第九話
衝撃の王宮交流会の乱から、間もなく2年になろうとしておりました。
わたくしは領地内にある戦神エウロスプス様の教会にて、祈りを捧げております。
教会は神域です。
この神聖な場で真摯に祈りを捧げれば、個人の資質により差はありますが神気の総量が増え、その分だけ神聖魔術の効果や祝福の力が増します。
そうして真摯に祈りを捧げながら、ふと2年前から今までの波乱の日々を思い出していました。
◇ ◆ ◇
聖剣を持った殿下の雄姿に暫し見惚れ。
ホールにいた人々が三々五々に集まり、散っていき。
ひと気が大部少なくなってから、わたくしも我に返り。
そしてヒルデ様のことを思い出し、同じく唖然としていたヒルデ様を回収して、王宮を辞し、タウンハウスに帰宅、大層慌てた様子のお兄様と情報共有、そして情報収集に明け暮れ10日ほど経った頃に領地にいるお父様から至急、領地に戻るよう伝達があって急ぎ戻り。
人生でも経験のない大慌ての日々でした。
そうして屋敷に帰ってきて早々に執務室に呼ばれました。
お父様は若干疲れた顔付きで、急ぎ返ってきたわたくしを労いました。
「よく帰ってきた。王都では大変だったな」
「いえ、わたくしたちはただ右往左往しただけ。すべては第二王子殿下……いえ、勇者グリアス様の毅然たる行いを傍観していただけに過ぎません」
「そう自分を卑下するものではない。例え私がいたとして同じだ。何も出来なかっただろう……それにしてもグリアス様の見事なる覚悟よ。戦女神グレーグレイブより勇者の号を得た自分は、戦女神グレーグレイブを主神とする王家にとって国王陛下と同する立場になる、故に王籍を抜け市井に下る、とは。うつけからの名誉回復もグリアス様にとっては些末ということか。その潔さ、男子とはかくあるべきよ」
お父様の言葉に全面的に同意し頷きます。
「その通りかと。国王陛下は王籍降下でよいではないか、とおっしゃったとお聞きしました。ですがグリアス様は頑として頷かず、ただのグリアスとなり後顧の憂いを断つからこそ死地に赴けるのだと、もし万が一、生きて帰ってくることがあれば褒美として受け取りますと――そうとまで言われれば引き下がるしかなかったそうです」
「うむ、まことに見事な覚悟。それにグリアス様の側近の二人も主に倣って市井に下ったそうではないか」
「ええ、何の躊躇いもなかったと伝え聞いております。主に倣ってお家の名を捨て、共に死地に赴く……並大抵の忠義ではございません」
「その人徳、感服する。グリアス様は歴史に名を遺すに値するお方よ……それで、だ。メリエナはグリアス様のことをどう思っている?」
突然の話題の変更に、思わず目を瞬かせてしまいました。
「え、っと。どう、とは?」
「うむ、その昔に顔合わせをした際に抱き着かれたであろう? あれもグリアス様の壮大な演技の一端だった訳だが、だが蹴り上げるほど嫌だったのだ。今も嫌な思い出ではないか?」
「いえ? ……かきつかれた際に耳元がくすぐったくて。それでびっくりして粗相をしただけで、元より嫌ではありませんでしたよ?」
「そうなのか……? だが贈り物を再々送ってきておっただろう? 迷惑でなかったか?」
「いえ? 送られた物も差し当たりのない物ばかりでしたし、近頃はチェルシーが気を利かして送り返しておりましたので手間も掛かりませんでしたから、何も思う所はございませんが」
「ううむ、そうか、そうか……」
「――お父様?」
お父様は執務室の机の上に両肘を置き、組んだ両手で額を押し当て始めました。
そして暫しの間、その姿のまま、何やら悩まし気にうなり、顔を上げました。
「……メリエナ。これはお前に与えられた選択肢だと、心に留めて聞きなさい」
「はぁ……」
「お前が生まれて間もなく、私とリリアナは戦神エウロスプス様より神託を授かった」
「まあ」
「その内容は、こうだ―――そなたらの娘に破邪の祝福を宿した、然るべき時が来るまで力を封じよ、と」
「まあ!」
「歴史書に曰く、破邪はあらゆる邪なる力を払う強力無比な力であるという……そして今、魔王の復活という邪なる者どもによる王国存亡の危機。然るべき時とはこの時と考えても間違いはなかろう」
「確かに、そうです」
