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第2話 姫の疑問

 七年前、姫首相(ひめしゅしょう)は、単に姫と呼ばれていた。

 使用人達は姫殿下と呼ぶ。

 九歳の女の子だった。


 子供というものは、成長するにつれて自意識や論理的思考というものが徐々に芽生え、少しずつ構築されていく。

 それなりの論理的思考ができるまでに姫が成長したのは九歳の頃であった。


 そうして周囲の世界を見回してみると、おかしなことばかりだった。


 両親はどうしていないのか?

 周りの大人達は、どうして自分に恭しく頭を下げてくるのか?

 屋敷から外に出ると外国語ばかりが聞こえてくるから、ここは外国だと推測できるが、なぜそんなところで暮らしているのか?

 そもそも、どうして姫などと王族のように呼ばれているのか?

 本当に王族なのか?

 妹もまた次王女(じおうじょ)と呼称されている。姫も次王女も名とは言えない。名はないのか?


 じいやと呼ばれている使用人頭の老人を自室に呼びつけると、姫はこれらの疑問をぶつけてみた。


「……と、聞きたいことは以上なのだが。ふむ。思い返してみると、今までも何度かじいやには同じような質問をしてきたな」


 足を組み、椅子の肘掛けにほおづえをつき、臣下を見下す王のような態度で姫が言う。


「さようでございます」


 と言ってじいやは頭を下げる。


「答えももらった」

「はい」

「しかし、どうも子供向けのオブラートに包まれていた回答であった気がする」

「その通りでございます」


 じいやは弁解することなく、率直に認める。


「それはよい。幼児相手に言って良いこととそうでないことを、わきまえていてくれたのだろう。だが……」

「はい」

「だが、もう気をつかう必要などない。はっきりと答えよ」

「……承知いたしました」


 じいやはあらためて頭を下げた。一呼吸ののち、すっと頭を上げる。

 姫の姿が目に映る。

 彼女は今、子供ながらにすらりとした身体を黒を基調とした簡素なワンピースで包み、椅子に腰掛けたまま、黒く長いまっすぐな髪を白い手で軽くかきわけている。表情は氷のように冷然としており、にこりとも笑わない。黒い瞳が、怜悧な光をたたえながら、じっとじいやに向けられている。


 美しい、とじいやは思った。幼いながらも、綺麗な少女だとあらためて感じた。

 顔立ちばかりではない。歩き方、話し方、表情の作り方、全てに対して美を感じていた。

 去年亡くなった家政婦長から礼儀作法をしつけられてきたためだろう。姫は振る舞いも話し方も気品がある。どちらも偉そうなのだが、それでいて何ともさまになっているのは、この気品があるからだろう。

 つまるところ、実に「高貴なる王族」らしいのである。


 しかし、素は寂しがりやである。

 本当は誰かに甘えたい。頬をすりすりし合ったり、一緒にゴロゴロしたりしたい。


 甘えたがりの姫が、孤高の王のごとき振る舞いをするのは、ひとえに使用人達の期待によるものである。

 姫は使用人達によって育てられた。

 実のところ、姫は亡命王家の家長である。幼いながらも一家の主である。

 王家復活を望む使用人達は、家長である姫に「強い指導者」であってほしいと期待していた。はっきりと強く期待し、言葉にもしていた。

 それゆえ、姫が威圧的な、あるいは尊大な態度を取ると大いに喜んだ。姫が遠慮がちな振る舞いをしたり、にっこりした笑顔と共に親しげな態度を取ったりすると、露骨にがっかりした。

 そうやって幼い頃から育てられてきた。


 想像してみてほしい。

 あなたが子供だったとする。

 周りの大人達は、あなたが人を見下すような偉そうな言動をすると、さすがはあの方の後継者様だ、立派でいらっしゃる、と実に尊敬したような顔を見せる。楽しそうに笑ったり、友だち同士でやるような振る舞いをしたりすると、誰もが信じられないものを目にしたような残念そうな顔を見せる。

 さて、そんな環境で育ったあなたは、人前でどんな態度を取るだろうか?


