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さがな者隆家  作者: ふじまる
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第43章 一条天皇崩御

 敦成あつひらが皇太子に決まったという知らせを受けると、彰子あきこはたちまち険しい表情になり、ただちに道長を自分の部屋へ呼ぶよう紫式部に命じた。不穏なものを感じた紫式部は念のため彰子に尋ねた。

「大臣をお呼びして、どうなさるおつもりですか?」

「どうしても父上に申さなくてはならない事があるのです」

「大臣は恐ろしい方ですから、いくら実の娘とはいえ、あまり出過ぎた真似はなさらない方がよろしゅうございますよ」

「出過ぎた真似でも何でも、これはわたしがやらなくてはならない使命なのです。さっさと父上を呼びなさい!」

 珍しく彰子が語気を荒げたので、紫式部はそれ以上の諫言を止め、道長を呼び出した。彰子は紫式部が最初に会った頃の何も分からない《お人形》ではもはや無かった。紫式部から学問の手ほどきを受けた事により、豊かな教養に裏打ちされた高い見識を有する女性に成長していた。その彰子が待ち構える中、道長は事情を察した顔つきでやって来た。道長の顔を見るや、彰子は涙ながらに大きな声でこう懇願した。

敦康あつやすを次の皇太子にしてあげてください、父上」

(・・・ったく・・・思った通りだ・・・余計な事にでしゃばりおって・・・おまえは黙ってわしのやる事に従っておれば良いのだ・・・)

 道長は内心ムッとしてそう思ったが、表情にはいっさい出さず、空とぼけてこう答えた。

「それは陛下がお決めになる事で、わたくしが関与できる事柄ではございませんが・・・」

「陛下は本心では敦康を皇太子にしたいのです。何と言っても敦康は長男なのですから。敦康の方もその心積もりだったはずです」

「それならば陛下は敦康さまを皇太子になさればよろしいではありませんか。それは陛下のご自由なのですから。わたくしには関係の無い話です」

「父上を恐れてそう出来ないのが分かっているくせに、いい加減とぼけるのはやめてください」

「何もとぼけておりませんよ。真実をお話しているだけです」

「父上は敦康が可愛くないのですか?」

「小さい頃からお世話をしてきましたから、敦康さまの事は自分の孫のように可愛く思っております」

「それなら敦康を気の毒に思って皇太子にしてあげれば良いじゃありませんか」

「ですから、さっきから申しております通り、それは陛下の専権事項でして・・・」

「敦成はまだ二歳です。この先いくらでも即位する機会があります。でも、敦康は今を逃したら天皇になる機会が無くなるのです」

「それはお気の毒ですが、わたくしにはどうする事も出来ません」

「父上、ご心配なさらずとも敦成は必ず即位させます。お約束いたします。わたくしが必ずそうしてみせます。ですから一度は敦康を天皇にしてあげてください。たとえ短期間でも構いませんから。そうじゃないと敦康があまりにも可哀そうすぎます」

 そう言って彰子がわっと泣き伏せると、それまで臣下の態度を取って丁寧な口調で話していた道長が、とつぜん声にドスを効かせ、ぞんざいな言葉遣いでこう答えた。

「しかし、それでは敦成が即位する姿を、わしは見る事が出来ねえだろうが」

 彰子はハッとして顔を上げた。

「彰子、おまえはわしに敦康を殺させたいのか?」

「何を仰っているのですか、父上」

「東三条院さまがお亡くなりになった時、わしに向かって鬼になれという言葉を残した。わしは自分の家の為、子孫の繁栄の為、いざとなったら鬼にも邪にもなる覚悟だぞ」

「そんな恐ろしい事を・・・」

「わしを鬼にしないでくれ、彰子」

「でも、それでは敦康が」

「敦康の事は悪いようにはしないから、これ以上余計な口を出すな、彰子。それが敦康の身の為だ」

 道長にここまで言われてはいったん引き下がるより他なかったが、彰子が決して諦めなかったのは後に述べる通りである。

 寛弘八(1011)年六月十三日、一条天皇は居貞おきさだ親王に譲位し、それと共に敦成が皇太子となった。三条天皇の時代の始まりである。

 同年六月十九日に一条上皇は出家。二十一日に行成が病床を見舞った。喉の渇きを訴えた一条法皇に行成が水を飲ませてやると、「とてもおいしい。ありがとう」と礼を述べた後、一条法皇が虚ろな眼差しで周囲をぼんやり眺めながら、

「わたしはまだ生きているのか? それとも、もう死んだのか?」

 そう尋ねたものだから、行成は悲しみで胸がつぶれ、涙が止まらなかった。

 その日の夜半、目を醒ました一条法皇は、寝ずに看病してくれていた彰子に「歌を詠みたい」と告げた。彰子はすぐに紙と筆を用意した。一条法皇が病床で上体を起こし、最後の力を振り絞って詠んだ歌を、彰子が書き留めた。

