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……深い黒の中を、ゆっくりと、ゆっくりと、降りていく。
最初の内は、灯火装置の輝きで左右や正面に壁や下層の通路が映し出されていた。
しかしそれも徐々に見えなくなり、深い闇に塗り潰されていく。
恐らく穴がどんどん大きくなっているのだ。
この先にどれほど巨大な空間があるというのだろうか。
もしかしたら、上にあった大量の穴は全てこの大空洞に繋がっているのかもしれない。
《――――級長、大丈夫ですか》
「……今のところは」
リュウナとの通信に、聞き慣れないノイズが入り始めている。
霊脈を介しての通信にノイズが入るなんて、今までにない経験だった。
だからこそ、私は確信した。
この先に、求めていたものが存在すると。
……そうして、3人が灯火装置で全方位を照らしながら進み続け、どれほど経っただろうか。
カオンさんは、こんなにも深い場所に一人で行ったというのか?
その状況を想像し、身震いをしてしまいそうになる。
やがて――
「――地面だ」
灯火装置がようやく、下方の地面を照らし始める。
地面が金属のような質感をしているのが直接伺える距離まで降下して、一度中空で停止する。
私はそこで、予めポケットに入れていた小石を地面に投げつけた。
小石は、確かに地面に落ち、微かに音を反響させる。
私達はそれを確認してから、ゆっくりと降下し、恐る恐る地面に降り立つ。
確かな感触。
体重を預けても問題はなさそうだ。
「底に到達した」
通信機で上に報告するも、ノイズがひどいために向こうの音が聞こえない。
これでは、ちゃんと報告が届いているかもわからない。
「ツグネ、一応周りをもう一度――」
――――真紅。
闇の中を突然、紅い血流のような光が走る。
空間を包むように、星の軌道のように、闇を駆けるそれにより、私達のいる場所が巨大な半球状の空間であることがわかる。
「警戒ッ!」
私達はすぐに密集し、互いの背を庇うようにして【霊器】を構える。
紅い輝きが眩さを増していくにつれ、鼓動のような音が、空間を震わせるように響き始める。
やがて私達は、紅い光が、この半球状の空間のある一点から放射状に放たれていることに気づく。
必然的に私達の視線がそこに集中し――
「……何だ。あれ」
――それは果たして、いつからそこに存在していたのか。
巨大な人間の、妙齢の女性の上半身が、炎のように揺らめく輝きを纏いながら、中空に少しずつ形を成しつつあった。
両目を閉じたそれは、大きく腕を広げ、私達に対して敵意がないことを示すかのようにその全貌を現す。
「【陽魔】……ではない?」
「霊脈の反応が無いわ」
やがて鼓動が止み、真紅の輝きの激しい明滅も穏やかなそれへと変わっていく。
半球状の空間は、ぼんやりと赤い光によってその広大な全域が照らされていた。
巨大な女性の上半身、その表面に無数の文字のようなものが浮かび上がってくる。
そして――
「――――ようこそ、【終録語典】へ」
それが、私達に語りかけてきた。
その声は、見た目に反して低く厳かな男性の声であった。
「ッ、あなたは何者なの!」
ツグネが【霊器】の砲口を向け、いつでも撃てる状態で問う。
「私は、人類凡同化連合により、旧暦成立以前から新星暦成立以後までの人類の知を集約し、それを恒久的に保存することを目的として製造された、自律型アーカイブズ【プロジェクト・アヴェスタ】の後期型、YVVY02Jです」
突如、羅列される未知の情報の数々。
混乱し、放心しかける。が――
『人類の知を集約』。
『アーカイブズ』。
その二つが、頭の中で何度も何度も反芻されていた。
間違いない。
これが、この【終録語典】なるものが、カオンさんの言っていたもの。
即ち――『この世界の真実』だ。
「アイハ、これがまさか」
「ああ。カオンさんの言っていたものだ」
だが、どうすればいい。
私達は、何をすればいいんだ。
「【終録語典】を起動するのであれば、まず、あなた達のユーザー登録が必要となります」
まるでこちらの心を読み取ったかのように、【終録語典】が語りかける。
「ユーザー登録?」
「【終録語典】は既にあなた達のタラストラ陽粒子動形に認証可能なパターンを確認しています。後は、あなた達が【終録語典】を使用する際のユーザー名と、規約に同意をするのみとなっています」
