第七話
『貴族たちよ。戦女神グレーグレイブの下知を聞くがよい――今まさに魔王が復活せんと、北の森の深淵にて鼓動を始めた。もし復活を許せば遍く人の世は乱れ薄汚い魔族どもが我が物顔で台頭するであろう。人の世にあってはならぬ厄災である。さあ人の子よ、聖剣を取れ。勇者となり魔王を打ち倒せ! その酷烈なる旅はまさに死出の旅路、然りと天に召されるであろうが、その暁には我がヴァルハラの勇士に列する栄誉を与えよう!』
ホールに降り注いだその圧倒的言霊の前に、わたくしメリエナは勿論、誰も動けませんでした。
戦女神の下知を前にして、これが死ぬのが前提の旅になる、と心から理解できたからです。
突如、死出の旅に出ろ、と言われて躊躇なく頷ける者がおりますでしょうか?
女子は当然のこと、たくさんいた貴族男子も、付き添いの保護者たちも、護衛の衛兵も、大臣も、王太子も、近衛兵も、王も――
『おお! 戦う者よ! 功し我が勇者よ! その勇気を評し、そなたに我が祝福たる勇猛を与えよう! 死出に旅立つ勇者に栄光あれ!!』
金髪を煌めかせた男子が何の躊躇いもなく聖剣を引き抜き、天へと掲げていました。
光り輝く聖剣を掲げしその男子の名は、グリアス・ラクスアン。
今の今まで、文武優れる神童でありながら不名誉なうつけの名で馳せていた、王籍降下が間近と囁かれる王家きっての問題児。
第二王子殿下はよく通る声を張り上げました。
「父上! 私は今より魔王討伐の旅路の準備に入ります! つきましては緊急会議を開く許可を! 首脳陣と官僚を大会議室に招集してください!」
上座にいた国王陛下は、体を震わせながらも、負けじと声を張り上げます。
「皆まで言うな! 今宵の催しはこれにて終いとし、並びに緊急事態宣言を発する! 王太子と大臣は私についてこい! 他の者たちは邸宅にて待機せよ! 領する者は領地に通達し戦の準備をさせよ! では解散!!」
王の号令一下、皆が大慌てで動き出しました。
そんな中、わたくしは目が離せませんでした。
抜き身の聖剣を片手に、勇ましくホールを去る殿下を。
そして脳裏に思い浮かぶのは、幼少のみぎり、殿下に無遠慮にかきつかれた日のこと。
あの時の殿下は無表情で、ですがその思考は、何かに追い立てられるかのように必死でした。
わたくしは不思議でなりませんでした。
何故この人は、子犬であった頃の我が家の愛犬が川に落ちた時のような、溺れたかのような切羽詰まった勢いで、かきつくのか。
その後に何故あのような、心にもない言葉を気持ち悪い声色で囁いたのか。
その後も奇妙なことに、わたくしへの愛を周囲に語るのにも関わらず一切近づかず、我が家に届く贈り物も捨てられてもさほど問題がないような微妙な物と……あのお方はどうにもやることがチグハグなのです。
ですが結果だけ見ると、うつけ者で。
わたくしは六つの頃に死から蘇生するという稀なる体験が影響したのか、その日より不思議な力に目覚めました。
それは他人の言動が真実かどうか、悪意を持っているかどうかなど、相手の考えが本当に微かにですが見抜ける能力です。
ですから本当に、不可解だったのです。
何故わざとうつけを演じるのか。
何故王族という地位を捨ててまで評判を落とそうとするのか。
あのお方は一体、確固たる意志の元の破滅に、何を見出していたのでしょうか。
そして今回の件。
魔王討伐という歴史に残る偉業、戦女神グレーグレイブを奉じる王家が出なければ、誰が出るというのでしょう。しかも聖剣と祝福を与えられるという大盤振る舞いです。家臣に譲るという選択肢はありません。
しかしながら死出の旅、王太子に出られても困ります。
今の王家の直系の男子は、王太子と第二王子の二人のみ。
傍系におります男子も、旅路に耐えられるような年若い者はおりません。
となると第二王子に白羽の矢が立つのは必然で、更には武勇優れた人物なのです、あのお方以上の適任者はおりません。
仮に第二王子に人徳があり派閥を持っていたのなら反対意見が出て揉めることもあったでしょうが……実際はうつけが故に派閥を持てなかった上に、婚約者とすら破局寸前というお寒い人間関係しか持たない人物なのです。
そんな彼が率先して手を上げて、能力もあるとなれば、誰からも文句は出ないでしょう。
今の殿下は、何の憂いもなく勇者となり魔王を討ちに行ける人材です……ですが、これが偶然とは到底思えません。
――殿下は魔王の復活を見越し勇者になるべく、うつけを演じてきたということでしょうか?
この世には神託の予言という、世を乱す厄災を回避する方法を、イメージとして授かる奇跡があります。
もし殿下が神より受け取った、魔王による王国破滅の回避の予言が、幼き頃からうつけとして孤立して生き年若くして魔王と相打つという内容だったとしたら――
思い当たるのは10才の頃、あの乱心の時でしょう。
あれ以降から殿下は変わられた。
神々の予言は、神々の試練とも言われています。
たった10才の子供にそのような生き様――いえ死に様を強制する、神々の試練とはなんと残酷で苛烈なことか。動揺した国王陛下や王太子殿下を見れば一目瞭然です。予言の内容は家族を頼ることを許さなかったのでしょう。幼くしてその運命を受け入れた殿下の胸中たるや、わたくし如き小人には想像すらできません。
わたくしはそっと、熱い息を吐きます。
――何でもいい。わたくしに出来ることをしたい。死にゆくあのお方に死んで欲しくない。神の試練など何ほどするものか――




