第21話 共感大会と共感教育
共感委員会にて提案された「国民みんなが共感し合えるようになる案」は、共感大会、共感教育、共感宣伝、共感診察、共感ネットワークなど多岐に渡る。
これらが全て、姫首相の命令通り、試験運用という形で実施に移された。
そうして数ヶ月の月日が過ぎた。
成果報告が、徐々に上がり始めた。
最初に報告されたのは共感大会の結果であった。
共感大会とは、おおよそ次のようなものである。
まず、対象地区の地域住民のうち、成人した者をランダムで五十人前後、会場に集める。
そうして、互いに自分の仕事のことや生活のこと、趣味のことなどを話させる。一人が発表し、他の者は皆聞く。終わると質疑応答をする。それも済むと次の一人がまた発表する。
それを全員分繰り返す。
聞き手は発表者の生き方、考え方、人物像といったものに共感を覚えるかどうか採点をする。
共感を集められなかった者は、後日、行政主催の講習会を受けなければならない。どうしたら共感してもらえるか、の指導を受けるのである。
指導はみっちりやる。終わる頃には、みんなから共感されるような人物に生まれ変わるはずである。
これを十字国中、様々な地域で繰り返し行う。
やがて十字国民の誰もが互いに共感し合えるようになる。
そういう狙いである。
今回の試験運用は、中央部、北部、南部、東部、西部から地区を一つずつ選んで実施した。
合計五回行われたことになる。
「どの地区もダメでした……」
共感委員会の席上で、報告者である官僚は疲れたような顔つきで言った。視線はただ手元の書類に向かい、発する言葉は自信に欠けている。
「まず、皆さんなかなか集まりません……。仕事がありますし、休みの日もバラバラです。休みだとしても、家庭の事情でどうしてもと言われれば、それ以上強いるわけにはいきません。
そうしてどうにか集めた人たちも、どうも、その、覇気というかやる気がないようでして。休みの日にわざわざ来てやったんだという不機嫌さにあふれていますし、それにどうにも我々に反発を覚えているようなのです」
「反発だと?」
委員の一人がたずねる。
「はい。このあたりは、参加者に紛れ込ませておいた行政側の人間が上手いこと聞き出したのですが、その、つまり、なんで国が私たちの生き方に口出しをするんだと、自分の生き方や思想は自分で決めると、そういう風に抵抗感を持たれてしまっているようなのです。共感を大事にするのはいいけれども、自分の内面に口を出されるのは嫌なようなのです。
ともかく、終始そんな具合にやる気がありません。やる気がないから成果も薄いですし、だいいち先ほど申し上げました通り、皆さんなかなか集まりませんので、そう頻繁にできないんです。この辺は地区ごとに色々とやり方を変えてはみたのですが、どの地区も似たような結果に終わってしまいました。
それで、まあ、その、手間暇と国民の負担をかけるわりに結果が出ないとなると、私どもと致しましても、ちょっと……」
実のところ姫首相は共感大会には期待していた。
「人と人が面と向かい合って互いの心を語り合う」
「地域住民の心をはぐくむ」
「誰もが人々から共感を集められるようになる」
といった、いい意味にしか聞こえないキーワードが、共感大会案には散りばめられていた。
そのキーワードから受ける響きに、姫首相は期待していたのである。
それだけにこの結果は意外であった。
意外ではあっても現実は受け止めなければならない。
決断を下さなければならない。
共感大会案を、今の路線のまま続けるか、路線変更した上で続けるか、このまま規模を全国に拡大するか、すっぱり中止するか、である。
共感委員会の委員たちからは、不参加の人間を罰したらいいんじゃないかとか、押しつけがましい印象を弱めるために芸能人を呼んで司会進行させたらいいんじゃないかといった意見が出る。
姫首相には、それで解決するようには思えない。
といって、中止するには惜しい気がする。
「人と人が顔を合わせて共感をはぐくむ」という良い意味にしか聞こえないフレーズのすばらしさを切々と訴え続ける委員もいる。人と人とが直接会って共感を育てていくことが大事なんだ、だから共感大会自体は間違っていないんだ、と別の委員が続く。そうだそうだ、という声が上がる。
「すぐには成果が出ないものかもしれぬ。もう少し続けろ」
姫首相は優美な仕草で、片頬に白いなめらかな手を当てたまま最終決定を下した。
報告者は何か言おうとしたが、姫首相の冷たく威圧するような視線にたじろぐと、顔を暗くしたまま、すごすごと引き下がった。
◇
幾日か後、今度は共感教育の報告がなされた。
共感教育とは文字通り、学校教育で子供たちの共感心をはぐくもう、というものである。
「一言でいうと、手探り状態であります」
共感府の官僚は、共感委員の面々を前に、はきはきした口調で言った。
失敗の報告こそ堂々としなければならないというポリシーの持ち主である。
「我々は全国の小中学校から、様々な地域、様々な学年を選んで、共感教育を試みました。
授業形態は、基本、講義ではなく実習という形です。例えば二人一組でペアを組ませ、お互いの共感できるところを見つけ合います。また、相手から共感してもらえるにはどうしたらいいか、を考えさせ、実際にやらせます。
課題も出します。自分の共感できるところをアピールした作文を書かせ、それが広く世間一般で共感できる内容かどうかを採点するのです。
そうやって、生徒達の共感力を測定します」
「どうやって測定するのかね?」
委員がたずねる。
「心理学のテストのようなことをやらせます。脳科学の知見も加えています。
将来的に全国的に拡大した場合を想定すると、あまり生徒一人一人に本格的な検査をするわけにはいかないので、健康診断のような簡易的なものなのですが、映像を見せたり、文章を読ませたり、人前で今朝の出来事を話させたりして、その時の脳や心臓の動きを計測し、また周囲の人間の様子を観測します。
そうすると、人に対してどれだけ共感することができるのか、人からどれだけ共感を集めることができるのか、の二点が数値でわかるのです」
「今回の教育で、数値は増えたのかね?」
「残念ながら、三ヶ月の教育期間を経ても数値は二点ともほとんど上昇が見られませんでした。教育のやり方が間違っていたのか、数値の測定方法に問題があるのか、あるいはそう短期間に成果が出るものではないのかはわかりませんが、現時点では失敗と言わざるを得ません」
報告者はそう言って話を締めた。
委員達は、元よりすぐに成果が出るものではないのでは、と言ったり、測定方法を変えれば案外良い結果が出るのでは、と言ったり、いずれにせよ教育は何を置いても基本ですから長い目で見てやるべきでしょう、と言ったりしている。
姫首相は「ふむ」と表情を変えずに言った後、「そのまま続行しろ」と共感教育の継続を命令した。
共感大会も共感教育も、現時点では十分な結果が出ていないことに、姫首相は心の内でそっとため息をついた。
そうして、(いいえ、まだ結果が出ていないものはたくさんあります。まだまだこれからです)と自らに言い聞かせるのだった。
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