少しだけ西宮街道
前に南下して、仁川駅まで歩いた西宮街道。
有馬本道歩きで行った宝塚市の小浜で知った街道で、小浜宿があったという古い小浜と西宮をつなぐ街道だった。門戸厄神あたりで西国街道に合流して終わる。
前回は小浜から仁川駅あたりまで歩き、仁川駅からおうちに帰った。住宅地だったけれど、なかなか面白い散歩だった。
門戸厄神まではもう少しだけで、気になっていた。用事で西宮に行くことがあり、ついでに歩くことにした。
用事を終えて、仁川駅からスタート。
西口から出て、すぐ右折。線路の西側を北上していった。西宮街道の続きは駅の東側を南下して行く道だったけれど、前に行きそびれた熊野神社に行ってから続きを歩こうと思って。
右手には墓地があって、これは前回も駅前で見た墓地だな。
道が下りになって、池が現れた。駅近なのに大きなきれいな池で、弁天池だって。遊歩道や東屋やベンチがあった。
小浜は高台にあったけれど、そこから下っての西宮街道は、道々ずっと低地の感じだった。大昔には海だったこともある低湿地。このあたりではすぐ西には高台で、そちらからの水がたまる池なのかな。
ベンチでしばし休憩。
池の向こうにかわいい緑の小山が見えていた。ウシガエルが鳴いていた。素敵な光景だった。
その向こうにも山々が見えていて、けれどその山裾の方までずーっと住宅が続いていた。
山々は六甲山系、小山が甲山だったのかな? 甲山は六甲山系の東にある独立した山(309m)らしい。
桝塚一号橋なる小さな橋を渡った。渡ったのは小仁川。弁天山経由で仁川に注ぐ小川。
線路沿いを北上すると道が上りになり、また下りになって、階段が現れた。上った上の高台は仁川台になっていて、熊野神社が鎮座していた。
小さな神社で、拝殿から奥の本殿を見る感じが素敵だった。1日と15日には新型コロナウィルス退散祈願を行うと案内されていた。
神社についてはほぼ一切不詳。
かつてはど田舎だったのだろうなあと思われるあたりで、面白くてうろうろしていたら阪急電車の線路(今津線)東側の金龍寺に行き着いた。ここも高台になったところ。
聖徳太子開基と伝わるお寺だそう。けれど荒木村重さんの件で焼失。仁川駅そばの墓地はこのお寺のものらしい。
高低差もあって方向が全く分からなくなっていたけれど、お寺そばの踏切から下っていくと「金龍寺」と書かれた石碑があって、西宮街道につきあたった。
前も歩いたこの道を南下して行った。地名は懐かしい感じのする鹿塩。
むかしむかし、奈良の春日神社から雄と雌の鹿が使いとしてやって来たけれど、途中ではぐれてしまう。探し歩いた雄鹿は疲れ果て、井戸に写った自分の姿を見て雌鹿と思い、身を投げてしまう。村人は哀れに思い、雄鹿を塩につけて奈良に送り戻した・・・それで鹿塩という地名になったとかいうところ。
第2公園が現れて、うれしくなって立ち寄った。前はここで休憩してパンを食べた。
手押しポンプ、畑、向こうには高い位置を道路が走っている、それは記憶通りだった。けれどあったと思う素敵な農家風の旧家の建物が消えていた。
畑もある農家が無人になって市の所有になり、ほぼそのままの姿で公園になっていたのだと思う。けれど建物は取り壊されたのだろう。その後、更に様変わりしているかも。
続きを歩いていくと仁川駅。駅の西側と違ってこちらは広い道路の都会の様相をしている。
広い駅前の通り(生瀬門戸荘線)を南下して、すぐに仁川を仁川橋で渡った。
道が下りになっていき、仁川町2丁目交差点で広い車道(中津浜線)は左へ曲がっていった。やや細くなった道をそのまま南下。
右手には広い墓地があって、「陸軍兵長」とか「陸軍上等兵」とか書かれた古いお墓が並んでいた。地蔵や小川もあった。
段上墓地らしかったけれど、貝之介墓地とも書かれてあった。10世紀頃からあり、貝之介墓地と呼ばれていたらしい。「村上天皇の頃におこった回国聖である六十六部の供養塔もある」と説明されていたけれど、意味は全く分からなかった。
回国聖は各地を回って寺をつくる、橋をかけるなど社会事業を行ったりもしながら布教した僧のことだそうだ。行基みたいな人のことね。
法華経の霊場が全国に66あるらしく、法華経を66部写経して、それを各霊場に納めに歩いたというのが六十六部こと六十六部経聖だって。
鎌倉時代の頃から流行したらしい。江戸時代にはお寺の前とかで布施を求める托鉢僧になっていったみたい。
もっと道幅が狭くなり、仁川学院小学校が現れた。
「是ヨリ南高木今津道」と書かれた碑があった。
西宮道や有馬道(西宮に向かうと西宮道、小浜に向かうと有馬道)と今津高木道との分岐点らしかった。高木や今津はこの南の方にある地名。ここで直進する道と、西寄りに進む道とに分かれていた。
「是ヨリ南」とある通り、直進して南下するのが高木今津道、西寄りの道が西宮街道・・・だったのに、あまり考えずそのまま直進してしまった。
西宮道の方に行けば、すぐ「やくじんさん筋」。道なりに1kmほどで門戸厄神だったのに。
高木今津道を門戸厄神駅あたりまで歩いて行った。
上大市庚申塔とか、見覚えのあるところが多かった。西国街道歩きの途中、帰途につくため駅まで歩いたことのある道だったみたいで。
見覚えのある複雑な辻に到着して、そこには「西国街道」とか「尼崎大阪道(高木今津道)」とかの道標があった。
西宮街道は門戸厄神あたりで西国街道に合流して終わるってことだったから、ここで西国街道に合流するんだなと早合点。
本当は南西の西宮に向かう西宮道はもっと西側にあり、この高木今津道は南東にある尼崎に向かう道。ここで一瞬、西国街道を通り、西国街道と分かれてまた南下していくのだったみたい。
西宮街道(完)とはならなかった。
けれど知らずにいて、気分は「(完)」で西宮北口駅まで歩いた。野間町とか薬師町とか、元は古そうなところだったけれど、もう別の新しい町になっていた。




