第六話「ヘンなうわさが増えるかもですね」
アシュが買い出しに出ると、村の空気が少し違っていた。
昨日までは、ただのよそ者を見る目だった。
今日は違う。
何か知っている顔だ。
井戸のそばにいた年配の女が、アシュを見るなり手を止めた。
「あんた、リゼラ様のところの子だね」
「はい。アシュです」
「そうそう。アシュくん」
名前を覚えられている。
ありがたい。
ただ、少し早い。
「あの家に住み込んだんだって?」
「はい。家事役として」
「家事役?」
女は首を傾げた。
「家政婦なら分かるけど、あんた男だろう?」
「はい」
「男で家事役?」
「はい」
「珍しいねえ」
「よく言われます」
アシュは苦笑した。
珍しいのは自分でも分かっている。
この世界で家政婦という仕事は普通にある。
でも、それはだいたい女の仕事だ。
男は外で働く。
剣を持つ。魔法を使う。荷を運ぶ。畑を耕す。
家の中のことを仕事にする男は、かなり少ない。
女は少し楽しそうに続けた。
「住み込みなんだろう?」
「はい」
「ご飯も出る?」
「作ってるのは僕です」
「でも材料のお金はリゼラ様だろう?」
「……まあ、そうですね」
「お給金も?」
「いただきます」
女は少し考えた。
そして、あっさり言った。
「それ、ヒモじゃないの?」
アシュは固まった。
予想していなかったわけではない。
ただ、実際に言われると弱い。
「……家事役です」
「でも、リゼラ様の家に住んで、リゼラ様のお金で暮らしてるんだろ?」
「仕事はしてます」
「家の中の仕事は見えないからねえ」
「それは……そうですね」
アシュは少し肩を落とした。
たしかに、外からは見えない。
台所を整えたことも、パンをスープにしたことも、寝室を直したことも。
全部、家の中で起きたことだ。
村人から見えるのは、リゼラの家に出入りする若い男だけ。
そう見えるのは、少し分かる。
近くにいた男も笑った。
「まあ、リゼラ様に拾われたなら悪い話じゃないだろ」
「拾われたのは、否定しづらいです」
「ほら、やっぱりヒモだ」
「家事役です。……たぶん、ちゃんと」
最後が少し弱くなった。
アシュ自身、胸を張って言い切るのに慣れていない。
そこへ、背後から声がした。
「何の話をしている?」
低い声だった。
リゼラだ。
畑から戻る途中らしく、袖をまくっている。
手には少し土がついていた。
村人たちの顔が、少しだけ引き締まる。
「リゼラ様」
年配の女が笑う。
「ちょうど噂をしてたんですよ」
「聞こえていた」
リゼラはアシュの横に立った。
アシュより背が高いので、少し壁みたいだった。
「アシュは私の家事役だ」
「でも、男の家事役なんて珍しいでしょう? だって男の人は戦闘や農作業が仕事だし、腕力がなくても魔法で…」
「珍しいだけだ」
「リゼラ様が養ってるように見えるって話ですよ」
リゼラは少し黙った。
たぶん、その点は否定しづらかったのだと思う。
アシュも少し困った。
しかしリゼラは、すぐに言った。
「食事を作っている」
「え?」
「台所を整えている。水を汲む。帳面をつける。寝室も直した」
リゼラは淡々と並べた。
村人たちは目を丸くする。
アシュも少し驚いた。
リゼラは、ちゃんと覚えていた。
「私は、アシュが来てから三食食っている」
「リゼラ様が?」
「寝た」
「寝た?」
「熟睡した」
村人たちは一瞬黙った。
それから、女が口元を押さえた。
「それは……ずいぶん大事な仕事ですねえ」
「大事だ」
リゼラは真顔で言った。
少しも冗談にしていない。
「だから、ヒモではない」
アシュは横で小さくなった。
嬉しい。
嬉しいのだが、かなり恥ずかしい。
「あの、リゼラさん」
「何だ」
「嬉しいのですが、それほど大それたことでも……」
