異種スポーツ交流
控室のドアが閉まった瞬間だった。
さっきまで全国放送の緊張感を背負っていたはずの空間が、いきなり「試合後」というより「文化祭の打ち上げ」みたいな空気に変わった。
テーブルの上には開けかけのペットボトル。ソファにはジャケットを半分脱いだスタッフ。壁際では村上アナが、まだ息を整えきれていない顔で笑っている。澤登正朗も肩を揺らしながら、さっきの中継を思い出してはまた吹き出していた。
村上アナがペットボトルを握ったまま言う。
「いや〜、本番中ずっと笑ってたんで、実況なのに息切れしましたよ……。“笑い圧”って、本当にあるんですね」
光子はすぐさま、待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「あの瞬間、福岡の空気、酸素より笑いが多かったもん!」
優子も間髪入れない。
「そやけん、今日の試合は有酸素笑い運動ですたい!」
澤登がたまらず吹く。
「あはは! いや〜ホント、二人と実況するの初めてだけど、真面目な試合をこんな笑いに変えるって、才能ですよ」
その一言で、今度は光子が照れたような顔になる。
「ありがとうございます! でも、澤登さんが笑ってくれた時、『うわ、本職の解説者さんが吹いた!』って、心の中でガッツポーズしました!」
優子がスマホをのぞき込みながら叫ぶ。
「“澤登さん耐えきれず”がトレンド入りしてますもん!」
澤登が目を丸くする。
「もうネット見たら、“澤登さん、笑い圧に屈す”って(笑)」
そこで全員また崩れた。
スタッフまで笑っている。村上アナは膝を叩き、澤登は「いやほんと腹筋痛い」と言い、控室の隅にいた音声スタッフまで背中を向けて肩を揺らしていた。
笑いの波が少し収まったところで、優子がふと思い出したように顔を上げる。
「あ、そうそう澤登さん! ワールドカップのフランス大会って、日本初出場の年ですよね? あの時の裏話ってあるんですか?」
光子もぱっと目を輝かせた。
「ぜひ聞きたいです! あの時、テレビで見てましたよ!」
澤登は、さっきまで笑っていた顔のまま、少しだけ遠くを見る目になった。
「いや〜、あの時はね、もう緊張とかそういう次元じゃなかった。“歴史が動く瞬間”に、自分がピッチに立ってる感じ」
優子が前のめりになる。
「やっぱり……爆笑の震源地は、ゴン中山さんですか?」
澤登は即答だった。
「間違いない!」
光子が両手を打ち鳴らした。
「やっぱりーーー!!」
澤登が懐かしそうに笑う。
「あの人はね、ロッカールームでも常にテンションマックス。“今日は点取る!”って叫んで、隣の選手の靴間違えて履いたりしてたんですよ」
優子がもう耐えられないという顔で言う。
「もう試合前からキックオフしてるやん」
「そうそう(笑)。で、ゴンさんが先輩に“勝ったらハグしていい?”って言って、点取った後ほんとに抱きついたからね。全員巻き添え!」
光子が腹を抱える。
「ゴンさん、ピッチの爆笑発電所やったんですね!」
澤登は何度もうなずいた。
「ほんと。あの明るさで、どんだけチーム救われたか。緊張してた選手も、あの笑顔見て“もう何とかなる”って思えた」
優子が、しみじみした声になる。
「やっぱり笑いって、世界共通のパワーなんですね」
光子もそれに続く。
「うちらもいつか、“笑いで日本代表を応援する公式芸人”とか呼ばれたら嬉しかね!」
澤登がニヤリと口元を上げた。
「いや、もうその資格あると思うよ。今日の実況、あれ“サッカー界のM-1”だったもん」
優子が天を仰ぐ。
「まさかの“笑撃王”いただきましたー!」
光子は両手を上げて叫んだ。
「あざーっす!!!」
スタッフの拍手が起こる。控室なのに、もう半分表彰式みたいになっていた。
そのあと楽屋カメラ用のコメントを撮る流れになった。
スタッフが「はい本番いきます」と言うと、光子と優子はぴたりと並ぶ。さっきまで笑ってふにゃふにゃだったのに、カメラが向くと一瞬で締まる。こういうところは、さすがだった。
光子がまっすぐ前を見て言う。
「サッカーも人生も、ボールは笑顔で転がそう!」
優子が続ける。
「そして時々、ツッコミで軌道修正を!」
横で聞いていた澤登が、思わず吹き出しながらつぶやく。
「……この締め、完璧(笑)」
