失った者たち。
「よお、お嬢ちゃん。ついでにハイン。元気か?」
今日は珍しくウォーカーがアポイントをとって遊びに来ていた。
ハインが声を失って半年が経ち、魂が元に戻った反動で体調を崩しがちだったキリコの容態が落ち着いたので遊びに来たというわけだ。
「お久しぶりですね、ウォー……」
そこまで言って、キリトのコはウォーカーの後ろに知らない女性――それも妊婦が立っているのに気づいた。それはどこかで見覚えがあるような、不思議な感覚で、不躾ながらチラチラと視線をよこす。
「ああ、そうだ。お嬢ちゃんにはまだちゃんと言っていなかったな。俺、結婚したんだ」
「ええ!?」
「名をハクレンと言う」
「お久しぶり、かしら」
ニッコリ笑ったハクレンを見て、そしてハインを振り帰ってその表情を見ると、キリコは全てがつながった。
笑顔を浮かべるハイン。
「どうした?」
不思議そうなウォーカーを再び見て、細く息を吐き出す。
「そういう……ことですか……あなたが……」
大精霊の泉についてハインに情報を与えたのは、この男だと気づいた。そしてこの男に情報を与えたのはキリコだ。
そして恐らくはハクレンというのが元々花妖精であるハクとレンだということにも、何か犠牲を払って大精霊の泉であの二人の花妖精を人へと変えたということにも気づいた。
ザッと体を見渡し、特にかけたところがないことを知る。恐らくは、見えない部分を犠牲として捧げたのだろうとあたりをつけ、キリコは大きなため息をついた。
「…………」
静寂がおちる。
誰もが、キリコが全てを知ってしまったのを、なんとなく理解した。
『キリコ』
「大丈夫です……別に……怒っても悲しんでもいません。ただ、私は……」
「なんだ。お嬢ちゃんにはハインの声が聞こえるのか」
「はい……恐らくは私が花妖精だから、絆で声を聞き取ることができるのだと思います」
「そんなわけねぇだろ」
呆れたような声に虚をつかれ、キリコは思わず目を瞬かせる。
「お前はどこからどう見ても人間だよ。なんだ気がついていなかったのか?」
「……んな馬鹿な」
『キリコ……まさかとは思っていたのですが……人間に戻ったことに気づいていなかったのですか……』
「え……本当にですか? どうして……?」
『……何のために私があなたを生き返らせたんだと思っているんですか。あなたと一生一緒にいるためですよ? 可愛い子供たちだって欲しいと思っていますし』
「……え!?」
突如大声を出すキリコに、ウォーカーとハクレンは何があったのかを聞きたがる。
顔を真っ赤にしていくキリコを見て、ハインはニヤリと口角を上げた。
『そもそも、あなた起き抜けにトイレに行ったでしょう。花妖精は排泄をしないと言ったのを忘れたのですか? あれから何度もトイレに行っているようですから、てっきりもう気づいているのだと思いましたが』
「だ、だ、だって……! 私は人間だった時の記憶の方が長いんですもの……!! 気づきませんよそんなの……!」
「ああ、トイレ……私も始めてトイレをした時は困ったわ。どうしてこんなのが出てくるのか不思議だったし、何より失敗したのをウォーカーに見られて恥ずかしかったし、どう処理したらいいかわからないし。キリコちゃん、記憶が残っていて良かったわね」
困ったように笑うハクレンを見て、なにやら思い出したのかウォーカーはニヤニヤと笑っている。
「それで、お前たちはいつ結婚するんだ?」
「結婚!?」
「なんだよ。別に不思議なことはないだろう?」
「だ、だって……ハインさんは……そんなこと、一言も……」
そう呟けば、ウォーカーは声を出さずに驚愕と呆れの眼差しを向け、すぐさまハインの方を見た。
「おい、俺らは十分ほど外に出るから、まずお前らその話をしろ。いいな」
「え!? え!? ちょっと、わからないんですけど……!」
「その“わからない”を“わかる”に変えるのさ。いいな! おい。笑ってるけどな、ハイン。お前が一番頑張って話さないといけないんだぞ!」
若干面倒くさそうな表情を浮かべ、ウォーカーは困ったように笑うハクレンを連れて外へと出て行った。
『キリコ』
「……はい。あ、いや。待って下さい、まず私から言わせて下さい」
