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第六章

瞬く間に学園祭の当日がやってきて、僕は自分がなぜ「偽物の木」役に任命されたのかをようやく理解した。


というのも、僕たちのクラスが出した企画は「ジャングル・ペイントボール対決」だったのだが、配置されたいくつかの木は人間が中に入っており、自分の判断で客を奇襲していいというルールだったのだ。木に奇襲された客は、その時点で即脱落となる。


……それ、やってることただの変質者(ぶきみくん)と何が違うんだよ!! コノヤロー!!


当然ながら、こんな野蛮なゲームに興味を示すのは男子ばかりで、女子の参加者は極めて少なかった。いくら防具があるとはいえ、ペイントボールがどこに弾着するかは戦場の流弾よりも予測不可能だ。運悪く防具の隙間に被弾しでもしたら、その場所は見事な「グラデーション」を描くことになる。


さらに最悪なのは、「襲撃の木」の一本となった僕が、終始双方のチームからの集中砲火(に晒され続けたことだ。幸いにもこの木のシェルが金属製だったからよかったものの、そうでなければ奇襲任務を果たす前にハチの巣にされて全滅していただろう。


ちなみに「襲殺樹(しゅうさつじゅ)」というのは、クラスの実行委員長が僕たち不憫な居残り組につけた名前だ。彼は僕たちの肩をポンと叩きながら「最高にイカした名前だろ?」と言いつつ、これから戦場に赴く哀れな生贄を見るような、葬送の憐れみの視線を向けていた。


「安心して逝ってこい」と言わんばかりの顔だった。


「あだっ!」


今の悲鳴は僕じゃない。僕からそう遠くない場所にいた不憫な……いや、「襲殺樹」の一本が、奇襲のために立ち上がった瞬間に太ももへ流弾を喰らった声だ。木が丸ごと一本、活きのいいエビみたいに跳ね回っている光景は、客観的に見ればギャグ精神満点だった。


だけど、これから訪れるであろう自分の末路を想像すると、僕は不覚にも一滴の男の涙を流さずにはいられなかった。


ちくしょう、ルールブックには「襲殺樹への攻撃を禁ずる」なんて一言も書いてないじゃないか!!


案の定、そのエビ男は容赦ない追撃を浴びてエビから死んだ魚へと変貌し、そのまま担架で運ばれていった。生き残った他の「木」たちが取った行動は、間違いなく僕と同じだったはずだ。


天にまします我らの父よ、御名が崇められますように。アメン……。


その男は退場する間際、満身創痍の身体を無理やり起こし、まるでパレットのようになった顔で力ない笑みを浮かべ、親指をグッと立てた。そしてそのまま意識を失った瞬間――生存しているすべての襲殺樹から、凄まじい粛殺の覇気が沸き起こった!


この瞬間、僕たちの心は一つになった! この瞬間、僕たちに戦神が憑依した!


総重量五キロの金属製の殻を背負いながら、僕たちは一斉にゲスな笑みを浮かべた。


さあ、あいつらに戦場の残酷さってやつを教えてやろうじゃねえか!


広大な人工林は僕たちの天然の光学迷彩であり、ペイントボールを喰らった客の悲鳴は僕たちのBGMだ。心の中で軍歌を熱唱しながら、僕たちは二手に分かれた。信念はただ一つ!


殺(や)る! 殺る! 殺る!


二時間後、ペイントボール場に静寂が戻った。僕たちは木の殻を脱ぎ捨て、エネルギーを使い果たして地面に這いつくばっていた。総重量五キロは伊達じゃない。最高の武器であると同時に、カロリーの消費量が尋常ではなかった。


僕のようなもやしっ子は、とっくの昔に脱力して戦死(リタイア)していたが、ここまでの圧倒的な戦果を挙げられたのは、ひとえに他の戦友(ダチ)たちのおかげだ。


この二時間で、わずか二十本の襲殺樹は、百人を超えていた双方のチームを文字通り「全滅」させた。直接押し潰されて圧死(判定)した者、足を引っ掛けられて転んだところにラグビーばりに上に乗っかられて圧死した者、さらには数本の木に高速で囲まれてそのまま気絶させられた者。


とにかく、この二時間の間に戦場に足を踏み入れた客は、例外なく全員「寝た状態(担架)」で搬送されていった。僕たちのクラスの出し物は、客たちの間で「死の禁忌区域(デス・ゾーン)」と呼ばれ、恐怖の対象となった。


最終的に、襲殺樹の中で立っていられたのはわずか二本だけだったが、疑いようもなく、僕たちの完全勝利だった!


