第二話
王国最南端の辺境の地。
家も土地も失ったロクラント家はその後、南方のギャラッグ辺境伯家が広く呼び掛けていた南端開拓団の募集に応募し、これに採用されていました。
しかも開拓団の代表者としての採用でした。
これも偏に、能力があって結果を出すなら、どんなに厄介ごとを抱えた人物だろうと気にしないギャラッグ辺境伯様の豪気なお人柄の賜物で、お父様のかつては恙なく領地を運営していた能力を正しく買って頂いてのことでした。
領地を売るほどに切迫していた時の採用、しかも名誉ある代表者への抜擢です。
ギャラッグ辺境伯家には足を向けて眠れません。
そこからお父様とお母様とわたしの家族三人は、ギャラッグ辺境伯家からのご恩に報いる為、身を粉にして働き奉公に励みました。
魔術の才能があれば、例え子供であっても開拓の大きな手助けとなります。
そして幸いなことに、わたしには魔術の才能がありました。
お金がなくて家庭教師を雇うことも学び舎に通うことも出来ませんでしたが、物心がついた頃からお父様とお母様から魔術の手ほどきを受けていて、すべての社交用ドレスや宝飾品を売り払っても、これだけは絶対に手放さなかった、貴重な18冊の魔術書をすべて写本して擦り切れるほど読み込み、色々な魔術を習得してきました。
そうして習得した魔術で開墾を手伝い、開拓の村で暮らすこと1年半ほど経った15才の頃。
わたしに大きな転機が訪れました。
それは南に広がる大森林から、大量の魔物の群れが近づいて来たこと――
十数年から数十年に一度に起こる、魔物大襲撃と呼ばれる厄災が起こったことが切っ掛けでした。
魔物が蠢く危険な森の周辺の開墾とあって、ギャラッグ辺境伯様がよりを掛けて結成した開拓団です。戦える者も多かったのですが、それでも100名ほど。対して魔物は数千という数、しかも魔物大襲撃で這い出てきた魔物は普段より凶暴性が増し、人を見ると命を捨ててでも襲い掛かる危険極まりない存在に豹変するのです。
常であれば魔物大襲撃は半年ほど前から何某かの前兆があるそうなのですが、今回はそれがまったくなかったそうで。
森の入り口近くで暮らし狩りと炭作りを生業にする狩人一家が、森がざわつくので慎重に斥候にいくと大量の魔物の群れを目撃、命からがら汗まみれで家に駆け込むと、あと半日もすれば森から這い出てくる可能性が高いとお父様に報告しました。
その場にたまたま居合わせたわたしはそれを聞いて、祝福を使う覚悟を決めました。
わたしは戦士としての訓練を受けていない上に女子ということもあって、魔物狩りに参加したことがありません。しかし伝え聞けば魔物の中には足が速いものも多いのだとか。
それがもう間もなく襲い来るのです。
このままでは女子供を逃がす時間もろくにないでしょう。
「お父様、祝福を使うことをお許しください」
「……それは……」
お父様は言葉を詰まらせました。
祝福は強力が故に時として政治的に利用され破滅を齎す諸刃の剣。しかもわたしは貴族社会に盛大にハブられている存在です。使えばどうなるか予想が付きません。
我が子の未来を考えて同意に躊躇するのは理解できますが、わたしは引きませんでした。
「お父様、わたしはお父様が家も故郷を失ってでも男爵の爵位を守り抜いたディオード・ロクラント男爵の娘です。貴族は家族や領民を守る為なら子供であっても戦う生き物です。この村はわたしにとって第二の故郷で、村人は家族です。この力を使う時は、我が身可愛さに逃げる時ではなく、皆を守るこの時だと思うのです。どうかお許しください」
お父様は暫く懊悩し、決断を下しました。
「分かった。お前も開拓村の一員だ。この厳しい土地で生きていくのに貴族も平民もない。この村の存亡の時、戦える者は誰であっても武器を取り戦う義務がある。付いて来なさい」
お父様はわたしを引き連れ家を出ると、村の中央の広場まで行きます。
そこには事前に呼ばれて集結した、村の戦士100余名が並んでいました。
わたしを見て何故この場にリーダーの子供が、と彼らは少し動揺したようですが、騒ぎ立てることもなく静かにお父様の言葉を待っていました。
