第四話
――夏季休暇明けの9月初旬、グリューグエン王立学院、学生食堂のテラス席にて――
わたくしはテラス席の一画に足を向けていました。
目的はラクスアン第二王子殿下の婚約者、ラミアーナ・チェスタート公爵令嬢と話し合う為です。
果たしてそこにはラミアーナ様とそのご友人2人が居りました。
「ごきげんよう。初めまして、チェスタート家が麗しの君、ラミアーナ様」
ラミアーナ様はこちらに振り向き、目を細めます。
「……ごきげんよう。初めまして、ファウホーン家が麗しの君、メリエナ様」
「お話がありまして。もし都合が良ければ少しお時間をいただいても宜しいですか?」
ラミアーナ様が目配せをすると、ご友人二人は軽く会釈をして席を離れていきます。
「ありがとうございます」
「いいえ。それでご用件とは何でしょうか」
「それではまず。わたくしは腹芸が好きではありません。ですから単刀直入に言いますね」
「は、はあ」
わたくしの真っ直ぐな物言いにラミアーナ様は少し困惑したようですが構わず続けます。
「ラミアーナ様の婚約者様がちょっかいを掛けているご令嬢には婚約者が出来ます。わたくしの二つ上の兄です」
ラミアーナ様の目が僅かに細められます。
「兄はなるべく早く話をまとめたいとは言っておりましたが、流石に近日中にどうこうなる話でもありません。ですが思い人がその間に好きでもない男に付きまとわれるのは甚だ不愉快だそうで、婚約が成るまでの間、わたくしも兄と協力してそのお方からご令嬢を守ろうと思う次第ですが――」
「――」
「ですが、それではそちら様にとって甚だ不都合でしょう? 降ってわいた真実の愛なのです。是が非でも成就してもらわねばならない」
「……――――」
ラミアーナ様は無表情。
暫しの沈黙の後、ラミアーナ様はため息交じりに口を開きました。
「……ここから先は後日タウンハウスで、と致しませんか」
「外で長々とする話でもなし、そうしましょう」
「では明日の昼後にお越しください」
「分かりました、ではまたお伺いします。失礼しました」
――翌日。チェスタート公爵家のタウンハウス別館の庭園のガゼボにて――
わたくしはラミアーナ様と対峙していました。
ラミアーナ様は紅茶で少し喉を潤し、口を開きます。
「メリエナ様。わたくしも腹の探り合いは好みません。腹を割ってお話いたしましょう。それで、どこまで知っておいでで?」
「そうですね、今回の件もありヒルデ様の周囲を色々と調べさせて頂きました。その過程でラミアーナ様の思惑に気付いたのです」
「わたくしの思惑、ですか?」
「ええ。ラミアーナ様はヒルデ様の行いに周囲に苦言を呈し、お友達を使ってヒルデ様に『殿下に近づくな。身を弁えろ』と忠告させていましたが……ヒルデ様の不貞を肯定する噂の出所が二つあると調べが付き、その一つが殿下、もう一つがラミアーナ様の寄子のお友達と知って、ラミアーナ様のことを詳しく調べさせて頂きました。そこで察したのです」
「……」
「ラミアーナ様、貴方には幼少のみぎりから婚約者がいらっしゃった。チェスタート公爵家の隣の領地を治めるライバード侯爵家の次男シュナイド様。文武に秀で人格も穏やかで人望もある。将来有望なその彼に侯爵家の子爵領地を与え、貴方はそこに嫁ぐ予定だったそうですね。そんな二人の仲はとても良好、このままいけば恙なく婚姻を結んでいたことでしょう――ですがそうはならなかった。わたくしを諦め切れず、もうすぐ成人になろう14になっても婚約者を決めない殿下に痺れを切らした第二王妃様が、ラミアーナ様をその座に据えたからです」
ラミアーナ様は下を向き、手を強く握りしめています。
「……――」
「チェスタート公爵家もライバード侯爵家も第二王妃派です。マチュア様の要請に、しかもチェスタート公爵家は直近二度目の王族への嫁入り、ライバード侯爵家には大臣のポストの内定と、十分な見返りの前に、二人の仲は引き裂かれました」
わたくしは下を向いたままのラミアーナ様をじっと見つめます。
その肩は小さく震えていました。
「王国法には王侯貴族の婚姻に関して、こうあります。無用な後継者争いを防ぐ為に、3年以上お子が生まれないなど特段の理由がない限り一夫多妻を認めない、と。これは王族も例外ではありません。翻って第二王子殿下の真実の愛とやらの行いは、致命的な瑕疵に発展する可能性が非常に高い」
ラミアーナ様はすっと顔を上げられました。
その目つきは険しく、瞳はぎらついておりました。