その二人の猛者は、最後の一団を「肉弾ローリング」で一網打尽にしたため、立ったまま気絶していた。

彼らに「よくやった! みんなお前たちの雄姿を忘れない!」と声をかけてあげたかった。


……のだけど、クラスの女子たちの視線が完全に血に飢えているのを見て、僕は本能的にヤバいと察した。


「あんたたち、客を全員叩き出してどうやって稼ぐのよ!! 全員一歩も動くな!!!」


その怒号が響いた瞬間、僕たちは大赦(免罪符)を得たかのように、死んだふりをするのもやめて、隅に置いてあった荷物を引っ掴むと、脱兎のごとく犯行現場から逃げ出した。


模擬店エリアまで一気に走り抜け、二十人のむさくるしい男たちは、お互いのドロドロの顔を見合わせて大爆笑した。見渡すと男子は全員揃っている。……ということは、あの襲殺樹のシフト、後半は女子たちが自ら中に入るつもりなのだろうか?


顔を見合わせつつも、どうせ後で戻らなきゃいけないという現実に気がつき、僕たちは少し意気消沈しながらも、とりあえず三十分の休憩を自分たちに与えることにした。大半の男子は、後々のクラス内でのカースト(生存権)を考慮して「戻って泥を被り続けよう」と決意していた。そうしなければ、今後の高校生活で男子の立場がガチでなくなるからだ……。


ちなみに僕はといえば、当然「戻らない少数派」だった。理由は単純で、さっき戦場から脱出するときも戦友たちに担がれて運ばれてきたレベルだからだ。もう一度あの戦場に戻るだけのHPは残っていなかった。


不本意ではあるけれど、自分の身体の限界は自分が一番よく分かっている。僕はひどく複雑な(悶絶した)表情を浮かべながら、保健室のドアへと足を進めた。


もちろん、その複雑な表情の大半が、途中で通りかかった「お笑い高田」という出し物から漏れ聞こえてきた、北極の吹雪レベルの「おっさんの下品なオヤジギャグ」のせいだということた。


高山高校の保健室医である蒼月瑠璃(あおつき るり)先生は、誰もが認める超絶美女だ。しかし、この一ヶ月間で一年生(僕たち)は極めて凄惨な教訓を得ていた。そのため、なぜ先輩たちや男性教師たちが、他の学校なら男子の妄想の聖地であるはずの「保健室」という風水的なパワースポットを、まるで洪水や猛獣のように恐れおののいているのかを完全に理解していた。


原則として、骨折レベルの重傷を負わない限り、この学校の性別記号が「上」を向いている生き物が保健室の敷居を跨ぐことはない。なぜなら、骨折は保健室じゃ治せないから、そのまま外部の病院へ救急搬送されるだけだからだ……ハハハハハ……。


そういえば妙だと思ったんだ。新学期の二日目、ある二年生の先輩がわけのわからない様子で男子の学級委員長に、中身がギッシリ詰まった超大型の多段式救急箱を押し付けにきた。そして彼の肩をポンと叩き、委員長が訳も分からず「先輩たちからの熱いご好意」を受け取った瞬間、彼はその場に崩れ落ちた。その救急箱、なんと重さが十五キロもあったのだ!