その瞬間、私達の前に、まるでコンピューターのダイアログボックスがそのまま空間に出されたかのような立体映像が現れる。
そこに書かれているのは、ただ一文。
《ひとにとわのさちあれ》
それを、規約と言えるのか。
私にはただの呪文と変わらないように見えた。
「……どうするの?」
ツグネが【終録語典】と私を交互に見ながら問う。
ハヅミは、双剣型の【霊器】を構えながら、じっと【終録語典】の様子を窺っている。
「……やるしかない。これが本当に何らかのアーカイブであるのならば、戦術院が隠しているっていう事実について知ることができると思う」
私は依然【霊器】を構えたまま、僅かに【終録語典】に歩み寄る。
「私の名前はクギョウ・アイハだ。私を代表として登録して欲しい」
私がそう宣言すると、【終録語典】の胸元から青色の光が放たれ、それが私の全身を照らす。
「アイハッ!」
今にも砲撃しそうな声で叫ぶツグネ。私はそれを手で制する。
「大丈夫」
恐らく、私を調べているのだろう。
するとすぐに青い光が私を照らすのを止める。
「クギョウ・アイハの生体情報を登録しました。規約の同意を願います」
「同意する」
即答すると、【終録語典】が広げていた両腕を自分自身を抱きかかえるようにしてたたみはじめる。
直後、【終録語典】の鎖されていた両目が開かれた。
虹色と言うべきだろうか。
目まぐるしくさまざまな色の光が渦巻いているその瞳が、私達を捉える。
すると、この半球状の空間を支配していた赤い光も、穏やかな淡い緑色へと変化していく。
「――改めまして、ようこそ【終録語典】へ、クギョウ・アイハ様。あなたに対してのメッセージを預かっています。開封されますか?」
【終録語典】の声が唐突に女性のものに変わりわずかに驚いたが、それよりも『メッセージ』の存在が私を強く引きつける。
「……キド・カオンか?」
「はい」
ツグネとハヅミが息を飲む気配がする。
「見せろ」
「かしこまりました」
――光。
一瞬の眩さと共に、唐突に、カオンさんが私達の前に現れた。
まるで生きているかのように。
実際にそこにいるかのように。
息遣いまで感じられるように。
だが――違う。
これは虚像だ。
極めて精巧な、立体映像だ。
「――カオンさん」
あまりにもリアルなカオンさんの像を前にして、ハヅミが、弱々しい声と共に、覚束ない足取りでその像へと近づいていく。
「カオンさん」
もう一度彼女はうわごとのように名前を呟いて、その瞳を潤ませる。
「――――よし、整った。じゃあ始めるとしよう」
――カオンさんの声だ。
「……えっと。もうこれ録ってるの? あ、そうなのね。わかった」
もう二度と聞くことのできないと思っていたあの声を聞いて、私の鼻の奥が熱くなり、視界がぼやける。
「えーっと、アイハ。これを聞いているってことは、ここに無事に着いたってことなんだよね。ありがとう。そして、本当にごめん」
「多分……というか、絶対、ここにアイハが来るような状況で、あたしは生きていないと思うんだ。きっと、アイハ達のことを置いてきぼりにするように死んでいると思う」
「ろくな別れの言葉も言えなくてごめんね。あっ、でも、ここにいるってことはあたしの手紙が無事届いたってことだよね」
「そこにも一応メッセージを書くつもりなんだけど……あー、ここにいるときはまだ書いてないから、そういうラグがあるんだよ。あはは。だからそっちで勝手に解釈してね」
一人で勝手に笑うカオンさん。
私達の良く知る、陽気なカオンさん。
彼女の一つ一つの動作が、どうしてこんなにも愛おしいんだろう。
どうしてもこんなにも、切ないのだろう――――
* * *
……ま、そんな与太話はどうでもいいとして。
本題に入るとしよう。
今、あたしのメッセージを伝えているこの【終録語典】についてだ。
こいつは、いわゆる旧時代から存在するものであり、様々な記録を保管している。
んでもってこいつは、今あたし達のいるこの世界をあまり良く思わない人間によって作られて、ここに隠されたらしい。
本当は世界中にもっと沢山あったらしいんだけど、日本にあるのはこれと後もう2個ぐらいみたいだ。
……あたしは、ある伝でこいつの場所をつきとめた。
この【終録語典】は、ユーザー登録した存在の質問に対して、それが何であるかを答えてくれる、喋る事典みたいなものだと思えばいいよ。
あたしはここに機会があったら訪れて、色々と聞いて、徐々にこの世界の輪郭を掴んでいった。
知れば知るほど、まぁ……『どうしようもない』ってことが、わかっただけなんだけどね。
