1-1 ドアを開けたら
鮮血のように真っ赤な空に、黒い雲が禍々しく渦巻く。
漆黒のドラゴンが雄叫びを上げるたびに、空気がビリビリと震える。
足元にある道は、荒々しい岩肌の見える険しい山へと続く。
山の上には、魔王城とでも言うべきドス黒い西洋風の城がそびえ立っている。
そして、そのファンタジー世界のさらに向こうから、弟がドタドタと廊下を走る音が聞こえる。
僕はその光景を自分の部屋から、ただ呆然と見ていた。
「は……?」
その日、僕の部屋のドアは、異世界に繋がってしまった。
◇
僕は田舎に住む普通の女子高生、飛鳥和深智。
今日は朝から弓道部の土曜練習に行き、帰宅したのは午後四時だった。
部屋に戻るなり靴下を脱いで髪ゴムを外して、セーラー服のまま自分のベッドにダイブしたところまでは覚えている。
目が覚めたときには午後六時。夏なので外はまだ明るかった。
まどろむ目をこすって僕はベッドから起き上がった。
スライド式のドアの取っ手に手をかけ、いつもどおりにガラッと開けた。
すると、ドアの向こうはいつもの廊下ではなく、魔王城とでも言うべき城に続く道になっていた。
「は……? なにこれ? 夢?」
あまりに突然の出来事で、僕の脳は何が起きたのか理解できなかった。
僕の家の中のはずなのに、ドアの先には赤い空がどこまでも広がっている。
そして空には何匹もの黒い巨大なドラゴンが、バサバサと羽ばたきながら飛び交っていた。
そしてその世界の向こうから、弟がドタドタと廊下を走る音がしていた。
非現実的な世界の奥から聞き慣れた音が聞こえるというギャップに頭が混乱する。
まるでドアが巨大なディスプレイに置き換えられて、そこに異世界の映像が映されているかのようだ。
僕は目をこすってもう一度見直したが、やっぱりドアの向こうは魔王城のある山だった。
手をドアの向こうへ伸ばす。
ディスプレイじゃない。ちゃんと異世界へ繋がっている。
——夢じゃない、現実……。
僕は裸足のまま、異世界に片足を踏み入れてみた。
足元には尖った石がゴロゴロしていて、踏んだら痛くてすぐに部屋の中に足を戻した。
痛いってことは、夢じゃない。
このドアの向こうは、異世界なんだ。夢にまでみた、異世界なんだ。夢だけど、夢じゃないんだ!
「よっしゃあぁぁぁ!」
ついガッツポーズをしてしまった。
異世界だよ? だって異世界なんだよ? 行くしかないでしょこれは。
僕は急いで靴下を履き直し、髪をポニーテールにまとめた。
体育館用のシューズを履けば砂利道でも問題ないはず――
ギャオガアォォォ
ウキウキ気分で準備をしていたら、やけに大音量なドラゴンの雄叫びがビリビリと部屋に響いた。
ビクビクしながらドアの方を見てみると、見上げるほど巨大なドラゴンがドアのすぐ間近に居た。
そのドラゴンの口の中には炎のようなものが……。
「やばいっ!」
ドラゴンが口から炎を吐くと同時に、僕はドアを急いでぴしゃっと閉めた。
間一髪セーフ、炎が届く前に閉めることができた。
そのまま僕はへなへなと床に座り込んだ。
あまりに急に動いたせいか、心臓がバクバクいっている。
興奮が落ち着いてきたところで、僕はとんでもないことに気づいた。
「ちょっと待って。今、閉めちゃったじゃないか」
ドアを見直す。
どう見ても閉まっている。
ドアの端の隙間に近づきじっくり眺める。いつもどおりのドアである。
――これでもう異世界に行けない、なんて事はないよね……。
不安に思いながらドアの取っ手に手をかけ、ゆっくりとドアをスライドさせる。
その先はいつもの廊下ではなく、魔王城への道でもなく、今度はどこかの森林だった。
さっきまでの赤い空とは違い、生き生きとした緑の木々と、その隙間にうっすら見える平和的な青い空。
家の近くの山に登ったときのような、腐葉土のニオイが鼻に入ってくる。
――別の場所に繋がった……? そんなパターンある?
僕は仮説を立てる。
最初に見た魔王城がラスボスの城。そしてこの森林が冒険の開始位置。
この森林の先にまだ魔王に侵略されていない辺境の村とか街があるってパターンでは?
そして村で情報を集めたら次の街まで冒険して、自分をレベルアップさせながら、最後はあの魔王城でラスボス戦するのでは?
コンコン
突然、ノックの音が目の前から聞こえてきた。
あまりに突然だったせいでビクッとしてしまう。
続けて、ドアの向こうからおっとりとした声が聞こえてきた。
「ミチさん、寝てるのですか? 晩ごはん、出来ましたよ」
「か、母さんか。びっくりした」
「どうかしました? 晩ごはんの時間ですよ」
「うーん、えぇと……。たぶん、ちょっと時間かかる」
「は~い、わかりました。冷める前に来てくださいね~」
返事をすると、母さんの立ち去る足音が、目の前に広がる森林の向こうから聞こえた。
どうやらこちらでドアを開けても廊下側は開いていないらしい。
どうなっているんだ?
「あぁ、もう! 分からないことは考えたって意味がない」
僕は気を取り直して体育館シューズを履き、セーラー服のリボンを整え、眼の前の森林へ、異世界探求への第一歩を悠々と踏み出したのだった。




