第45章 大宰府
大宰府へ行けば目の治療に長けた宋人の医者がたくさんいる、そう隆家にアドバイスしたのは実資だった。実兄の高遠が以前、大宰大弐の役に就いていたので、実資は大宰府の事情に詳しかったのである。兄貴分と慕う実資の言葉に興味を覚えた隆家は、大宰府を意識するようになった。
しかしながら、隆家が大宰府へ行きたがった理由は、もちろん目の治療の為もあるが、それよりもこれ以上都にいたくないという気持ちが大きかったからである。このままでは抵抗むなしく三条天皇が退位に追い込まれるのは時間の問題であり、そうなると敦成が天皇に即位し、道長が摂政となり、名実ともに道長の天下となる。都にいて、みすみすその光景を目の当たりにするのは、中関白家の生き残りである隆家には耐え難かったのである。
それともう一つ、出会ったその日に房子から言われた言葉が、今も心に引っ掛かっているという理由もあった。
「この国で新秩序を打ち立てるのが無理なら、船で海を渡って大陸へ行き、そこで打ち立てれば良いじゃありませんか」
大陸か? 新天地か? それも悪くないな、房子。
心の中でそう呟いた隆家には、いつしか大陸への憧れが芽生えていた。狭い都でドロドロした政権争いの渦に巻き込まれるのは、もううんざりだ。それより広い大地で思いっきり暴れ回りたい。その方が俺の性に合っている。大陸へ渡るのが無理なら、せめてその玄関口である大宰府へ行ってみたい。そこで広大な世界を感じたい・・・隆家はそう思ったのである。
「そうか、目の治療をするには、やはり大宰府へ行った方が良いのかもしれないなぁ・・・」
隆家の内心を知る由もない道長は、そう呟きながら思案している。
「はい。それに、小耳に挟みましたところでは、畏れながら陛下も近ごろ目の具合がお悪いとか・・・」
「・・・うん・・・陛下も近ごろ目が悪い・・・」
「私が行けば良い薬が見つかるかもしれませんよ」
「まぁな・・・」
「では、辞令の方をよろしくお願い致します」
隆家からそう言ってペコリと頭を下げられると、道長としても拒否しづらいものがあった。それに当時、日本は高麗や宋と緊張関係にあったので、いざという場合に備えて、大宰府の最高司令官である太宰権帥には軍事に優れ、決断力、行動力、人望を兼ね備えた人物が嘱望されていた。まさに隆家にピッタリの役目である。と言うか、都には隆家ほどこの役にふさわしい人材は他にいなかった。
ちなみに大宰府の四等官を現代の軍隊に当てはめると、上からまず将官に相当する太宰帥と太宰権帥がいて、次に佐官に相当する大弐と少弐がいて、次に尉官に相当する大監と少監がいて、最後に下士官に相当する大典と少典がいるという構成になっている。であるから大宰府の最高責任者は太宰帥という事になるが、これは親王が就任する名誉職で名目上の意味しか無く、ましてや現地へ赴任する事も無いので、実質的な大宰府の最高責任者は隆家が任命されることになる太宰権帥である。
長和三(1014)年十一月七日、隆家は太宰権帥に就任した。任期は五年。翌長和四(1015)年四月二十一日、正二位に叙された上で三十六歳の隆家は大宰府へ向けて出発した。妻と子供は都に残し、単身での赴任である。
摂津から船に乗った隆家が現在の博多港に到着したのは五月の初めだった。上陸するとすぐ「若さま!」という声が掛かった。誰だ、俺を若さまなどとトンチンカンな物言いで呼ぶのは? 若干ムッとした隆家が声のした方を向くと、そこには懐かしい顔がニコニコしながら立っていた。それは、かって中関白家に仕え、道長や花山法皇との抗争を初めとする都での乱闘の際には、いつも隆家を補佐して戦った平致光であった。致光は中関白家が没落したあと大宰府へ渡り、少弐などを歴任していた。
「おお、致光か。久しぶりだなぁ」
隆家が声を上げて予想外の再会を喜ぶと、致光も
「はい、若さま、お久しゅうございます」
と嬉し涙を流した。
「元気にしていたかい?」
「はい、若さま、私は元気です」
「おいおい、その若さまはやめてくれよ。もう立派なおっさんだよ」
「いいえ、私どもにとって隆家さまは永遠の若さまです」
感激の再会が一通り終わると、致光は隆家を港の近くにある鴻臚館へ連れて行った。ここは異国からの使者をもてなす、現在で言えば迎賓館のような施設である。鴻臚館に隆家を一泊させて船旅の疲れを癒し、翌朝、馬で大宰府へ向かおうというプランである。その夜、隆家と致光は昔話に花を咲かせながら大いに飲み始めた。致光は気を利かせ、予め遊女をたくさん手配していた。途中から遊女たちが加わると、後は無礼講である。隆家と致光は、若い頃よくそうしたように、遊女たちを交えて一晩中、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎを繰り広げた。
翌朝、二日酔いの頭痛に少々悩まされながら、隆家と致光は馬でノロノロ大宰府へ向かった。大宰府は博多湾から御笠川沿いを内陸部へ向かった先にある。天智二(663)年八月、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した大和朝廷は、北九州防衛強化の必要に迫られ、博多湾から奥まった場所に要塞都市である大宰府を作ったのである。要塞都市であるから、博多湾から侵攻してくる敵を迎え撃つ為、数々の工夫が施されている。
