第八十話 逃げ場なし
闘技場に姿を現したアーマーライノスは、全高2メートル強。全長5メートル。黒色の体皮がいかにも硬そうだ。弘の世界で言うサイに似ている。弘が異世界転移する羽目になったのは、トラックに撥ねられたことによるが、この巨大なサイに撥ねられたら……。
(今の『耐久力』でも死にそうだぜ。それか、また異世界転移したりしてな)
内心軽口を叩いているが、同時に冷や汗もかいていた。
これまで大蜘蛛や沼巨人、ミノタウロスなどの大型モンスターと戦ってきたが、このアーマーライノスが発する威圧感は尋常ではない。一歩踏み出されると、その分、見えない壁に押されるような気がするのだ。
……ざざっ、ざざざっ……。
何かが地面を擦る音が聞こえる。
アーマーライノスの足音に紛れて気づかなかったのだが、それと認識できたときには足跡の主が闘技場に姿を現していた。
巨大な蛇。鎌首を持ち上げた高さはアーマーライノスの背を超え、胴の太さなどは弘を二人分まとめて飲み込めそうなほど太い。そして全長は10メートル近いだろうか。このサイズだけでも弘の世界で言う大蛇のサイズを大きく凌駕している。しかし、注目すべきはサイズだけではない。その蛇の頭部後方あたりで、女性の上半身が生えているのだ。体格的には大柄な女性であり、センターで分けられた黒髪が蛇の頭部にまで達している。
(サーペンターって奴か? こりゃまた美人さんだな)
切れ長の瞳は白目の部分が無く、黒一色……いや、縦長の瞳が金色に光っており、少しキツそうな面立ちに迫力を加味していた。ちなみに革製のブラのような防具を身につけている。つまり乳房が見えないわけだが、弘の目はすぐに次の注目点に移っていた。
(武器は三つ叉の槍? トライデント……って奴だっけ?)
問題はそのサイズだ。2メートルを超える柄の先には、巨大な穂先が並んでいる。中央部のものなど、バスタードソード並みの刃渡りがあるだろう。
(アーマーライノスより速く動きそうだな。その上で、あんな長モノ振り回されたんじゃ……)
近づけるかどうかも怪しい。いや、レベルアップして得た『素早さ』ならあるいは……などと考えていると、今度はまた重そうな足音が聞こえてきた。
重さに関してはアーマーライノスの方が上だろうが、その足取りの軽さが気になる。
(いよいよレッサードラゴンか? ライノスより重くて素早いとか、マジ勘弁……)
いい加減嫌になってきた弘が声に出さず呟くと、そのレッサードラゴンが入場してきた。
ライノスやサーペンターの入場時も観客席から歓声があがっていたが、レッサードラゴンの姿が見えた途端、これまでとは比べものにならない大歓声で闘技場が揺れる。
「待ってました、クロムー!」
「損させねーでくれよな! 竜の大将ーっ!」
その他3者を差し置いて、大変な人気だ。このことについてアーマーライノスやサーペンターは気にした様子はない。弘はと言うと歓声云々よりも、レッサードラゴンの威容を目の当たりにして呆気にとられていた。
サイズに関して言えば、アーマーライノスよりも一回り大きい。
四足歩行で翼がない……というのは聞いていたとおりの姿だが、その身体の上面にはビッシリと鱗が並んでいる。長いくびをもたげたときなど、もう真上から見下ろされているようなものだ。
(見下ろすってんならサーペンターも同じだけど。威圧感すげーな、おい)
アーマーライノスは戦車のようなイメージをだったが、このレッサードラゴンについては『怪獣』としか言いようがない。
(やべぇ……。マジもんのドラゴンだ。実際に見ると、すげぇおっかねぇし……。控え室で勝つつもりになって、ヘラヘラ笑ってた俺っていったい……)
レッサードラゴンだけでも恐ろしいのに、他2者が加わると怖さは数倍に跳ね上がる。情けない話だが失禁してしまいそうな程だ。
事ここにいたり、弘は「クラークが言ったとおり、逃げとけば良かった……」などと呟いている。
同時に「馬鹿か? 今更、何を……」といった思考が脳裏をよぎっていた。
こういう状況になることは事前にわかっていたのだ。
なのに何故、今ここで弘は立っているのか?