「殺してやりたいほど、憎みました」
誰をとは言いませんでしたが、絞り出された声には確かな憎悪がありました。
「ですがこれも貴族の娘の、世の習いです。一晩泣きはらし思いは捨てました……そして初めての顔合わせの席であの方はこう言ったのです――」
『私の思い人はメリエナ唯一人、例外はない。一生涯掛かろうとも、私は必ず彼女を手に入れる。貴様はそれまでの間、母上の目をそらす仮初のパートナーだ。私の願いが叶えば婚約解消後か、離婚後か、その時は嫁ぎ先を斡旋してやる。貴様と子を成す気は毛頭ない、安心して清い体で去るがいい』
「――人生が二度も潰されたのだと我が身を呪い、目の前が真っ暗になりました。そして同時にはっきりと理解しました。英邁で知られるメリエナ様が何故この男との縁談を頑なに望まないのか。例え生まれ変わろうとも、結ばれる可能性など皆無だろうと確信しました。そしてその結果、わたくしはもう一生涯この男のもとで、子を作ることも期待できず、飼殺されるのだと、絶望いたしました」
ラミアーナ様の双眸から涙が零れ落ちます。
「わたくしは父にこのことを相談いたしましたが、返ってきたのは『どちらにせよ我がチェスタート家の利になるよう立ち回るから心配はいらない。お前は粛々と従え』でした。お前には子を孕む価値もないのだと、血を分けた肉親からも断じられたと理解して誰が責めますでしょうか。この耐えがたい屈辱にわたくしの尊厳は死に絶えました。今のわたくしの願いは唯一つ。例え家から放逐されて野垂れ死のうとも、この縁談を潰すことです。そう渇望していた時に舞い込んだのが、此度の真実の愛という茶番です。これがメリエナ様の御心を我が物にする算段になるとは到底思えませんが、どちらにせよ、わたくしにとって千載一遇のチャンスだったのです。ヒルデ様が不幸になると分かっていても、止められなかったのです」
心根の優しい女性なのでしょう。
ヒルデ様に害を及ぼすことを後悔して、でも望みは捨てきれなくて、どうしようもない己の醜さに、ラミアーナ様はぽろぽろと涙を流しだしました。
その様に遠目にいた侍女や使用人が動揺して近づこうとしましたが、わたくしが目線を投げかけると、寸でのところで踏み止まりました。
わたくしは黙って、ラミアーナ様の手を握ります。
驚いたようで逃げようとしますが、力強く握り、目を真っ直ぐ見据えます。
その真摯な眼差しに、ラミアーナ様はついに大粒の涙を零し嗚咽を上げました。
その慟哭を見詰めながら、わたくしは昔に思いを馳せました。
初めて第二王子殿下と会ったのは10才の頃。
その頃は淑女としての評価が鰻登りしておりまして、その噂がマチュア様の耳に届き、ならば我が子の婚約者候補たるか見定めようと、お茶会に招待されておりました。
王家からの婚約者候補の選定の茶会、その招待状です。
婚約者がいれば断れるでしょうが、当時も今もわたくしには婚約者は居りません。
特に断る理由もありませんので参加しまして、では大人(両親とマチュア様)は少し離れるので子供同士だけで話をさせて相性でも見ましょう、という段で――
わたくしを見て暫く呆けたのち、無表情でいきなり抱き着かれ、そして耳元で湿度の高い声色で囁かれたのが、
『私の運命の人。絶対離さない』
でした。
思わず膝蹴りで金的を蹴り上げたのは許される蛮行だと、今でも信じております。
そして当然の結果、お茶会は阿鼻叫喚となりましたが、わたくしたち家族は速攻で撤収し、間髪入れずに領地に帰りました。
あれから5年余り。
今なお第二王子殿下から定期的に贈り物が届きます。
すべて返却しておりますが。
ともあれ、あのお方はわたくしにちょっかいを掛けるだけに留まらず、何らかの理由で二人の女性の人生を潰そうともしているのです。
何故殿下がこのような振る舞いを行うのか――本当に、理由が分かりません。
「ラミアーナ様。ご提案があります」
「――?」
「今だヒルデ様にちょっかいを掛ける理由は判明しておりません。ですからそちらは都度、対処するしかないでしょう。ですがラミアーナ様の状況はどちらに転んでも悲惨、とても看過できません」
「看過できません、とおっしゃられても……どうなさる気ですか?」
「今だ婚約者のいらっしゃらない次男様を親元から独り立ちさせましょう。その環境は我がファウホーン家が受け持ちます」
それを聞いたラミアーナ様は思わず涙を引っ込ませ、目を瞬かせました。