3
戦術院の南端が見えてきたところで、院内に緊急の警報がけたたましく響き始めた。
夜間照明も急激に輝き増していく。いよいよ私達の行動がバレたようだ。
「級長! もう飛んだ方がいいんじゃ――」
「まだだ。ギリギリまで走れ」
飛ばない限りは、霊脈を発することがないので足がつきにくい。
囮のことも考えれば、院内にいる間は出来る限り隠密性を保つ必要がある。
でなければ、空に出たときに、戦術院全ての対空兵装で撃ち抜かれるだけだ。
「ハヅミ、紫月組は」
「もう囮に出てくれた。大丈夫」
「よし」
予め計画した通りに紫月組が囮となってくれれば、私達が霊脈を発しても大丈夫なはずだ。
彼女らの協力を無駄にするわけにはいかない。
全速で走り続け、ついに目的の南端――港となる区画――にまで到達する。
停泊している船舶は、予め確認したとおり無人でまだ警戒態勢ではない。
だがそれも時間の問題だ。いずれこれらも私たちを追うようになる。
「――飛翔ッ!」
私の掛け声を合図に、全員が飛空礼装を展開し、一斉に闇色の空へと飛び出す。
南端の対空兵装群が私達を補足するが、ツグネが素早く顕現させた【霊器】による針の穴を通すような同時射撃で全て撃ち抜かれ、沈黙する。
これで、固定兵器が自己修復を行っている間に射程外へと逃げられるだろう。
全員の飛空礼装が、高速飛翔時の鋭い翼へと変化し、加速しだす。
「ツグネ、沖の船は」
飛翔開始後、空中での陣形が『矢』となったのを確認し、『矢』の中央に位置するツグネに問う。
《動き始めたけど、私たちの方が早い》
「空はどう」
《……院の方でハンガーに動きがある。予想以上に手際良いわね》
「南端の対空兵装の射程外に出るまでは全速で行く。誰かが追ってくる場合は、予定通り私が一度払う」
《みんな聞いたわね。第2ポイントまではこのまま全速を保って》
直後、全員の力強い了解が返ってくる。
……それが、私に少しだけ勇気を与えてくれる。
必ず守る。
私とカオンさんを信じて力を貸してくれたこの8人を、絶対に死なせない。
――――夜の大気を切り裂きながら、私は、数日前のことを思い出していた。
* * *
私とツグネの私室。
テーブルに広げられたカオンさんの手紙。
座っているのは、ツグネとハヅミ。
私は立って、二人を見ている。
それぞれ思う所のあるであろう二人を、黙って、見ている。
「……本気、なのね?」
やがて発せられたツグネからの問いに、私は無言で頷き返す。
カオンさんからの手紙を読んだ私は、少し悩んだ末に、この手紙をツグネとハヅミの二人に打ち明けることにしたのだ。
それは、あの手紙にツグネやハヅミ達に向けたカオンさんの強い想いも読み取れたからだ。
私はカオンさんの手紙の内容を打ち明けるにあたり、もう一つ別のことをツグネ達に告げた。
それは、私が手紙にあった旧京都に行くつもりであるということだ。
「私は、カオンさんの最後の望みに応えたい。カオンさんの見た真実が何であるかを確かめたい。だけどそれは、恐らく戦術院に対する重大な叛逆行為になる。だから、ツグネとハヅミを誘うつもりはない」
重苦しい空気の中、私の言葉が薄暗い私室に反響する。
「こんな言い方、本当はしたくないけど……カオンさんの言葉をそんなに信じてもいいの?」
ツグネは拳を握りながら、そう口にする。
ハヅミも私も、それを咎めたりしない。
むしろ、ツグネの思考は正常且つ冷静だ。
戦術院という組織に則れば、そうするのが当然である。
だから私は、それに応えるように、異常なる決意を言葉にする。
「カオンさんの言葉だから、全部信じる。無視できない」
――もしかしたら、全て嘘なのでは? 何かの間違いなのでは?
