返事をしない王都
王都へ送った証拠が戻ってきたのは、三日目の夕方だった。
白潮灯台の玄関で、ユノが受け取った小包を抱えたまま、階段を駆け上がってくる。頬は冷たい海風で赤くなっていたが、その目には朝の光より鋭い怒りが宿っていた。
「エルシア、これ、開けていいの? 王都の印がついてるけど、ずいぶん乱暴に扱われたみたい」
小包の角は潰れ、青い封蝋にはひびが入っていた。エルシアは作業台の上で紐をほどいた。中には、二枚の曙硝子と測定板を包んだ布、それから一枚の書面が入っている。
書面には、わずか四行しかなかった。
『提出物は北部灯台の独断による加工品と判断する。朝彩の配分に関する異議は、朝彩院の正式な様式によらないため受理しない。ベルメル家への処分は既定の通りとする。なお、王弟殿下の監査権限についても、王都帰還後に再確認する』
署名は、ラゼル・オルド。
「見もしなかったのですね」
エルシアの声は、自分で思ったより静かだった。
硝子を包んだ布には、王都の検査を受けた跡がない。封を開けた形跡すらなかった。返事をしないのではない。聞く前から、聞かなかったことにしたのだ。
「俺が持っていった記録も、同じ扱いになるだろう」
窓際にいたノアが、書面を受け取った。指先が紙に触れると、そこだけ薄く白く曇った。
「殿下、怒っているの?」とユノが尋ねる。
「怒っている。だが、怒りを見せれば、王都はこの紙を別の理由に使う。王弟が灯台を私物化し、役人を脅した、とでも書くはずだ」
ノアは書面を折りたたんだ。丁寧な動作だった。その丁寧さがかえって、胸の奥に冷たいものを残した。
エルシアは戻された硝子を光へかざした。玻璃の奥に、海底で聞いた声の名残が浮かぶ。
『灯は誰のものでもない』
声はかすかだったが、今度はひとつではなかった。古い灯台守の声に、船乗りの低い歌声、畑を耕す人の祈りが重なっている。王都の役所が耳を閉じても、記憶まで消えるわけではない。
「受理されなかったのなら、受理される場所へ持っていきましょう」
エルシアが言うと、ユノはすぐに頷いた。
「港の組合なら聞いてくれる。マルタさんは、王都の役人より船の故障に詳しい人の話を信じるよ」
「組合だけではない」とノアが続けた。「ここで朝彩を受け取る町の人々にも、見てもらう。光がどこから来て、誰の暮らしを支えているのかを、彼ら自身の目で確かめてもらう」
その夜、三人は灯台の食堂で地図を広げた。
白潮灯台のある港町では、季節の終わりに灰色祭りが開かれる。曇天の多い北の海で、船が戻ったことを祝う小さな祭りだ。昔は灯台守が朝彩の糸を一筋だけ広場に掲げ、町の家々がそれぞれの色を結び足したという。
けれど、朝彩院が配分を管理するようになってから、その習慣は途絶えていた。祭りで使う布さえ、王都から届く規格品に限られている。
「この祭りを使うのは、危険ではありませんか」
エルシアは地図の上に指を置いた。王都の使者が来れば、灯台を閉鎖する口実を与えることになる。
「危険だ」とノアは答えた。「だからこそ、隠れて証拠を抱えるだけではいけない。閉鎖命令が届く前に、町が灯台を必要としていると示す」
「でも、町の人たちを巻き込んだら……」
「巻き込むのではない。最初から、朝彩は彼らのものだ。君はそう言っただろう」
エルシアは顔を上げた。
ノアは、あの海底で自分が口にした言葉を覚えていた。返事を待たずに、こちらから届ける。そう決めたのは二人だった。それでも彼は今、その決断をエルシア一人の勇気にしなかった。
「私が、町の人に話します。ベルメル家の失敗ではないことも、王都へ朝彩が逆流していたことも」
「声を聞かせるなら、硝子を広場へ運ぶ必要がある」とユノが言った。「でも、古い玻璃は祭りの人波で割れるかもしれない」
「複製を作ろう」とエルシアは答えた。「声そのものを写せなくても、記録された文字と流れは布に残せる」
彼女は作業台へ向かい、残っていた朝彩の糸を取り出した。青、金、そしてノアの冬紋を思わせる白。三色を並べると、糸はまだ織られてもいないのに、かすかな光を返した。
ノアが白い糸をつまむ。冬紋が淡く輝き、糸の間に細い霜の線が現れた。凍った線は文字の形になり、すぐに溶けて消える。
「今のは、何と織るつもりだったのですか?」
「明日、だ」
ノアは少しだけ笑った。
「王都が返事をしないなら、こちらで明日の返事を作る」
翌朝、エルシアは祭りのための大きな布を織り始めた。最初の一筋は、白潮灯台から港へ伸びる道。次の一筋は、海の向こうにある四つの灯台へ向かう光だった。
まだ誰も、祭りに何を掲げるのか知らない。
けれど、王都から返ってきた空っぽの返事を見たマルタは、昼前には船大工たちを連れて灯台へ来た。
「王都が聞かないなら、港が聞くさ」と彼女は言った。「広場の柱くらい、いくらでも立ててやる。あんたたちの布を、海から見える高さに掲げよう」
エルシアは織機の前で、深く頭を下げた。
返事をしない王都の向こうで、町の扉がひとつ開いた。白潮灯台の鐘が鳴り、朝彩の糸が、まだ見ぬ人々の手へ渡っていく。
王都が沈黙を選ぶなら、こちらは光を選ぶ。
その最初の布が、灰色の空の下で静かに明日を織り始めた。