「だがそれでも、だ。お前を戦になど絶対に出したくはない。人の親であるなら、それは誰もがそうだろう。それにそれでなくとも、女子を戦場に立たせるなど男子一生の恥、死んでもごめんだ――だがな、私は辺境伯家の当主だ。領民を、王国を守る為ならば、我が子ですら犠牲を覚悟せねばならない」
お父様はそういうと、また額に拳を押し当てます。そして苦悶の表情で口を開きました。
「だから、これは選択だ。決定権をメリエナに渡そう。破邪の封印を解き魔王討伐に馳せ参じるか。このことを忘れ勇者の勝利を祈り続けるか――」
わたくしに迷いはありません。王宮交流会ではお役に立ちたいなどと傲慢にも息巻いておりましたが、実際は祈ることしか出来ないのだと我が身の無能さに絶望しておりましたから。これは神が与えたもう紛れもないチャンスなのです。
「封印を解いて下さいませ、お父様」
「……良いのだな」
「はい」
「死ぬかも……いや、死ぬであろう旅だぞ」
「命惜しさに引くのは、ファウホーン家の名折れです。それは男子であろうと女子であろうと変わりありません。わたくしには戦う力があるのです――そして何より……わたくしはグリアス様をお慕いしております。あの方の背を守って死ねるのならば本望です」
「そうか……そうなのか……」
お父様は目頭を押さえ、暫し沈黙し、こちらを見詰めます。
その目は赤く充血していました。
「その選択を尊重し認めよう。ただし条件を付ける。破邪の力を十全に使いこなし、また神聖魔術も習得しなさい。神託にはこうもあった。『もし力の使い方が分からぬようなら祈るがいい。下知をすることもあろう』と。戦神エウロスプス様に祈り認められ、神聖魔術も戦いに役立つほど習得し、過酷な旅に耐えられるだけの体力を身に付けなさい」
「分かりました」
「これは最新の情報だが、魔王が復活する期限は5年であると神託を授かったそうだ。先行するグリアス様に追いつくことを考えると、悠長な時間はない」
「はい」
「それと最後に」
「はい」
「グリアス様を慕っているというのは気の迷いでは、」
「ありません。自覚したのは王宮交流会の時ですが、今まで疎遠でしたので好きも嫌いもなかっただけで、別に嫌ってはおりませんでした。辺境伯の女であれば、あのような勇猛果敢な雄姿を見せられて惚れない理由はございません。それにわたくしは死ぬつもりなど毛頭ありません。生きて帰ってきてあの方と添い遂げとうございます」
お父様は片手で顔を覆い、今度こそ静かに涙を零しました。
その男泣きに、わたくしはそっと退室したのでした。
――ちなみにメリエナの父親は口にはしなかったが、神託の内容には語られていない部分がある。それは、『破邪の祝福を宿した、然るべき時が来るまで力を封じよ。またそなたらの娘は運命の相手と結ばれる。そなたらの判断で伴侶を選ぶことなかれ』と――
閑話休題。
そしてわたくしは、旅路に出るグリアス様に会える機会を得ました。
我が領地の最北端に広がる大森林の奥地にこそ、魔王が根城にする古代遺跡都市アルガウスがあるのです。我が辺境伯家が物資の拠点になるのは当然のことでした。またそれに伴いグリアス様の英気を養うという名誉も、我が家は授かったのです。
グリアス様からは派手な歓迎は無用。
そうおっしゃられておりましたが、旅立つ前に暫しのお別れを惜しみたい、とお母様に相談したところ、1週間の滞在期間の最終日前日にお茶の場を設けて頂きました。
夢のような時間でした。
口下手なわたくしの話を穏やかな顔で嫌がることなく聞いて下さったのです。
含蓄のある歴史談義は興味深く、話はとても弾みました。
そして楽しい時間はあっという間に過ぎ――勇者様は旅立ちました。
そしてそれからは厳しい修行の日々でした。
必ずや隣に並び立つ。
比翼連理となる。
その不退転の決意を胸に、どのような難題であろうと向き合い、血の滲むような修練を積み重ねました。
そしてグリアス様がこの地より旅立たれてから、あと1カ月程で丸2年となる日。
わたくしはついに、戦神エウロスプス様より『そなたは破邪を極めた。それを評し、戦乙女を名乗ることを認めよう』と戦乙女の号を賜ったのです。
わたくしは瞠目しました。
これが戦乙女と認められた者が扱う、真の破邪の力なのかと。
極まった破邪の力は、邪なる力を問答無用で打ち消し、悪意ある攻撃を無効化する、それだけに留まらない有力な副次効果もあったのです。