そう思いたくなるのはわかる。
あまりにも突拍子もないのは事実だ。
だけど――
現にカオンさんが死んで、そしてここにカオンさんが遺した言葉がある。
確かめずにはいられない。
信じなければならない。
遺志を、受け継がなければならない。
それが、もう既にいないカオンさんに対して私ができる唯一のことだ。
「一人では行かせない」
そう言ったのは、ハヅミだった。
「アイハが嫌だって言っても絶対について行く。カオンさんがその真実のせいで死んだというのなら、私はそれが何であるかを知りたい」
隠し切れない感情が、語気から滲み出ている。
……正直、ハヅミはそういうと思っていた。
そして、こうなると――
「――――私も行くわ。今しがたあんなことを言ってしまったけど、私だってカオンさんの遺志を無為にしたくない。私達はずっと一緒だったんだから、この戦術院を敵に回すときだって、ハヅミとアイハから離れたりなんかしない。二人を守るわ」
私を真っ直ぐに見据えながらツグネは言い切った。
――わかっていた。
二人に手紙のことを打ち明ければこうなることは、わかっていたのだ。
「誘うつもりはない」なんて当然嘘だ。
明かしてしまった時点で――――私は二人を誘ったも同然なのだ。
思ってしまう。果たして私は、正しい行いをしたのだろうか。
ツグネとハヅミを巻き込んだのは、間違っているのではないだろうか。
「アイハ」
ツグネとハヅミが同時に私の名を呼ぶ。
二人が、私を見つめている。
その瞳の奥に、それぞれのカオンさんとの思い出が映っているようで。
……私は、もう二人に何も言うことができなかった。
* * *
その後、ツグネとハヅミの提案により私は自分達のやろうとしていることを藍雪組と紫月組の面々に話すことにした。
でなければ、私達はただ無責任に彼女達の前から姿を消すだけになってしまう。
私達とカオンさんの両方を良く知るこの二組には、ちゃんと事実を知ってもらう必要がある。
カオンさんが私達に遺してくれたように、私達もまた遺さなければならない。
それが、ツグネとハヅミの意見だった。
ちなみにこのことについてツグネは「アイハも無責任に消えようとした」と私に何度も怒った。本当にその通りだと思う。
全てを話し終えた後、紫月組は、私達を止めようとはしなかった。
それどころか、計画に協力をすると言い出してきて、その上で自分達はここに残ると言ってきた。
「ハヅミ達が戻ってきたとき、私達はちゃんと味方になるよ。そのために、ここに残る。どうしようもなくなったら、逃げ帰ってきて良いよ。そのときは一緒に罰でも何でも受けて死んでやる。カオンならそう言うだろうしね」
「その前に、脱走に協力した罪でみんな死ぬかもだけどね」と、現紫月組級長のリエさんが、紫月組全員を見渡しながら言う。
「ま、アイハに脅されてやったって言えば何とかなるでしょ。死んだらその時はその時だ」
「困るのは戦術院だしね」
「はっ、自分を人質にするってね」
紫月組の面々はそんな、冗談なのか本気なのかわからない言葉を交わしながら笑顔を見せる。
私にはその励ましが、とても頼もしかった。
彼女たち一人ひとりの中に、カオンさんがいるかのようだった。
その一方で、藍雪組の面々は「絶対についていく」と言って聞かなかった。
「私達は級長のおかげで今日まで生きてこられたんです」
「だから、級長のために恩返しをしたい」
「それに、級長たちにとってカオンさんが大事な人のように、私達にとっては、級長と副級長がかけがえのない姉なんですよ」
何度も、危険であること、死ぬかもしれないことを口にした。
それでも彼女達は態度を全く変えない。
むしろ――――私達が死に行こうとしているように見えるから、尚更放っておけないとまで言ってくる。
「わかった。もう何も言わない。みんなのことは、私が守る」
私がそう言うと、藍雪組のリュウナが「いいえ」と口にしてから。