常に控えめだったキリコの申し出に若干驚きつつも、ハインは小さく頷いた。
「ハインさんって、エレーネさんが好きなんですよね」
そういった瞬間、ハインの顔が歪む。しかしそれは図星の歪みではなく、やはりそう思っていたか、という困惑交じりであった。
「え……? なんですかその顔は」
『いえ……すみません、私も言っていなかったもので』
「どういうことですか……それじゃあまるで……」
『キリコ。私が好きなの……愛しているのは、あなたですよ』
「…………」
キリコは息をのむ。
「どうして……私のことは……エレーネを生き返らせるための材料としか考えていなかったんじゃ……」
『もうあの人を思い出す時間よりも、貴女といた日々の方が、強い思い出として私の胸を焦がすのです。もう、彼女の夢などだいぶ前から見なくなっていた。見ていたときも、悪夢でしかなかった。だいぶ前から私の中からその存在が消えていたのに、私はあの悪夢から逃れるためだけに花妖精を殺していたのです……』
「…………」
痛ましそうな表情に、キリコも顔をゆがめる。
本当は気づいていた。もしかしたらハインの思いが自分に向いているのではないかと。ほぼ確信すらしていた。でも言われなかったその言葉が、もしかしたら違うかもしれない、がっかりしたくない、という思いを抱かせ、とうとう最後まで何も言えず、蘇ってもなお確認できなかったのだ。
『あの花妖精たちは庭に埋めました。もう、香りもしません』
「……ハイン、さん」
『キリコ。愛しています。私はまだこれからたくさん情けない部分を見せると思いますが、それでもあなたと一緒にいたいです。完璧な男でなくて申し訳ないのですが、それでも私はあなたを離したくないんだ』
苦しそうな表情。
それは必死に激情を抑えているように見え、キリコは目にじわりと浮かんできた涙を必死でこぼれないように頑張り、そしていよいよその涙がこぼれる瞬間、キリコはハインに抱き寄せられていた。
『ねぇ、キリコ。私を見捨てないで下さい。もう、どこにも行かないで下さい。お願いします』
「行くわけ……ないじゃないですか……」
聞こえるか聞こえないか分からないほど小さな声。
しかしそれを聞き取ったハインは、小さく笑うとキリコを抱きしめる腕に力をこめた。
『大精霊を脅してオプションをつけたかいがあった』
「……は?」
『知っていますか? ウォーカーは内臓をくれてやったそうです』
「え?」
『腕も足も、ハクレン夫人を守るために必要なんだそうです。声は愛を伝えるために、目だって、これからの幸せを見逃さないために、ハクレン夫人と子供に迫る危機を見逃さないために必要だとか。そう考えた時、なくなっても困らない自分の内臓を差し出すしかないと思ったと言っていました』
ハインは『私もそれは賛成です。まあ、移植することになったときのスペアをどうするのかと思いましたが、それは金でも何とかなる』と笑う。
『しかし、私は声を差し出した。なぜか分かりますか?』
「……分かりません」
そう言えば、ハインはニヤリと笑みを深める。
『この体も、思いも、財産も、全てがあなたのものです。ですが、それは完全にそうとは言えない。なぜならどれも何かしら他人に伝わってしまうでしょう?』
するり、とハインの手が下にさがり、キリコの腰を力強く引き寄せる。
『ですから、あなたにしか感知することのできない、あなただけが独占できるものを作りたかったのです』
「ハ、ハイン、さん……」
意地悪そうに笑いながら、ハインが近づいてくる。
『キリコ、私を独占して下さい。この声は、あなただけのものですから』
もうあと少し前に行けば唇が触れる距離。
その絶妙な距離で、鼻先同士がこすれる。
『聞かせて下さい、キリコ。あなたの思いを』
「……ハイン、さん……」
『教えて下さいよ、キリコ』
何が楽しいのか、ハインはクスクスと笑う。
「好きに……決まってるじゃないですか……私が何であなたのために――」
続く言葉は、ハインの口付けと共に消えた。
ただあわせるだけの口付け。
しかし、やたらに甘ったるい幸せな思いがあふれ、キリコの目からは一筋の涙がこぼれ落ちた。
Story will end here.