……アイハ。
もし覚悟がもうできているのなら。
こいつに、あたし達が自分自身に向けて飽きるほど繰り返した、あの問いかけをしてみな。
それで十分。
それで、全部わかるよ。
後は【終録語典】が全て教えてくれるはずだから。
そして、自分の目で、耳で、感じ取ったことを、考えて欲しい。
あたしの言葉ではなく、あくまで事実を事実として受け止めるんだ。
その果てに、自分のするべきことが何かを見つけて欲しい。
……もし、アイハが全てを無かったことにしたいと望むであれば。
あたし達が【聖街】と呼ばされていた場所。
旧東京。
【陽街】に行くんだ。
そこでなら、もしかしたら……この世界を変えることができるかもしれない。
あたしも本来ならそこを目指すつもりだったんだけどね。
まぁ、あたしでは力不足みたいだからさ。
……うん。
こんなもんかな、あたしが話せることは。
後は、全部アイハが決めることだ。
…………。
……もしかして。
……もしかしたら、なんだけど。
……そこに、ツグネとハヅミもいたりするのかな。
「――っ」
いや、もしかしたらね。
アイハと、ツグネと、ハヅミは、昔はずっと一緒にいたからさ。
今も、一緒にいるのかなぁ……なんて。
もし一緒にいるのなら――
ツグネ。
ツグネは、賢くて、優しい子だよ。
正直あたしよりお姉さんっぽいところあるよね。
ちょっとアイハのことになると血の気がアレするけど……
そこ含めてツグネの良いところだと思うよ。
これからもハヅミとアイハの側にいてあげな。
ハヅミ。
ハヅミは、面白くて、不思議で、でもやるときはやるって子だったね。
あたしさ、ハヅミが紫月組にきてくれたとき、本当に嬉しかったんだよ。
ハヅミがいてくれたおかげで、頑張ってこられたんだよ。
ちゃんと、伝わっていたかな。
いつもあたしを助けてくれてありがとうね。
アイハ達をよろしくね。
……よし。
これで今度こそ本当に終わり。
アイハ。ツグネ。ハヅミ。
あたしは、お前達が。
大、大、大!
大好きだ!
死んでも、お前達をお星様から見守っているよ。
……なんちゃって。
ま、だからさ。前を見て、自分の信じたことを、進め。
お前達の幸せを、可能性を、ちゃんと勝ち取るんだ。
頑張るんだぞ。
――キド・カオンは、最後まで、ずっと、どこまでも、お前達の味方だ!
* * *
――――カオンさんの映像はそこで消えた。
ハヅミは、俯きながら嗚咽を漏らし。
ツグネは、唇を噛みながら、ただ涙を頬に伝わせていた。
私は――
拳を握り締め、その痛みで、渦巻く激情を必死に抑えこみながら――
「――【霊器】とは、何だ」
そう、口にしていた。
「――【霊器】とは、概念相克兵器の俗称です。空間内のタラストラ陽粒子を制御する力を得た【スペンタ症候群】の保有者が、幼少期に予め植え付けられた潜在武装意識を基に、タラストラ陽粒子を顕現・集束し、形成したものです」
【終録語典】がゆっくりと語った【霊器】の概要は、私達の知るものと、あまりにも違いすぎた。
私達はそれに対し反抗するすることができない。
言葉が容赦なく身体を貫いていく。
漠然とした恐怖。
焦燥感。
知ってしまった、という直感に襲われる。
「――【陽魔】とは、何だ」
私は、ほぼ無意識に続きを口にしてしまっていた。
「――【陽魔】とは、上位存在【久遠輪】によって顕現させられた、タラストラ陰粒子生物の俗称です。彼らは、人類が生存することで生産し続けるタラストラ陰粒子を大元とする存在であり、概念相克兵器によりタラストラ陽粒子と結合することで消失します。【陽魔】と【スペンタ症候群保有者】の相克による浄化機構は、第四次世界大戦以降の人類がこの星に在り続けるために必須のものとなっています」
何を。
こいつは、何を――
眩暈が、吐き気がする。
何故だ?
知らない単語、知らない発音。
何もかも意味がわからないのに。
何故か私は、これを、知っているような気がする。
この身体が、何故かこれを、覚えているような気がしてならないのだ。
これ以上聞いてはならない。
これ以上は駄目だ。
なのに。
なのに――
「――――私達は、何だ!」
「――あなた達は、【スペンタ症候群保有者】」
「ジュウナナとは、第一個体の完全覚醒年齢より取ったその俗称であり」
「人間としての未来を廃棄し、人類のため【陽魔】との相克を義務付けられた存在」
「永遠の象徴。人類における、その守護者です」




