3話:洋館の朝 side T
ブーッブーッ
「うわ」
突如耳元でバイブが鳴り月島は飛び起きる。
「何だメルマガか」
と小さく呟いたあと携帯画面の時計を見て息を飲む。
7:45
・学校まで徒歩約20分
・8時00分HR
血の気が引いていく音がした。
「相川基準制……くそっ!」
自分の点呼に間に合うかも危うい状況であるのに、携帯を閉じながらそう苦々しく吐き捨てる。
悔やんでいる場合ではない。彼は決意したように顔を上げ、窓の下の寝床から勢いよく立ち上がった。
そしてポイポイと服を脱ぐと、枕元にあったシワの寄った制服を大雑把に羽織る。
ズボンに足を突っ込み右手で引っ張り上げ携帯電話を左手に持ち、飛び跳ねて穿きながら前へ進む。
ごすっ
「……っつ!!」
タンスに足の小指をぶつけてしまった。足先から全身へ伝わる電流のような痛みに声も出ず転げ回る。タイムロスである。
ふらつきながらキッチンまで行くと流し台から弁当箱を取り、炊飯器からありったけの米をつめる。
箱半分程度にしかならなかった。
「くそ!」
流し台を拳で殴り付け八つ当たりをしてからペットボトル一杯に水道水を入れる。
少し遠くに転がっていた鞄に弁当箱と共に放り投げつつ、即座に走り近付き鞄を引きあげる。
床に転がる衣類を蹴散らしながら玄関へと向かう。
「ってきます!」
重いドアを開け朝日に目を瞬かせながらやけになったように言う。
草むらを抜けトンネルを抜け、全速力で長い階段を昇り切る。彼もまたこの洋館の住人のようで行動には迷いがなかった。
「うっえ」
張り付いた喉に耐え切れずここで給水ポイント。開きっぱなしだった鞄からペットボトルを引っ張り出す。
一気に四分の一ほど飲み干し、むせ返りながら携帯を見る。
7:49
「やべ!」
慌てて部屋を出て鍵をかける。
足踏みをしながらガチャガチャと必死の形相で戸締りをする彼を、小学生が不思議そうに見ていた。
7:56 校門前
「頑張れよー」
守衛のおじさんの労いの言葉を受けながら息をつく間も無く走り抜ける。
校舎内、ここからが最難関スポットだ。
2年A組は3階にある。
容赦の無い山のような階段を呼吸も荒く血走った目で上る。
目的地に向かうにつれ、足取りは段々と重くなる。
「げほっ」
ガラララッ
「あ、よう」
「あ、おはよ」
7:59
よろよろと教室へ入ってきた彼を迎えたのは谷とその嫁、藤井の挨拶であった。
この二人、誰が見ても両思いなのは丸わかりなのだが、奥手で鈍感な当人たちだけはお互いに気持ちを伝えられず、お互いの好意も汲み取れていない。
そんな状態の続く、周りからすれば「いいからもう早くくっつけよ」という関係なのである。
時折、交際相手の居ない者にとって毒でしかない、甘酸っぱい青春オーラを放出するので実に厄介なのである。
そしてその青春は現在進行形であったらしく、なにやら慌てて身を離した。
まあとにかく疲れ果てた自分を迎えたのはそんな彼らであることに、月島は登校早々大きな敗北感と絶望感に包まれ、思わず教室から出て行こうとする。
「くっそ……朝から見せ付けやがって……こんなクラス出てってや、ぅぐふッ!!!」
ドゴッ!!!
突如響き渡った轟音に教室がしん、と静まり返り一斉に音の発生源に注目する。
「あ、葵!?え、ごめん!」
教室の入り口に立ち尽くすパジャマ姿の少女、友野恵が困り顔で言う。
目の前には地べたで丸くなった月島が、鳩尾を押さえて小刻みに震えている。
チャイムぎりぎり、駆け込んだ恵の左拳が彼の急所へとクリーンヒットしたらしい。同時に鞄も当たったようだ。
「何だついに衝突したか」
「二大駆け込み遅刻組め」
そんな言葉やため息が飛び交い、教室が再びざわつき出す。
想定内の事件だった。
「まじでごめんなさい、さすがに今のは痛いですよね」
そう呟きながら、動かない月島を助け起こそうとしたところでチャイムが鳴った。
ようやく起き上がり、俯けていた顔を上げた月島が、文句を言おうと口を開きかけて固まる。視線は恵ではなく、上方へと向いていた。
「え、何?」
視線の先、恵が振り替えると微笑を浮かべた教師が見下ろしていた。
「とものさん」
ひょっ、と飛び跳ねて立ち上がると顔を強ばらせながら恵は自分の席に逃げ込んだ。
まるで追い込まれた小動物の動きであった。
一つ前の席で双子の片割れの光がため息をついていた。
その右隣の席で月島は何事も無かったように座っていた。