「皆の者、すでに聞いての通り、今まさに森から魔物どもが這い出てこようとしている。このままではろくに抵抗も出来ず全滅するだろう……だが我が神ダイダリュウス様は見捨ててはいなかった。ミリア、来なさい」
後ろに控えていたわたしは、お父様の隣に立ちます。
「我が娘ミリアは、天秤の商神ダイダリュウス様より祝福を授かっている。その力は聖戦、強力な支援結界である」
それを聞いた戦士たちは、目を見開いてざわりと声を上げました。
驚くのも無理はありません。
祝福とは、神々からまれに選ばれる人間――使徒にのみ授けられるとても強力な力です。
そしてわたしの祝福である聖戦は、魔なる者の侵入を拒み、もし侵入を許しても力を激減させ、神々の信奉者である人間であれば能力が飛躍的に向上する、とても強力な支援結界なのです。
この力を授かったのは、わたしが10才の頃でした。
故郷の礼拝堂で神に祈りを捧げていた時、圧倒的言霊が降ってきたのです。
『我が愛しき信徒ミリアよ。信心厚きその姿を評し、そなたを使徒と認めよう。祝福として聖戦の力と、秘匿の神秘スキル【人生を降り直せ!】を授ける。聖戦の力を強くしたいのであれば祈るがよい。神秘スキルに関しては我から語ることはなし』
そう言い残して言霊は去っていきました。
我が家に残された財産、魔術書には祝福に関する記載もあり、聖戦に関しても書かれていました。
魔術書曰く、聖戦とは魔を弱体化させ信徒の能力を向上させる強力な支援結界とのことだそうで。そして神秘スキルですが……そのような記載は魔術書にはなかったので、詳しくは王都の図書館にいかないと分からないのであろうと思われ―――そこで、すっと意味が降りてきました。
――秘匿の神秘スキルとは、人生に一度か二度程度しか使えない強力無比な個人スキルです。貴方のスキル【人生を降り直せ!】は人生をやり直せるスキルです。やり直せる日時などは貴方の力量次第です。このスキルは神気の総量を上げることで強化されます。神域の場で我が神に祈りましょう。貴方の場合は生涯に一度きりしか使えないので使いどころはよく吟味して使いましょう。またこのスキルは神の名の元に秘匿されるものです。このスキル情報は例え家族であっても第三者には伝えられず、何人にも知られることはありません。また何か知りたい場合は強く念じて下さい。都度、情報を降ろします。
想像を超える現象が起こりまくり、暫くの間、呆けてしまった。
そして落ち着きを取り戻してから、祝福だけをお父様に伝えました。神秘スキルに関しては伝えようとしましたが、本当に口から言葉が出来なかったので、どうにもなりませんでした。
ともあれ祝福の件を聞いたお父様は大層驚き、喜ばれました。
祝福を賜る使徒に選ばれるなど滅多にない慶事に他ならないからです。
お父様からは、せっかく神様から授かった力を腐らせないよう神様の言う通りよく祈り祝福の力を我が物にすること、そしてその力はお父様が許可しない限り絶対に使わないこと、と言い含められわたしは頷きました。
そして、今なのです。
この厄災を前に使わねばいつ使うのか。
わたしはお父様の言葉を証明する為に、聖戦を行使しました。
本当に薄っすらと、薄い膜がわたしを中心に広がり、開拓村全体を覆いました。
聖戦の効果範囲にいた戦士たちは強力な能力向上を確かに感じ取り打ち震え、そして自然と雄叫びを上げました。
『おおっ! これぞ神の奇跡なり! 百戦あって百戦危うからず! 魔物の群れ如き何するものぞ!!』
◇ ◆ ◇
邪神どもの眷属である魔物にとって、神々の先兵である人間は不倶戴天の敵。
ましてや今の魔物たちは魔物大襲撃で殺意が増している状態です。
そんな凶暴性が増した魔物たちの眼前には、何やら強力な結界が張られた村があり……魔物も種類によっては人間と変わらない知能を持つものもいますが、今の精神状態では結界の効果で不利になると思っていても、実際に不利になっても、ほとんどの魔物たちには迂回するという選択肢はありませんでした。本能のまま突撃あるのみです。