ジュディスへの贈答物、その購入資金を得るためか?
グレースを身請けるための資金稼ぎか?
カレン達に大見得きったことで後に引けなくなったのか?
それとも、メンツを押し通し、命がけの痛快とやらを得たかったのか?
(どれも、少しは理由になってるけど……)
試合開始前に考えた『勝ち目がなさそうな試合から逃げない理由』は今改めて思うと、どれも弱い。
押しつぶされんばかりの圧迫感の中、最終的にたどり着いた答えが……。
(ああ、そうか。ゲームのイベントみたいで嬉しかったんだな。俺……)
そう、弘はレッサードラゴンらと戦えるのが嬉しかった。
元の世界……特に日本では、こういった大型獣と戦える機会は少ない。ヒグマの出没地に行けばヒグマと戦えるだろうが、そういったよく知られる害獣と生身で戦おうなどと普通は思わない。
だが、この異世界での弘は、レベルアップにより身体強化され、備わった召喚術で様々な武具を駆使して戦えるのだ。しかも相手は元の世界で実在しない、ファンタジーなモンスター達で、中にはドラゴンまで居る。
(ゲームのイベントみたいで浮かれてたけど、召喚術があるから自分に自信があった……てのもあるか。なんにせよ、こんなヤバいときにゲーム気分だったのは変わりねーな)
軽々しい動機で命がけの試合に出る。
そこにバツの悪い思いがあったから、控え室ではジュディスやカレンのことを持ち出し、逃げない理由にしていたわけだ。
(ケハハ……控え室でダセぇとか言ったけど、そこに加えて格好悪いな、俺……。しかも、いざ相手を目の前にしてビビってるし。いやあ、もう馬鹿としか……)
嘲笑の意味合いを込めて口角を持ち上げる。笑いの対象は、自分の馬鹿さ加減だ。
そうして笑みを浮かべたまま、弘は観客席を見回す。壁は石壁で、高さは10メートルほどもあるが、弘の身体能力ならば駆け上がって逃げるのは可能。
(いざとなったら、逃げるか?)
そんなことを考えた弘の耳を、観客席からの声が射貫いた。
「サワタリさーん! 頑張ってーっ!」
◇◇◇◇
シルビアと共に観客席に腰を下ろしたカレンは、最初に入場してきた弘を見て瞳を輝かせ、続いて入場してきたレッサードラゴン等を見て顔色をなくしている。
「……何よ、あれ。あんなのに混ざって戦ったりしたら、死んじゃうじゃない!」
観客席から見下ろしていると弘の置かれた状況がよく把握できた。
これでは危険な試合……と言うより、モンスターを利用した罪人の処刑だ。
「そうかも知れませんが……」
シルビアが一言前置きしつつ、立ち上がろうとするカレンを引き留める。
「こういった対戦組合せと知りながら出場するのですから、私達がアレコレ口を出すことではありません。それよりも……」
大物モンスター数体に人間を1人だけ放り込んで戦わせるというのは、どうもしっくり来ない。何かあるのではないだろうか。
「何か……って何? サワタリさんが誰かに陥れられてるとか?」
「さあ、そこまでは……。ですが、参加闘技者の1人が明らかに不利……というのは、賭け試合として変ではありませんか?」
そう説明されると、カレンも事態のおかしさに気がつく。
「場合によっては、助けに入った方がいいのかしら?」
「いえ、それは……無理ではないかと」
シルビアは、闘技場と観客席を隔てている石壁を見た。弘から見れば高い壁だが、観客席側から見ると、胸の高さほどの安全壁。そこから強力な魔力を感じて、シルビアは目を細めている。
「法術と、魔法術による障壁があります。石壁に沿って円筒形に高く張り巡らされてるようですね」
「法術だけじゃなくて、魔法術も? シルビアって魔法に詳しかったの?」
僧職者だから法術に詳しいとしても、魔法学については専門外のはず。そこをカレンが指摘すると、シルビアは苦笑した。
「法術部分に歪んだような印象があるんです。その歪みがなければ気がつきませんでしたが……昔、似たような設置型障壁を見たことがありますので。あの規模だと、レッサードラゴンでも脱出は難しいでしょうね」
