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1 元トップアイドル、強制的に雑用係になりました①

──数時間前


私、トップアイドル『ひめ』こと、榎本姫花(えのもとひめか)は大手芸能事務所桜華プロダクションの無駄に長い廊下を歩いていた。


「まったく、緊急事態…って、一体何があったのよ」


私はスマホからメールアプリを開く。そこには、『緊急事態!!直ちに社長室に来るように』と、いかにも胡散臭いメールが表示される。正直行きたくなかった。だけどいくら胡散臭いからと言っても社長からの直々の呼び出しだ。流石に芸能事務所の一タレントとして、応じないわけにはいかない。


社長室の前に着く。

深く息を吸って、私はドアノブに手をかけた。


「失礼します。『ひめ』です」


…しかし、そこには社長の姿はなかった。


「は?あいつ、この私を呼び出しといて一体どこをほっつき歩いているのよ」


眉間に青筋が浮かぶのがわかる。

こっちは雑誌の撮影切り上げて慌てて戻ってきたのよ!?

私は帰ろうと背を向け──


「やっほー」


さっきまで誰もいなかったはずなのに、いつのまにか私の後ろに人が立っていた。


「きゃあ!?」


「おっと、そんなに驚かなくても。僕がここにいても何もおかしくはないだろう?だって、ここは僕の部屋だもん」


そう、この頭がイカれた男こそが──


「…社長」


「はぁいー」


この大手芸能事務所桜華プロダクションの社長なのだ。


「いや、おかしいでしょ!?さっきまで誰もいなかったじゃないの!一体どこから出てきたのよ」


「いやいや、僕は至って普通にこの部屋で君のことを待っていただけだよ?」


「は、一体どこにいたって言うのよ?だってこの部屋には隠れられそうな場所なんてどこにも──」


「天井⭐︎」


その瞬間私は社長に腹パンを決めていた。


「お、おぉ。流石我が事務所の稼ぎ頭。右ストレートの威力が違う。ゴホッ」


なんかまたふざけたことを言っている。


「社員を天井で待ち伏せて脅かすような社長が普通でたまるかあ!?」


私の叫びがこの無駄に広い社長室に響き渡った。



***



「いやはや、本当に死ぬかと思った」


社長はハンカチで汗を拭いながら、豪華な椅子に腰を下ろす。


全く、相変わらずふざけたやつね。


私はイライラしてきて、それをそのまま社長にぶつける。


「ちょっと、いい加減にしてください。私、忙しいんですけど?」


「まあまあ、そんなにセカセカしないで」


相変わらず何を考えているのかわからない態度で、社長は軽く手を振った。


……本当に、この人は。


仕方なく私は、来客用のソファにどかっと腰を下ろす。そして机の上に置かれていたお菓子を一つ手に取り、そのまま口に放り込んだ。


あー、イライラする。


「全く、社長は私のことをなんだと思っているのですか?私、次の仕事も迫っているのですが?」


催促するように言うと、社長は書類をぱらぱらとめくりながら、


「あー、それ行かなくていいよ」


と、軽く言った。


「……は?」


思考が止まる。


「なんでですか? 何か私に不手際が──」


次の仕事は、今人気絶頂のバラエティ番組への出演だったはずだ。気難しいプロデューサーで有名な番組。


まさか、私が何かやらかした……?


嫌な予感が胸をよぎる。


だけど。


社長の口から出たのは、そんな想像をも全部吹き飛ばす言葉だった。


「君、今から“活動休止”だから」


「……は?」


一瞬、何を言われたのかわからなかった。頭の中が真っ白になる。


「な、なんで!?」


気づけば立ち上がっていた。声が、少しだけ震えているのが自分でもわかる。


「なんで……だって、いきなりすぎません? 私、今仕事だって――」


「うん、だから言ってるじゃん。行かなくていいって」


軽い。


あまりにも軽すぎる言い方に、胸の奥がざわつく。


「じょ、冗談ですよね?せめて理由を教えてください」


社長がこの手の冗談を言わないことを私はわかっている。だけど冗談でないなんて思えない。いきなり活動休止だなんて…

私は社長の言葉を待つ。けれど、社長は書類から目も上げずに言った。


「もちろん、冗談なんかではないよ。理由は……大人の事情、かな」


「は?」


一拍、遅れて声が出た。


「君が知らない方がいいことも、世の中にはあるってこと」


その言い方は、あまりにも曖昧で。でも――

妙に、引っかかった。


「ふざけないでください」


一歩、社長に詰め寄る。


「私、今までちゃんとやってきましたよね? 仕事だって全部こなしてきたし、問題だって起こしてない」


言葉が止まらない。止められない。


「なのに、理由も説明されずに“休止”って……そんなの、納得できるわけないじゃないですか」


社長は、そこでやっと顔を上げた。その目は、さっきまでのふざけた空気とは違っていた。


「……そうだね」


ぽつりと、静かに言う。


「君は、何も悪くない」


その一言に、胸がぎゅっと締め付けられる。


「だったら――」


「だからこそだよ」


被せるように、社長は言った。空気が、変わる。


「今、君は表に出ない方がいい」


「……どういう意味ですか」


問いかけても、答えは返ってこない。社長は視線を逸らしたまま、淡々と続ける。


「少し休んでなよ。たまには、普通の生活ってやつも悪くない」


「……っ、そんなの――」


そんなの、私が望んでるわけない。そう言おうとしたのに。喉の奥で、言葉が詰まる。


「……決定事項だよ」


静かに言い切られた。それ以上は何も言わせない、そんな声だった。


「……っ」


何も言えない。悔しいのに、怒りたいのに、言葉が出てこない。ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。


――この人は、何かを隠している。それも、とびきり面倒で、厄介な何かを。


「……最低」


絞り出すようにそれだけ言って、私は背を向けた。ドアノブに手をかける。でも、一瞬だけ動けなかった。


……本当は。


引き止めてほしいと思ったのかもしれない。理由を、ちゃんと説明してほしかったのかもしれない。


だけど――


「……失礼します」


私はそのまま、ドアを開けた。私が社長に引き止められることはなかった。

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