「今度は私達が、級長を守る番です」
そう、力強く返してくれた。
* * *
《――第2ポイント、近いわ》
《後方より高速で接近する霊脈反応あり》
索敵を行うツグネとヒズミから同時に発せられる報告。
「霊脈……てことは、飛空礼装か」
《飛行機飛ばすよりそっちの方が早いものね》
となれば、私の出番というわけだ。
「ツグネ、皆を任せた。各員、予定通り第3ポイントで落ち合おう」
《――了解。無理はしないでね》
《級長! ご武運を!》
殿を務めていた私は、『矢』の陣形から外れ、矢の進行方向と真逆に全速で戻り始める。
あっという間にツグネ達と視認できないほど離れていくと共に、前方から別の霊脈の気配を感じられるようになる。
――最初から、全力で行かなければ。
【霊器】を顕現させ、即時【第二解放】を行い、直後、雲と海面を吹き飛ばす衝撃を残すほど加速して――
――私は、追跡者である3人の【ジュウナナ】のすぐ前まで距離を一瞬で詰める。
3人は藍花組の構成員で、私も顔をよく知る者達だった。
【第二解放】の速力を用いて急速に距離を詰めてきた私に驚き、追跡者達に隙が生じる。
彼女たちの息を飲む瞬間までありありと感じられる中、その好機を逃さず、私は一番近い一人に対して、【霊器】の峰による打突を放つ。
対象の【霊器】を持つ腕の骨を折り、打突した勢いをそのまま乗せて相手を蹴り飛ばし、海面の方へ吹き飛ばす。
骨折程度は万全な状態の【霊器】を持っていればすぐに回復するのは承知の上だ。
殺さずに相手の戦力を削るには一番手っ取り早い。
続けざま、空中で身を回転させつつ、次に近かった者に対して距離を詰めて、第二撃。
遠心力も加わった打突が、対象の手から【霊器】を弾き飛ばす。
直後、間合いを更に詰め、掌打を顎に叩き込む。
相手は白目を剥き気絶した。後は勝手に海面へと落下するだろう。
ここまでの攻撃は一呼吸にも満たない内に完了した。
残るは一人。
すぐさま【霊器】の峰を振り下ろし、最後の一人の右肩を封じようとするも――
奔流。
目の前であふれ出た霊脈が私を吹き飛ばし、相手との距離を無理やりあけられる。
【第二解放】だ。
最後に残った一人、藍花組級長のジョウエは、手に持つ斧にきらきらと輝く氷のような霊脈を纏わせて私を睨む。
「――――まさか本当に、アンタがこんな真似するなんてね」
「生きてまた会えたら、事情を話すよ」
「ほざかないで。これは明確な背信よ」
「わかっている」
「だったら何で――」
「私にも裏切れないものがあるんだ」
ジョウエとの会話はそこで終わった。
彼女は【霊器】を私に向け、【第二解放】の固有能力で私ごと大気を凍結させようとする。
が。
――それよりも早く、私の本気の速度での打突が、ジョウエの【霊器】を弾き飛ばす。
返す刃の第二撃。
その峰打ちでジョウエの右肩を【霊器】が持てない程度に破壊する。
ジョウエの苦悶の声が漏れるのと同時に、第三撃の掌打を顎に放ち、彼女の意識をグラつかせる。
そして、第四の回し蹴りを腹部に打ち込んで、彼女を海面へと吹き飛ばす。
一瞬だった。
ジョウエには悪いが、私と彼女では能力に相性の問題がありすぎたのだ。
とにかくこれで、3人を沈黙させることができた。
後は――
「――――さようなら」
そう、気休めを残すだけだった。
……私達を探して夜空に光線をいくつも放つ戦術院が、距離以上に遠く感じる。
こんなにもあっさりとあの場所から離れることができた自分が、少し怖い。
まるであの中にだけ、『故郷』と思わせるような呪いがかけられているかのような。
――――夢から覚めたような気分だった。
私の中には、何の未練も存在していなかった。
……こうして、目覚めた私を待つものは何なのだろうか。
私は、光を遠ざけるように、飛空礼装の黒を夜の闇に重ねて、ツグネ達を追いかけ始めた。
* * *
……その後の私達の行程は、非常に順調だった。
