第19話 共感委員会の始動
首相補佐官ホーツ・サカンは、行動力と調整力を併せ持った人物である。
政治家としての経験もある。
けれども、彼は自らを、国家元首になれるような人間ではないと確信していた。
(十字国の元首にふさわしいのは俺じゃない。姫首相だ)と、そう思っていたのだ。
姫首相とサカンの最大の違い、それは決断力である。
サカンは姫首相の意向を受けて動くことはできる。提案もできる。ある程度方向性の定まっている問題に対してであれば、独断で動くこともできる。
けれども、何が正解か誰もわからないような問題に対して、多数の人間を巻き込む決断を下すことはできない。自らの名前を前面に出し、皆の先頭に立ち、国民全員が注視する中、自身の進退どころか国家の命運すらかかった決断を次々に下すことなどできない。
権限がないし、あったところで積極的に権限を分散させ、誰の責任でもない形にしていただろう。無理にやらせれば胃に穴が開いてしまうに違いない。
姫首相はできる。
後世の歴史家からは「姫首相のやっていたのは決断ではない。あれは要するに○○だ」と言われてしまっているが、ともあれ外から見る分には堂々たる政治的「決断」を常日頃からこなしているように見える。
とはいえ、実のところ「決断」には法則がある。できる時とできない時がある。
そして姫首相はいま、「できない」パターンに直面していた。
(どうしましょう……)
姫首相は困り果てていた。
原因は動き出したばかりの共感委員会にある。
「国民みんなが共感し合える国」にするには、具体的に政府として何をすればいいか。これを決めるのが共感委員会の仕事である。
委員会の構成員は閣僚や議員や学者など、有識者とされる者たちが占めている。委員長は姫首相自らがつとめる。
が、何も決まらない。
意見は色々と出る。こういうことをやれば、誰もが共感し合える国家を築き上げられる、という案は続々と出る。
しかし、なかなか絞り込めない。
委員会ではこのような会話が繰り広げられている。
「共感大会というのはどうでしょう。地域ごとに国民を集めてですね、互いに共感できるポイントをアピールし合うんです。地域住民同士の交流にもなりますし、隣近所の人たちと共感し合えれば、生活にも潤いが出るのではないでしょうか」
「どうですかね、最近は世の中みんな忙しいですしね。頻繁に大会を開くわけにも行かないですし、時間も合わないんじゃないですかね」
「時間が合わないなら、ネットを使うのはどうでしょう。ネット上で仕事のこと、日常のこと、趣味のことなどを書いてもらって、共感できる書き込みをみんなで評価し合うんです」
「ネットってインターネットのことかね? 正直ピンとこないねえ。やっぱり人と人同士が直に会わないと、本当の意味での共感なんてできないんじゃないかねえ」
「学校の教育現場で共感の大切さを教えたらどうでしょうか。実践編として生徒同士で共感させる。いや、教師と生徒同士も共感させれば、なお良いじゃないですか」
「しかし、効果が出るのに時間がかかりますな。それに大人には効果がありません。いや、無論、やらないというわけではない。やってもいいが、しかし、ただちに効果があるかというと、どうだろうねえ」
「共感の大切さを訴えるテレビ番組を流してはどうかね。CM枠を買い取ってキャッチーな共感宣伝を流してもいい」
「うーん、姫首相が既に共感のすばらしさを訴える演説をなさっていますし、あれの後で何を出しても効果が薄いのでは?」
「いっそのこと共感をテーマとした映画を作ったらどうでしょう。もちろん主演女優は姫首相で……」
「馬鹿か、貴様! そんな恥ずかしいことができるか!」
意見はことごとくバラバラだ。
理由は共感委員たちの経歴にある。
彼らの経歴は様々である。議員もいれば学者もいる。議員にしても軍人出身の者もいれば、民間企業の経営者出身の者もいるし、二世議員でほぼ社会経験なく議員になった者もいる。
経歴が多様なら、考え方も多様であり、必然、意見も多様となる。バラバラとなる。
加えて誰も決断をしようとしないので、バラバラな意見はバラバラなままで、まるでまとまらない。
苦労するのは姫首相である。
委員会が終わると彼女は一人密かにため息をつく。
つまるところ、また姫首相自身が決断を下さなければならないのだが、どうにも判断の決め手に欠けているのだった。
誰かに相談したかった。
寂しがりやの姫首相は、一人で問題を抱え込むのが苦手である。
サカンは相談相手にならない。今回のように正しい答えを予想することが困難な問題と対峙するに当たって、サカン補佐官は相談相手に向いていない。彼が頼りになるのは、何をやるか決まった上での組織作りだの根回しだの実現手続きだのにおいてである。何をやるか自体の相談には適さない。
いつもなら迷うことはない。
アコビトと話せばよい。
ところが、彼女は今、海外の絵画コンクールに向けて絵を描いている最中だった。
アコビトは幼いなりに、自分が姫首相に頼りがちなところ危惧していた。今はまだ子供だからいいけれども、大きくなってもこのままだったらどうしよう、と思っていた。一度両親と死別しているだけに、ある日突然一人になった自分、というものをリアルに想像できてしまった。
まだ独り立ちは無理でも、そのための準備はしておきたいと考えていた。
海外のコンクールに絵を送るのも、その一環である。
自分の絵は、上手い上手いとほめてはもらえてはいるが、実際のところ、世の中にとってどれほどのものなのか知っておきたかったのである。十字国内のコンクールでは姫首相の名が影響をしてしまうため、使用人に頼んで外国の新人画家の登竜門となるコンクールに送ってもらうことにしたのである。
つまるところ、自立心が、ささやかながらも芽生え始めてきたのである。
とはいえ、別段アコビトは姫首相を拒絶などしていない。
どころか、顔を見せれば、絵の邪魔とは欠片も思わず、ぱあっと表情を輝かせて、とてててと駆け寄ってきて、ぽすんと顔を姫首相の胸に埋めただろう。
だが、実際の行動として、姫首相がアコビトに相談することはなかった。
(アコは今がんばってますから)と思ったのが半分、(下手に話しかけてアコに嫌われたら……。いえ、アコはそんなことで嫌うなんてことはしないですが、でもアコはあれで案外恥ずかしがりやで、絵を描いている時に急に部屋に入ったら「まだ見ちゃダメなの!」ってすごく怒られて、あれ以来ノックは欠かさないようになりましたし、ああ、でもでも……)と思ったのが半分である。
もっとも相談をやめたところで、どうするという当てはない。
姫首相は現状を整理する。
政治とは、まず国家目的を優先度順に並べ、優先度が高い目的から順に達成されているかをチェックし、達成されていなかったら対策を講じるものである、と姫首相は考えている。
最優先目的である安全と豊かさは既に得られている。
得られていないのは、生きることの次に大切なこと、すなわち十字国民を共感で満たすことである。
けれどもその目的を実現する手段がまるで決まらない。
姫首相はため息をつく。
ともかくも手段を決めなければ何も始まらない、けれども何をしたらいいのかわからない、さあどうしよう、困った、というわけである。
困った姫首相は考える。考える。何もわからない。頭がこんがらがる。時間ばかりが過ぎていく。
焦りからか、日を追うごとに疲れが出てくる。ふらつく。
しまいには、何度か本当に倒れてしまいそうになり、心配した周囲の人間が、強引に休みを取らせるのだった。
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