隆家と致光が進んで行くと、前方に巨大な壁が見えてきた。
「あれが噂に聞く水城か?」
隆家がそう尋ねると、致光は「そうです」と自慢気に頷いた。
敵を迎え撃つ為の第一の工夫が、この《水城》である。福岡平野の南奥、東西から迫る山地に挟まれ、地形が最も狭まった地点に、両側の山塊に端を発した全長1200メートル、幅80メートル、高さ10メートルの土塁と、内と外に水をたたえた濠から成る《水城》が、万里の長城のように行く手を通せんぼして、敵の侵入を防ぐのである。
「たいしたものだな」
隆家がしきりに感心していると、致光は左側に見える山のてっぺんを指さして
「そして、あちらが大野城です」
と説明した。敵を迎え撃つ為の第二の工夫が大野城である。《水城》の東に位置する四王寺山の山頂、博多湾から有明海まで見通すことができる絶好の場所に築かれたこの大野城が、反撃の起点となるわけである。
「なるほどなぁ。よく考えてあるな」
大野城を見上げながらそう言った隆家が、
「背後の守りはどうなっている?」
と質問すると、致光は待っていましたとばかりにこう答えた。
「背後は有明海ですが、大宰府の西南に位置する基山に基肄城を築き、もし有明海方面から敵が侵攻してきたとしても、すぐに対処できるようになっております」
「抜け目ないな」
そうこうしているうちに隆家と致光は《水城》の西門に到着した。西門を通り抜けると眼下に広大な大宰府の全景を一望できる。
「おお、これは」
都に引けを取らないその巨大さ、壮麗さに隆家は目を見張った。なにしろ東西2600メートル、南北2400メートルの空間に、左右に二十四坊、南北に二十二条の正方形の区画を有した、朱色に輝く条里制の都なのである。こんな大都城が京の都から遠く離れた九州で拝めるとは、隆家は想像もしていなかった。
隆家が詳しく眺めると、大宰府の北側中央にひときわ大きい建造物が南面して建っている。
(ははん、あれが俺の居場所になる大宰府政庁だな)
その周囲には役人たちの官舎らしき建物が見え、路上には多くの人が動いているのが見える。約半世紀前、藤原純友の乱により灰塵と化した大宰府だったが、隆家が赴任した時にはすっかり再建が済み、元の活気を取り戻していた。
「こりゃあ良いところに来たぜ。面白い事がありそうだ」
隆家は眼帯を付けた顔を致光の方へ向け
「これから俺の側近として働いてくれよ。頼むぞ」
そう言ってニヤリと微笑んだ。
大宰府政庁に入った隆家は、約五十名の役人に迎えられた。役人たちの列から幹部が一人ずつ前へ進み出て順番に
「少弐の藤原蔵規と申します。よろしくお願いします」
「大監の藤原致孝であります」」
「散位の平為忠です。以後お見知りおきを」
と挨拶した最後に、六十代後半と思われる白髪頭の老人がのっそりと前に進み出てきた。かなりの大男で、老人といってもよぼついた様子はいっさい無く、筋力もまだ衰えていないらしい。顔じゅうを覆った髭は真っ白で、それに加えて顔が赤いから、まるで赤鬼のように見える。武人あがりなのは誰の目にも明らかだった。老人は不気味な笑みを浮かべながら
「これは、これは、新しい太宰権帥さま。よくお越しくださいました。我ら一同歓迎いたします」
と挨拶した。致光が慌てて隆家に老人を紹介した。
「若、これは少監を務めた事のある大蔵種材と申しまして、ここの一番の古株でして・・・」
致光の説明をそこまで聞くと、隆家はいつものあっけらかんとした調子で
「そうか、ご老体、よろしく頼むぞ」
快活にそう言って微笑んだ。
「種材は大宰府勤めが長いそうだな?」
「はい、祖父である大蔵春実の時代から、代々我が家は大宰府でお世話になっております。そもそもは天慶二年十二月、かの藤原純友が反乱を起こした時に始まります。瀬戸内海を荒らしまわった純友ですが、いくさに敗れて西へ逃れ、最後に辿り着いたのが何とこの九州でして、憎っくき純友めは大宰府を焼き払い、罪の無い人々を塗炭の苦しみに陥れたのであります。そのとき、人々を救う為、九州の地に平和と安定を取り戻す為、敢然と純友討伐に乗り出したのが、官軍を率いる小野好古将軍と、そして我が祖父の春実でありまして、小野将軍は陸地で、我が祖父は海上で純友軍と激突したのであります。陸地はともかく、海上での戦闘は熾烈を極めました。何しろ相手は多数の海賊を配下に従える純友ですから、船の操舵に熟練しております。しかしながら、我が祖父の春実は・・・」
ここで致光が
「あの、大蔵どの、誠に申し訳ないんだけど、閣下は長旅でお疲れですから、純友の話はまた今度ということで・・・」
と種材の話を遮り、そそくさと隆家を奥へ連れていった。
「なぁ、いつもああなのか?」
奥の部屋へ向かう途中、隆家が小声でそっと尋ねると、致光は苦笑しながらこう答えた。
「はい。純友の話が始まると、いつまでたっても終わらないんですよ、あの爺さんは」