私達は飛空礼装で第2ポイント――戦術院から真南の境界付近――にまで飛行した後、今度は境界沿いに北西へ進行した。
境界付近は霊脈の痕跡が残りにくい。
霊脈の跡が残る飛空礼装で移動するのであれば、最短で西に行くよりか少しばかり痕跡をごまかせると考えてのことだ。
当然、境界付近であるために【陽魔】との接触もありえるとは予想されたが、1回も遭遇することなく北上は完了し、第3ポイントである西日本の陸の境界までは一切戦闘することなく到達できた。
ここから先は、飛空礼装を用いずに足での移動となる。
合流後、私達は第3ポイント付近に点在する『補給所』――主に『遠足』時に活用する、物資を溜め込んだ場所――の内、山間部に建てられた木造建築の一つに目をつけ、そこで休憩をとることにした。
「――――しかしまぁ、こんな形で物資を使うことになるなんてね」
ツグネがため息混じりに言いながら補給所内の積りに積もった埃を払う。
この補給所のことを私は全く覚えていなかったのだが、ツグネだけがちゃんと記憶していたのでこうして入ることができた。
最後に使ってから相当時間が経っているのだろう。
埃まみれではあるが、物の備蓄状況は思ったより充実していた。
「今の内に食べられるだけ食べておこう」
私達はそうして備蓄された食糧のいくつかを囲み、食事をすることにした。
戦術院を出る際に一応全員が支給携帯食――錠剤のようなもので、【ジュウナナ】であれば一錠飲むことで周辺からの霊脈の吸収をせずとも一週間は動くことのできる、ものすごく不味いもの――をありったけ持ってきていた。
しかしこちらの携帯食はこの先何があるかわからないのでできる限り温存をしておきたい。
なので私たちは、第二簡易糧食――何で作ったかわからないパサついた食感のする棒状のもの。これでも錠剤に比べたら大分味は良い――と、固形スープを戻したもの――こちらはなかなか美味くて戦場の【ジュウナナ】の間では取り合いになる――を飲むことにした。
「――級長。私達、今頃向こうでどう言われていますかね」
この場において最年少であるミヒロが、スープを啜りながら尋ねてくる。
「……戦術院からの脱走者ってのは私も聞いたことが無いけど、まぁ、今頃反逆者扱いなのは間違いないだろうね」
「そのカオン級長の言う『真実』というのを掴めば、状況は好転するのでしょうか」
感情を表に出さないタイプのヒズミが落ち着いたトーンで問う。
「それはわからない。そもそも、何があるかも予想できない。ただまぁ……戦術院に戻ることはもうできないと思う」
「じゃあ、全部終わったらとりあえず【聖街】でひっそり生きてみます?」
そう楽天的な意見を口にしたのは、藍雪組で一番お気楽で、ある種のムードメーカーでもあるトウエだった。
彼女の言う【聖街】とは、戦術院の守護対象である人類の生存区画を指している。
「【聖街】で生きるって……そんなことできるのかしら」
「あたし達【ジュウナナ】と【聖街】の人は面識がないわけっすから、別に余裕でしょ。要は【霊器】出さなきゃいいわけですし」
「【黙霊】迎えればいけるよね!」
トウエにそう言って賛同してきたのは、藍雪組で背丈が一番小さく活発なカズコだ。
「あんた達簡単に言うけど、級長が前に言った通り、私達は死ぬ可能性の方が高いのよ? 覚悟足りているの? 中途半端だと、リュウナが格好つけた意味ないじゃん」
ヤヒナの意見は相変わらず冷静だ。同世代で一番大人びているのがわかる。
「ちょっとヤヒナ。私は格好つけたわけじゃないって。ただ級長達の力になりたいだけ。何もしないで今生の別れなんてのが嫌だったからここにいるの。みんなもそうでしょ」
意見をまとめにかかったのは、藍雪組で私とツグネに次いで殲滅数が多く次期級長格候補だったリュウナだ。
「みんな、本当にありがとう」
「だーかーら、級長は気にしなくていいんですって。私達が勝手についてきたんですから」
「そーですよ。だから、がんがん突き進んじゃって下さい!」