「でも事実だ」
「事実なんですけど」
年配の女が楽しそうに笑った。
「リゼラ様、ずいぶん庇うじゃないですか」
「庇ってはいない。事実を言っている」
「それを庇うって言うんですよ」
リゼラは少し固まった。
「……そうなのか?」
アシュは小声で答えた。
「たぶん、そうです」
「そうか」
リゼラは少しだけ視線をそらした。
その顔が、ほんの少し照れているように見えた。
村人たちは当然、それを見逃さなかった。
「へえ」
「なるほどねえ」
「リゼラ様にも、そういう相手がねえ」
「違う」
「違います」
二人の声が重なった。
村人たちが笑う。
アシュは顔が熱くなるのを感じた。
リゼラは、なぜ笑われているのかまだ少し分かっていない顔だった。
「アシュ」
「はい」
「今のはまずかったのか」
「またヘンなうわさが増えるかもですね」
「なぜだ」
「僕にも分かりませんが、みんなうわさ話がすきなので」
「……村は難しいな」
「はい」
リゼラは少し不満そうだった。
しかし、もう黙らせようとはしなかった。
成長している。
たぶん。
*
買い物を終えて、アシュは両手に荷物を抱えた。
根菜。
卵。
豆。
少しの乳製品。
布巾用の布。
油。
リゼラは横から袋を見た。
「多いな」
「食事を立て直すには必要です」
「金は足りたか」
「足りました。あとで帳面に書きます」
「そうか」
「確認してくださいね」
「……する」
少し間があった。
「今、嫌そうでした」
「嫌ではない。少し面倒なだけだ」
「正直ですね」
アシュが笑うと、リゼラは荷物の半分を取った。
「あ、いいですって!」
「重いだろ、お前には」
「僕の仕事ですし!」
「私の家の荷物だ」
「じゃあ、うーん…半分だけお願いします」
「最初からそう言え」
リゼラは歩き出した。
アシュはその横に並ぶ。
さっきのことが、まだ少し胸に残っていた。
「あの」
「何だ」
「さっき、嬉しかったです」
リゼラは前を向いたまま、少しだけ黙った。
「そうか」
「僕、ああいうふうに言ってもらうの、あまりなかったので」
「……そうなのか」
「はい。だから、ちょっと嬉しかったです。かなり」
「ちょっとなのか、かなりなのか」
「すんご~~く、です」
リゼラは小さく息を吐いた。
呆れたようにも見える。
でも、嫌そうではなかった。
「私は、お前をヒモだとは思っていない」
「はい」
「お前がいないと、飯がまずい」
「そこですか」
「それだけではない。寝ても疲れが取れん。台所もすぐ荒れる。帳面も分からん」
「僕、けっこう必要ですか?」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。
リゼラは歩きながら答えた。
「……かなり」
アシュは荷物を抱えたまま、少し顔をほころばせた。
「かなり」
「繰り返すな」
「すみません」
「照れる」
アシュは驚いてリゼラを見た。
リゼラは前を向いたままだった。
耳が少し赤い。
気づかないふりをした。
気づいたと言ったら、たぶん怒る。
*
家に戻ると、アシュは買ったものを台所に並べた。
リゼラも荷物を置く。
台所はまだ狭い。
でも、最初に来た日よりずっとましだ。
食材を棚に入れる。
卵は割れない場所へ。
油は火から離す。
布は洗ってから使う。
アシュは帳面を開いた。
根菜。卵。豆。乳製品。布。油。
金額を書き込む。
リゼラは後ろから覗いている。
「細かいな」
「お金の流れは大事です」
「金はある」
「あるからこそ、です」
「面倒だろう、台所中、家計中、寝具中。お前は忙しいな」
「ヒモじゃなく仕事ですから、しっかりやりますよ」
アシュは帳面の端に、別の欄を作った。
村の包丁を見る。
保存食の棚を作る。
布巾を増やす。
「それは何だ」