それ以来の一ヶ月間、あの救急箱はクラス男子にとっての「生命線(ライフライン)」として崇められている……。


女子が少しでも近づこうものなら、数人の男子が「ガルルルルルル……」と低い唸り声を上げて威嚇するほどに。


そして今、僕はその「男子の禁足地(デッドゾーン)」に足を踏み入れざるを得なかった。実のところ、現在の僕の身体のコンディションは、これまでの経験上、大人しく点滴を一本打たなければならないレベルだったからだ。……だってもやしっ子だもの。


今すぐ死ぬか、少し後で死ぬか。それなら僕は、少し後で死ぬ方を選ぶ。


幽霊のような足取りで保健室のドアを開けると、中からすぐに、からかうような声が飛んできた。


「あらあら、野島くん。たったの二時間で、もう『不能(イケない)』になっちゃったのかしらぁ〜?」


ふん! こっちの二時間がどれほど濃厚か、アンタじゃ受け止めきれないかもしれないぞ!


「……これ、処方箋です。一本お願いします……」


僕が差し出した紙を目にした瞬間、蒼月先生の顔からからかいの色が消え去り、極めて真剣な表情へと変わった。彼女が滅多に見せない、本物のプロの顔だ。


一年生の男子は大抵、まだ保健室に淡い幻想を抱いているから、最初はちょっとした擦り傷なんかでここへ駆け込んでくる。そして瑠璃ちゃんの容赦ない精神攻撃を受け、「じゃあもっと重傷になってから来れば優しくしてもらえるはず」と勘違いして再訪し、さらに致命的なダメージを負って帰っていく。


そこからは悪循環だ。おそらく、僕のように「本当に身体の根幹がイカれている人間」に対してだけ、彼女はこのような専門性の高い、冷徹なドクターの姿を見せるのだろう。


このモードに入った彼女は、極端に口数が少なくなり、医療行為の手際が異常なほどに速く、的確になる。少なくとも僕は、テレビの医療ドラマですら、ルート確保から点滴のセッティング、流量調節までをわずか十秒以内で完結させる人間を見たことがない。


僕の知る限り、男子でこの光景を見られるのは僕一人だけだ。……光栄に思うべきなのかは、甚だ疑問だけど。


「数時間は大人しく寝ていなさい。あなたの身体のデータ、こんなにボロボロなんだから、どうして自宅療養の申請を出さなかったのよ」


少し怒ったような口調の裏にある、確かな気遣い。これぞ瑠璃ちゃん特有の、極上の「ツンデレ」クオリティだ!


僕だって自分の死体……じゃなくて、身体がポンコツなのは百も承知だ。だけど、せっかくの高校生活なんだから、ずっと家の中に引きこもっているなんて絶対に嫌だった。


「……各数値が活動の最低閾値をかろうじて下回っていないレベルよ。いつ気絶して倒れてもおかしくないのに、よくまあ今まで五体満足で動き回れたものね」


「はは……僕、命だけは無駄に頑丈(しぶとい)ですから。天国も僕を拒否してるんですよ」


僕の身体がここまで虚弱になったのは、幼い頃に琵琶湖へ遊びに行った際、不注意で水に落ちてしまったからだ。かなり時間が経ってから瀕死の状態で発見され、それ以来、僕の身体はずっとこの病弱なステータスに固定されてしまった。


瑠璃ちゃんはその話を聞くと、眉をひそめて僕をキッと睨みつけた。


「天があなたを引き取らないなら、私がここで仕留めてあげるわ! 今度また自分の身体を粗末に扱ってみなさい、救急車で病院の霊安室(ストレート)へ直行させてあげるから!」


「はは……」


弱々しく笑うと、同時に強烈な疲労感の波が押し寄せ、僕は抗うことなく深い眠りへと落ちていった。

「……本当に、どうして男って生き物はどいつもこいつもこうなのかしら。自分の傷は放り出しておいて、他人の心配ばかりして、自分がボロボロになってからじゃないと気が済まないなんて……」

※

トントン(ノックの音)