その一言で、またスタジオ中が笑いに包まれた。
まさに、最後まで笑いで転がっていく夜だった。
そして、その数週間後。
その笑いの勢いは、さらに規模を増して天神の某ホールへと流れ込んでいった。
満員御礼。
天神のホールには、開演前から妙な熱気が渦巻いていた。普通の公開収録なら、ざわざわとした期待感で満ちるものだが、この日は違った。観客の空気が最初からどこかおかしい。開演十分前の時点で、すでに数列前の男性客が深呼吸しながら「すーはー……」と呟き、それに反応した別の場所の客が「ピース!」と返していた。
もう客席が温まるどころか、勝手に発酵している。
ステージ袖でその様子をのぞいていた光子が、呆れ半分、感心半分で言った。
「今日のお客さん、開演前から自走しとる」
優子がイヤモニを直しながら言う。
「進行いらんやん。放っといても二時間もちそう」
「それはそれで仕事なくなるけん困る」
そんなやりとりのあと、ジングルが鳴り、照明が一気に立ち上がる。
光子が飛び出してきた。
「福岡スポーツ、全員集合〜!」
優子がそれを受ける。
「今日は勝ち点じゃなく、笑い点で勝負します!」
会場が揺れた。拍手、歓声、笑い声。しかも本当に「すーはー!」と叫ぶ客がいる。その返しの「ピース!」まで綺麗に揃っているのだから、もう完全に仕上がっていた。
ステージには、福岡のスポーツ界を代表する顔ぶれがずらりと並んでいる。バドミントン、卓球、野球、サッカー。さらに特別枠として柳川拓実までいる。競技を超えた豪華メンバーなのに、開幕三十秒で空気はすでに部室の延長線上だった。
最初のコーナーは「自己紹介なのに既に試合」。
タイトルからしてだいぶおかしい。
まずはバドミントン勢の“シャトル自己紹介”。名前を言いながら軽スマッシュを打ち、MCがレシーブできたら合格という、自己紹介と競技説明と嫌がらせが一体化したコーナーだった。
白石蓮が前へ出る。
「白石蓮です!」
言い終わるより早くシャトルが飛んだ。
「速っ!」
光子がラケットを振るが、当然空を切る。
優子が即座に叫ぶ。
「自己紹介で仕留めにくるな!」
白石本人が「すみません、癖で」と言いながら笑っている。癖で済ませていい速度ではない。
続いて湯田泉。
「湯田泉です」
ふわりと見せて、最後だけ鋭く落とす。
光子がギリギリ触れた。
「おお、触った!」
「さすが!」
客席が沸く。
しかし次の瞬間、優子が冷静に言った。
「今の“合格”やなくて“生還”やけんね」
今度は卓球勢。“三秒ラリーで肩書き説明”という、どうしてその条件を足したのか誰にも分からない自己紹介が始まった。
柳川拓実が卓球台の前に立つ。
「柳川拓実、ミックス世界メダ……」
カツ、カツ、ポト。
「肩書きより球の寿命が短い!」
優子のツッコミに、会場がひっくり返る。
三浦結衣は意外と器用で、「五輪銅、でも今日は笑いに全振り」と言い切りながらラリーを成功させた。
光子が驚く。
「器用さが怖い」
「メダリストは口も手も止まらんのやね」
ホークス勢へのお題はもっと妙だった。「守備位置を一文字で言うなら?」である。
外野手の城戸凌雅が「空」と言う。
「かっこいい」
客席がざわつく。
内野手の松田陽翔が「間」と言う。
「おお、渋い」
さらにざわつく。
投手の川添大地が胸を張って言った。
「呼」
一瞬の静寂。
光子が眉をひそめる。
「……呼?」
川添は真面目な顔のままだった。
「呼吸です。すーはー」
優子が即座に前へ出る。
「うちの番組に全力で寄せてくるな!」
会場大爆笑。川添はちょっと得意げだった。
アビスパ勢には「俺たちの必殺ルーティン」が振られる。
GK吉岡晴翔が「ゴールポスト撫でて、笑顔」と答えると、爽やかすぎて一瞬少女漫画みたいな空気になった。
だがFW田島拓が続けて言った。
「シューズ紐、深呼吸、最後に眉だけキリッ」
優子が吹く。
「眉の情報量!」
光子もうなずく。
「“キリッ”で一点入る理論、好き」
田島はまんざらでもない顔だった。それがまた腹立たしくて笑える。
そのまま始まった「クロスオーバー体験」では、競技の壁がどんどん壊れていった。
卓球とバドミントンのラケット交換チャレンジ。卓球勢は「軽っ!」と叫びながら空振りを連発し、バド勢は「弾みすぎ!」と悲鳴を上げながらネットに突っ込む。