それは相手の心を読み取るという、恐るべき読心能力でした。
ただしこれはあくまでおまけ的な能力で、相手が少しでも嫌悪、拒絶、無関心など、こちらに心を開いていない状態ならば、壁越しの会話を聞くような感じで何となくでしか読み取れませんので、無条件で相手の内心を知るという力はありません。
ですが相手からすれば一方的に心を覗かれる行為に変わりなく、これが世間に発覚すれば、身の破滅を招くことは容易に想像できます。
わたくしはこの能力をお父様だけに伝え、相当なことがない限り使わないことを戦神エウロスプス様に誓いました。
そして家族全員に宣言いたしました。
破邪を極めた以上、もう待てません、三日後に出立します、と。
この日の為に旅の装備など必要な物は、とうの昔に準備済みです。
お父様は反対しました。
もう少し修行が必要ではないかと。
ですが四肢欠損であっても治せ、大型魔獣でも一撃で屠るほど熟練した神聖魔術を習得し、30Kgの背嚢を背負い三日三晩歩き続ける体力も身に付け、更には破邪を極めた際に、戦乙女の号までも賜っているのです。
これは謙遜などなく客観的事実として、どこに憚ることなく勇者パーティに参戦できる王国随一の人員に育ったと自負しております。
単に子離れできていないお父様はスルーし、お母様の方を見れば静かに頷き、
「行ってきなさい。ただし勇者様の足手まといとなることはファウホーン家の名に懸けて許しません。そのような恥を晒すなら命をもって償いなさい」
と嫁入りする娘に渡される懐刀を手渡されました。
「心得ました」
わたくしはそれをしっかりと受け取ったのです。
◇ ◆ ◇
そして、今――出立の日。
回想を終えたわたくしは教会を出ました。
ここに来る前に、すでに家族と世話になった使用人たちに別れの挨拶を済ませております。
教会の側に止めてあった馬車に乗り込み、一路、城砦に向かいます。
我が領の最北端にある城砦は、今や勇者様を支える最重要補給拠点です。
そこの補給部隊に随行し、凡そ1か月ほどかけて勇者様の元に辿り着く予定です。
勇者様の魔王城到着までの旅程は半分ほど進んだ模様で、その勇者様までたどり着くのに1か月ほどで済むのも、偏に勇者様の先見の明に他なりません。
誰よりも補給の重要さを解き、その為に国内外から卓越した結界魔術師を招集し、これに退路の安全確保に努めさせ、そして迅速な補給を可能にする為に、貴重な地竜を国内外から採算度外視で集め、この高速補給を実現していたのです。
神童の名に恥じない、その見事な政策の提案に感服します。
その補給路は今では勇者の道と呼ばれ、前線の補給が絶えないよう定期的かつ安定的に物資を送り続けているのです。
わたくしを乗せた補給車は、車一台分ほどの幅の補給路を力強く進んで行き――そしてついに、夢にまで見た勇者様との合流を果たしたのです。
2年ぶりにお会いしたグリアス様は、雄々しく成長されておりました。
最後にお会いした姿より一回りは成長した立派な体躯。厳しい戦場を生き抜いたことが服の上からも分かる鋼の如き肉体。顔や手に散見する細かい傷。常在戦場を体現する猛禽類のような眼光。
わたくしは一目見て惚れ直しました。
そしてその惚れ直したグリアス様が……厳しい表情をしながらも、余りにも警戒心もなく心を開かれていたので、つい、その、お心を知りたくて読心を使ったとしても――
わたくしは謝りません。不可抗力だったのです。
それにグリアス様はわたくしの慎ましくも美しい胸を不当に貶めました。大きいだけの脂肪の塊の何がいいというのでしょう。屈辱です。責任を取ってもらいます。まあそれはさて置きまして。グリアス様とわたくしは前世の記憶という稀なる秘め事を共通するお相手と判明いたしました。これを運命と言わず何と言いましょう? お心を見るに意中のお相手はいない様ですし幼き頃に耳元で囁かれた通りわたくしがグリアス様の運命の人であることは確定的に明らか。結ばれて然るべきでは?
――その様を天界から見ていた戦神エウロスプスは、『機を見るに敏な行いやよし! 我が戦乙女よ、そなたが定めた相手が運命の相手よ! グレーグレイブの鈍感なる使徒を落とすべし!』と呵々大笑していた――