「……あなた達、そこまで言うなら、せめて足手まといにならないようにね?」
ツグネがわざとらしい笑顔を浮かべて言う。
それに対し後輩達は皆が口を揃えて「はーい」と返事した。
その瞬間、場に少しだけ活気が出る。
……自分達の緊迫すべき状況が、逆に笑えてしまうのだ。
普段の戦場と、まるで変わらない。
でも――これで良かったのかもしれない。
私とツグネ、ハヅミだけだったらもっと重苦しい空気になっていただろう。
それを悪いとは言わないが、ただ――
今は私も、ツグネも、ハヅミだって、少しは笑えている。
カオンさんならきっと、こうして笑っている私達を見て喜んでくれる思うのだ。
だから……これでいい。
* * *
その後私達は、再び夜になったのを見計らい、補給所を抜けて本格的に西へと向かい始めた。
地図上で予め時間を試算したところ、数回の戦闘を前提とした場合でも5日後には旧京都に到着するという結果となっていた。
移動方法は、ひたすら足だ。
かつて交通網が敷かれていた場所等を活用し、適度に休憩を挟んで走り続ける。
その間、【陽魔】との戦闘は極力避ける。
待ち受けるものがわからない私達には、これまでのように【陽魔】を見つけたら積極的に狩りにいくような真似はできない。
加えて、このような夜間での長距離全速移動は、私も経験が無い。
故に【陽魔】がどのタイミングで現れるかという予測も立てづらい。
追っ手と【陽魔】の両方に気をかけなければならない状況で、当然気を張らねばならない。
索敵を担当しているツグネとヒズミの疲労は凄まじいものがあるはずだ。
果たして、どこまで無事に進み続けることができるのだろうか。
胸中から不安が晴れない。
――――はずだった。
「――明らかに、おかしいわ」
日が昇り始め、空が明るみを帯びてきた頃、ツグネが言う。
この時点で私にも、ツグネが何を言わんとしているのか容易に想像がついた。
「【陽魔】も、追っ手も、全く現れない」
……夜間の内に一回は戦闘があると予想していた私達だったが、そんなことはなかった。
実際には、戦闘はおろか、索敵にすら何も引っかからず朝まで走り続けることができてしまったのだ。
「級長。こんなことってありえるんですか?」
不安を隠しきれずリュウナが問う。
はっきりいって、私も困惑している。
敵に会わずにすんだことで、逆に不安に感じるなんて。
「とっくに境界内だってのにこれは、ありえない」
とにかく、異常だった。
【子】の一匹すら見ないまま、果たして私達は何十キロ進んだのだろうか。
「そもそもの話――」
ハヅミが前を向きながら口を開く。
「追っ手が出されているとは、限らない」
「それは、どういう意味?」
「単純に、どこに行ったかもわからない逃亡者を追うのは、効率が悪い」
ハヅミの言うことはわかる。
私達が痕跡を残さぬようにしたのは事実だし、それを追って境界を越えていくとなると、非効率に他ならない。
何せ本来的には自ら死地に向かっているようなものだからだ。
手間も考慮するとわりに合わないというものだろう。
それでも――
「私たちが逃亡者であることは変わらない。ずっと放っておくなんてありえるか?」
「逆に聞くけど、私達を追う必要が向こうに本当にあるの?」
悪寒が、走る。
ハヅミのその言葉の意味を私はまだしっかりと理解できていない。
理解できていないが――何故かそれが本質を突いているという直感があった。
「ハヅミ、説明して」
促すツグネの表情も、ハヅミから続けられるであろう言葉に不安を滲ませている。
「戦術院が私達が確実に死ぬと確信しているのであれば、追っ手なんて出すだけ無駄」
ハヅミは、端的に言った分だけ私達に不吉さを与えられると考えているのだろうか。
彼女はさらに続ける。
「カオンさんの言葉が本当ならば、戦術院は何かを隠している。そしてそれは、私達に対するものにも関わりがあるかもしれない」
