1.
卒業前夜会が始まった。
王城の大広間には眩いほどのシャンデリアが輝き、色鮮やかなドレスと礼装が行き交っている。
卒業を祝う華やかな夜。
本来なら、未来ある若者たちを祝福する穏やかな宴になるはずだった。
けれど今夜の会場には、どこか落ち着かない空気が流れている。
視線。
囁き声。
扇子の奥に隠された好奇心。
その中心にいるのは、一組の男女だった。
そして。
「アリア・ブランベル公爵令嬢。君との婚約を破棄する」
静まり返った会場へ、大きな声が響く。
声の主は、この国の第一王子テオドール殿下。
私の婚約者だ。
殿下の後ろには、最近親しいと噂されている男爵令嬢ソフィア・ハーヴィーが、怯えたように立っていた。
ざわり、と空気が揺れる。
「やはり噂は本当だったのね……」
「こんな公の場で……」
「アリア様が気の毒だわ……」
あちこちから囁き声が漏れる。
けれど不思議と、私の心は静かなままだった。
それよりも、今、この舞台の中心に立つ二人を見て、私は少しだけおかしくなる。
(殿下もソフィア様も、随分と緊張されているようだわ)
思わず零れそうになった笑みを胸の奥へ押し込み、私は静かに歩き出した。
カツ、カツ、とヒールの音が広間へ響く。
淡い青のドレスがシャンデリアの光を受けて揺れた。
私は真っ直ぐテオドール殿下を見つめる。
「殿下、そのお話……詳しくお聞かせください」
ゆったりと微笑む。
その瞬間、会場中の視線が一斉に私へ集まった。
◇◇◇
この婚約が決まったのは10歳の時だった。
王宮から帰ってきた父が渋い顔で切り出した。
「アリアとテオドール殿下の婚約が決まった」
「そんな、断ることは……」
母の声が震える。
父は苦しげに眉を寄せた。
「無理だ……王命なんだ。王妃はホルスト公爵に対抗するためにも我が家の後ろ盾が必要なんだろう」
母はそれ以上言葉が続かないようだった。
この国には2人の王子がいる。
王妃が産んだテオドール殿下と
側妃が産んだセドリック殿下だ。
現国王の王太子時代、
最も有力な婚約者候補だったのは、ホルスト公爵家の令嬢——現在の側妃だった。
だが当時の王太子は、学園で出会った伯爵令嬢に恋をした。それが、現在の王妃だ。
当然それをよく思わない者達もいた。
その中心にいたのがホルスト公爵だったのだが、彼を敵に回したくなかった王家は、娘を側妃にという条件を呑んで騒ぎを収めたのだった。
そして現在、まだ王太子は決まっておらず、それぞれの派閥が争っている状態だ。
アリアも授業でこの国の成り立ちを習った際、今の王家の事情は少し聞いていた。
自分もその中に立たされるのだと思うと怖い気持ちもある。
だけど公爵家の娘には、果たさなければならない役目がある。幼いアリアは、それだけは理解していた。
部屋には沈黙が続いていたが、アリアは意を決して顔を上げた。
その時、花瓶に挿された青い花が視界に入った。
隣国の叔父の屋敷。
春になると、あの花と同じ色の花が一面に咲いていた。
従兄弟やライアンと駆け回った花畑。
(もう、あそこへ行くことはないのだろうか)
胸が少しだけ痛んだ。
けれどアリアは顔を上げ、父を見つめた。
「お父様……お母様も……心配しないでください。私は大丈夫です」
そうして、まだ不安そうな2人に向けてアリアは笑ってみせた。
◇◇◇
数日後には王城でテオドール殿下との顔合わせが行われることとなった。
初めて足を踏み入れた王城は、息が詰まるほど静かで豪奢だった。磨き上げられた床に、自分の靴音だけが小さく響く。
その先で待っていたのが、テオドール殿下だった。
初めて会ったテオドール殿下は、優しそうな人だった。私にも穏やかに微笑みかけてくれたけれど、その瞳は少しも笑っていなかった。