「道具に全員裏切られとる」
優子が言うと、泉が息を整えながら苦笑した。
「いや、裏切ってないです。こっちが対応できてないだけです」
「正論で締めるな、もうちょい笑わせて」
次はホークスとアビスパのフォーム交換だった。
投球フォームでPK助走をした川添を見て、田島が思わず唸る。
「それ、メンタルに効くフェイントですね」
DF藤崎が、キックフォームを真似た牽制の足運びを見て言う。
「これ、ゲッツーの足に似とる」
競技は違っても、身体の読み合いは似ている。その真面目な空気に、拓実がふっと言葉を落とした。
「フォームの待つ勇気は、どの競技も同じです。結局、呼吸で整えて決める」
観客席から拍手が起きる。
その一瞬の“いい話”を、優子がすぐ回収した。
「出た、家内制メンタルコーチ!」
「家内って言うな」
拓実が笑いながら返す。
客席がどっと沸く。
そこから始まった「技術オタク座談会」は、スポーツ番組なのか理科実験なのか分からない方向へ進化していった。
「音と視覚、どっちが先に反応上がるか」
「リリースの0.01秒は心拍で伸び縮みする」
「台との距離五センチで世界が変わる」
「シャトルの落下音でコース読む」
話の内容だけ聞けば、かなり高度だ。だがその場にいるのがM&Yなので、当然まともには終わらない。
「落下音!」
光子が身を乗り出す。
「音楽勢、燃える!」
そしてその勢いのまま“音→反応ドリル”が始まった。拍手の間隔を狭めていき、そのリズムに合わせて選手たちが反応ジェスチャーをする。
最初は手を上げるだけだったのが、だんだん本気になっていく。GKは飛ぶ。投手は踏み込む。卓球勢は半歩で位置を変え、バド勢はもうシャトルが見えている顔で動いている。
優子が呟いた。
「これ、番組中に一番意味分からんのに、一番ためになりそう」
続く「秘話カプセル」では、選手たちの本番で効いた言葉が披露された。
「大丈夫、背中広い」
「無理せん勇気」
「二人で一人」
「目線で会話」
会場がじんわりと温かくなる。そこへ拓実が、悪びれもなく最後に言った。
「勝ったらちゅ〜」
一拍おいて、会場爆発。
優子が真顔で言う。
「公約は守られました」
光子が腕を組む。
「結果にコミットの最終形」
せっかくのいい話が全部吹き飛んだが、会場の満足度は確実に上がっていた。
休憩中の客席参加ゲームですら、妙に白熱した。“すーはー判定ゲーム”では、腹式呼吸で風船を一定サイズまで膨らませる。失格者はみんな自分の浅い呼吸を悔やみ、成功者は缶バッジを掲げて誇らしげだった。
「もう福岡、全員肺活量の話しとる」
光子がぼそっと言うと、優子も笑った。
「スポーツ県やなくて呼吸県になってきたね」
後半の「実況×解説スイッチ」は、競技用語が別競技に侵略していく恐ろしい時間だった。
ホークスの投手がサッカー実況をして「逆シンカー気味のクロス!」と叫び、アビスパのFWが野球解説で「今のPKコース、アウトロー」と言う。
卓球選手がバドを見て「回転の嘘ですね」と言い、バド選手が卓球を見て「ディフェンスから高さで押し返した」と真面目に解説する。
光子が叫ぶ。
「国境なき比喩団!」
優子が大きくうなずく。
「翻訳機ほしいけど最高!」
そして極めつけは「妄想!福岡ドリーム運動会」だった。
反応王、視野王、呼吸王。
どれも競技者の本質を突くテーマなのに、なぜか全体の雰囲気は町内会運動会の延長である。
その混成チーム戦を制したのが卓球+アビスパの連合軍。指揮をとった拓実が、静かな口調で言う。
「呼吸で戻すのが大事です。勝ったあとに立ち直る練習もしとく」
光子が目を見開く。
「“勝利後の立ち直り”、名言きた」
優子もうなずく。
「勝っても酸欠したら次が戦えんけんね」
この夫婦、真面目な話と変な話の距離が近すぎる。
会場で二十秒だけ披露された「木陰ワルツ スポーツVer.」では、選手たちが想像以上に真顔で耳を傾けていた。ルーティン曲の話からその流れになったのだが、ピアノの一音が流れた瞬間、ステージの空気がほんの少し変わる。
笑ってばかりの二時間なのに、不思議と“整う”瞬間がある。それがこの番組の怖いところだった。
ラストのクロストークでは、ケガ、メンタル、子どもたちへの接し方がテーマになった。