「どうぞ」


「蒼月先生、あの、お聞きしたんですけど……あ! いた」


優しく儚げな声。しなやかな銀色の長髪。世間で「天使」と噂される少女が、保健室へと舞い降りた。


「……あなたは……二年A組の浅野楓(あさの かえで)さんね。学校の超有名人が、私のこんな小さな保健室に一体何の用かしら?」


蒼月瑠璃は、メガネのブリッジを指で押し上げながら言った。


「あの……野島くんがここで休んでいると聞いて、少し様子を見に伺ったんです……」


浅野楓が背中に隠した両手に、いくつもの大きな袋を提げているのを見て、蒼月瑠璃はボソリと呟いた。

「……ラッキーなガキ……」


「え? 何か?」


「何でもないわ! これから少し用事があって外へ出るの。しばらく戻らないから、その子の面倒はあなたに丸投げしていいかしら?」


「はい……基本的な救急処置の知識なら学んでいますので、大丈夫です」


「よろしい!」


蒼月瑠璃は風のように浅野楓の横を通り過ぎたが、ドアを開けた瞬間、ピタリと足を止めて問いかけた。


「あなた、あの子のこと……どう思っているの?」


「え? どう、ですか……?」


予想外の質問を投げかけられた浅野楓は、人差し指を顎に当て、小首を傾げて少し考えると、ひまわりのような笑顔で答えた。


「……少しやんちゃで甘えん坊だけど、すごく優しくて、人の気持ちがよく分かる『弟』みたいな感覚、でしょうか」


声を出さずに頷くと、蒼月瑠璃はそのまま保健室を後にした。ただ、その口元に浮かんだ、ひどく悲しげな(切ない)苦笑いに、浅野楓が気づくことはなかった。


「弟、ね……。自分の本当の感情に気づいていない愚かな女。遅かれ早かれ、いつか絶対に後悔するわよ」


蒼月瑠璃は唇を噛み締め、車のハンドルを白くなるほど強く握り締めながら、胸を締め付けられるような痛みとともに言葉を吐き出した。


なぜなら――浅野楓が浮かべたあの微笑みは、どう見ても「恋をしている一人の女」の顔そのものだったからだ。恋愛感情を家族愛と勘違いしている彼女は、将来、悔やんでも悔やみきれない現実(生き地獄)を見るに違いない。


「……昔の、私みたいに……」


すっかり落ち込んだ蒼月瑠璃は、そのままハンドルに突っ伏し、静かに目を閉じた。二筋の澄んだ結晶が、彼女の頬を伝い、滑らかな膝の上へと静かにこぼれ落ちていった。


※

どれほどの時間、暗闇の中を彷徨っていただろうか。


僕は視界の片隅に、広大な湖の景色を見ていた。その中心で、一人の小さな女の子が溺れて救けを求めている。そして次の瞬間、女の子は無事に救出されたが、僕自身はゆっくりと水底へと沈んでいく――。


――そこで、目が覚めた。


ぼんやりとした意識のまま天井を見つめながら、僕は「幼少期に女の子を救い、その子が成長して超絶美女になって自分を逆ハレム(倒追)しにやってくる確率」がどれほど高いかについて、大真面目に考察していた。


「おはよう。よく眠れた?」


すぐ隣から聞こえてきた聞き馴染みのある声に、僕は混乱しながら首を回した。


「せ、先輩!? うわああっ!」


驚きのあまり勢いよく飛び起きた瞬間、視界がグワリと歪み、猛烈な立ちくらみに襲われた。


「大丈夫!?」


先輩があたふたと立ち上がり、僕の身体を支えてくれた。


「だ、大丈夫です……寝すぎた時のいつものやつですから、すぐに治ります」


(クソっ、もしこのシチュエーションで男女の立場が逆だったら、好感度イベントのフラグ(刷好感度)がバッキバキに立ってたところなのに! 畜生!!)


「……随分と外が暗くなっちゃったわね」


「うわ……僕、そんなに長く寝てたんですか?」


視線の先には、すでに残り僅かとなった黄昏の残滓と、夜の闇に支配されかけた空。星々がぽつぽつと瞬き始めていた。


「あれ? 点滴の針、いつの間にか抜けてる……」


「私、昔病院で手伝い(バイト)をしたことがあるの。点滴の一瓶なんて二時間もあれば終わるから、ついでに私が片付けておいたわ」


「そ、そう……なんですか……?」


(点滴の針を抜くのって、そんな『ついでに』やるようなカジュアルな作業だっけ……?)