唯一の逃走経路は上方になるが、飛べる生物か、飛行魔法の使い手でもなければ無理だろう。ようするに、ここで戦う以上、試合が終わらなければ外に出ることはできないのだ。
「私が鎧の力を使えば、障壁を壊せるかしら?」
「鎧の力と言っても、運動能力が上昇するだけですし。無理なのでは? ちなみに、私の法術でも無理だと思いますよ? さほども言いましたが、障壁の規模が強大すぎます」
たかが賭場ごときに、大層な障壁を設置している。
考えてみれば、ドラゴンまで参加して屋内戦闘をするのだ。これぐらいの障壁がなければ危険極まりないのだろう。
「この規模の障壁になると、希少な資材、それに高位の魔法使いや僧侶の協力がなければ設置できませんから。相当な費用がかかっていると思います。……まあ、闘技場の収益額を考えれば、それも可能なのでしょうが」
シルビアの説明を聞いていたカレンは、力なく座席に腰を落とした。
つまり、弘の助っ人として乱入することは不可能。
「サワタリさん……」
カレンの居る観客席からでは、弘の表情は見えない。もう少し早く来ていれば……と思うが、今更言っても仕方ないことだ。
さて、助太刀できないとなると、弘に対して何かできることは他にないか。それをカレンは考えてみる。
(うっ……あう、思い浮かばないよぉ……)
自分にできる範囲のことでは、完全に手詰まりなのだ。
いや、マクドガル家の名前を出して試合自体を止めることも考えたが、落ち目貴族の名だ。そこに、どれ程の効力があるものか。
「うう~……」
小さく呻いた後、カレンはキッと顔を上げる。そしてシルビアが止めるのも気にせず、両掌を口元に当てて叫んでいた。
「サワタリさーん! 頑張ってーっ!」
◇◇◇◇
「げっ……カレン、来てるのか……ああ、俺が誘ったんだっけな」
聞き覚えのある声。そして、この世界で弘を「サワタリさん」と呼ぶのは、今のところカレンしかいない。観客席の何処に居るのだろうと探してみても……。
(パツキンの白人女なんて、大勢居すぎて誰が誰やら……)
そもそも遠すぎて顔の判別ができない。
ともかくカレンが来ている以上、逃げるという選択肢が使えなくなった。
(自分で観戦を誘っておいて、相手が怖いからって尻尾巻いて逃げるとか……。恥ずかしさのあまり、死んでしまうわ)
一つ舌打ちし、弘は大きく深呼吸をした。
そして再度、対戦相手らを見回す。
現在、弘達4闘技者は各自離れて待機中だ。サーペンターは向かって右側、アーマーライノスは向かって左側。そして真正面にレッサードラゴン。
こうして相手方を見渡すと、やはり怖い。だが、腹をくくった以上は死にものぐるいで戦うまでだ。
(誰の差し金か知らんが、たっぷり見せてやるぜ。退路のねぇ馬鹿が何をするかをな!)
「本日、日中のメインイベントはトップクラス闘技者によるバトルロイヤルを行います!」
審判が中央に陣取って選手紹介を始めている。
「東に位置しますは、サーペンターのパルファン!」
パルファンが蛇頭部上で手を挙げ、巻き起こった歓声に応じている。きつそうな顔立ちだが、客に対する愛想は良いらしい。
そんな彼女を見ながら、弘は弱点を探っている。
(やっぱ蛇の頭に乗っかってる、人間部分が弱点ってことでいいのかな? いや、その逆で人間部分は飾りだったりしてな……おっと、俺には対象物解析があったか)
やはり忘れがちだが、この能力を使えばレッサードラゴンたちに関する情報が得られるはずだ。
弘は「まだ『戦闘中扱い』じゃありませんように」と祈りつつ、対象物解析を行う。
対象物解析の能力は、戦闘中に実行できないのだ。
しかし、心配する弘の眼前で、対象物解析の専用ウィンドウが開く。どうやら試合開始していない状態は、戦闘中だと認識されなかったらしい。
弘は拳を軽く握ってガッツポーズをすると、ウィンドウを覗き込んだ。
(少しは有利になるような情報が載ってりゃいいんだが……)