「やることです」
「また増えたのか」
「はい。村の人に包丁を見てほしいって言われました」
「報酬を取れ」
即答だった。
アシュは顔を上げる。
「少し見るだけですよ?」
「仕事だ」
「でも」
「ただでやると、次もただになる」
リゼラの声は落ち着いていた。
こういう話になると、妙に現実的だ。
「少額でいい。野菜でもいい。受け取れ」
「……はい」
「お前は家事は、仕事なんだろう?」
「はい」
「なら、仕事に値段をつけろ」
アシュは少し黙った。
それは、嬉しい言葉だった。
自分の仕事に値段をつけていい。
そう言われるのは、慣れていない。
「分かりました」
アシュは帳面に書き足した。
包丁研ぎ、報酬を決める。
リゼラはそれを見て、少し満足そうに頷いた。
「よし」
「リゼラさん、こういうところはしっかりしてますね」
「こういうところは、とは何だ」
「生活能力以外のことです」
「……」
リゼラは不満そうにしたが、否定はしなかった。
*
夕食は、根菜と豆のスープにした。
肉は少しだけ。
焼いたパンを添える。
リゼラの分は、多すぎないようにする。
食卓に並べると、リゼラは普通に席についた。
もう「こんなに食うのか」とは言わない。
これも進歩だった。
「今日は疲れました」
アシュが言うと、リゼラはスープを見ながら言った。
「噂は疲れる」
「リゼラさんも、言われてきたんですか」
「…色々とな」
若干の間に含みを感じ、それ以上は言わなかった。
アシュも聞かなかった。
リゼラはスープを一口飲む。
「うまい」
短い言葉だった。
でも、ちゃんとこちらを見て言った。
アシュは少しだけ顔が緩んだ。
「ありがとうございます」
「また嬉しそうだな」
「嬉しいですよ」
「そうか」
「はい。僕、褒められると分かりやすく嬉しくなります」
「単純だな」
「リゼラさんは、分かりにくいです」
「私こそ、分かりやすいだろう」
「そうですか?」
「うまい時は、うまいと言う」
「それは助かります」
リゼラは少し考えた。
「今日のスープはうまい」
「はい」
「お前はヒモではない」
「はい」
「私の家事役だ」
アシュは返事をしようとして、少し詰まった。
リゼラは器を持ったまま、真面目な顔をしている。
「……ありがとうございます」
「なぜ小声になる」
「嬉しいと、ちょっと困るので」
「困る?」
「慣れてなくて」
「なら、慣れろ」
「それ、さっきも言いましたね」
「大事なことは何度も言う」
リゼラは少し照れたように、スープへ視線を落とした。
「私も、人を褒めるのは慣れていない」
「じゃあ、お互い練習ですね」
「何のだ」
「褒めるのと、褒められるの」
「面倒だな」
「たぶん大事です」
「そうか」
リゼラは少し考えたあと、言った。
「では、練習する」
「はい」
「今日の買い出しは、助かった」
「はい」
「帳面も、たぶん助かる」
「たぶん」
「食事も、うまい」
「はい」
「あと……」
リゼラは少し言葉を探した。
「村で、ヒモと言われて少ししょげていたお前は、少し犬みたいだった」
「それ、褒めてます?」
「可愛げがあった」
アシュは固まった。
今度はアシュの顔が熱くなる番だった。
「リゼラさん、それは……」
「何だ」
「ちょっと、反応に困ります」
「褒めたぞ」
「褒められたんですかね、これ」
「違うのか?」
「たぶん……褒め、です」
「なら受け取れ」
「はい……」
リゼラは少し満足そうにスープを飲んだ。
アシュはしばらく黙っていた。
外では、どう呼ばれるか分からない。
ヒモ。
リゼラ様の男。
変わり者の家事役。
好きに呼ばれるだろう。
でも、この家の中では違う。
アシュは家事役だ。
リゼラは、それをちゃんと知っている。
今は、それだけで十分だった。