「あ、そうだ!」


先輩はポン、と可愛らしく両手を合わせた。


「これだけ長く寝てたんだもの、お腹空いてない? ここに少し食べ物があるんだけど……もしかしたら、あなたの口には合わないかもしれないけれど……食べる?」


「食べます!」


この状況で「要らない」なんて断る奴がいたら、そいつは男の皮を被った別の生き物だ。例え中身が王水だろうが、僕は胃袋に流し込んでやる!!


それにしても、さっきの両手を合わせた仕草、先輩から溢れ出んばかりの「人妻属性」が漂ってやしませんかね!?


うおおおおお!!! なんか急に脳内テンションが最高(ハイ)になってきたぞ!


「ほら……あ〜ん」


僕が脳内で不純な妄想を繰り広げている隙を突き、先輩は箸で掴んだエビフライを僕の口元へと運んできた。


僕の理性が反応するより早く、食欲という名のスタンドが先斬後奏でエビフライを丸ごと一口でキャッチしていた。


美味い……いや、違う!


今今今、今のは一体全体どういう状況だあああああ!!!


まさかこれが噂に聞く「介護プレイ(残廢餐)」!?


もぐもぐもぐ……ゴクン。


めちゃくちゃ美味い……だけど……。


「先輩、そういうのはダメです。僕、自分で食べられますから」


視線を傍らの袋に向けると、そこには二つの楕円形のお弁当箱があった。ピンク色の小さめの箱と、ブルーの大きめの箱。どうやら最もポピュラーな「二段式(ペア)弁当」のようだ。


「そう……なの?」


先輩は少しシュンとした様子で、お弁当箱とお箸を僕に手渡してきた。


……すいません、先輩。これでも僕は一介のオタクであり、脳内で数々のシチュエーションを妄想する変態ですが、これ(あ〜ん)だけは、絶対に回避(セルフコントロール)しなければならない一線なんです……。


申し訳なさを感じつつも、僕はそれ以上言葉を発することなく、ひたすらお弁当を口に掻き込んだ。先輩は最初こそ少し寂しそうにしていたが、僕がそれこそ美味そうにバクバク食べる姿を見ているうちに、その顔にいつもの向日葵のような笑顔が戻ってきた。


一気に冷たいスープを飲み干し、僕は満足感たっぷりの特大のため息を漏らした。


「はぁ〜……美味かった。冷めててこれだけ美味いなんて、出来立てだったら一体どれほど神の領域に達してるんだ……。これから先、これが食べられなくなったら僕どうすればいいんだよおおおおお〜〜〜〜〜」


ゴロゴロ(ベッドの上でのたうち回る)。


「……後輩くんがそんなに気に入ってくれたなら、私の言う条件をいくつか飲んでくれるなら、これから毎日作ってあげないこともないけれど?」


邪悪な(悪魔のような)微笑みを浮かべる先輩を見つめ、僕の背中にドッと冷や汗が吹き出した。

しかし、口の中に残る圧倒的な美味の余韻が、僕の精神防衛線を容赦なくタコ殴りにしていく……。


天使(理性)「承諾しちゃダメよ! これは確実に身売り契約(奴隷の誓い)だわ!」


悪魔(本能)「サインしちまえよ! そうすればお前は魔法……ゲフンゲフン! 毎日この至高の愛妻弁当が食べられるんだぞ!」


「……ダメ、かしら?」


先輩、そのウルウルした涙目のリスみたいな精神攻撃は完全に反則(レイドボス級)ですってえええええ!!!


ファイナルアタック! HP-9999999999 クリティカルヒット!!


