃないか」
今さら王族が帰ってきてどうするんだ、という悲観的な意見は、大衆の好むところではなかった。暗い情勢下であれば明るい話がしたい。
「考えてもみろ。メジリヒトが台頭したのは、王族がいなくなってしまったからだ。ということはだ。逆に言えば、王族が帰還してくれれば、メジリヒトは……」
こんな希望に満ちた話が、誰かの部屋で、酒場の片隅で、高架線の下で、こっそりと交わされた。
帰ってくるかもわからない王族に期待してどうするんだ、自分たちの力でメジリヒトを打倒しなければ意味がないじゃないか、というもっともな意見もあったが、そんな正論よりも、ある日英雄がやってきて何もかもを解決してくれるという景気のいい話のほうが、悲惨な情勢下においては魅力的であり、やむことはなかったのである。
じいやはこれらの事情を全て知ってはいたが口には出さず、ただじっと黙って、姫の言葉を待っていた。
最後に姫はこんな質問をした。
「わたしの本名はなんだ?」
「残念ながら……」
じいやはそう言って横に振った。
「わからぬのか?」
「王家の伝統として、王位継承権第十位までは、生前、名を明かしてはいけないことになっているのでございます。
本名を知るのは本人とご両親と兄弟姉妹だけです。
継承権一位の女性は姫、男性は公と呼ばれることになります。ですので、姫殿下は姫とお呼びするのです。
二位の女性は次王女、男性は次王子と呼ばれます。ですから、次王女殿下は次王女です」
「そんな小さい頃のことは、もう覚えていないな……」
姫はため息をついた。彼女の両親は三歳の時に殺されていた。当時の記憶などほとんどなかった。
(ジオちゃんも……知らないでしょうね)
ジオちゃん、というのは姫の次王女に対する愛称だった。亡命当時は〇歳である。
自分の本名がわからないということに、姫は何とも言えない寂しさを感じた。
気持ちが寂しくなると、将来への不安が頭をよぎる。
今、姫達が北方連邦にいることができるのは、この国の好意によるものに過ぎない。
実際は好意という名の様々な政治的事情によるものだが、ともかくも、明日には突然状況が一変してしまってもおかしくないような、不安定な立ち位置であることには違いない。
なんとも心細くなる現状である。
王女の肩書きを持ち、数十人の使用人達に囲まれてはいるが、それの他は、妹と暮らす九歳の平凡な女の子に過ぎないと、姫は自身を認識している。
その認識が、一層心細くさせる。
この先自分達はどうなってしまうのか?
現状を打破するには、一体どうしたらいいのか?
答えの出ない疑問を抱えながら、姫は不安な気持ちに包まれていた。
次回は10/20に投稿します。
2017/10/20 メジリヒトが国王夫妻殺害犯を捕縛する描写が不自然だったのでカット