わたしはお父様の指示の通り、開拓村を覆う強固な結界を張り、村の出入り口の前の一画に広く薄く結界を張りました。
これによって村の前に殺し間を作り魔物の多くを引き付け、ギャラッグ辺境伯家の援軍が来るまで持ちこたえる、という作戦でした。
そして作戦通り、魔物たちはいくら殺されようとも、引っ切り無しに突撃を繰り返しました。中にはギャラッグ辺境伯様の領都へと向かった魔物もいましたが、後に聞いた話では全体の一割にも満たなかったそうです。
そしてその戦いは、三日三晩続きました。
その間、わたしは一睡もすることなく聖戦を張り続けました。
そんなわたしを、お母様は止めることもなく付き添いました。
お父様も休むことなく指揮を続けました。
戦士たちも代わる代わる交代しながら戦い続けました。
近隣の砦から駆け付けた18名の騎士様も戦い続けました。
神官様も山と積まれる魔物の屍をチリに還し続けました。
女子供も出来る範囲で炊き出しなど支援を続けました。
そしてついに4日目の明け方。
地平に登る太陽と共に、騎士を乗せた走竜の群れが現れたのです。
わたしはそれを物見やぐらからの大声と鐘の音で知り、ここが勝負どころ、と真っ赤に充血した目を見開きました。
残る全精力を振り絞り、可能な限り聖戦を広げます。
それは村を超え、今まさに魔物の群れに突撃せんとする竜騎兵の軍団をすっぽりと覆い尽くしました。
突然の能力向上に竜騎兵の皆様方は驚きましたが、そこは名にし負うギャラッグ辺境伯家の竜騎兵団です。すぐに落ち着きを取り戻すと、雄叫びを上げて魔物にぶち当たり、散々に薙ぎ払い蹴散らしました。
強力な能力向上を受けた200の竜騎兵。
その凶悪なまでの蹂躙劇に半日と待たず魔物の大軍勢を殲滅。
決着はあっさりと付きました。
自然と上がる勝鬨。
それを聞いたわたしは、ほっと息を吐き、意識を手放そうとした――
その直前に、わたしと、戦場に関わった全員の脳内に、圧倒的言霊が響きました。
『天秤の商神ダイダリュウスの下知である、皆の者、聞くがよい。我が使徒ミリアよ、汚らわしき魔物どもから信徒を十全に守りしはまことに大儀なり。我が授けし祝福、聖戦を極めたと認めよう。それを評し我が使徒ミリアには、戦姫の名乗りを許す。皆の者は我が使徒ミリアを褒めたたえ祝すがよい』
すごい神託が降りたな、とは思いつつ、極限の疲れには逆らえず意識を手放しました。
◇ ◆ ◇
わたしが目覚めた後。
その後も怒涛の時間が待っていました。
まず目覚めると、ベッドの側でずっと見守り続けていたお母様が、あの泣き言の一つも愚痴の一つも言わずお父様に付き添ってきた気丈なシャーロットお母様が、目を真っ赤にはらしてわたしに抱き着くと涙ながらに語ったのです。
――家を失い、領地を去らねばならなかったあの日。ミリアは泣きながらわたしに訴えたことを覚えていますか? そう、覚えておりますのね。わたしも生涯忘れません。
『家がなくなっちゃった。これも全部わたしのせいなのでしょう? 生まれて来てごめんなさい』
――そう言われた時、わたしは己の不甲斐なさに頭が真っ白になりました。そしてすぐに怒りに打ち震えました。我が子にいらないことを吹き込む輩を止められず、何という言葉を吐かせたのか、と。だからその時、わたしは言いましたよね、
『わたしはミリアが生まれて来てくれたことに微塵も後悔を感じたことはないしディオードも同様です。結果的に故郷を失いましたがディオードの判断は何も間違っておりません。わたしたちにとってミリアがすくすくと元気に育ち笑ってくれるなら髪の色ごときで騒ぐ輩も世間もどうでもいいこと。わたしたちにとってミリアは命よりも大事な我が子、生きてくれるだけで嬉しいのです。ですが貴方に苦労を掛け悲しませてしまっているのは事実、すべてはわたしたち夫婦の不甲斐なさです。だからわたしたちに出来ることは唯一つ、何があろうと死ぬまでミリアを愛し味方でいることです』と。