「……対する、もの?」
「たとえば、【偽人】」
――心なしか、全員の進む速度が、一瞬だけ遅くなったような気がした。
「私は、アイハからカオンさんの手紙を聞かされて、ずっとこのことしか考えてなかった。【偽人】がカオンさんを殺したのならば、カオンさんを不都合に思う戦術院と結びつけるのは普通」
思わずツグネの方を窺う。そして目が一瞬合う。
それでお互いに気づく。
真っ先に考えるべきことを、二人揃って見落としていた事実に。
だがつまり、それは。
それが意味することの先にあるのは――
「ハヅミは、戦術院が【陽魔】と関わりがあると思っているの」
私の問いかけに対し、ハヅミは、しばらく無言のままでいたが、やがて――
「もっと根本的な問題かも、とは思っている」
振り向き、薄暗い瞳を見せてそう言った。
* * *
……嫌な予感が当たったと言うべきだろうか。
結局私達は、一度も戦闘しないまま西日本の目的地――旧京都市街――にまで到達することができてしまった。
「……当初の予定より倍近く早く到着できたわね」
旧京都を示す標識の残骸を発見し、ツグネが言う。
……旧京都は、あまりにも静かであった。
かつての文明の存在を匂わせる建築物が、あるいは破壊され、あるいは放置されたまま朽ちている。それ自体はよくある光景だ。
ただ、他と比べると比較的自然が残る形で荒廃しており――
何よりも、野生動物の気配がほとんど感じられない。
まるでこの地だけ何か、そういった帳のようなものが下りているかのような、君の悪い沈黙が存在していた。
「【陽魔】は?」
「……今のところ、何も引っかかっていないわ」
「わかった。まずは地下区画に降りられる場所を探す」
「手分けする?」
「いや。何が出てきてもいいように戦力は集中しておこう」
私がそう言わずとも、チームの緊張感は既に相当なものであった。
当然、私自身もここに来て、重圧を感じている。
それは、喉に渇きを覚えるような焦燥感にも変わりつつある。
旧京都にまで足を伸ばしたのは、何回あっただろうか。
恐らくは両手で数えられる内だろうが、いずれも激しい戦いが付き物だった。
だが今は真逆だ。
事の渦中にいるはずなのに、戦いなど一度もない。
……カオンさんがここを単身で探索できたのも、私達と同じこの異常な静寂の中にいたからなのだろうか。
とにかく私達は、荒れ果てて命の気配が無い遺跡に【霊器】を携えた状態で入り込む。
「……この街って、建物が何だか低いものが多い気がしますけど、何でなんですかね」
カズコが周りを見渡しながら問うたその答えを、私は偶然知っていた。
「旧京都は古くからずっと、建築物に対して一定の条件が加えられていたらしい。他の都市と比べて伝統みたいなものがあったとか」
「へぇ」
状況が状況でなければ、そんな景観の違いを学習する余裕があったのかもしれない。
「アイハ、あれ」
探索を始めて数十分。前を行くハヅミが前方を指差す。
その先に、瓦礫に埋もれてはいるが、地下に続く階段らしきものが見受けられる。
「……これ、何の階段だろう」
そんな疑問が出されたが、他に手がかりもないので、一先ず瓦礫を【霊器】で吹き飛ばし、探索を試みることにした。
私達は夜目が利く。しかしながら、地下の闇と夜の闇ではまるで暗さが違う。
そのため今回は霊脈を光源に変える灯火装置――これも補給所からくすねてきたものだ――を用いて進むことにした。
階段を下りきった場所は、天井にあたる部分までそれなりの高さがあるが、通路が複雑に曲がりくねって広がっているらしく、光で一度に照らしきれない。
「……結構広そうね。探索するにしても面倒そう」
「視界も悪い。近接系で前後を固めて対処できるようにしよう」
私はハヅミと共に先頭に立ち、索敵を担当するツグネとヒズミが隊列の中央に。
この中の近接型では三番手のリュウナが殿を見てもらう形で、慎重に進む。