 もし、期待に応えて偉そうな人物像を演じるというのなら、姫の気持ちはまさにそれである。

 姫もまた尊大で威圧的な態度を取ることを選んだ。

 幼い姫でも、使用人達からこうも明瞭に言葉と態度で示されれば、期待されていることはわかる。露骨に大勢の人間から期待をされれば拒みづらい。

 そうして彼女なりに、求められている強い指導者像を演じる。


 家政婦長は姫のそんな振る舞いを喜んだ。一層王族らしくなれるよう、強くしつけた。

 そのおかげか、初めはぎこちなかった指導者像も、年月を経るに従って板についてくる。子供らしからぬ気品と威厳も出てくる。誰の前であっても自然と高貴なる王族らしい言動ができるようになる。

 使用人達はすっかり、この品格と威風に満ちた姿こそが彼女の素なのだと思うようになる。


 実際は違う。

 姫の内面は変わっていない。内実は寂しがりやなままである。今さら素は出せない。

 唯一の例外は妹の次王女である。血のつながりのおかげか、年下の子供相手だからか、彼女と二人の時だけは、今でも甘えたがりな本質をさらけ出すことができる。

 しかし、妹の前でだけだ。

 今になってこれまでと百八十度違う振る舞いなど怖くてできない。演じ続けるより他はない。


 じいやは姫が演じていることを知らない。本当は寂しがりやであることにも気づかない。

 姫がいつも次王女と二人きりになると、えへへ、ジオちゃん、遊びましょう、一緒にゴロゴロしましょう、と威厳も何もない姿であることも知らない。幼い頃から使用人達に囲まれている影響で、素の姫のしゃべり方は使用人達と同じく敬語であることも知らない。

 老執事を絵に描いたような外見を持つこの老人は、ただ姫を王族らしい威風と品格のある人物だと思っている。


 じいやは口を開いた。

 姫の問いかけ、すなわち「わたしは何者か?」という質問に答えなければならないからだ。


「姫殿下は、十字国(じゅうじこく)の王女でございます」

 と、じいやはまず最も肝要な点を述べ、こう続ける。

「ですが、姫殿下が三歳の時、悪い政治家が、国を乗っ取ったのでございます。

 その男、メジリヒトは、姫殿下のご両親である国王殿下夫妻を殺害し、十字国の独裁者になったのです。我々が今いるのは北方連邦という国であり、亡命してきたのです」


「そうか」


 姫の返事はすこぶる簡素だった。

 何と言えばいいのかわからなかった。両親の記憶はない。自分が王族だという自覚もない。

 それでも何かしら感じるところがあったのかもしれない。しばらくの間、目を閉じて黙っていた。じいやもじっと待つ。


 目を開いたのは十秒ばかりたってからのことだった。

 表情は相変わらず、何の変化もない。内心はともかく、表に出す顔は高貴なる王族を演じているがゆえの冷然としたものである。


「メジリヒトとやらは自らが王になったのか?」


 冷然たる表情のまま姫はたずねた。

 じいやは、首を横に振った。


「国王殿下というものに権力は存在いたしません。

 四百年前、一人の将軍が武力で十字国を統一したのが王朝の始まりでございます。当時の国王殿下は権力をお持ちでした。しかし、百五十年前の民主化革命で、力を失ってしまったのです」


「意味がわからぬな。力のない王を倒して何の意味がある?」


 九歳にしては長い足を、堂々とした様子で組み直しながら、心の内では偉そうな態度でいることに似合わなさを感じながら、姫はたずねた。


「そもそもの始まりは王室打倒ブームでした。

 元来、十字国は立憲君主制の国でした。権力を持っているのは国民から選挙で選ばれた議会であり、国王殿下は議会の最上段で豪華な服を着て座って、威厳を発するのがお仕事でした。

 つまり政治活動と呼べることは何もしないのです。

 このような国は当時いくつもございました。それで国は安定していたのです。

 ところが十五年ほど前、世界中で王室打倒ブームというものが起こり始めました。王を倒せ、という運動です」


「ほぉ。王を倒せ、か」


 姫の表情が、すっと冷たくなったように見えた。下々の者どもが無礼な、とでも言いたげな顔である。内心は(強い指導者なら、こういう時、見下すような顔をしますよね)と思っている。


「権力のない王を倒してどうするのだ?」

「銅像理論というものでございます」

「なんだそれは?」


 じいやの説明を要約するとこうである。

 王というのは銅像のようなものである。

 なるほど確かに権力はない。銅像が動いて何かするわけではないのと同じだ。

 しかし権威がある。町中に巨大な銅像が建っていれば、嫌でも圧迫される。古いものが残留している感じがする。このままでは新しい時代が迎えられない、という雰囲気ができてしまう。雰囲気は文明を停滞させ、逆戻りにさえさせかねない。

 ゆえに、銅像は引き倒さなければならないのである。


「そんな理屈が通ったのか?」

「通りました。どころか、世界中で市民が主導して王室打倒デモ運動が発生し始めました。王宮にデモ隊が押し寄せたり、王族が襲撃されたりと、荒っぽい暴力的な運動が次々と起きたのです。そうして、いくつもの国で王室が廃されていきました」