――そう偉そうに講釈を垂れて、結局わたしたちは変わらずミリアに苦労ばかり掛けてきました。あの忌々しい侯爵家の男から貴方が色目で見られている日々には、生きた心地がしませんでした。その後も辺境の地に逃げ延びても、貴族の子女が泥にまみれ手豆を作って田を耕し。それを見て忸怩たる思いを抱きながらも、生きるのが精いっぱい、これも時代のせい……そうどこかで諦めて、貴方に贅沢の一つも、ドレスの一つも、宝石の一つも送ってやれない。
――何と不甲斐ない母か。であるのに関わらずミリアは立派に成長し、一廉の戦士であっても音を上げる過酷な戦場で要のお役目を果たし、戦士たちも誰一人欠けることなく生還させ、ついには商神ダイダリュウス様より戦姫の号を賜るなんて。なんて立派な、自慢の娘なのでしょう。本当に、本当に、生まれて来て、ありがとう。ミリアはわたしの誇りです。
そう言い、強く抱きしめてくれました。
お母様は優しくも厳しい人だったので手放しで褒めることは余りありませんでしたが、ここまで絶賛してもらえたのは生まれて初めてのことでした。
それを聞いたわたしは、感無量で涙が溢れました。
そして同じく強く抱き返し、
『わたしもここまで腐らずにこられたのもお父様とお母様の愛を確かに感じていたからです。お父様とお母様の子供で誇らしいです。お母様、わたしを生んでくれて、ありがとう』
と言い大泣きしてしまいました。
それを聞いたお母様は更に大号泣、二人でわんわん泣いていたところ、どうやら外で聞いていたお父様が堪らずに部屋に入ってきて、二人に抱き着いて一緒に泣き出しました。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。
なんだか一生分のありがとうを言ったような気がします。
そして体が思い出しました。
ここ数日、まともにご飯を食べていなかったと。
ぐぅ~と盛大になったお腹の音に三人で笑い転げ、そして食事となったのですが。
わたしは丸一日、眠りこけていたそうで。
その間に村では、わたしが起きてきたらすぐに宴を開催できるよう準備万端で待っていてくれていました。
そこに主役が腹ペコでやって来たのですから、村を挙げての飲めや歌えやの戦勝会の始まりでした。
それとこの宴には、援軍に来て頂いた竜騎兵団のトップの総長様とその幹部の方々が合わせて6名も参加されていました。
総長様は現領主様の嫡男様、即ち次期領主様です。
流石にみっともない恰好は出来ません。
わたしは家にある中で唯一まともな服、白いワンピースの服を着て、お母様から薄く化粧をしてもらい、精いっぱいのおしゃれをして宴に参加しました。
一着しかない虎の子の余所行きの服を着ての宴は、着慣れていないので何やら気恥ずかしかったですが、誰一人死ぬことなく生き延びてくれた皆が笑顔で食べて飲んで歌う姿を見ていると、恥ずかしさも何処へやら気付くと笑顔で楽しく食事をしておりました。
皆で生き延びて食べるご飯のなんと美味しいことか。
わたしは骨付き肉を鷲掴み、満面の笑みでお肉を頬張りました。
そしてお腹がくちくなってきた頃に、我が開拓団のベテラン戦士、マーゼランさんから声を掛けられました。
「ミリア様! ここはひとつ踊ってくれやしないか! 神に捧げる勝利の舞いを!」
マーゼランさんは西にある大国から家族と共にやってきた人で、その国は別名、芸術の国と言われるほど芸事がとても盛んだそうです。マーゼランさんは芸術の国由来の歌と踊りが達者で、その国の出身の奥方はマーゼランさん以上に歌に踊りに楽器にと芸事が非常に達者でした。そして何かと物覚えのよいわたしを気に入ったのか、暇があれば奥方から歌と踊りと楽器をみっちり教え込まれていたのです。
――え~、よそ様もいるのに恥ずかしいなぁ~、でも目出度き戦勝会だし~、それにまぁ腹ごなしにもなるし~、しょ~がないにゃ~。
と胸中で勿体ぶりながらいそいそと広場の中央に行くと、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損っ損っ! と言わんばかりに、わたしは全力で舞いました。
大勝した後の勝利の舞いは格別ですねっ! この思いっ! 神様に届けっ! そいやっ!!!