【陽魔】がこの状態で索敵に引っ掛かることもなくいきなり現れることは考えづらい。
あるとしたら――――それ以外の存在による襲撃だろう。
互いの呼吸と足音が、いやに響く。
そうして気を張り詰めながらどれほど進んだだろうか。
じょじょに私は、この暗く入り組んだ地下が元はなんであったかに気づき始める。
どうもこれは、元はなんらかの交通手段が行き来する通路のようなものだったらしい。
複雑なのは、恐らく市街全域に広がっているからだろう。
こうなると探索には骨が折れそうだ。もう元の出口に戻るのも厳しいかもしれない。
そう思っていた矢先――
「……縦穴?」
照らしていた目の前の通路に、これまでとは違う種類の深い闇が現れる。
底が伺い知れないほどの深く巨大な穴が、そこにはあった。
ざっと見て、穴の直径は5メートル以上はある。
試しに、手近な瓦礫を落として反響音がないか探ったが、全く音が返ってこない。
「とんでもなく深いわね。どうする?」
ツグネが周りに異変がないか伺いながら問うてくる。
「一先ず、迂回しよう。地下には行けるかもしれないけど、底が見えないのはまずい」
そうして私達は来た道を戻り、別の場所を探索する。
が、その後も次々と発見される似たような縦穴。
どこに行っても、それが道を塞ぐ。
まるで、この穴でしか下には行けないといわんばかりに。
「……何なんだこれ」
「これだけあると、偶然って考えるのは難しそうね」
「じゃあ、崩落の類ではないってことか……」
どうしたものだろうかと思案しながら、何となく灯火装置を穴に向け――
ふと、何か引っかかるものがあった。
「級長、やっぱり一度ここから降りて探るのが……」
トウエからの意見を私は手で遮る。
まさか――
「――ハヅミ」
「……何?」
「この穴。何か……出来方に見覚えがない?」
私より、ハヅミの方がきっと正確な判断ができるだろう。
ハヅミが促されて穴を観察し始める。
「……なるほど」
私の考えをハヅミは汲み取ったみたいだった。
「どういうこと?」
「ツグネはあまり見たことないと思うけど、この穴の出来方、カオンさんの【第二解放】で作られたものに似ているんだ」
そう私が判断した根拠は、穴でできた断面が綺麗すぎることと、その断面部分が、真っ白に変わっていることにある。
「カオンさんが地下に【第二解放】で攻撃した、ってこと?」
「多分」
「何のために? 地下でそんなことすれば、崩落するかもしれないのよ?」
「……それを承知で、私達に道を作るためかもね」
カオンさんが仮に私達がここに来ることを見越していたのであれば、そのための道作りをしていても違和感はない。
「穴を降りてみよう。カオンさんの言っていたものはこの先にあるかもしれない。ただ、どれぐらいの深さかわからない。飛空礼装を使おう」
「なら、二手に別れましょう。全員が一斉に降りて地下で何かあったら対処できない」
ツグネがそう提案すると、リュウナが手を挙げる。
「だったら、私達がここで周辺の警戒をします。級長と副級長、ハヅミさんで下に」
私が提案しようとしていた分け方を先に言われてしまった。
「わかった。ここはリュウナ達に任せる。ハヅミ、ツグネ、問題ない?」
ハヅミは黙って頷き、ツグネも「まぁそれが一番よね」と返答する。
「リュウナ、通信器は持っているよね」
私が確認すると、リュウナは「はい」と頷く。
「ここからはそれをつけておいて。何かあったらすぐ私達に伝えて欲しい。もちろん、こっちからも何かあったら伝える」
第2ポイントに到達してから使わずにいた通信機を首元に装着しながらリュウナに指示をすると、彼女の表情に緊張が増す。
そうして各人が準備を終えて、改めて私達は大穴を覗いた。
ここが地獄の入り口だと思えば、なんともわかりやすい。
「ハヅミ。ツグネ。準備はいいね」
確認を取る。
二人が無言で頷く。
「――お気をつけて」
リュウナ達からの言葉を背に受けながら、私達は闇に身を投じた。