「どうにも信じられぬな」


 姫は首をひねった。慌ただしくひねったりはしない。ゆっくりと堂々と首をひねる。


「それまで王がいても何ともなかったのだろう? なのに急にそんな運動が起きたのか? しかも、王室が廃止されるほど暴力的な運動だというのか?」

「さよう、それがブームの恐ろしいところです。世界中において、『王を倒す』が『いい意味にしか聞こえない言葉』になってしまったのです」

「ふむ」


 姫はうなずいた。うなずいてすぐ、聞き慣れない言葉を耳にしたことに気がついた。


「いい意味にしか聞こえない言葉?」


 そう聞き返す。お前の説明が悪いのだぞ、とでも言いたげに、偉そうに聞き返す。

 心の内では(ものわかりが悪くてごめんなさい)と思っている。無論、伝わっていない。


「とても扱いに気をつけなければいけない爆弾のようなものです」

 じいやは答える。

「いい意味にしか聞こえない言葉は、表面上はとても良い響きを持っています。コミュニケーションとか、努力とか、みんなで話し合うとか、そういう語句です。

 こういった言葉は、普通に使う分には何ら問題はありません。

 ですが、大声で声高に主張され始めると危険です。

 何しろ、いい意味にしか聞こえないのですから、誰も表だって意見することができません。

『もっとみんなで努力しよう』という発言に何か意見をしたら、『お前はサボるつもりか、この怠け者め!』となります。むやみに汗水を流すばかりでは非効率だとか、個人の努力に頼るのではなく誰でも成果を出せるような環境を作るべきじゃないかとか、そういうことを言うと『怠け者め!』と怒られてしまうのでございます」


「しかし、みんなで努力する分には、良いことなのではないのか?」


 姫の問いかけに、じいやは首を振って言った。


「いい意味にしか聞こえないことを大声で言う人というのは、大変に傲慢で視野が狭い人が多いのです。

 なにせ、おおっぴらに意見を言う人は誰もいないのです。

 仮に何か言われたとしても『怠け者め!』のように一言で言い返せます。いい意味にしか聞こえないのですから、根拠も何もいりません。ただ大声で言えばいいのです。

 いっぽう、言われた側はというと大変です。いい意味にしか聞こえないことに逆らうのですから、たくさんの証拠や論拠を集めた上で筋道立てて説明しなければいけません。

 説明したところで言い訳臭く聞こえます。

 そもそも大声で言う人たちは、話なんて聞きません。なにしろ、滅多に意見なんてされないのです。自分の主張を面と向かって否定されることはほとんどありません。

 そうして何年もそんな状態が続くと、反論されない自分は絶対的に正しいのだ、正義なのだと思うようになってきます。絶対的に正しい自分に意見する人間は、愚か者か、邪悪な存在にしか見えません。

 そんな相手の言うことなど聞く必要がないと思ってしまうのです。むしろ怒りを覚えます。正義の自分に逆らうのか、と。言動が大変に荒っぽくなり、次第に暴力を振るいます。だんだん暴走しエスカレートしていきます。

 ついには、『我らが神は絶対的に正しい』と大声で叫んだある宗教の教徒達が、異教徒らを虐殺した例のような事態になるのです」


「なるほど」


 姫は納得の言葉を口にした。口にはしたが、どうにもピンときていなかった。良いことは良いことなのではないでしょうか、と思う。もう少し突っ込んでみましょうか、と思う。

 疑問を言おうとする。口を開きかける。言葉を口に出そうと、息を吸う。


 その時である。

 車のクラクッションが鳴った。

 屋敷の外で、何か事故があったのかもしれない。

 大きなクラクッションが何度も鳴った。


 ただそれだけのことであった。

 が、姫はすっかり気勢をそがれてしまった。

 驚いたせいか、口も閉じてしまっている。息も引っ込んでしまっている。

 もう少し問いただしてみよう、という気は、どこかにいってしまっていた。


 もし、この時、「いい意味にしか聞こえない言葉」というものについて、今少し突っ込んだ話をしていれば、後年の十字国の命運も、また違ったものになったかもしれない。

 歴史はクラクッションひとつで変わる。


 姫は足を組み直した。

「それで?」と言った。


「その後、どうなったのだ?」


 王室打倒ブームの結果、何が起きたのか?

 一体どうして、我々は今のような状況になってしまったのか?

 十字国は今どうなっているのか?


 姫はこれらを問いただしたのだ。


「お話し致します」


 じいやは答え始めた。

次回は本日夜に投稿します。

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