「違和感ログ主義」
その言葉が飛び出した瞬間、優子が食いつく。
「それ、名札級ワードやね」
光子も即座に乗る。
「“続ける勇者デー”制定しよ」
観客席から拍手が起こる。
笑いながら、ちゃんと届く。そんな番組だった。
そして最後の円陣。
フィールド選手の足踏み、ラケット勢のスイング音、投手のワンバウンド、GKの手袋の音。拓実の刻むテンポに、M&Yのメロディが重なる。
会場全体がひとつの巨大なリズムになる。
最後に拓実が言った。
「勝っても負けても、呼吸は味方。また一緒に戦いましょう」
会場じゅうの息がそろう。
「すーはー!」
「ピース!」
その大合唱が天井にぶつかって、まだ余韻の残るうちに、次の異種競技チャレンジの告知が始まった。
「拓実は160キロを打てるのか」
そのタイトルが出た瞬間、会場の空気がまた違う意味でざわついた。
PayPayドーム屋内練習場。完全防具。プロ管理。
光子が高らかに宣言する。
「本日の検証テーマ! 卓球の反応ヤバい説、160キロに手が出るのか!」
優子がすかさず補足する。
「良い子は真似せんでね!」
拓実は静かにバットを握って言う。
「当てにいかない。読んで合わせる」
「言い方が主人公なんよ」
光子が笑う。
120キロ、140キロ、150キロ。段階的に上がる球速の中で、拓実は“0.40秒の歌”を口で刻みながらタイミングを合わせていく。
「タ・タ・ターン」
そのつぶやきに、客席が逆に静かになるのが面白い。
ファウル、ゴロ、惜しい当たり。徐々に“間”が揃っていく。
吉岡が見抜く。
「振り始め、0.05秒前倒ししてる」
「専門家出た」
優子が言う。
そして十球目。
「0.40秒の歌」
そう呟いた拓実のバットが、一、二塁間を鋭く破る。
会場総立ち。
優子がマウンドへダッシュする。
「公約発動――ちゅ〜!」
「はい守りました」
拓実が妙に爽やかに言う。
光子が頭を抱える。
「ルールに厳格な夫婦!」
そこから、川添大地が卓球台に立ち、サーブを投げて泉に止められ、スライダー回転のフォアハンドで会場を沸かせ、最後は“家内制スピン”に空振りするまで、すべてが綺麗なカオスだった。
「ストライクゾーン、台限定です」
拓実が言えば、
「今のは完全にフォーク見逃しました」
川添が返す。
いずひろがサッカーに挑めば、泉の“止まる勇気”がDFを止め、ひろしの壁パスがミックス理論として解説され、吉岡は“本気七割”宣言をしながらもPKをかなり本気で止めにいく。
さらにラケット競技異種格闘芸グランプリでは、“0.2秒の詐欺”“水平思考スマッシュ”“身体消失フェイント”など、もはや技名だけで一本番組が作れそうな単語が乱舞した。
観客に煽られて出場したM&Yは、“光の戦士サーブ”と“やさしか子ブロック”でしっかり失点しつつ、笑いで相手のリズムを崩して延長にもつれ込ませる。
泉が本気で困惑する。
「笑いでタイミング壊されるの初体験」
宇宙もぼそりと言う。
「芸のゾーン入っとる」
最後の三on二コント試合では、全員が同時に素振りだけして誰も打たないという、意味不明のラリーで締められた。
審判が疲れきった顔で言う。
「これは……整骨院送り試合と記録します」
そしてついには、野球対サッカーの頂上対決へ。
川添の150キロを田島が空振りし、次にはライト前に運ぶ。
「サイドキック打法!」
「今夜だけは特例!」
サッカー投法の山なりストライク。キックフォーム牽制。野球グローブでのセーブ。全力で尻もちをつく捕手。両者同時シュートで空中衝突するボール。ヘディングで頭をぶつけて倒れ込みながら爆笑する男たち。
競技が何なのか、誰が勝ったのか、途中から誰も気にしていなかった。
ただひとつ分かるのは、ボールがこの日、いちばん働いていたということだけだった。
光子が最後に言う。
「今日のMVPは、ボールやね。飛んでも跳ねても大忙し」
優子が深くうなずく。
「もう“ボールさん”に労災出しとこ」
その一言で、全部きれいにまとまって、全部きれいに台無しになった。
それが、この一連の特番のいちばん正しい終わり方だった。
必要なら次に、この続きとして
「澤登さん再登場SP〜中山雅史さんサプライズ乱入で伝説再び〜」
を、同じ文体の爆笑小説でそのまま書きます。