「露の身の 草の宿りに 君を置きて 塵を出でぬる ことをこそ思え」

 明らかにこれは定子さだこの辞世の歌

「煙とも 雲ともならぬ 身なりとも 草葉の露を それと眺めよ」

 を意識したものである。一条法皇が人生の最期に想う女性は、やはり彰子ではなく定子だったのである。彰子はすぐにそれを読み取ったが、特に不満は無かった。それどころか

(あの世へ行ったら定子さまとお幸せにお暮しください)

 と願ったくらいだった。一条法皇を愛すればこそ自分は二番目の存在で構わないと思っていたし、そもそも自分が嫁いで来なかった方が良かった、一条法皇と定子の幸せを邪魔して申し訳なかった、結局わたしたち三人は親の権力争いの犠牲者なのだ・・・そういった贖罪の思いに、彰子はずっと以前からとらわれていたからである。

 その為にも彰子は敦康を天皇にしてあげたかったが、その願いは叶わなかった。この後、不幸にも敦康は寛仁二(1018)年に十九歳の若さで夭折する事になる。しかし、諦めない彰子は、何とその二十年後の長暦元(1037)年に、敦康が残したひとり娘・嫄子もとこを、天皇の座に就いた自分の次男・敦良あつなが(後朱雀天皇)の中宮に迎えて子供を産ませ、敦康の血を皇統に入れたのである。もはや執念とも言える彰子の行動は、彼女の一条天皇に対する贖罪の念がどれほど強かったかを物語ると同時に、彼女がどれほど一条天皇を愛していたかも物語っていると思う。

 一条法皇は歌を詠み終えると意識を無くし、昏睡状態に陥った。

 寛弘八(1011)年六月二十二日、一条法皇崩御。享年三十一歳。現代で考えれば、まだ死ぬには早すぎる青年であった。一条法皇の死の瞬間、彰子は泣き崩れた。敦康と脩子ながこも泣いた。隆家はその場にはいなかったが、一条法皇の崩御を聞いて、

「終わったな、何もかもが・・・」

 と呟いた。隆家の脳裏には、定子の嫁入りの様子、初めて面会した時の一条天皇のおどおどした幼い顔、こいつが僕の大好きなお姉ちゃんを奪ったのかと子供心に感じた敵対心、朝廷内で華やいでいた道隆と伊周、定子と伊周これちかと清少納言が機知に富んだ会話を楽しんだ登華殿とうかでん、道隆の死、花山かざん法皇とのいざこざ、自分と伊周の流罪、貴子たかこの死、定子の出産と死、伊周の死・・・それらの場面が次々と現れては消えていった。

房子ふさこ、俺の人生もそろそろ終わりだ。もうすぐまた会えそうだよ)

 隆家は房子の顔を思い浮かべて寂しげに微笑んだ。

 同年七月八日、一条法皇は荼毘に付された。生前、本人は定子と同じように土葬を希望していたが、なぜか火葬された。その夜、二つの人魂が都の空を北西に向かって飛んでゆくのが目撃された。

(ああ、陛下と定子姉ちゃんが、また一緒になれたんだな)

 夜空を見上げて隆家はそう思った。

 同年七月二十日、一条法皇の遺骨は鹿ヶ谷にある円成寺えんじょうじに埋葬された。

 道長は三条天皇への代替わりの準備で忙しかったが、ある日、一条天皇の遺品を整理していると、手箱の中から「王者は政治を公正におこなおうとしているのに、奸臣かんしんがそれを邪魔して国を乱す」と書かれた紙を見つけた。

(俺のことか。あの小僧、俺の苦労を何も知らないくせに・・・)

 道長は憎々しげにその紙を破り捨てた。

 この小説にはもう登場しないので、彰子と紫式部のその後を簡単に記しておく。

 二人の息子、敦成(後一条天皇)と敦良(後朱雀天皇)を帝位に就けた彰子は、承元元(1074)年に八十六歳で没するまで上東門院じょうとうもんいんと号して政界に君臨した。その間に敦康のひとり娘・嫄子を敦良(後朱雀天皇)の中宮にしたのは、先に述べた通りである。彰子が政界のドンになり得たのは、ひとえに紫式部の教育があったからこそである。彰子は亡くなるまで一条天皇を慕い続け、しばしば夢に見、親しい家臣によく一条天皇との思い出を楽しそうに語り聞かせていたそうである。

 彰子をある意味モンスターに育て上げた紫式部は、一条天皇が没した後も数年間は彰子に仕えていたようだが、そのあと実家へ戻り、静かに余生を過ごしたものと思われる。彼女の没年は定かでない。ひとり娘の賢子かたいこが後に彰子に仕え、大弐三位だいにのさんみと呼ばれる歌人になったのは、以前述べた通りである。

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