パキッ。



僕の脳内で、理性の糸が完全に叩き切られる音がした。


「どんな条件でも構いません! 僕にチャンスをください(命を捧げます)!」


うわあ……本当に意志の弱い男だ。自分自身で自分が底知れず軽蔑したくなってきた。


「ふふ、じゃあ条件を言うわね」


「ハッ!」


僕はまるで主君の命を待つ忠義の武士のように、ベッドの上で綺麗に正座(土下座の一歩手前)をして答えた。


先輩は人差し指を頬に当て、小首を傾げてしばらくう〜んと悩んでいたが、やがて満面の笑みで言い放った。


「これから毎日、私にあなたの頭をなでなでさせて。それと、私がピアノを弾く時に隣にいてくれれば、それでいいわ」


な、何だって!? 本当に(マジで)!?


幸福のインフレスピードが早すぎて、僕の脳のキャパシティが完全に追いつかない!!


この時の僕はすでに言語能力を完全に喪失しており、ただヘドバン並みの勢いで首を縦に振ることしかできなかった。


すると、先輩の「よしよし」の予備動作が自然な流れで発動し、僕の髪を優しく愛おしそうに撫でながら言った。


「後輩くんの髪、本当に触り心地が最高ね。こんなに絹みたいな髪、滅多にないわ。もう病みつき(愛不釋手)になっちゃいそう〜」


あれ、なんか状況がおかしくないか……?


確かに僕の髪は手触りが良い。これは床屋のお姉さんにも太鼓判を押された事実だ。だけど、触った人間が全員絶賛し、あろうことか「毎日の手作り弁当」という超高額な対価を支払ってまで使用権(サブスク)を更新したくなるほどのクオリティなのか、これ……?


「あの……先輩?」


なでなで……。


なでなで……。


終わった……。これ、恋人ルートのフラグじゃない。


一番悲惨な、飼い犬扱いの「姉弟ルート」の一本道だあああ!!!

※

学園祭の一日後(翌日)


先輩が本当に手作り弁当を提げて僕たちのクラスの教室に現れた瞬間、僕はクラス内で「粉々に砕け散ったメガネ百個」と「床に落ちたアゴ五十個(僕の含む)」、そして「四十対の殺意の眼差し」と「五十八対の現実拒否の視線」を同時に回収することになった。


二日後


僕は二・三年生の全男子生徒からの「抹殺の眼差し」をフルコンプリートした。


三日後


僕はクラスの連中から「九十八対の哀れみの視線」を向けられるようになった。


この進学校に合格した連中に、本物のバカはいない。先輩がここに来るたび、僕と会話する時間よりも、僕の頭をなでなでしている時間の方が異常に長いという事実に、彼らはすぐに気づいたのだ。こうなると、誰も羨ましがりもしない。


四日後


僕の頭髪は――見事な「鳥の巣(ハイパー寝癖)」のヘアスタイルへと変貌をめていた!!


誰が最初に始めたのかは知らない。クラスのある女子が、唐突に僕の頭に手を乗せた。すると、まるで接着剤でもついたかのように手が離れなくなったのだ。


そこからは雪崩式だった。クラスの女子全員が「私も一回触らせて!」と群がり、何人かの極悪人はご丁寧にぐしゃぐしゃと揉みほぐしていきやがった。


家に帰った後、そのあまりにも「アヴァンギャルド(前衛的)」すぎる髪型を見た親父とオカンから、文字通り容赦のない爆笑の洗礼を浴びたのは言うまでもない。


五日後


隣のクラスの女子が押し寄せてきた……。


六日後


他学年の先輩の女子たちまで……。


七日後


「ウガアアアアアアアアーーーーッッ(発狂)!!!」


「ガルルルルルル……ワンワンワンッ!」


僕はついに野生(狂犬モード)へと覚醒した。


先輩以外の奴は、僕の髪の毛一本たりとも触らせねえええええ!!!


僕に噛みつかれ(?)そうになり、ひどく残念そうな(未練がましい)顔で去っていく女子たちを見送りながら、何人かの手が無意識に「なでなでしたい」とピクピク震えているのを目撃した。……僕の暴発(狂犬化)は、生存戦略として完全に正しかったのだ。


まだ一週間も経ってないっていうのに、あいつら、もう完全な「禁断症状(ジャンキー)」に陥ってやがる……。

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